A program to revive your relationship with God
9-7
最終更新:
rwithgod
-
view
【時事解剖(2)】現政権に求められる事 〜チームみらいのAI家庭教師より重要な国体=精神面のサポート〜
■ 「不易流行」を体現する皇室と、倒錯する国民世論
上皇陛下の葬儀規模縮小の調整というニュースは、2016年(平成28年)の退位に関するビデオメッセージから一貫した、極めて合理的で国民に寄り添う強いご意志の表れです。
皇室は、時代に合わせて「変えるべきもの(流行=葬儀の形式や公務のあり方など)」を自ら進んで変え、国民負担を減らそうと努力されています。
皇室は、時代に合わせて「変えるべきもの(流行=葬儀の形式や公務のあり方など)」を自ら進んで変え、国民負担を減らそうと努力されています。
しかし、これに対する国民やメディアの反応はどうでしょうか。セレブと履き違えた「アイドル皇室主義(ルシファー的熱狂)」やバッシングに終始し、あろうことか「絶対に変えてはならないもの(不易=男系男子という霊的プロトコル)」を「時代の趨勢」という名目で破壊しようとしています。皇室が国民に歩み寄る一方で、国民は皇室の最も神聖な結界を踏みにじろうとしている。この悲劇的な非対称性こそが、現在の最大の危機です。
■ AI(アーリマン)に傾斜する政治と、放置される「国体(精神)」
この危機的状況において、現政権(高市政権)を取り巻く力学を人智学のレンズで解剖すると、極めてアンバランスな構造が浮かび上がります。
「チームみらい」による高市総理へのAI家庭教師の導入などは、政治における属人的ノイズを排除する画期的な試みです。しかし、AIやITといったテクノロジーは、本質的に「アーリマン(唯物的・効率至上主義)」の極致です。国家のオペレーション(政治・経済)をアーリマン的なシステムで最適化すること自体は有効ですが、それと同時に「精神的側面(国体)」を強固にサポートする柱がなければ、国家のバランスは完全に崩壊します。
「チームみらい」による高市総理へのAI家庭教師の導入などは、政治における属人的ノイズを排除する画期的な試みです。しかし、AIやITといったテクノロジーは、本質的に「アーリマン(唯物的・効率至上主義)」の極致です。国家のオペレーション(政治・経済)をアーリマン的なシステムで最適化すること自体は有効ですが、それと同時に「精神的側面(国体)」を強固にサポートする柱がなければ、国家のバランスは完全に崩壊します。
皇室という存在は、クールジャパンのような「輸出用の消費コンテンツ」とは次元が違います。それは政治でも経済でもない、日本の社会有機体を支える「精神・文化の究極の中心(アンカー)」です。アーリマン的効率化ばかりが進み、この精神面をサポートする勢力が不在のままでは、世論(ルシファー的同調圧力)を受けた皇室はさらに萎縮し、やがてその存在意義ごと解体されてしまう恐れがあります。
■ 保守政党の「意識魂」の欠如と参謀不足
本来、この「精神的側面(国体の防衛)」を政治の場でサポートし、AI政治とのバランスを取るべきなのが、日本保守党などの右派・保守勢力です。
しかし現状、一部のカリスマ的な代表(百田氏・有本氏など)の個人的な発信力に依存し、その他の構成員が「風見鶏」や「コピー人間」に留まっているとすれば、それは人智学的に言えば「個人の意識魂(自律的思考)」が育っていない状態です。
しかし現状、一部のカリスマ的な代表(百田氏・有本氏など)の個人的な発信力に依存し、その他の構成員が「風見鶏」や「コピー人間」に留まっているとすれば、それは人智学的に言えば「個人の意識魂(自律的思考)」が育っていない状態です。
カリスマへのルシファー的な依存状態では、複雑怪奇な政界(アーリマン的権力闘争)を生き抜き、世論を戦略的に誘導する高度な参謀機能は育ちません。結果として、国体を護るという最も重要なミッションにおいて、政治的にも啓蒙的にも力不足に陥ってしまいます。
■ 結論:真に求められる「両輪」の稼働
現政権と日本社会に必要なのは、AIによる「政治・行政の最適化」だけではありません。それと対をなす、「国体への霊的・歴史的理解を深めるための、終わりのない啓蒙」というもう一つの車輪です。
義務教育での皇室教育が実現するまでの間、宮内庁は単にお言葉を公表するだけでなく、皇室の歴史的意義を説く「啓蒙コンテンツ」の充実へと大きく舵を切る必要があります(※コラム6-7参照)。
義務教育での皇室教育が実現するまでの間、宮内庁は単にお言葉を公表するだけでなく、皇室の歴史的意義を説く「啓蒙コンテンツ」の充実へと大きく舵を切る必要があります(※コラム6-7参照)。
そして我々国民(特に保守層)に求められるのは、政治的カリスマに依存するのではなく、一人ひとりが国体の意味を自律的に言語化し、世間を啓蒙していく強靭な「ミカエル的実践」なのです。