早明浦ダムwiki ~香川県出資拒否デマ~

【デマ】昭和37年7月14日 吉野川総合開発部会での合意

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sameuradam

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昭和37年の合意

吉野川開発をめぐる議論において、Wikipediaや一部の解説では、
以下のような記述が見受けられます。

「昭和37年に香川・愛媛側を一度は徳島の多額の費用に対して徳島県民の住民感情を尊重するための出資に合意しておきながら」
「徳島の費用負担を香川・愛媛に割り振るという覚書が交わされた」

しかしながら、

これらは事実に基づかない虚偽の主張です。


【事実】昭和37年7月14日「第一回吉野川総合開発部会」での正式な決議内容

当時の会議では、以下の3点が決議されました。

①吉野川の開発は本四連絡橋とは切り離して考える

吉野川の水資源開発や治水事業は、四国と本州を結ぶ「本四架橋」計画とは別の枠組みで検討すべきである、という方針が確認されました。
これにより、吉野川開発の議論は地域の事情に即した独立した問題として扱われることとなりました。


②当面、建設省の早明浦ダム計画に絞って検討することとし、四国の産業開発に伴って祖谷川、銅山川の開発も進める

吉野川水系の中で、まずは建設省が当時推進していた「早明浦ダム計画」を優先的に進め、
四国全体の産業発展の流れを見ながら、将来的には祖谷川や銅山川といった他の支流の開発にも着手する、という段階的な開発方針が示されました。

③吉野川の開発に当たっては、歴史的な背景に考慮し、徳島県民の感情を十分尊重する。建設費についてもあまり徳島県に負担をかけないよう関係県は努力する

吉野川流域の住民、特に徳島県民の歴史的な背景や水利用に対する思いに十分配慮し、
建設費用についても徳島県の負担が過重とならないよう、
香川・愛媛などの関係県が協力の姿勢を示すという趣旨が明言されました。

ここで重要なのは、「協力する姿勢」は示されたものの、
実際に金銭的出資や費用分担に合意したわけではないという点です。

【誤情報】ネット上で流布されている内容について

「香川・愛媛が徳島の出資に合意した」という記述は、昭和37年の正式な会議の議事内容や記録には一切見当たりません。

「費用分担の覚書が交わされた」という話も、当時の文書や資料では確認されておらず、
意図的に誤った状態で広められた情報である可能性が高いと考えられます。

まとめ

吉野川開発をめぐる議論では、徳島県の住民感情に配慮すること、
徳島県の過度な費用負担を避けることが確認されましたが、

他県による出資の「合意」や「覚書の締結」といった事実は存在しません。


正確な記録に基づいて、誤った情報には注意して下さい。




✅参考資料
香川用水誌P196.197
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