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改めて考えた結果、日本国憲法の定める内容により適うのは、どちらかといえば権力者への罵倒が容認されない構造側であると結論づける。
確かに権力者への攻撃と一般市民への攻撃には非対称性があり、また批判と罵倒の区別には難しいところがある。
だが、政治家に対する批判は、その言動と政策に関する事実、または事実であると信じられるだけの相当性のある情報に基づいているもので十分可能であり、身体的特徴や病気等本人の政治家としての資質に直接的には関わらない事柄に基づく中傷行為は、対象の名誉感情を侵害するだけで公益性を満たさないものであり、政治批判というより侮辱や名誉毀損の類である。
例えば、対象の政治家が難病を患っていることに基づき、健康問題が政務に与える影響の大きさを鑑みて辞任を求めること自体はまだ政治批判の範疇であろう。だが、その病気自体を根拠として蔑称をつけたり暴言を吐いたりするなどと、単に対象の名誉を陥れん、心情を傷つけんとする目的の発言をした場合は、それは政治批判からかけ離れた侮辱行為であり、憲法上保護されるべき言論の枠外と断じるべきである。
また、憲法が国民の言論の自由を保障する理由として、国民の自由闊達な議論や言論活動の保障による政治権力の暴走の阻止があると思われるが、上述したような政治家としての資質と直接関係のない事由に基づく暴言を刑事上も民事上も問題なしと容認することが、政治権力暴走に繋がるかどうかは甚だ疑問である。むしろ、政治家の言動や政策への批判ではなく、政治家自身の持つ属性を対象とした人身攻撃が活発化すれば、政策上の論点からかけ離れた分野での場外乱闘を引き起こし、重要論点に関する議論に割かれるリソースを低減させるだろう。また、こうした属性による人格攻撃の応酬が起これば、党派間の政治的対立と憎悪はいたずらに扇動され、各政治勢力に対立勢力との対話ではなく排斥を良しとする気風をもたらすだろう。そのような気風をもった政党が権力側に立った場合、自分に都合の悪い、あるいは反りの合わない思想を迫害し弾圧することは明白である。
以上の理由により、私は政治家の言動や政策につき痛烈に「批判」することは保護されるべきとしても、外見的特徴や病気等の政治議論に関係ない事柄にもとづき単に馬鹿にする目的で「罵倒」することは法的にも倫理的にも容認されてはならないと考える。
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