誇りは砕け散ってしまった、もう安倍晋三は終わった
2022年3月19日の近畿大学の卒業式スピーチ…の一部。
このスピーチの前には晋さんがピアノを演奏する貴重な動画も流しており、後述の動画ソースから視聴可能。
このスピーチの前には晋さんがピアノを演奏する貴重な動画も流しており、後述の動画ソースから視聴可能。
近畿大学のスピーチに登壇した理由は、
安倍内閣で経済産業大臣なども勤めた世耕弘成が近畿大学の理事長だからだろう。
いわばまさにお友達人脈であります。
ちなみに、近畿大学の創設者は世耕弘成のお祖父ちゃん世耕弘一。
安倍内閣で経済産業大臣なども勤めた世耕弘成が近畿大学の理事長だからだろう。
いわばまさにお友達人脈であります。
ちなみに、近畿大学の創設者は世耕弘成のお祖父ちゃん世耕弘一。
発言
(文字ソースから一部抜粋)
(中略)
その時(※東日本大震災)から遡ること4年前
第一次安倍政権はたった1年で幕を閉じました。
その時(※東日本大震災)から遡ること4年前
第一次安倍政権はたった1年で幕を閉じました。
ご承知のように、私は潰瘍性大腸炎という
腸の難病と共に人生を歩んできたのですが
腸の難病と共に人生を歩んできたのですが
私の経験不足、そして政権運営の拙さから
選挙で大敗しそして政権は行き詰まり
この持病が悪化し、内閣改造直後に辞任を余儀なくされました。
選挙で大敗しそして政権は行き詰まり
この持病が悪化し、内閣改造直後に辞任を余儀なくされました。
政権を投げ出した、日本中から厳しく批判されました。
私の責任です。
私の責任です。
私の政治家としての自信や
誇りは砕け散ってしまった、もう安倍晋三は終わった。
みんなそう思ったんです。
誇りは砕け散ってしまった、もう安倍晋三は終わった。
みんなそう思ったんです。
その後、新しい薬が幸い開発をされて
体調の方は元に戻った。
体調の方は元に戻った。
でも政治家として先頭に立って
リーダーシップをとる自信はまだなかった。
リーダーシップをとる自信はまだなかった。
そんな時、懸命に頑張る被災者の皆さんの姿に接し
被災地の復興は、そしてそのために
強い経済を取り戻すことが私の使命である。
こう決意しました。
被災地の復興は、そしてそのために
強い経済を取り戻すことが私の使命である。
こう決意しました。
その後、自民党総裁選挙で何とか勝利し、総裁に復帰し
私たちは政権を取り戻しました。
私たちは政権を取り戻しました。
なぜ不可能と言われた
総理への再登板が可能となったか。
総理への再登板が可能となったか。
それは決して私が特別
優れた人間だったからではありません。
残念ながら特別強かったからでもない。
優れた人間だったからではありません。
残念ながら特別強かったからでもない。
ただ一点
決して諦めなかったからであります。
そして、諦めない勇気をもらったからなんです。
決して諦めなかったからであります。
そして、諦めない勇気をもらったからなんです。
「 無理かもって思ったら もうそれより先になんて進めない 」
「 方法は無限大 可能性は永遠の海 」
「 やれそうって思ったら もう ほとんどは乗り越えたようなもの 」
By つんく♂
「 方法は無限大 可能性は永遠の海 」
「 やれそうって思ったら もう ほとんどは乗り越えたようなもの 」
By つんく♂
つんくさんが 近大のために作った曲の中の一つ。
私の大好きな一節です。
私の大好きな一節です。
諦めないことが大事です。
そして出来ると思う自信がとても大切だと思います。
そして出来ると思う自信がとても大切だと思います。
第一次政権は一年で終わり、短すぎる
こう批判されました。
こう批判されました。
でも第二次政権以降
長く続いて憲政史上最長になりました。
長く続いて憲政史上最長になりました。
それはさっきも言ったように
私が特別優れていたわけではありません。
私よりも優れた仲間たちがいたからであります。
世耕理事長もそうです。
私が特別優れていたわけではありません。
私よりも優れた仲間たちがいたからであります。
世耕理事長もそうです。
そういう仲間たちと一緒にチームで同じ方向に
向かって進むことができたからなんです。
向かって進むことができたからなんです。
文字ソース
画像

動画
7:44~
この動画から貴重な晋さんのピアノ演奏も見ることができるのであります。
壮大なOP→ピアノ演奏→スピーチ
この動画から貴重な晋さんのピアノ演奏も見ることができるのであります。
壮大なOP→ピアノ演奏→スピーチ
このスピーチに登場する他語録
- 私は頼まれたら断らない
- 何だよこれ、かくし芸かよと思った方もおられるかもしれません。