アットウィキロゴ

東堂衛のキャンパスライフ > 1


第一話

ニュースでは桜の花がどうこうという話で盛り上がっている季節だが、空気は未だに冷たい。
数十メートルもするアパートの屋上となればなおさらだ。
それなのに十二歳の小さな少女はそこに立っていた。
長い漆黒の髪を風になびかせて、彼女は曇り空を見上げた。
望むならあの空の向こうの父と母の元へ行きたい。
しかしそれは叶わないだろう。私は地獄の住人。
その両親を殺したのは、他ならぬ自分なのだから。
小さな口から息をひとつ大きく吸い込む。
フェンスをよじ登って、反対側から降りて、建物の縁に立つ。
手足が震える。早く楽になりたい。
下に人がいないのを確認して、少女はフェンスから手を離した。

ちょうどその時、アパートの下では、遅めの昼食をとり終えたビジネスマンが会社に戻る途中だった。
実は少女が飛び出したとき、ふたりは互いに死角の位置にいたのだ。
ビジネスマンは角を曲がっていきなり、落ちる少女の姿を認めた。
にもかかわらず彼は冷静そのものの表情で地面に手をかざした。
彼はこういう場合にうってつけの能力を持っている。
少女が地面に激突する、と思われた瞬間、
なんとアスファルトがトランポリンのように少女の体を弾ませた。
『ものを柔らかくする能力』を持ったビジネスマンは、何事もなかったかのようにその場を後にした。
一方、残された少女は涙を流しながらひとり佇むばかり。
――“また”、死ねなかった。
少女の目に浮かぶのは、安堵ではなく、悔しさの涙だった。


東堂衛は焦っていた。
この春入学した大学に提出しなければならない重要な書類を無くしたのだ。
その提出締切日は今日の日付と一致する。
刻は夜明け前。慣れない一人暮らしで変な時間に目が覚めたところでこの事実に気づいた。
そこで、中学からの同級生で同じく近所に一人暮らしを始めた静岡幸広を電話で叩き起こしたところ、
運良くコピーをとらせてもらえることになった。
彼もすっかり忘れていたらしく、内容を記入していなかったのが幸いした。
そんなわけで衛は幸広の部屋まで自転車を走らせているのだ。

時を同じくして、とある公園ではひとりの少女が化け物と戦っていた。
化け物は体長およそ三メートル。蜘蛛の姿に似ているが脚は尖った形をしている。
皮膚は暗めの金色に輝いていて、その見た目通りとても頑丈だ。
その見た目から一見機械のようだが、脚の動きはとても滑らかである。
それに、全てを見透かすような四つの眼と、虎をも丸呑みにしそうな大きな口が、
この化け物が生身の生き物であることを物語っている。
対する少女は、アンテナのようにピンと上に伸びたひとかたまりの髪を揺らしながら戦っていた。
縦横無尽に化け物を翻弄し、蹴るの殴るの、決して押し負けてはいない。
「ソラ……大丈夫か?」
少女の側にいたもうひとりの少女……ではなく少年が尋ねる。
彼、桂木忍の夜の能力は『お姫様』。
その能力によって毎晩彼は少女の外見になり、さらに常に誰かに襲われる可能性を孕んでいるのだ。
この化け物もおそらく忍に惹かれてやってきたのであろう。
「もちろん! 私が負けたことある?」
そんな忍を夜の間サポートするのが、現在化け物と戦っている少女、鈴本青空
彼女は昼間は熟睡する代わりに、夜は『活性化』といって、
目を覚まし続ける上に無限の身体能力と回復能力を誇る。
加えて青空には自己流で鍛え上げた体術がある。
化け物が彼女を捕まえようとするのを軽くいなし、拳を浴びせた。
しかしながら化け物の方も異常なまでの硬度を見せる。
コンクリートも余裕で砕く青空のパンチをまともに受けても傷ひとつつかないのだ。
こうして、全く決着がつかないまま三者は日の出を迎えようとしていた。


それは突然起こった。
化け物は、一向に引いてくれない青空の奥に控える忍より、
もっと良さそうな獲物を公園の外に見つけたのだ。
化け物が振り向いた瞬間に最後の蹴りを放った青空は、化け物の妙な行動に気づいて辺りを見回した。
そして、化け物のターゲットに気づいて叫んだ。
「そこの人! 危ないよっ!」
次の瞬間、自転車の倒れる音。
なんという化け物の速さ。おそらく襲われた者は……。
忍は思わず目をそらし、青空は歯を噛みしめる。
しかし土煙が晴れてそれは杞憂だったと知ることになる。
東堂衛は化け物に腕一本噛み付かせてそれを抑えていた。
その腕にも傷などひとつも無い。
衛の夜の能力、『無敵』。
衛が他者を攻撃すればその夜間は能力が失われる、という弱点はあるが、
それ以外の点ではまさに無敵で、衛に害をなすどんな行為や現象も受け付けない。
忍たちふたりは揃ってほっと胸をなで下ろす。
それと同時に、とうとう東の空から眩い一筋の光が射してきた。


朝を迎えて、能力が移り変わる。
衛は見た目の変化は無いがもちろん無敵の能力ではなくなる。
青空はアンテナがしゅんと倒れて早速寝ぼけまなこになった。
忍に至っては、さっきまでの『お姫様』の姿はどこにもない。本来の男の姿だ。
だが、その公園で一番の変化は、衛にかじりついていた“化け物”に起こった。
化け物は光を放つとみるみる収縮して人間の姿を形作ってゆく。
光が収まったとき、そこにいたのは長い黒髪の少女であった。
「わ……わたし……ごめんなさいっ!」

泣きじゃくる少女をなんとかなだめた三人は、ひとまず互いに自己紹介をしあった。
それにつられて、少女も自分のことを話し始める。
「わたし、鬼塚かれんといいます。」
「かれんちゃんねー。いくつ?」
同性だから安心できるだろうということで、青空が話を聞くことにした。
ただし青空はあくびをしながらで相当眠そうだ。
「じゅうに、です。」
十二歳。それにしては一回り小さい。
おそらく変身能力にエネルギーが回されるためだろう。
「うん、うん、ふぁぁ……。」
眠気がピークに達したのだろう。
ひとつ聞いただけなのに、青空は早くもダウンしてしまった。
「ソラ……。」
忍は青空を起こそうと思ったがすぐにやめた。
今夜も自分を守るために必死で頑張ってくれたのだから。
そこに衛が続きの質問をフォローする。
「お父さんとお母さんは?」
ところがこれが迂闊だった。
かれんは目に大粒の涙を浮かべて、こう言った。
「わたしが……パパも……ママも…………べ…………。」
かすれた声。最後の方は嗚咽にかき消されて聞こえなかった。
しかしふたりには唇の動きからその消えた部分が読み取れてしまった。
――食べちゃった。
恐怖、哀しみ、憤り、やるせなさ。複雑な感情がその場を支配した。
忍が慌てて話題を逸らす。
「えっと、そのネックレス可愛いね。」
「うん……八歳の時の誕生日にママが……。」
どうやらこの質問も失敗のようだ。
小さな花のペンダントのついたネックレスを見つめるかれん。
ふたりはもはやお手上げ状態で、彼女に声をかけあぐねていると、それを察した彼女の方から話を始めた。
「わたし、ああなるとどうしようもなくなるんです。
 目の前にあるものは全部、食べ物か壊すためのオモチャにしか映らなくて。
 そんな自分が嫌になって、死のうとしたんですけど、必ず何かに守られてしまうんです。
 それが私の昼のチカラだって知って、さらに絶望しました。」
かれんはとても十二歳とは思えない自嘲じみた表情を漏らした。
何とか希望は無いものか。むしろふたりのほうがやけになっていた。
「でも、今は能力を抑える薬があるって……。」
「昼は、多分、チカラが無くなるとわたしが危なくなるから、どうしても薬が手に入らないようになってるんです。
 夜も夜で、どれだけ薬を飲まされても、どれだけチカラを無くすチカラを持った人に出会っても、変身は解けなかった。」
けれども、救いを求めることはさらに深いどん底に足を踏み入れるだけのことだった。
もはやこれは“能力”と呼ぶべきものではない。“呪い”だ。


「僕は!」
衛は唐突に叫んだ。
そしてベリーショートの髪を一回ぽりぽり掻いたあと、こう続ける。
「僕は、君の能力を無くすことはできないし、君の両親を生き返らせることもできない。
 でも僕は、夜の間、“普通に”君と一緒にいられる。」
それは、この小さな少女を守るため、衛が考えた中で最善の策だった。
他人と一緒にいる。それだけで少しでも救われる何かがあるんじゃないか。
「私も、夜ならいつでも相手になるよー。」
いつの間にか起きていた青空がそう加えた。またすぐに寝たが。
「かれんちゃん、俺も昔ひとりだった。でも……。」
忍もかれんに声を掛ける。そして青空の方を一瞥してから、かれんに微笑みかけた。
「みなさん……。」
かれんはぱっちりした大きな目を見開いて、肩を震わせた。
そして、ほんの少し勇気を振り絞った。
「分かりました。東堂さんの所でお世話になります。」
ずっとひとりで生きていくんだと思っていた。
そうしなければ他人を傷つけてしまうから。
でも、この人達は、今初めて会った自分の為に、
しかも有無を言わさず襲いかかった自分の為に考えてくれた。
その手をはねのけてひとりで生きていく決意を守るには、
かれんの十二歳という年齢はあまりに幼すぎた。
「衛でいいよ。」
「はい、衛さん。」
やっと、笑顔になれた。
頬を伝うのは昨日の昼の悔しさの涙ではない。
何年ぶりに流しただろう、喜びの涙。
それは、たった今完全に姿を現した今日の朝日よりも輝いていた。
そう、今日の朝日よりも。


何度でも言おう。今日の朝日よりも。
朝日……。
「あーっ!」
ようやく衛は思い出したようだ。
「ごめんかれんちゃん、ちょっと友達の部屋に行かないといけないから、ついてきてくれない?」
と、慌てて自転車に駆け寄る衛。
「はい!」
かれんは元気よく返事をして衛を見つめている。
衛は自転車とかれんを見比べて、手押しすることに決めた。
最後に公園を振り返って。
「それじゃ、お疲れ様!」
「また、かれんちゃんと一緒に会いに来てください。」
「本当に、ありがとうございました。」
「またねー……むにゃ……。」
四人は口々に挨拶を済ませ、公園を後にした。

静岡の名字の部屋番号をポストで確認し、間違えないように三度暗唱して二階を目指す。
こんな時間に間違いでインターホンなど鳴ったら大迷惑だ。
衛は部屋の前でもう三度部屋番号を確認した。
「じゃあ、扉が開いたら見えない方に隠れてて。」
念のため小声で確認すると、かれんは無言で頷いた。
いたずらしているような気分なのか、それともこれからの生活に期待に胸を弾ませているのか、
その顔はなんだか楽しそうだった。
ピンポーン、とおなじみの音が流れ、茶髪に染めた鼻の高い男が現れた。彼が静岡幸広だ。
「ほら、これな。」
幸広はいかにも眠そうだった。当然だ。本来より三時間ほど早く起こされたのだから。
「さんきゅ。」
じゃ、と言って帰ろうとしたところで、突然地面が揺れた。
「きゃっ!」
とっさにかれんが衛の腰に飛びついてきた。
地震自体はすぐ収まった。震度二程度の軽いものだ。
しかし問題は地震ではない。
「衛、お前……!」
衛は幸広の能力について、もちろん知らなかったわけではない。
ただ舐めていただけだ。扉の裏に隠す程度の対策でどうにかなるものではなかった。
幸広の能力。それは、『人の秘密を発見する能力』。
他人が秘密にしたいものを幸広が発見する確率がきわめて高い、というものだ。
「ち、違うんだ、ユッキー……。」
よくよく考えると、言い逃れようにも公園で十二歳の少女を拾ったのは事実で、
つまり幸広がこう叫ぶのも無理のないことであった。
「ロリコンだ――っ!」


第一話 終わり

登場キャラクター



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年07月10日 10:32
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。