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東堂衛のキャンパスライフ > 11


第十一話


政治、産業、文化……。
チェンジリング・デイ以降、あらゆるものが直接的に、あるいは間接的に、変わった。
変化は、あるときには古いものを捨てて、あるときには古いものを拡張するように行われる。
この廃工場も、そんな捨てられた古いもののひとつだった。

工場入口とは反対側の、雑多に鉄くずや角材が散らかった一角。
そこに、何に使うか知れない、ひとつの大きく平らな台が残されていた。
今、その台には薄いシーツが敷かれ、眠り姫のベッドとなっている。
彼女をさらった当人は何をするでもなくその横にたたずんでいた。
しばらくして、
「来たか。」
工場にもう一つの影が現れた。

衛は、長袖長ズボン、軍手の上に、右手には金属バット、左手にはフルフェイスのヘルメットを携えて、工場に足を踏み入れた。
衛自身はその出で立ちを格好悪いとは思っているが、見栄を選んでいる状況ではなかった。
「西堂……。」
衛が誘拐犯の名前を呼ぶ。その声は壁に反響して、出したよりも大きく聞こえた。
「聞いたよ。能力のことと、妹のこと。」
西堂は「妹」の部分で眉をぴくりと動かした。
しかしすぐに元の表情を取り戻す。
「ふぅん、で?」
「それだけだ。」
どんな事情があろうと、西堂がやったことは許せない。奥に眠っているかれんを取り戻すことに変わりは無い。
ただ、相手の手の内と心の内を知っていることを、事実として伝えただけだ。
会話はそこで終わり、衛は持っていたヘルメットを被る。
工場内の空気が張りつめた。


ふたりの距離が一気に縮まる。
「はあああ!」
雄たけびを上げながら、衛がバットを横なぎに振るう。
西堂はこれをしゃがんでかわす。自慢のツンツンヘアを風が掠める。
衛の隙は大きい。そのまま西堂は足払いに持っていく。
しかし、西堂の足は衝撃を感じない。衛が両足を動かした形跡が無いにもかかわらず。
「ちっ!」
第二撃が来ることを悟った西堂は、大きく後ろへ退く。
今度は縦。バットが地面を打つ。

離れたふたりの表情は対照的だった。
涼しい顔の西堂、既に息の上がっている衛。
ケンカに対する慣れの違いだ。
「やっかいやな、そのすり抜ける能力。」
そう言う声に、切羽詰まった響きは無い。むしろ余裕さえうかがえる。

今度は西堂の方から懐に飛び込んできた。
衛は慌ててバットを構える。
そこが西堂の狙いだった。
テイクバック、つまりスイング前のバットを引く動作。
その頂点に西堂のひじ打ちが重なる。
バットはあっけなく後方へ弾け飛んだ。
「しまっ……!」
ほんの一瞬、それに気をとられているうちに、あごを狙ったハイキックが今度はヘルメットを宙に舞わせた。
そして、その二つの道具の落ちた側に、西堂はすぐに回り込んでしまった。

ものを拾う瞬間は能力を使えない。しかも頭部に手を触れられた時点で負けときた。
位置が逆転したためかれんには近づけたが、彼女ごと能力を掛けることもできない。
衛はいきなり瀬戸際に立たされた。
「肉弾戦で素人には負けん。」
有利を認めた西堂が話を始めた。
「でもそれだけや。」
彼の顔からは、衛に対するものではない悔しさや怒りといった感情が噴出していた。
「俺は、力が欲しい。もっと、もっと。」
西堂は、叫びながら、目の前の敵、衛にぶつかってゆく。
「あの時! 俺にもっと力があったら! 雪華は死なんで済んだんや!」


衛はどうしようもない無力感にさいなまれた。
能力を使えば攻撃をかわすことは容易だ。
しかしそれでは駄目だ。タイムリミットがある。
能力が切り替わるまでに勝負を付けないと、西堂の夜の凍結能力には絶対に勝てない。
実際はそれまでにはまだ何時間もあるが、このまま何もできないと確実に現実となる。
どちらにしろ、何もしなければどうにもならない。迫る西堂に試しに蹴りを放ってみた。
あっけなく足を掴まれ、気付いた時には体が一回転して地面に落ちていた。
痛み。それと共に、先ほどの西堂の台詞が頭に響く。
もっと力があったら。

不意に、何かを思い出しかけた。
だがそれも、いきなりの顔を狙った攻撃に、かわすための能力への集中に、押し出された。
こちらの攻撃は蹴りに限られる。相手と頭の位置をできるだけ離せるからだ。
しかしそれを分かっている西堂には簡単にカウンターをくらってしまう。
数撃ちゃ当たる、なんて言葉はこの場面では無意味だった。

もう何度目だろうか、こうして膝をつくのは。
このまま、かれんを救えないまま終わるのか。
突然、小さな声が工場に響いた。
「まもる……さん……。」
声の主はかれんだった。
西堂の能力による気絶が解けはじめてきたのだろう。
その声に、衛の頭の中はぐちゃぐちゃにかきまぜられる。
これまでのかれんとの思い出が、ぐるぐる回る。
その波の中にひとつの光明を見つけた。
それはかの有名な能力研究者の言葉だった。
『君はもっと強くなれるってことさ。』
そうだ。その前、彼は何と言っていた?

衛はゆっくりと立ち上がった。
そして、能力を使ってみる。
初めてそれに目覚めたときを思い返しながら。
できた。当然だ。しかしそれを当然と思わないようにする。
もう一度使ってみる。
衛だけに分かる、自分を世界から孤立させる感覚。
しかし今気付いた。その、“世界から孤立した”という部分は、自分のすべてではなかった。
むしろ、ほんの一部だった。
全体がつなぎとめられているからこそ、そのほんの一部にだけ穴を開けることが許される。
だったら、いつもとは違う箇所にも穴は開けられるのではないか。
衛は、自分の能力の真の全体像に、このとき初めて気付いた。


衛が西堂に向かってゆく。
最初の数歩、西堂は「またか」と言いたげな感じで構えていた。
しかし、異変は突如として起きる。
「消えた!?」
衛の姿が西堂の前から忽然と消えた。
次の瞬間にはもう、見えない拳が西堂の頬を殴っていた。

その後もがむしゃらに続けられた不可視の攻撃が、ふと止んだ。
次の瞬間、衛が姿を現す。
西堂は逆上していきなり顔面に殴りかかる。
しかし、その拳はあっけなく衛の顔をすり抜けた。
「くそっ、どないなっとんや!」
ひとりの人間が同時に使える能力はひとつのはず。
西堂が忌々しげにつばを吐く。
衛はもちろんその問いに答えてやるつもりは毛頭無い。
だが、自分の整理のために、頭の中で説明をまとめてみることにした。

衛の真の能力。それは、衛と世界との間に存在する“相互作用”を、一度にひとつだけ、切り離すこと。
相互作用とは、“接触”であったり“光”であったり、とにかく、お互いに影響を与え合うことのできるもの全てだ。
今までは接触のみを切り離すことができた。だから、発動中の衛は何物にも触られることがなく触ることもない。
ただし、それ以外の光や音などは変わらず影響しあう。
なので、衛は世界の光を見、音を聞くことができる。世界にいる側の人間も衛の姿を見、声を聞くことができる。
ついさっき、初めてやったのは、光を切り離すことだ。
こうなると、衛に世界の光は届かないし、世界にも衛の姿は届かない。
ただし、やはりそれ以外は変わらない。それゆえに、光を切り離している間はものに触ることもできる。
つまり、光を切り離している間、衛は視力と引き換えに透明人間になれるのだ。


確認を終えると衛は再び消えた。
暗闇の中、音を立てないように慎重に歩いてゆく。
十秒、二十秒。まだ何も起こらない。
「なんや、まだ来(こ)んのか?」
西堂の挑発には焦りの色があった。
突然、西堂の後方で足音が立った。
「なっ……!」
時既に遅し。振り向いた時には、衛はもう目的を果たした後だった。
衛の狙いは西堂ではなかった。落ちているヘルメットを拾うことだったのだ。
装着しながら、衛は言う。
「お前、前の能力なら僕がこれを狙ってることも分かったかもしれないのに。」
「ふん、そんなもん使うたって無駄やって、もう教えたやろ。」
口ではそう言っているが、西堂の表情には怯えが芽生えていた。
衛の声の調子が変わっていたからだ。
衛の覚悟が、“負ける覚悟”から、“勝つ覚悟”に変わっていたからだ。
「かれんに世界をどうこうする力なんて無い。」
西堂は反論しない。
「お前が欲しかったのは……」
「それ以上言うな!」
突然、西堂が勢いに任せて衛に殴りかかった。
ただ、その拳は大振りすぎた。衛でも簡単に避けられるほどに。
「避け……?」
そう、避けたということは能力を使ってないということ。
理由は自分の攻撃につなげるため。
衛は不安定な様子の西堂の手足を、自分の手足でからめ取った。
これではどちらも動けない。ただ一か所を除いて。
「いっ!?」
衛は胸を大きく逸らした。
そう、ヘルメットを着けたのはこのため。
ヘッドバットだ。
ゴンッ! と鈍い音がして、西堂はその場に倒れ込んだ。


「かれん、大丈夫?」
声を掛けながら、目覚めかけていたかれんの体をゆする。
「ん、んん……。」
小さくうめいて、眠り姫の重いまぶたがゆっくりと開いてゆく。
「まもる……さん?」
衛はほっと胸をなでおろす。
かれんはいまいち状況が把握できていないようだった。
「ここは一体?」
「悪いけど、今は、早く逃げよう。」
西堂の方をちらりと振り向く。
起きる様子は、無かった。
「立てる?」
「はい。」
釈然としないが、とりあえず衛の言葉に従うかれん。
とにかく床に立ってみた、ら、足がよろめいた。
「背負うよ。」
「えっ、でも……。」
有無を言わさず、衛は無理やりかれんをおんぶする。
「きゃっ!」
「ちょっと急ぐよ。」
「……はい。」
恥ずかしさを精一杯隠して、かれんは返事した。
衛に自分の顔が見えてなくて良かった、と思う。
衛はそれから何も言わずに、少し速足で工場を脱出した。


その後の工場内。目を覚ました西堂は、既に衛とかれんがいないことに、すぐに気付いた。
だが、もう追う気力は無い。
大の字で仰向けに寝転んだまま、西堂は昔を思い出していた。

とある治安の悪い街で、西堂は妹の雪華と共に育った。
母が早くに死に、父は蒸発。引き取る親戚もいなかったため、ふたりは宿を転々とする生活を送っていた。
ある時、ふたりは暴漢に襲われる。
辛くも逃げ切った西堂は、助けを求めて交番に走った。
警察官と一緒に戻ってきたとき、そこにあったのは、妹の無残な姿だけだった。

それから西堂は力を求めはじめた。
しかしその思いはどこか屈折していて、世界征服などという途方もない野望に彼を駆り立てた。
そして見つけたひとりの少女。
『かれんに世界をどうこうする力なんて無い。』
頭では分かっていた。
本当は、妹に瓜二つのその少女を、自分の保護下に置きたかっただけなのかもしれない。

突然、工場に足音が響いた。
「なんや、あんたか。」
現れたのは、ミドルヘアを颯爽となびかせる眼鏡の男、佐々木笹也だった。
「できるだけ利用して、危なくなったら可及的速やかに始末しろと言われていたが……」
歩きながらここまでを言い、倒れた西堂のそばに立ち止まって続けた。
「どうやら毒牙は抜かれたようだな。」
「仕事の方はどうなったんや。」
「お前たちの今回の戦闘で、欲しいデータは採れた。多分あっちにも同じものが行き渡ってるだろうがな。」
一呼吸置いて、佐々木は話題を切り替える。
「提案なんだが、研究生として、俺の下で働かないか?」
数秒考え、西堂は笑って答えた。
「ちょうど夢諦めて暇しとった所や。付き合うたろうやないか。」


衛は、かれんと並んで歩いていた。
外に出てしばらくしたら、「もう降ろして」と言われてしまったからだ。
「お疲れ様。」
男の声。いきなり声の掛かった方を、ふたりして見る。
ガードレールに腰かけていた声の主。それは比留間慎也だった。
「君の周りは、まったく面白いね。」
衛は、前に会った時のことを思い出し、身構えた。
「そう怖い顔をしないでくれよ。データを採っただけさ。」
比留間はおどけた顔をしてみせた。
「『能力と魂』、『抑制薬の効かない能力』、今回の事件で『能力の進化と変化』と『世界への干渉』、それから……。」
手元に持っていた小型のノートパソコンをいじりながら列挙する。
「必要なものはだいたい揃ったから、もう首を突っ込まないようにするよ。約束する。」
最後のキーをタンッと小気味好く弾いて、彼はパソコンを閉じた。
その後方、車道で、比留間のいるちょうど真ん前の位置にタクシーが止まった。
車内後部座席には、眼鏡を掛けたスーツ姿の女性が座っている。
「じゃあ……」
比留間は衛とかれんを見比べながら、
「お幸せに!」
愉快そうな声を残して女性の隣に乗り込んだ。

「ま、衛さん?」
タクシーが見えなくなってから、思い出したようにかれんが言った。声が裏返っている。
「う、うん。」
衛も、比留間の最後の言葉に、今まで固まっていた。何が「うん」か分からない返事を、とりあえず返しておく。
不意に、くすぐったい感触がした。
見てみると、かれんの右手が衛の左手を握っている。
「は、早く、ペンキ買いに行きましょう?」
かれんはぐいぐいと衛の手を引っ張ってゆく。
今まで見せたことのないかれんの仕草にどきっとしつつ、衛は、歩を合わせるように足を踏み出した。


第十一話・おわり/最終話へつづく

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最終更新:2011年01月02日 17:43
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