第四話
街は朝を迎える。まばらに立ったビルの間にオレンジの光があふれている。
その光は、この少し古いアパートの一室にも差し込んでいた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
申し訳なさそうに頭を下げるかれん。
「気にしなくていいよ。」
衛は苦笑いで答える。
部屋は散乱していた。テレビの画面まで割れている。
一人で生活するには十分な部屋だが、三メートルの巨体が暴れ回るには狭かったようだ。
安請負しすぎたかなと思う自分とかれんを手放したくない自分とを頭の中で戦わせながら、
衛は散らばった本やら何やらを片付け始める。
かれんは手伝おうと慌てて衛に駆け寄って……衛の胸に飛び込むように倒れた。
「かれん?」
衛はかれんの体を揺さぶってみる。目は開いていた。気絶したわけではないようだ。
「大丈夫……です。」
明らかに大丈夫じゃない、つぶやくような声が返ってきた。
「何かあるんなら、隠さないで言ってほしい。」
衛の真剣な目にかれんは思わずどきりとする。
「恥ずかしいんですけど……。」
ちょっとためらって。
「お腹空きました。」
そう言って、まるで愛の告白でもしたかのようにほほを染めてうつむく。
そのとき、衛の中でいくつかの話がつながった。
あの食欲。人をも食べるという事実。
寝る前にかれんは何と言った? 『変身に体力を奪われる。』
かれんは、他の人より多くの食料を必要としているのだ。
この小さな体は、それがまだ足りていないことを表しているのではないか。
衛は床に落ちていた携帯電話を掴んでコールする。
十回ほどベルの音が鳴った後、幸広の声が聞こえてきた。
「んあ?」
「ごめん、何かすぐに食べられる物、近所でできるだけ買って持ってきて。お金は来たら払うから。」
衛は寝起きの相手に早口でまくし立てる。
「……んっとに人使い荒いな。」
「今はまだユッキーしか頼れないんだよ。」
「しょうがねえなあ。」
「サンキュー。」
電話を切り、急に静かな朝に引き戻される。
いくらか落ち着いた衛はこの二十数時間を振り返る。
大変な一日だった。まず、かれんと出会って、それから……。
「ん?」
そこで衛は、もうひとつ重大なことを思い出した。
「よう。」
幸広が大きなビニール袋を提げてやってきた。
衛は中身を確認。
「オーケー、じゃあかれんの様子見ておいてくれ。」
「は?」
あっけにとられる幸広を横目に靴を取り出す衛。
「どこ行くんだよ。」
「大学。」
「朝一の授業取ってないんだろ?」
「後で話す。」
そして衛はせわしなく外に出て行ってしまった。
S大学、とある研究棟の一室。
窓の外を眺めながら、ナオミはミルクたっぷりのコーヒーを満喫していた。
そこにノックの音が聞こえてくる。
「あら、東堂君。」
ドアの前に立っていたのは、自転車を飛ばしてきて若干息の荒い衛だった。
「先生、どういうことですか!」
「何の話?」
ナオミは衛に椅子を用意するが、衛は首を横に振った。
「あの男が来るって知ってたんですか?」
「待って、全然話が飲み込めないわ。」
「へ?」
衛のアテは外れたようだ。
一気に疲れがやってきた。ばつが悪いが、結局椅子に座る。
「授業の最後のあれは何だったんですか?」
「ああ、あれね。佐々木先生に伝えておけって頼まれたの。」
「佐々木先生?」
衛はそこで不思議に思った。
いや、確かにその人物の名は教員名簿を見て知っている。
佐々木笹也。ひらがなで書くと「ささきささや」。
なかなかインパクトがある名前だ。
だが、それはそれとして、彼が衛に伝言などあるはずがない。
なぜなら……。
「僕が佐々木先生の授業を受けるのは今日が初めてですよ。」
「あら、そうなの?」
ナオミは意外そうな顔をした。
「怪しいわね。昨日何があったか教えてもらえないかしら。」
「
鬼塚かれんに
西堂氷牙、ね。」
衛は無言でうなずく。
最初、衛はかれんの存在を隠すつもりでいた。
ところが、西堂の話をしているうちに、何か隠しているとにらまれ、しょうがなく白状したのだ。
さすがに赤の他人だということは言いにくいので、「身寄りの無い遠縁の親戚をいきなり預かることになった」という設定にしておいた。
「……分かったわ。昼の間、彼女は私が預かる。勉強も教えておくわ。」
「えっ、でも……。」
「話によると、彼女の能力は彼女の“生命”しか守ってくれないんじゃない?」
そう、彼女を一人にしておいては、どこかに連れ去られる可能性もある。
誘拐という危険に対しては、彼女の能力はまったく無反応なのだ。
「でも、佐々木先生が絡んでるかもしれないんですよね。構内は危ないんじゃないですか?」
「大丈夫よ。仮に佐々木先生が西堂氷牙とつるんでいたとしても、社会的地位のあるここじゃあ迂闊に行動できないわ。
むしろ外のほうが危険よ。」
ナオミは床に届かない両足をぶらぶらさせ、その勢いで飛び降りて、びしっと構えて次のように言い放った。
「とにかく、今すぐに彼女をつれてくること!」
そんなわけで衛は再びアパートに戻り、幸広とかれんとの三人で徒歩で大学に向かった。
かれんをナオミの個人研究室まで送ると、二時限目の始まるちょうどいい頃合いだった。
「あ、そういえば昨日のさ。」
「ヤッチー?」
「そうそう、八地さん。」
もうニックネームで呼んでいるのか、と衛は内心舌を巻く。
昨日幸広が財布を拾った相手、そして西堂の撃退に協力してくれるらしい火の能力者でもある
八地月野の話題だ。
「早速で悪いけど、今日からお願いできるかな。」
「おう、言っとくよ。」
「僕はかれんを見てるから、二人は入り口で待ち伏せてて。」
「何の話?」
「うわっ!」
いきなり二人の間を割って輪が声をかけてきた。
伊達メガネの、無いはずのレンズが、なぜかきらきら輝いているように見えてしまう。
「悪い輩が襲ってくるって話だよ。輪は危ないから首つっこまないでね。」
「えー。」
「おい、衛。輪に食料探しやらせりゃあいいんじゃないか?」
「あ、それいいね。能力も調査向きだし。」
「なになに?」
事情を知らない輪に、二人は、かれんには大量の食料が必要なことを説明した。
「そっか。よーし、がんばるぞ!」
意味も無くやけに気合の入る輪であった。
二時限目を知らせるチャイムが鳴った。
教壇に立つのはいかにも少女漫画に出てきそうな爽やかなイケメンメガネ。
歳は二十代後半。彼こそが例の佐々木笹也である。
「この講義では能力と物理学の関係について扱う。」
見た目からの想像とは違う、力強い声が教室に響く。
「専門的な内容は扱わないが数式は多く出てくる。毎回講義が終わったら可及的速やかに復習するように。」
クールと見せかけて実はホット。このギャップが女子学生に人気らしい。
「あー、もう、歴史とか物理とか範囲広すぎだろ。」
唐突に幸広が小声でぼやく。
「しょうがないよ、文理選択を大学まで引きずった僕らのせいなんだから。」
と衛がたしなめる。
この超能力学部では、一年生の間は幅広い分野の教養を身につけ、二年生、三年生、と徐々に専攻を絞っていくようなカリキュラムになっているのだ。
「それにしても……。」
衛は幸広たちにも聞こえないようにつぶやいた。
それにしても、自分はいったい、どういう将来を選ぶんだろう。
中学の頃は学年が上がれば自然とビジョンが見えてくるものだと思っていたが、大学生になってもいまだに未来は遥か遠くの霧の中だった。
「成績評価の話は以上だ。というわけで、今から早速講義に入る。」
佐々木の声で衛の思考は将来のことから現在に引き戻された。
講義はあっという間に過ぎていった。
時は流れて日没後、場所は衛のアパートの前。
「おっ! あれじゃない?」
「また正面から堂々と乗り込んでくるとはいい根性してるじゃねえか。」
幸広と月野が、衛から伝え聞いた特徴に一致する人物を発見した場面だ。
「さて、とりあえず衛を呼び出すか。」
幸広は携帯電話を取り出す。
しかし、待ってられないと、月野は道路に飛び出した。
「先手必勝っ!」
そして西堂に炎を浴びせ掛ける。
西堂は足を止めなかった。
左手で上着を脱ぎ、体の前で斜めに上着を持った手を振り下ろす。
勢いで広がった上着は凍結し、炎を防ぐ。
そのまま能力を解除し、何事も無かったかのように上着を着なおす。
見事な流れに思わず「おー」と言いながら拍手で迎える月野。
十メートルほど月野と距離を置いて、西堂が立ち止まった。
「姉ちゃん、俺の相手するなんて百年早いで?」
余裕の表れか、ズボンのポケットに両手を突っ込んでスマイルを決める西堂。
対する月野も笑顔でポーズを決める。
「まだまだっ。これからなんだから!」
つづく
登場キャラクター
最終更新:2010年08月18日 16:14