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東堂衛のキャンパスライフ > 10


第十話


長い長いと思っていた五十日間の夏休みも、終わってみればそれほどでもなかったように感じられる。
後期が始まって早数週間。今のS大生の間での話題は、もっぱら来週に控えた学園祭についてだった。

日が暮れてしばらく経つ、人通りの多い時間帯。街中を二人の女子学生が歩いている。
「もう来週の明日なんだよね。」
「輪ってば気合い入れすぎだよ。先輩たちも、最初の発表会だし気楽にやれって言ってたじゃない。」
例に漏れず学園祭の話題に花を咲かせる二人は、この春に入ったピアノサークルで意気投合した仲だ。
「ほら、別にメインステージなんかに出るわけじゃないんだからさあ。」
メインステージとは、構内のメインストリートを望むように建てられる学園祭最大のステージである。
開場から終始大勢の人が集まるので、音楽やダンスといったパフォーマンス系サークルにとっては憧れの場所だ。
学園祭執行部が主導するステージはこの他に屋外小ステージと屋内ステージの二つがある。
しかし、輪たちのサークルからそれらのステージに出演するのは全て三年生以上のメンバーだ。
ステージに立つにはサークル内の選考を経た上で全体での選考も突破しなくてはいけない。
経験の差もあるが、「残り少ない学園祭」という意識が上級生を奮い立たせるのだ。
そんなわけで、二人が出演するのは、普段他の音楽サークルと共用しているホールを半日だけ借り切った屋内発表会だ。
とはいえ学園祭の一イベントである以上はここにもそれなりに人は集まる。
それに、輪が気合いを入れる理由がもう一つあった。
「この曲を伝えなきゃいけない子がいるんだ。」
パウロからの“遺言”。既に楽譜は完成している。
だが、輪はまだ自分の演奏に満足していなかった。
そのために輪は、暇さえあれば、たとえ目の前に鍵盤が無くても、手を動かしていた。
「まあ、真面目なのはいいけど、あんまり根詰めすぎて当日風邪引いたなんてことになったらシャレになんないよ?」
言われてみれば小学校の頃にそんなことが一回あったなあ、なんて思い出して、輪は苦笑いを浮かべた。
「うん、注意する。」

「じゃあね。」
「バイバイ。」
アパートに入っていく友人を見送って、輪は再び歩き出した。
ところが、数歩もしたところで輪はその足をまた止めざるを得なかった。
道の向こうから何かがものすごい速さで近づいてくる。
一体何なのかと考える間もなく、それは輪の目の前で急停止した。
その姿を見て、輪は思わず声を漏らした。
「かれん……ちゃん……?」
『へ?』
どうやら人違いだったようだ。
それで良かった。そうでなかったら大変なところだった。
なぜなら、そのかれん似の少女は普通の人間とは違っていたからだ。
その“違う”という感覚は輪にしか分からない。なので結論だけを述べる。彼女は、幽霊だった。
『あっ、こうしてる場合じゃなかった!』
幽霊の少女は、何かを思い出した風に叫んだ。
『お願いです! 兄を止めてください!』

衛が目を覚ましたのは深夜のことだった。
深夜と言っても、予定外に目が覚めてしまって眠れない、というわけでもない。これが日常なのだ。
かれんが変身による副作用で眠ってしまうのが日暮れ前から日付が変わる頃までで、衛の生活リズムもそれに合わせてある。
それでも半年もするとすっかり慣れてしまって、辛いとは思わなくなってしまった。
「ん、メールだ。」
携帯電話を見ると、着信を知らせるランプが点滅していた。
衛は眠い目をこすりながらゆっくりと手を伸ばす。
寝ぼけているのか一度つかみ損ねる。もう一度……。
その瞬間、ものすごい音が自分の手の先の方から聞こえて、衛は飛び起きた。
明かりを点けると、かれんの鋭い前足が携帯電話を突き刺している光景が目に飛び込んできた。
家具を幾度となく壊された覚えのある衛も、これにはさすがに呆然とする他は無かった。

朝になって街中の店が開きはじめる頃、衛とかれんはアパートを出た。
涼しい風が肌を掠め、秋を実感させる。つい最近まで暑い暑いと言っていたのが嘘のようだ。
深夜の事故のせいでふたりの間に会話は少ない。目的のホームセンターに到着するまでの三十分がとても長かった。

「修理」と書かれたカウンターで、衛は壊れた携帯電話を差し出した。
「時間どのくらい掛かりますか?」
「うーん、これなら私の能力だと十五分ってところですかね。」
「分かりました、お願いします。」
店員とのやりとりを終えた衛は、今度はかれんの方を向いて言う。
「じゃあその間ナオミ先生に頼まれたの見ておこっか。」
実は衛がここに来たのには、携帯電話の修理の他にもうひとつ理由があった。
ナオミの研究室では学園祭で模擬店をやることになっていた。
しかし当日まで一週間を切ったというこの時期に、企画班の学生が病気にかかって人数が足りなくなったらしい。
そこで、特に予定の無かった衛と幸広が急遽駆り出された。
そして衛たちはナオミから模擬店の看板に使うペンキの購入をお願いされたのだ。
「あの……。」
かれんは歯切れの悪い様子で声を返した。
まだ深夜のことを自責しているのだろうかと思っていたが、続きの言葉はそのこととはまったく関係の無いものだった。
「お手洗いに……行ってきます。」
どうやら言い出すのが恥ずかしかっただけのようだ。
衛は笑って答える。
「うん。じゃあ、ペンキ売ってるところで待ってるよ。」

一方その頃、もうひとりの助っ人である幸広は、別の場所へ向かっていた。
頼まれごとは衛にお任せ。ちょっとした買い物なんてそんなに人数がいても効率は変わらない。
それよりも幸広としては新刊の漫画の方が気になるのだ。
というわけで本屋へと自転車を走らせていたのだが、道の向こうから知った顔の人間が歩いてくるのを見つけ、幸広はブレーキを踏んだ。
この街で大学の知り合いに会うことなど珍しくない。普通なら素通りか挨拶だけして通り過ぎるところだ。
しかし今回は違った。その相手には普段と違う点がひとつあった。
「おはようございます、丹下先生。」
「ああ、おはよう。」
話しかけられた丹下教授はなにやらそわそわしている様子だ。
逃げられないうちにと幸広は追い打ちをかける。
「今日は手袋どうしたんですか?」
この教授にはある噂がある。一日中手袋を外さないのだ。それは夏の間もずっと変わらなかったらしい。
食堂でも手袋をはめたまま食事をとる、というのは幸広も数日前に実際に目撃している。
それなのに、その手袋が今日は無い。
「手に大きな傷がある」という説もあったが、そんな風には見えない。
となるとやはり能力がらみだろうか。しかしなぜ今日に限って……と、そこまで思案したところで、教授はいきなり泣き崩れた。

「大丈夫ですか?」
幸広は両手に持った缶コーヒーから片方を差し出す。
理由は分からないが、さすがに大の大人を泣かせて放っておく気分にはなれなかった。
「すまなかった。」
教授はコーヒーを受け取ると、半分ほどを一気に喉に流し込んだ。
ここは小さな公園。子供がサッカーで遊んでいるのをぼんやり眺めながら、幸広は教授と同じベンチに腰かけた。
「私は……自分の能力が怖かった。」
一息つくと教授は語り始めた。
「手首から先に直接触れた自分以外の生物を、有無を言わさず失神させる。」
なるほどそれは、確かに手袋を外さない理由に十分なりうる。
「そう、それが私の昼の能力……だった。」
「だった?」
最後まで黙って聞こうと思っていた幸広だったが、妙な言い回しに思わず聞き返す。
教授は頭を抱えて強く目を閉じた。
「まさかあんな能力が存在するとは思わなかった。昨日までの私にとって、まさに絶好の能力が。」
幸広にはその発言の意味が分からない。今度は何も言わずに次の句を待った。
やがて教授は何か恐ろしいものの名を口にするように、震えた声を絞り出した。
「『能力を交換する』能力。」
幸広は驚いた。しかしそれは特異な能力に対する純粋な驚きであり、教授のように恐れを含んだものではなかった。
教授は続ける。
「正式名称を『旅行者(トラベラー)』と言うらしい。『旅行者』を持つ者と、その者が欲する能力を持つ者の双方が合意した瞬間、互いの能力が入れ替わる。」
新たな『旅行者』の保持者は、自分の欲しい能力を求め、また別の者に『旅行者』を託す。
そうやってこの能力は人々の間を渡り歩いてきた。
「だから『旅行者』なのだ。」
と教授は説明した。
ここまで聞いて幸広はようやくこの能力の恐ろしさを理解しはじめた。
通常、能力は選べない。「能力は内心を反映している」と主張する者もいるが、いずれにせよそれが望んだものになるとは限らない。
また、こんな話も聞いたことがある。
例えば薬で別の人間の能力を植えつけることができたとする。
しかしそれは本人の能力が発現すれば上書きされてしまうだろう、ということが言われているらしい。
確か前期での八淵先生の講義が予定より早く終わったために最終週で聞いた与太話だったか。
要は、『旅行者』は自分の望んだ能力を手に入れる数少ない手段ということだ。
そして、無差別に人を傷つけるような能力を持った善良な人間は、その能力を手放したがるだろう。
『旅行者』を手に入れた悪意のある人間は、そこに付け込むだろう。
つまり、この丹下教授の例のように。
幸広はいつの間にか自分が拳を握り締めていることに気付いた。
「相手は……どんな奴ですか?」
「それは――」

ピンポンパンポン、と、店内放送を報せる電子音がホームセンターに鳴り響く。
「市内よりお越しのトウドウマモル様。お伝えしたいことがございます。至急カウンターまでお越しください。」
衛はその時、「もう直ったのか」としか思わなかった。
ところが、衛が修理屋に行ってみると、店員は最後のパーツを片手に唸っていた。
「サービスカウンターの方じゃないですかね。」
そう答えてくれた店員にお礼を告げてサービスカウンターへ向かう。
「トウドウ様ですね。こちらをお預かりしております。」
それは白い洋式の封筒だった。封は閉じてある。
何か嫌な予感がする……。
急いで封筒の端をちぎり、中の便箋を取り出した。
そこには乱暴な文字が並んでいた。
鬼塚かれんは預かった。返してほしければひとりで北の廃工場まで来い。」
そしてその文に続けて、犯人は実に堂々と自分の名前を署していた。
まるで、「自分はここにいるぞ」というアピール。
あるいはリベンジへの喜び。
書道に造詣があるわけではない衛だが、この四文字からはそんな感情がありありと表れていた。
そう、犯人の名は――
西堂氷牙」。


第十話・おわり/第十一話へつづく


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最終更新:2010年12月26日 18:15
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