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東堂衛のキャンパスライフ > 8


第八話

初夏。日本では雨の多い季節。
その日は朝から晴れていたものの、前日からの湿った地面と照り付ける太陽とのコンボが真夏のような蒸し暑さを演出していた。
S大学の構内には、数週間前からいたるところに同じポスターが貼られている。
爽やかな笑顔を浮かべる男性の写真の隣に、「比留間慎也講演会」と大きな縦書き文字が並ぶ。開演日は本日だ。

講演会が行われる第一講堂は、開場時から人で溢れていた。
それもそのはず。比留間慎也は、能力研究の第一人者として、日本はおろか世界でも知らぬ者は少ないという程の実績を持つ人物なのだ。
そんな講堂の中から入口を眺めながら、ナオミはつぶやいた。
「東堂君遅いわね。」
「幸広ならともかく、衛が遅刻なんて珍しいね。」
「おい……いや、確かにその通りだが。」
ナオミの隣に座っていた輪と幸広が呼応した。
『何かあったんじゃ……。』
輪の中から、廻が輪に問い掛ける。しかしそれはあっさりと否定された。
『あの二人なら大丈夫でしょ。』
それを裏付けるかのように、タイミング良くナオミの携帯電話が鳴る。
「東堂君からメールがあったわ。ただの寝坊ですって。」
『ほらね。』
「もう立ち見席しか無いわよ、っと。」
ナオミはしゃべる速さそのままにメールを打ち、返信した。

「もう、日曜日くらいゆっくり寝かせてほしいよ。」
衛はかれんと一緒に大学への近道である狭い路地を通っていた。
時折り通り抜ける強い風が気持ち良い。
実は講演会にはそれほど興味は無い。
ナオミに言われたので仕方なく行く、というスタンスの衛は、ゆっくり歩いて会場に向かっている。
輪なんかは喜んでいるんだろう、勉強熱心だから。なんとなくそんなことを思いながら。
衛は、勉強は必要最低限に留めるタイプだ。
成績で言うと輪が上の中、衛が中の中、幸広が下の上といったところ。
S大学はいわゆる中堅大学で、輪は難関大学の滑り止めだったし、逆に幸広は死に物狂いで受験を乗り切ったのだ。

ふと、通り道に人影が見えた。
びしっとしたスーツ姿に黒いサングラスを掛けた短髪の男。
自然に声を掛け合ってもおかしくない距離にまで近づいた時、その男はサングラスを外した。
暑さと寝起きでボケているのだろうか。衛は最初、顔を見間違えたのかと思った。
なぜなら、その人物は、こんな所にいるはずがなかったからだ。
そこに立っていたのは、今まさにS大学で講演を行っているはずの、比留間慎也だった。

比留間は手に野球のボールを持っていた。服装とのアンバランスさが滑稽である。しかし本人は至って真剣な面持ちだ。
衛がまだ動揺しているうちに、彼はそのボールを振りかぶった。
「ま、まさか……!」
そのまさかである。直後、ボールは宙に放たれ、衛めがけて正確なコントロールで突進してきた。
受けるには強すぎる球威。避けるには近すぎる距離。だが、衛には第三の選択肢がある。
ボールは衛の体を胸から背にすり抜けて、何も無かったかのように、そのままの速さで後ろへと飛んでいった。
衛の昼の能力、発動させている間は衛と他の物体が互いに触れなくなるという能力だ。

「なるほど、資料どおりだ。」
先に口を開いたのは比留間だった。
次にかれんが叫ぶ。
「何なんですか!?」
比留間はこれを無視。自分の台詞を続ける。
「今ボールは君の体をすり抜けた。だか光はどうだ。もし光さえ君の体をすり抜けるなら、僕から君は見えなくなるはずだ。」
一見「君」という二人称を使っているが、あごを手で触りながら独り言のように話しつづける。
「なぜ触ることだけを拒否できる? 音はどうだ? 重力は?」
衛に解答を求めている訳ではないのだろう。仮にそうだとしても残念ながら衛には分からない。
例えば、自転車に乗ることができても、どうやってバランスをとるのか説明するのは難しい。それと同じだ。
だから、衛は別の言葉を投げ掛ける。
「結局、何を言いたいんですか?」
比留間は、今度は衛の顔をしっかりと見据えてこう答えた。
「君はもっと強くなれるってことさ。」

どうやら今すぐに衛をどうこうしようというわけではないらしい。
そう感じ取った衛は、比留間慎也が自分の前に現れたという大ニュースをナオミ達に伝えるため、かれんを連れて急いで大学に向かった。

比留間は衛たちを追わない。追う気も無かったが、それ以上に追える状況ではなかった。
首元にナイフが突きつけられていたからだ。
「何をしにここに来たか、可及的速やかに吐いてもらおうか。」
それでも比留間は全く動じない。
「よく気づいたね、講演会の方は影武者だって。」
「お前がよくやりそうなことだ。」
「そうかい。」
適当にあいづちを打って、最初の質問にこう切り返した。
「君だってあの大学に秘密を持って入ったんだろう?」
そして、やけに楽しそうに後ろの敵の正体を言い当てる。
「ERDO諜報部員、佐々木笹也。」
「チッ!」
彼は比留間から距離を取った。一瞬で十メートル近く。彼の持つスピード強化能力の作用だ。

比留間が言った「ERDO」とは、能力について研究する地下組織だ。
ERDOでは他の研究機関の動向を探るために研究員や役員を潜り込ませている。
大学も研究機関の一種。ERDOの手が伸びていても不思議ではない。
S大学に教員として潜入したのが佐々木、というわけだ。
そして、ERDOはどういうわけか比留間の所属する研究機関と対立している。

二人の間に緊張が走る。
佐々木は比留間の能力を知らない。
知らないのだが、なぜかこの男には勝てる気がしない。
比留間は佐々木にそう思わせるだけの強大なオーラをまとっていた。
佐々木の全身からにじみ出る汗が、頬を、腕を、脚を伝って地面を濡らす。
汗をぬぐい、ついに覚悟を決めて第一歩を踏み込もうとした、まさにその時だった。
「まったく、フトシはすぐに何も言わずにいなくなるでやんす。困った奴でやんす。」
近くから少年の声がした。
すかさず比留間が口を開く。
「ここは無用な争いは避けようじゃないか。」
君なんて相手じゃないけどね、といった口調だ。
比留間の提案に、佐々木はこくりと頷くことしかできなかった。

さっきまで二人のいた場所に、少年がやってきた。
「うーん、この道には誰もいないでやんす。他を当たるでやんす。」
そう言って少年は来た道を引き返してゆく。
後には静寂だけが残った。

つづく

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最終更新:2010年08月18日 16:10
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