最終話
爽やかな秋晴れの下、朝早くから学園祭のために集まった学生が準備を進めている。
メインステージのマイクテストの声をBGMに、僕はナオミ先生の研究室の先輩たちと模擬店の設営を手伝っていた。
「あら? そういえば、静岡君がいないわね。」
ナオミ先生に指摘されて初めて気付く。
確かに、辺りを見回してもユッキーの姿はどこにも無い。
あいつ、引き受けたんだからちょっとは真面目にやれよ。
しょうがない。ここは僕が捜索を買って出るか。
「探してきます。」
「お願い、東堂君。」
この大学にはなんと日本庭園がある。
普段は園芸部が手入れしていて、今日は発表と休憩場所を兼ねたスペースになっているようだ。
奥まった場所にあるから人通りは少ないけど、ユッキーはそこにいた。
「何してるんだよ、もう準備やってるよ。」
そう言いつつ、僕もベンチの空いている場所に座る。
「いやあ、この一年を振り返っててな。」
「まだ二か月も残ってるって。」
「でもさ、いろいろ濃かっただろ?」
問われて、少し考える。
「……主に僕がね。」
思い返してみると、こいつはほとんど傍観者だったじゃないか。
「お前が忙しいのはかれん拾ってきたからだろうが。」
そんな捨て犬みたいに。
「じゃあ放っとけって言うのか?」
「人類総能力者の時代だぜ? 一緒に暮らせる人なんていくらでもいるだろ。それもちゃんと自立した大人が。」
それは……そうかもしれない。
「それに女の人の方が安心だな。」
っておい、何が言いたい。
「そうそう、あの子年明けから中学校に通わせるんだって?」
ちっ、さっさと話を切り替えやがったな。
「うん、さすがにもう西堂も懲りただろうからね。」
「分からねえぞ? あいつ、しつこそうだし。」
「誰がしつこそうやて?」
突然、会話に別の声が割って入った。
噂をすれば何とやら。見上げてみると、そこには西堂本人の姿があった。
「お前、どうしてここに!」
ユッキーが西堂をにらむ。
まだ学園祭は準備中なので、一般の人は構内に立ち入れないはずだ。
僕が疑問に思っていると、西堂は懐から財布を取り出し、中を開いて一枚のカードを手にした。
それは、僕たちが持っている学生証と非常によく似ていて、しかしラインの色だけが違っていた。
「研究生……?」
カードには確かにそう書かれていた。
でも僕はまだ納得いかない。それはユッキーも同じのようだ。
西堂はユルんだ表情で話す。
「そんな難しい顔すんなや。もう暴力に訴えんのは止めた。」
そうは言うものの、前科二犯の男。
口先だけで信用するほど、僕は甘くないぞ。
僕たちが一方的な視殺戦を繰り広げていると、そこに第四の声が掛かった。
「彼の言うことに嘘は無い。俺が保証する。」
サラサラヘアをかき上げながら現れたのは、佐々木先生だ。
正直なところ、彼にも怪しい部分はある。
だけど、少なくともこの大学に勤めているという点ではそれなりに信用できる。
それになにもこんな日に自分から騒ぎを起こすことはないじゃないか。
そう思った僕は、ユッキーを促すことにした。
「行くよ。」
「……ああ。」
屋台に帰った時にはもう準備は終わっていて、ナオミ先生に「ミイラ取りがミイラに……」などと軽く叱られた。
丸い穴がいくつも空いた鉄板に油を広げ、“後方部隊”が作ったタネを流し込む。
刻んだタコを穴のひとつひとつに落とし、上からタネを継ぎ足す。
様子を見ながらくるくると回せばタコ焼きの完成……なのだが、あまり上手くはできない。
一応、昨日に練習はさせてもらったが、それだけで完璧になれたらタコ焼き屋は廃業だろう。
作ってはトレーに入れ、作ってはトレーに入れを繰り返していると、人込みの中から馴染みの顔が現れた。
「精が出ますねえ。」
友達らしき女の子と一緒にやってきたのは輪だった。
「これからステージ?」
「うん、先輩が出るの。」
「じゃあ演奏のおかずに買ってかない?」
作りたてをトレーに載せて顔の横に掲げてみる。
すると輪は不満そうに言った。
「えー、おごってよ。」
そうは問屋が卸すものか。
「たかが二百円だろ。」
「たかが二百円じゃない。」
……オウム返しされたら何とも言えないじゃない。ずるいなぁ。
「分かったよ。」
後ろがつっかえられても困るので、仕方なく従うことにした。
「じゃあお姉さん、衛のおごりで二個お願いします。」
「ちょっ!」
接客を担当していた女の先輩に、あろうことか、輪は僕の想定の倍を要求した。
「私だけタダとか申し訳ないでしょ?」
二つ目は横の彼女の分らしい。僕に申し訳あれよ!
先輩にソースとマヨネーズをトッピングしてもらうと、輪はそそくさとステージの方へ向かってしまった。
輪の隣にいた友達が苦笑いしながら僕に会釈をして輪を追いかけた。
入れ違いのように現れたのは、八地さん・川芝さん・秋山さん・吉野さん・アイリンちゃんにかれんを加えた六人組。
かれんは朝大学に来る前に彼らに預けておいたのだ。
「衛っち、おごって。」
来店早々、八地さんが誰かさんと同じことを言いだした。
「断る。」
全員分出せばさっきと合わせて千六百円だろ?
さすがにキャパシティオーバーだ。
そう頭の中で計算している間に、川芝さんが呆れ顔で千円札をポンと出した。大人ってすごい。
「あ、一人分は僕が払います。」
そう先輩に告げる。
言うまでもなくかれんの分だ。そこは僕が出さないとな、うん。
しばらくしてユッキーが戻ってきた。シフト交代の時間だ。
「なあ、ユッキー。」
「ん?」
「何かおごってくれ。」
「は? なんで俺がお前におごらなきゃなんねえんだよ。」
別に。理由なんていくらでも付けようはあるけど、実際は僕もこの台詞を誰かに向けて言ってみたかっただけだよ。
時間は過ぎて午後。
ユッキーと一緒に小さなホールまでやってきた。
目的はもちろん、輪のピアノサークルの発表会だ。
中に入ってさっきの六人組……あれ? ひとり少ない? とにかく彼らと合流した。
「川芝さんは?」
「鉄っちゃん、仕事だって言っていきなりどこか行っちゃった。」
最後に座り端になったので全員の顔がよく見える。
八地さんが説明したら、ユッキーは青ざめた顔になり、秋山さんは怒ったような顔をしていた。
何かあるんだろうな。
まあそれはそれで置いておこう。
「輪、何番目だっけ?」
「七番だって。」
確認した後、ちょうど司会の人が入ってきて、発表会が始まった。
一口にピアノと言ってもいろいろあるらしい。
優雅なクラシックに始まり、先月発売されたJ-POPの新曲をもう自分なりにアレンジしている人、レトロゲームのBGMを演奏する人もいた。
意外と親しみやすい雰囲気に、時は矢のように過ぎ、いよいよ輪の番がやってきた。
輪は淡い水色のドレスをまとっていた。
さっきまんまとタダ飯をかっさらっていった彼女とはまるで別人だ。
いつもと違う大人びた様子でお辞儀をし、ピアノの前に座る。
マイクを傾けると、輪は演奏の前に一言添えた。
「この曲は、ある父親が娘のために書いた曲です。」
後で聞いた話だけど、その娘というのはアイリンちゃんのことらしい。
今ここにいる八地さんと西堂が戦っていた裏で、父親の幽霊に偶然出会ったのだとか。
世界は案外狭いのかもしれないな。
海水浴の時に彼女を学園祭に誘ったのはこの曲を聴かせるためだったようだ。
演奏が始まった。
白く細い両手が白鍵と黒鍵の間を歩くように舞う。
それに合わせ、輪は流暢な英語で語りかけるように歌っている。
優しい曲だった。
歌詞だけでなく曲そのものにも、父が娘を想う気持ちが込められている。
そう感じたのはきっと先入観のせいではないのだろう。
なぜなら……ふと横を見ると、おそらく歌詞の三分の一も聞き取れていないだろうユッキーが熱心に聴き入っていたり、アイリンちゃんが大粒の涙を流しながら、叫ぶのだけはじっとこらえている様子だったからだ。
長いような短いような三分間が過ぎ、輪が鍵盤から手を離したとき、ホールは大きな拍手に包まれた。
学園祭の一日目を終えた帰り道。
かれんと並んで歩きながら、僕は、西堂に中断された「一年を振り返る」ってヤツの続きを考えていた。
S大学に入ってから、僕の周りの環境はずいぶん変わった。
その分だけ、守りたいモノ・守るべきモノも増えた。
だけど僕はその全てを、これから増えてゆく分も含めて、守り抜くために戦うだろう。
だって、僕はそれらに支えられて、成長してきたのだから。
登場キャラクター
最終更新:2011年02月19日 22:07