趙玄黙 ちょうげんもく
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盛唐の官人・儒者。
陽嶠の引き立てで学官となり、四門助教となる。開元年間(713-741)の初めに、倭国の粟田真人に
鴻臚寺において師として儒学を教えた。日本の受教者は幅広布を贈って束修の礼(学生が師に教えを請う場合に行なう礼)を行ったが、その布に「白亀元年調布」と書かれていたという。
国子監直学士となる。
馬懐素による『七志』の続編の編纂に参加。書物の分類や編集、校正して正書にあたった。これは『群書四録』二百巻として結集した。
集賢院直学士の職をもって退官した。
張説・
徐堅・
賀知章・
趙冬曦・
馮朝隠・
康子元・
侯行果・
韋述・
敬会真・
東方顥・
毋煚・
呂向・
咸廙業・
李子釗・
陸去泰・
余欽・
孫季良と共に
玄宗の十八学士に数えられる。
志・列伝・史料
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最終更新:2026年05月10日 01:27