アットウィキロゴ

趙玄黙

趙玄黙 ちょうげんもく

?-?
盛唐の官人・儒者。陽嶠の引き立てで学官となり、四門助教となる。開元年間(713-741)の初めに、倭国の粟田真人に鴻臚寺において師として儒学を教えた。日本の受教者は幅広布を贈って束修の礼(学生が師に教えを請う場合に行なう礼)を行ったが、その布に「白亀元年調布」と書かれていたという。国子監直学士となる。馬懐素による『七志』の続編の編纂に参加。書物の分類や編集、校正して正書にあたった。これは『群書四録』二百巻として結集した。集賢院直学士の職をもって退官した。張説徐堅賀知章趙冬曦馮朝隠康子元侯行果韋述敬会真東方顥毋煚呂向咸廙業李子釗陸去泰余欽孫季良と共に玄宗の十八学士に数えられる。

志・列伝・史料

『新唐書』巻五十八 志第四十八 芸文二 乙部史録 目録類
『新唐書』巻一百三十 列伝第五十五 陽嶠
『新唐書』巻一百九十九 列伝第一百二十四 儒学中 馬懐素
『新唐書』巻二百二十 列伝第一百四十五 東夷 日本
『旧唐書』巻一百九十九上 列伝第一百四十九上 東夷 日本国

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 趙玄默(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E8%B6%99%E7%8E%84%E9%BB%98

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2026年05月10日 01:27
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。