○20世紀前半の教育プラン
教育の方法は19世紀に西欧諸国に普及した
公教育制度の下で、一斉授業をいかに効果的に行うかということが注目された。19世紀初頭にドイツの(
ヘルバルト)が提唱した教授段階論や、ベルとランカスターによるモニトリアル・システム(
助教法)がそれにあたる。
そして、20世紀になると一斉授業は画一的であるという批判が生じた。その中で、
『児童の世紀』を著した(
エレン・ケイ)は、「教育の最大の秘訣は(教育しないこと)だ」と断言した。また、個別指導や
経験主義的な学習を取り入れた教育プランが提唱されるようになった。
(
キルパトリック)アメリカ
問題解決学習を具体化した方法。
実践的な活動を重視し、作業を通して子どもが主体的に問題解決に取り組む方法であり、①(目的設定)②(計画)③(実行)④(結果)という4段階の作業単元が構成された。
(
ウォッシュバーン)アメリカ
教育過程を共通必修教科(3R’s=読み、書き、算数)と集団的・創造的活動(音楽、美術、体育など)に分け、前者は(個別)学習によって完全な習得を、後者は(集団)学習によって
社会化を促すプランである。
(
モリソン)
(
デューイ)の問題解決学習の方法と(
ヘルバルト)の教授段階論を融合した。
教科を、(科学)型、(鑑賞)型、言語型、(実技)型、反復練習型に分類し、教科によって指導法を見極める必要性があるとした。
(
パーカースト)1920年代アメリカ
教育過程を主要教科群(国語、算数、理科、社会など)と副次的教科群(音楽、体育、美術など)に分け、午前中は主要教科を個別に行い、午後は副次的教科を学級で行う、(時間割)のない学習形態である。
日本の(大正)時代の教育に影響を与えた。
(
ペーターゼン)1925年以降ドイツ
学年別学級を廃止し、低中高学年の基幹集団に分け、(共同)生活と(自己)活動を重視する集団教育が行われた。
最終更新:2009年02月13日 18:33