創作発表板 ロボット物SS総合スレ まとめ@wiki

Spartoi_003

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○5
 閑静な住宅街の一角に、その高校は敷地を広げていた。
 校庭に隣接する私鉄駅はもう下校する生徒たちをあらかた吐き出し終えて、プラットホームは閑散としている。校門に面する狭い道路にも、この高校には無関係の往来があるばかりだ。
 午前中のうちに定期試験を終え、放課となって数時間。すでに学生の姿は外ではほとんど見られない。
 常日頃からそうであるように、この県内有数の公立進学校に通う学生たちのほぼ全員は今日この日も、校則が定めるところと自らの目標が要求する行動規範へと従順に従っていた。
 だから彼ら彼女らの大半は明日以降に残った試験に万全の態勢で臨むべく、各々に自分を律して励んでいる。ほとんどの生徒は早々に下校して自宅や予備校へ向かうか、あるいは図書館の整った環境で勉学に励むかだ。
 あえて禁止を破って部活に励む者、教室や部室に居残って友人同士の談笑や、人気のない校内でここぞとばかりに不純異性交遊に及ぶ者などいようはずもない。
 歴史と伝統ある誉れ高い県立名門校の学生たちは、その評価に違わぬ品行方正さを今日も見せているようだった。
 校内を満たす静寂は、各所の施錠を点検しながら巡回するその教師に、そうした今までの認識が誤りでないことを肯定しているように感じさせる。
 我が校は本日も平和だ。
 だが、そう思いながら校舎の外を周っていたとき、ふと不自然な何かが聞こえたような気がして、教師は耳をそばだてる。
 体育館の方向から、だろうか。
 何かが――ボールが弾むような音が、聞こえたような気がする。
 試験期間中、体育館はずっと施錠されたままのはずだ。まさか、誰かが体育館に忍び込んで遊んでいるのか? 
 不届きな。教師は顔をしかめ、体育館の方向へ足を向けた。
 昼の盛りを過ぎてもなお灼けつくような夏の日差しを避けて、校舎と体育館とを結ぶ屋根付きの渡り廊下へ入ると、体育館目指して真っ直ぐに歩いていく。
 その渡り廊下を歩いていく途中で、ふと前触れもなく、教師の胸中へ静かに不安が沸き出してきた。
 ――この巡察に出てくる前、更衣室で使っていたアイロン。あれ、ちゃんと片づけてきただろうか?
 前後の正確な記憶がない。実はまだ電源が入れっぱなしになったままで、アイロン台の上でくすぶっていたりはしないだろうか?
 それに、そうだ……そういえば、駐車場に止めた私有車の施錠は大丈夫だったろうか? 最近は車上荒らしや置き引きが多い。近場でもつい最近、窓を割ってまで強行する手口があったはずだ。あの駐車場、この時間はまだ人通りが少ない。
 ああ。鍵といえばそもそも、自宅の鍵はどうだったろう。いつもの習慣でなんとなく掛けてきたような気がしていたが、本当にそうだったか? 記憶が曖昧だ。今朝は急いでいたから、うっかり掛け忘れてきたのでは……。
 廊下を進むほどに不安の種が次々と芽吹き、その枝葉を心に広く生い茂らせていく。次第に息が荒くなり、それが呼吸そのものに支障を来しはじめるほどに強まったとき、教師は道半ばで足を止めた。遂には幾分かの焦りとともに来た道を引き返すと、職員室の方へ小走りに駆けていった。
 彼が去った後に残るのは静寂ばかり。時折それを破るように、体育館からボールの音、少女と少年の声と吐息が小さく響く。
 だからその教師は結局、屋根を支える鉄骨の陰、地上からは死角となる裏側の隅に貼られた、不可解な紋様に埋められた一枚の札の存在になど気づくこともなかった。
 ましてや体育館の陰、高校の外周を囲む生け垣と体育館の間の日の当たらない地面に浅く埋まった小さな何かのことなど、誰が気づこうはずもないことだった。

○6
 宇宙ロケットのように、サッカーボールが打ち上がる。
 直線弾道で体育館の天井を渡る鉄骨を叩き、今度は重力加速度の助けも借りていっそう速く真下に、少年の眼前へと矢よりも鋭く飛来する。
「クソ……ッ!!」
 ボールが虚空へ飛びあがっている間に、少しでも手元のGPG操作に集中しようとしていた少年は苦しげにうめく。
 その間隙はあまりに速すぎ、そして短すぎた。
 瞬きする間に、落雷じみた衝撃が目の前で弾ける。再び天井を突き破るまで跳ね上がろうとするボールを、濃紺のニーソックスに包まれた少女の脚が絡め取った。
 なお相当の運動量を保ったままのはずのボールを魔法のように軽くいなすと、弧を描く動きで床の平面へ戻して支配する。少年は握りしめたGPGの操作に手指の過半を総動員しながら、少女のボールを奪い取ろうと果敢に蹴りかかる――いや、その動作を強いられる。
 意識の矛先をゲームから現実へと引き戻される瞬間、仮想世界で少年の剣はわずかに鈍る。そしてその間にも、彼女の視線はGPGの画面へ据えられたままだ。その口元には薄い笑み。
 一対一の変則サッカーでぶつかりあう二人の両掌に握りしめられた携帯ゲーム端末GPG、その画面の中では《カスタリオ》と《ベフェーレン》――架空世界『神速機動ラゲリオン』の人型兵器が互いに激しく切り結んでいる。
 一歩も退かずに撃ち合う二機の剣撃は、一見だけならほぼ互角だ。ワンオフ可変高速機《ベフェーレン》に立ち向かう旧式量産機《カスタリオ》のプレイヤーたる少年の奮起は、逆境にあってなお両機種間の大きな性能差を埋めていた。
「おおおッ!!」
「!」
 時に間合いを開いて打ち合い、時に鍔競り合いながら両機は動き、そして足場が動いてもつれた瞬間、にわかに均衡が崩れた。
 廃墟の路面に小さな穿たれた窪みとわずかな段差、それらが《ベフェーレン》の足捌きに及ぼす微かな影響。
 わずかな押し込みだけで敵機の体勢を崩せる、一瞬の機微を晴道は見逃さなかった。
 文字通りに浮き足だった《ベフェーレン》からの斬撃を軽やかに弾いて、《カスタリオ》は存分に機重を乗せた刺突をがら空きの胴体へ叩き込む。小爆発とも思える盛大な火花を散らして胸部装甲が凹み、画面下端でライフゲージが一気に縮んだ。
 それでも痛打から立ち直ろうと足掻く《ベフェーレン》を追い打ち、《カスタリオ》はようやく開いた突破口から一気に戦いの流れをたぐり寄せる。晴道はGPGの中へといっそう意識を研ぎ澄ませながら、必勝のリズムを刻んでいく。
 行ける。今度こそ、もう少しで、
「ほうら、また足下がお留守!」
「あッ!?」
 勝てる――少年がそう思った瞬間、少女は全身ごとボールを回す流麗な動きで少年をあっさりと抜き去っていた。
 そして《カスタリオ》が《ベフェーレン》へ止めを刺すより早く、無慈悲なシュートがゴールネットに突き刺さると、『神速機動ラゲリオン』の世界は一時停止を掛けられた。ゲーム機の中の仮想世界は、そこで永遠に凍りつく。
「来栖選手、ゴール!」
 胸元から跳ね上がらせたホイッスルを吹きながら、片手で握ったGPGをガッツポーズで突き出して、来栖貴子は不敵に微笑んだ。
 ゴールポストから跳ね返ってきたボールをいつものようにセンターへ戻しながら、少女はまたもスコアボードをめくり直す。8-0。
 言うまでもなく、少女が8で少年が0だ。晴道にとってこのゲームは十回のうちのたった一回勝つだけでいいというのに、今の少年にはそのたったの一回が、砂漠に立つ蜃気楼のように遠く不確かな幻に思える。
「ねえ、どうしたのかな尾崎君? これで八連敗だよ! さっきからずっと、もう随分な不調じゃない?」
 ここまで連続で戦ってきた八回の『ラゲリオン・サッカー』。その八回すべてに、晴道はこの異形の合体ゲームの片割れである『神速機動ラゲリオン』の方ではなく、サッカーの方で先制点を叩き込まれて敗北していた。
「んー……いかんね、尾崎君。非常にいかんよ。高校二年生の一般男子が一般女子にスポーツ勝負で、こうも一方的に手玉に取られるというのはね。
 んー、これはあれかな。尾崎君は勉強とゲームに特化しすぎたもやしっ子なのかな?」
「高校二年生の一般女子、ね――」
「ん? 何? 私、何かおかしなこと言った?」
 ぱちりと目を瞬かせ、いかにもわざとらしくおどけてみせる少女を前に、少年は皮肉に唇を歪ませる。
 よく言うぜ。どう考えても――人間業じゃなかっただろう、アレは。
 いくら考えてみても、晴道には彼女が二戦目の『あれ』を成し得た理由が分からない。
 明後日の方向へ晴道に蹴り飛ばされたボールへ跳びついて追いついたうえ、寸分の狂いもなしに空中でボールを捉え、そこから精確にゴールへ叩き込むなど。
 ファインプレイ、アクロバティック、などという言葉で片づけられるものではない。
 その動作を一つ一つに分解してみてさえ、世界最高級のサッカー選手であっても不可能ではないかと思える動作の集合を、目の前のこの少女はすべて同時に組み立ててのけたのだ。
 それも至極当然のことであるかのように、いとも易々と。
 俺の心を読んで、先読みしてボールの方向へ跳んだのか? それとも単に怪物じみた運動能力が生み出す跳躍だけでボールに追いついたのか、あるいはその両方なのか。
 そこから今までのゲーム展開すべてを振り返ってみても、晴道にはやはり、彼女の運動能力に関する適切な説明を見つけだすことが出来ずにいた。
 怪物。
 美しく整った人形をしながら、人智を超えた何者か――今の晴道には目の前の美少女の存在を、そうとしか説明できない。彼女の存在は、晴道が知る理屈と常識を全く受け入れようとしない。
 自分はいま得体の知れない――ことによれば人ですらないかもしれない『なにものか』と、この人気のない閉鎖空間で一対一で対峙している。
 その異常さを改めて認識しながら、しかし晴道はうわべで笑う。
「心配すんなよ、来栖さん。そろそろ身体も暖まって、このクソゲーのコツを掴んできたところなんでな。
 だから俺が一勝出来るかより、自分がここから二連勝出来るかどうかを心配してた方がいいぜ。来栖さんにだって、人並みの恥じらいぐらいあるだろ?」
「ほお。それは何とも心強いお言葉」
「あとな、来栖さん」
「ん?」
 何かな? と言いたげな目で、少年の虚勢を屈託なく笑っていた少女が顔を上げる。
 晴道は声の調子を落として言った。
「――もやしを馬鹿にすんな。
 もやしは栄養価に優れ多様な調理法に対応できる、コストパフォーマンスの高い食材だ。来栖さんがもやしをディスるなら、俺はこのゲーム以外でも来栖さんは敵だと決める」
「…………」
 少女は笑顔のままで固まり、口元をひくつかせ、数秒後、いきなり腹を抱えて笑い転げた。
「あ、あはっ……あっはっはっはぁ! ご、ごめんごめん、私ももやしは大好きだよ! もやしは家計の友だよね~! そうだね、もやし食べてるもやしっ子は強く健やかな庶民の子だよね。
 ごめんね尾崎くん。謝る。だから私をゲーム以外のもやしの件で、敵認定はしないでほしいな」
「分かればいいんだよ。あとな、来栖さん――」
「何かな、尾崎君?」
 ふう、と大きく息を吐き、体を大きく反らして天井を仰ぐと、少年ははっきり言った。
「タイム」
「――タイム?」
「そう。タイムだ、来栖さん。ハーフタイムって言うにはちょっと遅いかもしれんが、ちいっと汗をかいたみたいだ。後半戦の開始まで、一時休戦にしないか」
「んー、……。確かにそうだね。じゃあ五分間休憩して、その後に後半戦の残り2セットにしようか。尾崎君、これでOK? 問題ない?」
「ああ。結構だ」
「風邪引かないように汗拭いて、呼吸をゆっくり整えながら、作戦のほうもしっかり考えておいてね」
 自身はたいして汗も浮かべず、平常通りの呼吸のままで答える少女から視線を切って、晴道はコートの外へ歩きはじめた。ポケットのハンカチでじっとりと汗ばんだ顔やうなじを拭き取りながら、何気ない風を装って体育倉庫に入る。
 一階の扉という扉、二階の窓という窓をすべて閉めきられた体育館には、幾ばくかの熱が外より余計に籠もっていたが、この体育倉庫には直射日光も当たらないためか、幾分ひんやりとした空気が溜まっていた。
 そのわずかな冷気を火照った体で味わいながら、晴道は倉庫の隅々に視線を走らせる。
 妙な話だと思ってはいた。
 体育館の倉庫からサッカーボールが出てきたとき、晴道は最初のうち、貴子の奇行そのものに気を取られて、その背景にある奇妙さに気づくことができなかった。
 だが、少し考えてみれば分かったはずだ。
 サッカーはそもそも、体育館でやるべきスポーツではない。
 現に本校サッカー部の部室は校庭に面したクラブハウス棟にあるし、体育の授業でボールをはじめとしたサッカー用具を取りに行く先も、屋外の体育倉庫だ。
 だから当然、体育館の倉庫にはサッカーボールなどなかったはずだ。しかし少女は何事もなかったように、館内の体育倉庫からごく当然のような顔でサッカーボールを転がしてきた。
 ――持ち込んでいたんだな、前もってこの場所に。
 あの破綻した言行に騙されてはならない。一見して何もかもが奇矯に思える少女の行動は、実際には常に徹底して計画的だ。
 来栖貴子は尾崎晴道を逃がすことなく、自らが望む変則ゲーム『ラゲリオンサッカー』へと誘い込んで滞りなく遂行するため、ここまでのすべてを入念に準備していた。
 彼女の正体や目的は相変わらず不明で、むしろ新たな情報が出てくるごとにかえって謎が深まっていく感すらある。
 だが、今こうして彼女に先んじて、その事前準備がなされたであろう倉庫を偵察することで、いくらかの情報を得て来栖貴子からの次なる奇襲に備えることが出来るのではないか。
 自分でも甘い考えとは思いながら、それでも晴道は記憶の中の体育倉庫と、独特のにおいが籠もった現在目の前の光景を比較検討していく。
 単なる思い過ごしかもしれない。
 だが来栖貴子なら、ここにサッカーボール以外にも『次の一手』となる『何か』を仕込んでいるということは、十分にあり得る話ではないだろうか。
 気取られぬよう一度も後ろを振り返らず、しかし油断無く意識を回して背後の気配をも探りながら、晴道はさりげない風を装って体育倉庫を調べていく。
「――?」
 なんだ、これは?
 そして林立するボール入れと体育マットの奥で、晴道はそれを見つけた。
 学校備品ばかりが整然と並ぶ体育倉庫にそぐわない、明らかに私物と分かるスポーツバッグだった。
 かなり大きい。何かが入っている。――いったい、何が?
「…………」
 少女の気配は体育倉庫の外のままだ。まだ、遠い。
 意を決して、自身が入り口からの死角に入るよう配慮しながら、晴道はバッグへゆっくりと腰を折った。
 ジッパーに手を掛ける。
 このスポーツバッグがまったく無関係な第三者の所有物であるという可能性を思考の隅で弄びながらも、晴道は音を立てないよう少しずつ、慎重に、慎重にジッパーを開いていく。
 そこから最初に見えたのは、白く濁った半透明のビニール袋。中身を保護して覆い隠すように、スポーツバッグの内側全体へ仕込まれている。
 それを破かないよう、晴道は慎重にビニール袋の口の切れ目を探した。すぐに探り当て、音を立てないよう慎重に、ゆっくりと開いていく。
 そのとき不意にごろりと何かが転がり出てきて、それが晴道の腕を掴んだ。
「!?」
 悲鳴もろとも身体が凍る。
 スポーツバッグの中から転がり出たのは、人間の腕だった。
 作業服のような灰色の長袖の先に、軍手を着けている。晴道の手に覆い被さっているのはその軍手だ。
 軍手越しの感触は嫌に骨張って硬く、生きた血肉の温もりというものをまるで感じさせない。手首だけではない。作業服の下の前腕部もだ。
 だが必死に悲鳴を押さえ込む晴道が軍手を押し返すと、指関節は素直に折れ曲がって、生きた人間そのものの精巧さを示す。
 これはマネキン人形などではない。もっと人間に近いものだ。
 これは生きた人間などではない。もっと冷たく無機質なものだ。
 では、何だ。何なのだ、これは。
 人間そのものの機構と大きさを持ち、しかし生物としての温もりも反応を持たない、これは、何だ。
「尾崎君。五分だよ」
 軍手の下に感じる骨張った指より冷たいその何かを、いきなり背中へ差し込まれたかのように。晴道はその場で竦み上がった。
 体育倉庫の冷たい床へ尻餅をついたままの晴道に、外からの陽光を背中に浴びる貴子は、ひどく穏やかに微笑みかけていた。
「…………、あ、……」
「困るなー、尾崎君。さっき言ってた五分って、尾崎君も納得してくれた時間でしょ? こういう約束事はきちっと守ってもらわないとね。でないと、どんなゲームも成立しないよ?」
「…………」
 晴道の腕を掴んだきり動かない、その冷たい手が見えていないはずなどないのに、恐怖と驚愕に強ばった晴道の表情から、何かを感じないはずなどないのに。
 少女はそれら一切を完全に無視して、体育館の外に広がる青空のような爽やかさで宣言した。
「さーて、ここまで8-0で残りは2ラウンド。ハーフタイム後、尾崎君の逆転勝利はあるのか? 『第一回・ラゲリオンサッカー王者決定戦』、サクッとケリを付けるとしようか!」
 歌うように言いながら、少女は軽やかに歩いていく。その少女の背中に引きずられるようにしながら、晴道は作業着に包まれた細く冷たい腕を掴み、そっと床へ下ろした。
 幽霊のように立ち上がり、コートの中央を目指す。
 ズボンの尻ポケットへ乱雑に突っ込んでいたGPGをその手に取ろうとして、二度、三度と手指が空を掴んだ。
 細かな震えが、止まらなくなっていた。
 なんだ、今のは?
 あれは何なのだ。彼女はあのバッグと、あの中身とは無関係なのか。
 彼女は何をしようとしていて、自分に何を求めていて、その目的について、あれはどのように関わっているのか。
 もっと早くに気づいておくべきだった。
 もっと早くに認識し、そしてその事実が持つ意味と可能性を考えて、行動しておくべきだった。
 そう。
 彼女は普通ではない。
 異常者だ。
 その運動能力はとうに人間の領域を超えて、すでに猛獣の域に足を踏み入れている。あの身体能力だ。自分のような人間一人、何の武器や道具を持ち出すまでもなく、たやすく素手で引き裂けるだろう。
 その異常者の少女が自らの異常者たる所以を惜しげもなくさらけ出して、十中八九自らの持ち物であろうあの『人体』の存在を知られて、それでもなおいかにも友好的な風に笑ってみせるあの少女は、このゲームの後、自分をどうするつもりなのか。
 彼女は、何だ。
「どう? 息は整ったかな、尾崎君?」
 晴道の胸中で渦巻く疑念に一言も触れようとせず、少女はやがていつもの初期配置について振り向いた。その端整な笑顔はあまりにも今まで通りのままであり過ぎていて、それが逆に異様な圧力となって晴道の肩を締め付けた。
「ん? 尾崎君、ずいぶん顔色が悪いみたいだけど……大丈夫? 保健室行こうか?」
「……いや……、……いい」
「そう……? まあいいや。気分悪くなってきたら、いつでも気軽に教えてね。それじゃあ第九試合、いくよー!」
 少女がホイッスルを吹き鳴らし、GPGが戦闘開始のBGMを歌いあげる。
 ボールは晴道の足下、GPGの画面に広がる鈍色の空から逆落としに敵機が迫り、そして笑う少女が飛び込んでくる。
 どうする。俺は、彼女から、この場から、このゲームを――
 肉薄しながら放っていた《ベフェーレン》の機銃掃射が、《カスタリオ》の装甲板を叩いた。
「あっ」
 肩口を穿たれた《カスタリオ》が弾着の衝撃で均衡を崩し、その場で小さく揺れる。
 機体バランスとともに操作のリズムも失われたか、続く機銃弾もそのほとんどが《カスタリオ》の機体へ吸い込まれるように飛び込み、そこかしこを乱打して火花を散らした。ライフゲージが縮む。
 ここまでの連戦で、《ベフェーレン》からの機銃掃射が晴道の《カスタリオ》へまともに打撃を与えたことなど一度もなかった。
 だが今や《カスタリオ》のライフゲージは、この機銃掃射だけですでに半分を割り込み、しかも機体は弾着の圧に吹き飛ばされて尻餅をついていた。
 ついに距離を詰めきった《ベフェーレン》はもう《カスタリオ》からの迎撃を警戒して間合いを切りなおすこともなく、空中で航空機型から人型に変じて左右の曲刀を抜き放つ。
 空中突撃から落下してくる慣性のまま、猛然と襲いかかった。
 まだ体勢を立て直しきれない《カスタリオ》が慌てて繰り出した直剣を一撃で弾き、がら空きの胴体を《ベフェーレン》からの踊るような連撃が刻む。
《カスタリオ》の右腕が、盾を構えていた左腕がちぎれ飛び、頭部が潰され、そして、胴体までもが貫通される。
「!!」
「おっ?」
 二人が見つめるGPGの画面の中で、《カスタリオ》は爆散した。
 敗北と勝利のBGMが互いのGPGから再生され、『Player 1 Lose...』の表示が晴道のGPGに流れていく。
「おーっ……」
 妙に気抜けした声を漏らして、少女はホイッスルを鳴らした。不思議そうな顔で晴道を見た後、彼が足下でキープしたままのボールを捨て置き、スコアボードの方へ向かっていく。
「9-0、っと」
 得点表をめくり上げながら、黒髪を揺らして少女は振り向く。
「いや、尾崎君。意外だね?」
 本当に心底から意外そうな顔で、小首を傾けて少女は言った。
「サッカーじゃなくてラゲリオンの方で、こんなに簡単に尾崎君がやられちゃうなんてさ。ハーフタイムで頭が冷え過ぎちゃったかな? それとも何か、最後の勝負のために思いついた秘策でも試そうとしてたのかな?」
 からかうように言いながら貴子が晴道に向き直ったところで、彼女は少年の青ざめた表情に気づく。
「あれ――そういうのはない感じ、か……うん」
 じっと晴道の表情を見つめ、数秒待ってもそれが凍り付いたまま溶ける気配を見せようとしないのを見届けると、貴子はつまらなさそうに呟いた。
「なんか、最後の最後に……盛り下がってまいりましたねえ。あんまり長引かせるのもなんだし……パパッと最終ラウンドも終わらせちゃおうか。いいよね、尾崎君? ……尾崎君?」
 晴道はGPGを握りしめたまま、微動だにしていなかった。
 額で玉になって眼鏡の下まで伝い落ちてきた汗が、まぶたに触れても身動きしない。
『ラゲリオン』で初の敗北を喫した瞬間から、晴道に一切の動きはない。
「どうしたの、尾崎君。やっぱり調子悪いの? 保健室行こうか」
「要らない」
 きっぱりと言い切った。
「何でもない。少しいろいろ、余計な心配をし過ぎただけだ。ありがとう来栖さん。おかげで大切なことを思い出せたよ」
「? ふうん、……そう?」
 少年が紡ぐはっきりとした言葉は、ひどく淡々としている。
 だがその内側にうごめく少年の感情が今、かつてないほどに強力な熱を帯びて静かに渦巻きはじめたのを、少女は少年の瞳と口元から見取っていた。
 殺気。
「いいね」
 少年の全身からそれに近い威圧感を覚えて、少女は満足そうに唇を釣り上げる。
「おや、おや、おや。尾崎君――これはどうやら、今まで以上に本気っぽいね?」
 GPGを堅く凝視したきり無反応の少年を前に、楽しげに、そして嬉しげに少女が呟く。
「じゃあ私の方も、これは本当に本気で行かないとね」
 言いながらミニスカートのポケットを探り、少女は紺色の輪ゴムを取り出す。指だけの慣れた動作で輪を開くと後頭部へ回し、真っ直ぐに降りる黒髪を高い位置で中に通して一筋に留めた。
 ポニーテールの先とミニスカートの裾を美しく弧を描くように翻し、少女は少年へ向かって振り向く。
「うっし。どう?」
「――何が?」
「え? いや、何が、って言われても……うーん。出来るだけ分かりやすく、私の『本気』を表現してみたんだけどな。……尾崎君、こういうのは趣味じゃない?」
「いや。別に」
「別にって……」
 凛とポニーテールに結い上げた黒髪を片手でくるくると弄びながら、どこか不満げに少女は呟く。
「ま、いっか。泣いても笑っても、正真正銘これが最後だからね。行くよ、尾崎君。第十試合、――」
 そして、貴子がホイッスルを――最後の勝負を告げる笛の音を吹き鳴らす。
「開始!」
 すべてが今まで通りだった。
 開幕を告げる号砲代わりの《ベフェーレン》の猛加速とそこから降り注ぐ牽制の射弾も、十メートルを瞬時にゼロまで詰める大型肉食獣のような少女の突撃も、晴道の足下へと襲い来るその足捌きも。
 そして晴道と《カスタリオ》は、鏡のような静けさで微動だにしない。
 上空から急降下する《ベフェーレン》が牽制に放つ射弾が《カスタリオ》の周囲で弾け、何発かは本体装甲を穿って画面下端のライフゲージを小さく削る。
 晴道の足はボールの上に置かれたまま、視線は前に据わっている。
「それじゃあダメでしょ、尾崎くんっ!」
 笑う少女が犬歯を剥いて、仮想と現実両面の世界で晴道に襲いかかる。
 ラゲリオンでもサッカーでも、少女の動きに一切の容赦はない。
 人型に変じた《ベフェーレン》の二刀と少女の足が、《カスタリオ》とボールを狙って降り注ぐ。その段になってようやく晴道は応戦を開始した。
 電子の架空世界で斬り結ぶ二機のロボット兵器のように、互いにGPGを両手で握る少年少女もサッカーボールを取り巻きながら攻防を応酬する。
 体重を感じさせないフットワークで縦横無尽に動く貴子は、風に舞う花びらのように晴道との接触を紙一重でかわしながら、ボールキープへと強烈な圧力を掛け続けてくる。
 変幻自在の攻撃を仕掛けながら躍る貴子に、忙しく両足を捌いて晴道は必死にボールを死守する。
 その意識はどうしてもサッカーへ集中しがちになり、《カスタリオ》は少女の完全な集中力によって操作される《ベフェーレン》に圧され、次第にダメージを蓄積させていく。じり貧だった。
「ほらほら! どうしたの尾崎君? そんなんじゃ勝てないよぉ!」
「…………」
 目立った変化もないまま、ただ貴子と《ベフェーレン》に押されていくだけの戦況。最終戦は最初に重ねた8回の勝負よりなお劣悪な展開を辿っていた。
 晴道は防戦を強いられ続けるサッカー勝負の中で、迫る少女からボールを守るために自分を壁にすべく、彼女へ背中を向ける。
 ボールを狙い、GPGを操作しながら少女が迫る。連撃を叩き込んでくる《ベフェーレン》に押されながら、晴道は視界の隅へ滑り込んでくる少女の動きを捉えていた。
 そして晴道は、勝負のすべてをその一瞬に賭けた。
 捻った身体に溜め込んだバネを解放するように、晴道は自身が握るGPGを右手ひとつで振り抜いた。
 狙った先はただ一つ。
「んなっ!?」
 頓狂な少女の声、そして打撃音が体育館に響く。
 それはGPGとGPGの筺体同士がぶつかり合う音。
 そして晴道が叩きつけたGPGが貴子のGPGをすくい上げ、空中へ巻き上げるように吹き飛ばす音だった。
 晴道は知っていた。
 GPGというデバイスの構造と設計を。今までの経験と知識から導き出される、その耐衝撃性能の限界を。
 GPGを振り抜くや手元へ戻す。その間にも電子の仮想世界は動き続けたまま。最新電子技術の粋たるGPGは晴道の理不尽な一撃に耐え抜いたのだ。
 晴道は一片の迷いもなく、続けざまのコマンドを《カスタリオ》へ叩き込んでいく。無骨な機影の旧式量産機が躍り、流麗に洗練されたカスタムマシンを無抵抗のまま打ちのめしていく。
「……っ!!」
 貴子のGPGは空中にある。少女は一瞬の躊躇ののち、その超常の瞬発力でGPGへ跳びついて掴み取ったが、それまでの間に晴道は《ベフェーレン》を瀕死の状態へ追い込んでいた。
 それは完全な、意識の外側からの一撃。常識に照らして、確たるルールに則って行われるゲーム内ではありえないはずの攻撃。
 一見すればそれは、単なるラフプレー以外の何物でもない。
 だが最初に二人が取り決めたルールの中に、この種の事態に関する言及はなかった。
 敵プレイヤーが持つGPG自体への直接攻撃――当然だ。
 特別に言及しない限り、ルールに規定されているわけがない。そもそもラゲリオンサッカーの叩き台となったサッカー本来のルールの中に、GPGの存在などあるはずがないのだから。
 だから晴道の行為にこの、『ラゲリオンサッカー』における反則など無い。
 少女がルールについてそこまで再考し、次の判断を下すまでに要するであろう時間すら、晴道は計算の中に織り込んでいた。
 来栖貴子の運動能力は、常人の域を遙かに超える。まともに戦えば、世界最高のサッカー選手でも対抗することは難しいはずだ。
 だが同時に頭脳的な部分ではそこまで極端な格差がないことを、晴道は他でもないここまでの《ラゲリオン》のプレイで認識してきていた。
 そして少女が頑ななほどに、このゲーム内で《ラゲリオン》とサッカーの両立にこだわっていることも。
 晴道がどちらか一方だけへ気を取られすぎれば、直ちにその裏をかいて圧倒的な力の一撃で勝負を終わらせながら、自分自身のプレイも決して片方だけへ偏らせることがない。
 だから晴道が一瞬の勝機をこじ開けられる場所があるとすれば、それはそこ以外になかった。
 貴子のGPGそのものを奇襲して打撃、一時的に《ラゲリオン》プレイ不能に陥らせつつ、サッカーでの攻勢にも出られないよう距離を開かせる。
 徹底してプレイスタイルを偏らせない貴子はGPGを吹き飛ばされても、《ラゲリオン》のゲームが続いている限りはそれを放棄することはないはずだから。
 晴道は賭け、そして勝った。
 だが少女はまたしても、人智を越えた運動能力を見せつける。
 空中で身体を捻って空飛ぶGPGを拾い上げると、着地と同時に爆発するような蹴り脚で、晴道めがけて吹っ飛んでくる。
 乱舞する《カスタリオ》の猛打に為すすべもなく叩きのめされ、北風にあえぐ枯れ木のように揺れていた《ベフェーレン》も、まだ死んではいない。
 GPGをプレイヤーの少女が取り戻すや、機体は生命を取り戻す。取り直した曲刀で《カスタリオ》からの斬撃を弾いた。
 コンマ数秒。
《ラゲリオン》での余裕を完全に失った貴子は、もはやサッカーで容赦しない。
 たったそれだけの時間で晴道との距離を詰めるや、瞬時にボールを奪い取ってゴールへ叩き込むだろう。今までのゲームと同じように。
 それまでの猶予はコンマ数秒。その刹那が勝負を決める。
 いつの間にか、晴道は笑っていた。
 心の底から。
 笑ってから、いま自分が感じている心の動きが、楽しさだったことを知った。
 ずっと忘れていた。
 ゲームって、こんなにも楽しかったんだな。
 二機の剣尖が光を曳いて泳ぐ。
 すべての時間が凝縮されたような一瞬の中で剣撃の火花が飛び散り、跳ね返ってきた衝撃さえ流れるように機体へ乗せた。
 そして《カスタリオ》の直剣が、《ベフェーレン》の喉元を突き潰す。
 貴子の奪い取ったサッカーボールがゴールを直撃した。ネットを数メートルも吹き飛ばし、そして爆発の閃光が二人の画面を覆い尽くす。
《ベフェーレン》の爆発が破壊をさらに押し進めた廃墟のただ中に、《カスタリオ》の傷ついた機体が立ち尽くす。
『Player 1 Win!!』のテロップが画面を駆け抜け、勝利のファンファーレを内蔵スピーカーがかき鳴らす。晴道はそれ以上何の操作もしなかったので、体育館にはずっとそのBGMがループしていた。
「…………」
 その間ずっと、二人は無言のままだった。互いに目を合わせることはおろか、見ようともしない。
 だが長い空白時間の後、やがて少女が先に動いた。
 まず美少女キャラクターのステッカーに覆い尽くされたGPGを、少女は丁寧に検分していく。意外にも画面や筺体にヒビの類はなく、貴子はほっと息を吐いた。
「びっくりしちゃったよ。壊れちゃうかと思った」
「ごめん、来栖さん」
 晴道は素直に詫びた。
「でも俺は、どうしても君に勝ちたかった」
「ははっ。参ったな。本当に負けちゃうなんてね」
 言いながらスコアボードに歩いて、めくりあげた。9-1。
 ぱち、ぱち、ぱち。
 ポニーテールを揺らして振り向いた少女は少し困ったような笑顔で、晴道へと拍手を贈った。
「おめでとう、尾崎晴道君。このゲームは君の勝利です」
「ああ」
 当然だ、とでも言いたげな鷹揚さで、晴道が頷く。貴子は苦笑を深め、豊かな胸の前で支えるように腕を組んだ。
「さて。これで君は、私のことをなんでも知る権利をゲットしてしまったわけだね」
「ふうん。本当にいいの、来栖さん? 思春期の健康な男子としては、来栖さんみたいな美人に対して知りたいことなんて、本当にいくらでもあるんだけどな」
「心配ご無用、……女に二言はない……」
「顔、ちょっと引き攣ってるぜ」
「女に二言はない!」
 少し膨れながら断言した貴子に突っぱねられて、晴道は笑った。
 勝ったのだ。
 少女から感じた異様な気配、体育倉庫で見つけた謎の物体のことなど忘れて、晴道はただ勝利の悦楽に笑っていた。
 だがそのとき不意に、その場へ音楽が流れはじめる。
 晴道も聞いたことのあるメロディー。『エリーゼのために』だった。貴子のポケットから聞こえてくる。
「ごめんね」
 急に真顔になった貴子が小振りな携帯電話を取り出して画面を一瞥すると、その顔色からさっと、今までの苦笑が嘘のように引いていった。
「うん。ごめん尾崎くん。悪いけど急用が入っちゃった」
「――急用?」
「後で話す。ごめんね」
「何――来栖さん!?」
 晴道が何か言おうとしたときにはもう、貴子はあの猛獣じみた加速力で床を蹴って、体育館の外へ飛び出していくところだった。扉を閉めながら、晴道へ向かって叫ぶ。
「すぐに戻る。それまで絶対に、ここを動かないで!」
「えっ?」
「そして絶対に、誰も入れないで。お願い」
 そのまま叩きつけるように、少女は扉を閉め切った。晴道の疑問いっさいを置き去りにして。
「…………」
 そして、体育館に残されたのは少年ひとり。
 ゲームに勝ちはしたものの、少女の理不尽さはなおも少年を振り回すばかりだった。
「……なんなんだ、一体……」
 呟きながら、少女がGPGを置いていったことに気づいて、晴道はおもむろに歩み寄って手に取った。
 この場に自分一人だけでなければ、もはや手に取るのもはばかられるような勢いで、美少女キャラクターに覆い尽くされたGPG。
 だが晴道は同時に、それ以外の強い違和感を覚えていた。
「このGPG……なんだ?」
 筺体は間違いなく普通のGPGだ。しかし少女が『神速機動ラゲリオン』を終了させて戻ったゲームタイトルのランチャー画面には、見慣れたラゲリオンアイコンの隣に見慣れないタイトルが並んでいた。
「《Spartoi》……? 聞いたことないゲームだな」
 Spartoi。
 凝ったロゴがあるわけでもなく、美しいグラフィックが添えられているわけでもない。ただ無機質な標準フォントでそう書かれただけの、簡素なことこのうえないゲームアイコン。
 このGPGにインストールされているゲームは、ラゲリオンの他にはそのSpartoiの二つだけしかないようだった。
 その無機質さはかえって異様な存在感を持って、晴道の興味を惹いた。
 GPGで発表されたゲームタイトルは、ほとんどすべてをチェックしていたつもりだった。だが、Spartoiなどというタイトルは聞いたことがない。
 GPGをハックした有志が作った無名の同人ゲームか、それとも海外発表のタイトルだろうか。
「!?」
 そのとき、体育館の扉のひとつがガタンと鳴って、晴道は思わず背筋を跳ね上げた。
 ガン、ガン、ガン、と何度も鳴り続ける。外から誰かが開けようとしているらしいが、開かないようだ。
 試験期間中、体育館の扉はすべて施錠されていたはずだ。彼女が出て行くとき、鍵を掛けていったのだろうか?
 その扉が鳴り止むと、今度は隣の扉が同じように鳴り始めた。
 誰かが、体育館を開けようとしている。
 誰が?
 来栖貴子が戻ってきたのなら、鍵を持っているはずだ。
 この中途半端な時間に、他の学生が来るとは考えにくい。
 なら、巡回の教師だろうか。
 無人のはずの体育館に人の気配を感じ、鍵は持っていないが確認しようとしている。
 だとすると、見つかるのはいろいろと面白くない。
 少女の言い残していった言葉を思い出すまでもない。わざわざ内鍵を開けて招き入れるつもりも、見つかるつもりもなかった。晴道はまず、体育倉庫まで下がろうとした。
「あっ」
 だが視線を扉に据えたまま下がろうとした晴道には、足下がよく見えていなかった。サッカーボールが足に当たり、そのまま転がって壁にぶつかり、小さな音を立てた。
「…………」
 ボールがぶつかったのは、誰かが扉を開けようとしているのとは反対側の壁だ。たいして大きな音でもなかった。大丈夫だろう。気取られてはいない。
 息を殺して待ち受ける晴道の確信を裏付けるように、いっさいの音が扉から止んだ。
 去ったのか。
 晴道がほっと息をついた瞬間、轟音とともに扉が歪んだ。
「!?」
 何かとてつもない圧力を受けたかのように、金属製の分厚い扉が凹み、歪む。その打撃が連続する。
 生身の人間の力で可能な破壊行為ではなかった。
 美少女ステッカーに覆われたGPGをきつく握りしめたまま、晴道はゆっくりと後ずさる。体育倉庫の入り口はまだ、ずっと遠い。
 そして暴力に耐えきれなくなった扉が反対側の壁まで吹き飛び、金属の歪んだエッジを壁の合板へ突き刺した。
 晴道はただ呆然と、体育館の内部へと無言で侵入してくる破壊の主を凝視する。
 侵入者には、目がなかった。
 衣服も、皮膚も、肉もなかった。
 ゆうに3メートルはあろう、白い巨大な骸骨のような何か。
 その髑髏の虚ろな暗い眼窩が晴道を捉え、鋭い歯の並んだ顎が大きく開いた。

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