ゆにば 第03話
たった一ヶ月の疎遠が、永久の別離のように思えるときがある。
顔を見ることができない。声を聞くことが出来ない。言葉を交わすことができない。
触れてくれる温もりが。触れられる実感が。そこに居て欲しい誰かの手がかりが、ぷつんとどこかで途切れたままの不安な日々。結希の一ヶ月は、だからこそこの邂逅の為にあったと言っていい。
思い浮かべてみればいい。
そこは月も星もない夜の世界だ、と。夜の天蓋で覆われた入り組んだ迷路だ、と。
手探りで出口を探す。おそるおそると壁に手を伸ばす。
導いてくれる光はない。手を引いて連れ出してくれる人も―――いない。
そんな世界で一ヶ月もの間、結希はひとり、とぼとぼと歩き続けていたようなものだった。
でも、いま。
目の前に、会いたかった人がいる。
声を聞きたかった人がいる。
それだけで、いままで存在の希薄だった世界に色が甦る。
「ケイトさんっ」
名前を呼ぶのは、そこにある現実を確かに鞫曹ワえるため。私はここにいるのだ、と彼に伝えて認識してもらうため。そして、それ以上に―――大好きな彼の名前が、なにより結希の耳に心地良く響くためなのだ。
顔を見ることができない。声を聞くことが出来ない。言葉を交わすことができない。
触れてくれる温もりが。触れられる実感が。そこに居て欲しい誰かの手がかりが、ぷつんとどこかで途切れたままの不安な日々。結希の一ヶ月は、だからこそこの邂逅の為にあったと言っていい。
思い浮かべてみればいい。
そこは月も星もない夜の世界だ、と。夜の天蓋で覆われた入り組んだ迷路だ、と。
手探りで出口を探す。おそるおそると壁に手を伸ばす。
導いてくれる光はない。手を引いて連れ出してくれる人も―――いない。
そんな世界で一ヶ月もの間、結希はひとり、とぼとぼと歩き続けていたようなものだった。
でも、いま。
目の前に、会いたかった人がいる。
声を聞きたかった人がいる。
それだけで、いままで存在の希薄だった世界に色が甦る。
「ケイトさんっ」
名前を呼ぶのは、そこにある現実を確かに鞫曹ワえるため。私はここにいるのだ、と彼に伝えて認識してもらうため。そして、それ以上に―――大好きな彼の名前が、なにより結希の耳に心地良く響くためなのだ。
「おかえり、結希さん」
彼の声。
どこかこちらの反応をおずおず窺うような、いつもの、あの応えかた。
ああ、もう。言いたかったこと、言いたいことはいろいろ山盛りだけど。
なんだかどうでもよくなってしまって、結希は彼の元へと駆け出した。
少し遅い昼食中のケイトが座る丸テーブルの横。ぴとっ、と張り付くように彼のすぐ側に立ちながら。
「もう。お帰りなさい、をご主人様に言わせちゃったら、メイドさん失格じゃないですか」
わざと拗ねたようにケイトに囁いた。一瞬きょとんと目を丸くしたケイトが、しばし黙考した後で、
「そういうものかな」
と、首を傾げる。アキハバラの、もっと言うならメイド喫茶の作法というものが、いまいちしっくりこないようであった。でも、すぐに慣れてもらわないと困りますからね―――心の中で悪戯っぽく笑う結希。ケイトを呼び出した理由。仕事の依頼といって来てもらったわけ。ぶっちゃけて言えば、その仕事の内容を聞いたときの彼が、一体どんな反応をするのだろうか。それを考えると、なんだか可笑しくてたまらない。
「………っと、ちょっと待って。いま、残り食べちゃうからさ」
トレイに残った一枚のトーストにポークウィンナーをごろりと乗せ、即席サンドイッチにしたかと思うと、口を目一杯開けてぎゅうぎゅうと中に押し込んだ。頬っぺたをパンパンに膨らませて、ミルクで流し込みながら一息に咀嚼する姿に、「ああ、ケイトさんも普通の男の子っぽいところがあるんだなあ」と、結希はそんなことを思ってみたりする。
普段はどことなくのんびり構えているように見え、むしろ地味で大人しい印象のあるケイトだが、こういう少し粗野な行動をするときなど、「がさつな普通の少年」っぽく見えて。
なんだか、新鮮かも―――結希は、うふふ、と小さく笑った。
「………ごちそうさま。それじゃ、さっそく………裏の、事務所のほうがいいんでしょ?」
ゆにばーさる従業員休憩所のさらに奥、倉庫や雑用品置き場に隣接するスタッフルームのことを、ケイトは言っている。平素は鈴木和美女史がオフィス代わりに使っている部屋なのだが、彼女たちの本業―――つまり、対レネゲイド事件に当たるときのUGNとしての活動時には作戦本部として活用されるのだ。
今回、結希からの連絡で仕事の依頼だと告げられているので、ケイトは自然とそこで話があると思っている。
「はいっ。私、いろいろ用意もありますから先に行ってますけど、場所、もうわかりますよね?」
「あ、うん」
頷くケイトに、にこにこと笑いながら、結希がくるりと身を翻した。
「んー、と。それじゃ、お先に失礼しますね? ご主人様」
とてとて、と店舗の奥へと歩き去っていく結希の姿を見送るケイト。結希にご主人様って呼ばれるのは、なんだかとてもくすぐったいな―――そんなことを思う。
(でも、こういう場所に通う人の気持ち、少しわかってきたかもしれない)
甲斐甲斐しく給仕をしてくれるメイド服の女の子が結希みたいな娘だったら―――
………まあ、通いつめちゃうよなあ―――
などと。素で、こんなことを考えてしまうところが、バカップルの片割れ―――もう一方の片割れが誰なのかは当然言うまでもない―――たるゆえんである。
どこかこちらの反応をおずおず窺うような、いつもの、あの応えかた。
ああ、もう。言いたかったこと、言いたいことはいろいろ山盛りだけど。
なんだかどうでもよくなってしまって、結希は彼の元へと駆け出した。
少し遅い昼食中のケイトが座る丸テーブルの横。ぴとっ、と張り付くように彼のすぐ側に立ちながら。
「もう。お帰りなさい、をご主人様に言わせちゃったら、メイドさん失格じゃないですか」
わざと拗ねたようにケイトに囁いた。一瞬きょとんと目を丸くしたケイトが、しばし黙考した後で、
「そういうものかな」
と、首を傾げる。アキハバラの、もっと言うならメイド喫茶の作法というものが、いまいちしっくりこないようであった。でも、すぐに慣れてもらわないと困りますからね―――心の中で悪戯っぽく笑う結希。ケイトを呼び出した理由。仕事の依頼といって来てもらったわけ。ぶっちゃけて言えば、その仕事の内容を聞いたときの彼が、一体どんな反応をするのだろうか。それを考えると、なんだか可笑しくてたまらない。
「………っと、ちょっと待って。いま、残り食べちゃうからさ」
トレイに残った一枚のトーストにポークウィンナーをごろりと乗せ、即席サンドイッチにしたかと思うと、口を目一杯開けてぎゅうぎゅうと中に押し込んだ。頬っぺたをパンパンに膨らませて、ミルクで流し込みながら一息に咀嚼する姿に、「ああ、ケイトさんも普通の男の子っぽいところがあるんだなあ」と、結希はそんなことを思ってみたりする。
普段はどことなくのんびり構えているように見え、むしろ地味で大人しい印象のあるケイトだが、こういう少し粗野な行動をするときなど、「がさつな普通の少年」っぽく見えて。
なんだか、新鮮かも―――結希は、うふふ、と小さく笑った。
「………ごちそうさま。それじゃ、さっそく………裏の、事務所のほうがいいんでしょ?」
ゆにばーさる従業員休憩所のさらに奥、倉庫や雑用品置き場に隣接するスタッフルームのことを、ケイトは言っている。平素は鈴木和美女史がオフィス代わりに使っている部屋なのだが、彼女たちの本業―――つまり、対レネゲイド事件に当たるときのUGNとしての活動時には作戦本部として活用されるのだ。
今回、結希からの連絡で仕事の依頼だと告げられているので、ケイトは自然とそこで話があると思っている。
「はいっ。私、いろいろ用意もありますから先に行ってますけど、場所、もうわかりますよね?」
「あ、うん」
頷くケイトに、にこにこと笑いながら、結希がくるりと身を翻した。
「んー、と。それじゃ、お先に失礼しますね? ご主人様」
とてとて、と店舗の奥へと歩き去っていく結希の姿を見送るケイト。結希にご主人様って呼ばれるのは、なんだかとてもくすぐったいな―――そんなことを思う。
(でも、こういう場所に通う人の気持ち、少しわかってきたかもしれない)
甲斐甲斐しく給仕をしてくれるメイド服の女の子が結希みたいな娘だったら―――
………まあ、通いつめちゃうよなあ―――
などと。素で、こんなことを考えてしまうところが、バカップルの片割れ―――もう一方の片割れが誰なのかは当然言うまでもない―――たるゆえんである。
「失礼します―――こちらお下げしてもよろしいですわね、ご・主・人・様っ」
地の底深く、どんよりと濁った沼地の中から響くような呪詛じみた声。
「う、うわっ。ち、智世さんっ!?」
身をかがめながら、ケイトに覆い被さる勢いで。顔を覗き込み―――というよりは上からケイトをねめつけるような体勢の智世が、いつのまにやら背後から回り込んでいた。ばさり、と垂れた前髪の隙間から暗い瞳がこちらを睨みつけている様は、まるでホラー映画。ほら、アレだ。テレビからぬばーっ、と女の人が出てくるアレだ。
「よ・ろ・し・い・で・す・わ・ね・ご・主・人・様っ」
一言一節を力強く区切り、智世が返答のないケイトに念を押す。言葉の端々に混じる「ぎしぎし」という音は、彼女の歯軋りの音に違いなかった。
「は、はいっ、よろしいですっ」
座ったままで背筋を伸ばし、硬直しながらケイトが答える。てきぱきとテーブルから取り上げられる食器類。
軽く優雅に曲げられた腕にトレイやらカップやらを重ね持った智世は、そわそわしながら目線をあちらこちらに泳がせるケイトをしばらくの間ジト目で見下ろしていたが、ついには大きな溜息を吐き出した。
「もう少し………ものの言いよう、態度のありようというものを考えられてはいかがですの?」
呆れ果てた口調であった。どうして私がこんなことを言ってあげなければならないのかしら、とは思うのだが、口に出さずにはいられなかった。そして、案の定なにもわかっていない様子のケイトが、
「ええと、どういうことかな………?」
本当に自覚のない顔で、助けを求めるように智世に尋ねる。
よくわからないけど、自分がなにかまずいことをしたなら教えてほしい―――そう言いたげな感じである。
再び鎌首をもたげそうになる殺意をぐっとこらえ、
「もっと、結希さんのことを気遣って差し上げてください、と言いたいのですわ」
身を切る思いで言葉を搾り出す。本当ならば、結希が落ち込んだり、困ったり、助けを必要としているのならば、誰よりも自分が彼女の側にいてあげたい―――それが偽らざる智世の本音なのだ。だが、それはいけない。
結希がなにより望むこと。結希にとってなにが一番なのか。結希が幸せになるために本当は誰を必要としているのか。
結希のことをよく知っているからこそ、そんなことまでよくわかってしまう。通したくても通せない想い。貫きたくても貫けない我儘。結局は自分が一歩身を引いて、このニブチンの背中を押してやる―――いや、蹴り飛ばしてやるぐらいのつもりで、サポートをする羽目になるのだった。
「聞きましたわよ。このところ、お二人が連絡を取り合っていないということ。結希さん、それはそれは気にしてらして、とても落ち込んでいたのですわ」
智世の言葉にはた、と考え込むケイト。慌しくポケットをまさぐり携帯電話を取り出すと、コタコタとボタンを押し始め、なにごとかを確かめている様子。発着信履歴を調べているんですわね―――智世はすぐさまピンときた。
「うあ………」
電話の発着信に引き続いてメールの送受信も確認し終えたケイトが、世にも情けない声を上げ、また世にも情けない顔をする。たぶん、自分が結希とどれだけ連絡を取り合っていなかったのか、自分の目で改めて見て、初めて実感したのに違いなかった。眉根を寄せ、難しい表情を造ったケイトが、ようやく顔を上げた。
「智世さん」
うってかわって、真剣な顔。いや、真摯といってさえいい眼差しでケイトは智世と真正面から対面する。
普段はどことなくうつむき加減の、目立たない少年。そんな印象のある彼がときどき見せる、しっかりとしたひとりの「男の子」の顔をした瞬間だった。
すくっ、と立ち上がり居住まいを正すと、
「どうもありがとう。気づかせてくれて。僕、またやっちゃったみたいだ」
ペコリ。折り目正しいお辞儀を智世に返すのだった。
その表情から、彼が本気で結希に申し訳ないことをしたと反省していることがありありと窺える。
基本的には、根が真面目なケイトである。しかも、結希のことをかけがえのない女の子だと大切に思っているのも確かである。ケイトがこんな姿を思い出したように見せ付けてくれるものだから―――智世は本気で彼のことを憎めなくなってしまうのだ。こういうところが私もまだまだ甘いですわね―――そう思う。
「私に礼をおっしゃる暇があるなら、結希さんを追いかけてはどうですの? いまはあなたに会えたばかりで気持ちが高揚してらっしゃいますけど、落ち着いたとき、なにかの拍子で爆発するかもしれませんわよ」
「そうだね。うん、そうかもしれないな。結希、怒らせると怖いから」
はにかむように、ケイトが笑う。仕事の話が終わった後でキチンと話をするよ、と言いながら。
きびすを返して結希の後を追う彼。その背中を、智世はなにか眩しいものを見るように見送った。
レジの脇を抜けて店舗の奥へと消えていくケイトの姿が見えなくなると、智世はもう一度深い溜息を吐く。
「結希さんのためですから仕方ありませんけど………癪ですわ、まったく」
そして誰にも聞こえないようにつぶやくと、いそいそと本来の業務へと戻るのであった―――
「う、うわっ。ち、智世さんっ!?」
身をかがめながら、ケイトに覆い被さる勢いで。顔を覗き込み―――というよりは上からケイトをねめつけるような体勢の智世が、いつのまにやら背後から回り込んでいた。ばさり、と垂れた前髪の隙間から暗い瞳がこちらを睨みつけている様は、まるでホラー映画。ほら、アレだ。テレビからぬばーっ、と女の人が出てくるアレだ。
「よ・ろ・し・い・で・す・わ・ね・ご・主・人・様っ」
一言一節を力強く区切り、智世が返答のないケイトに念を押す。言葉の端々に混じる「ぎしぎし」という音は、彼女の歯軋りの音に違いなかった。
「は、はいっ、よろしいですっ」
座ったままで背筋を伸ばし、硬直しながらケイトが答える。てきぱきとテーブルから取り上げられる食器類。
軽く優雅に曲げられた腕にトレイやらカップやらを重ね持った智世は、そわそわしながら目線をあちらこちらに泳がせるケイトをしばらくの間ジト目で見下ろしていたが、ついには大きな溜息を吐き出した。
「もう少し………ものの言いよう、態度のありようというものを考えられてはいかがですの?」
呆れ果てた口調であった。どうして私がこんなことを言ってあげなければならないのかしら、とは思うのだが、口に出さずにはいられなかった。そして、案の定なにもわかっていない様子のケイトが、
「ええと、どういうことかな………?」
本当に自覚のない顔で、助けを求めるように智世に尋ねる。
よくわからないけど、自分がなにかまずいことをしたなら教えてほしい―――そう言いたげな感じである。
再び鎌首をもたげそうになる殺意をぐっとこらえ、
「もっと、結希さんのことを気遣って差し上げてください、と言いたいのですわ」
身を切る思いで言葉を搾り出す。本当ならば、結希が落ち込んだり、困ったり、助けを必要としているのならば、誰よりも自分が彼女の側にいてあげたい―――それが偽らざる智世の本音なのだ。だが、それはいけない。
結希がなにより望むこと。結希にとってなにが一番なのか。結希が幸せになるために本当は誰を必要としているのか。
結希のことをよく知っているからこそ、そんなことまでよくわかってしまう。通したくても通せない想い。貫きたくても貫けない我儘。結局は自分が一歩身を引いて、このニブチンの背中を押してやる―――いや、蹴り飛ばしてやるぐらいのつもりで、サポートをする羽目になるのだった。
「聞きましたわよ。このところ、お二人が連絡を取り合っていないということ。結希さん、それはそれは気にしてらして、とても落ち込んでいたのですわ」
智世の言葉にはた、と考え込むケイト。慌しくポケットをまさぐり携帯電話を取り出すと、コタコタとボタンを押し始め、なにごとかを確かめている様子。発着信履歴を調べているんですわね―――智世はすぐさまピンときた。
「うあ………」
電話の発着信に引き続いてメールの送受信も確認し終えたケイトが、世にも情けない声を上げ、また世にも情けない顔をする。たぶん、自分が結希とどれだけ連絡を取り合っていなかったのか、自分の目で改めて見て、初めて実感したのに違いなかった。眉根を寄せ、難しい表情を造ったケイトが、ようやく顔を上げた。
「智世さん」
うってかわって、真剣な顔。いや、真摯といってさえいい眼差しでケイトは智世と真正面から対面する。
普段はどことなくうつむき加減の、目立たない少年。そんな印象のある彼がときどき見せる、しっかりとしたひとりの「男の子」の顔をした瞬間だった。
すくっ、と立ち上がり居住まいを正すと、
「どうもありがとう。気づかせてくれて。僕、またやっちゃったみたいだ」
ペコリ。折り目正しいお辞儀を智世に返すのだった。
その表情から、彼が本気で結希に申し訳ないことをしたと反省していることがありありと窺える。
基本的には、根が真面目なケイトである。しかも、結希のことをかけがえのない女の子だと大切に思っているのも確かである。ケイトがこんな姿を思い出したように見せ付けてくれるものだから―――智世は本気で彼のことを憎めなくなってしまうのだ。こういうところが私もまだまだ甘いですわね―――そう思う。
「私に礼をおっしゃる暇があるなら、結希さんを追いかけてはどうですの? いまはあなたに会えたばかりで気持ちが高揚してらっしゃいますけど、落ち着いたとき、なにかの拍子で爆発するかもしれませんわよ」
「そうだね。うん、そうかもしれないな。結希、怒らせると怖いから」
はにかむように、ケイトが笑う。仕事の話が終わった後でキチンと話をするよ、と言いながら。
きびすを返して結希の後を追う彼。その背中を、智世はなにか眩しいものを見るように見送った。
レジの脇を抜けて店舗の奥へと消えていくケイトの姿が見えなくなると、智世はもう一度深い溜息を吐く。
「結希さんのためですから仕方ありませんけど………癪ですわ、まったく」
そして誰にも聞こえないようにつぶやくと、いそいそと本来の業務へと戻るのであった―――
※
「あなたにしかできない仕事です。よろしくお願いしますよ」
霧谷雄吾の別れ際の言葉は、いつもの仕事の依頼を終えたときとまるで同じような調子であった。
ゆにばーさるスタッフルームで結希から依頼の説明を受けるのだと思っていたケイトは、揉み手をしながら笑顔で霧谷が待ち構えていたことにまず驚き、続いてその仕事の内容が「ゆにばーさるでウェイターとして働いてもらえませんか」というものだったことに二度驚いた。
UGNが、この喫茶店を隠れ蓑として本来の活動拠点としていることは知っている。
アキハバラに表立った進出を開始したファルスハーツに対する牽制として、急遽設立された支部であることも当然知っている。ケイトがわからないのは、じゃあなんでそれがメイド喫茶なんだ、ということぐらいで、「ゆにばーさる」が各地から選び抜かれた精鋭中の精鋭で構成された、各支部でも抜きん出た存在であることは間違いのない事実であった。
だけど、なんで自分だ!?
わざわざ僕にウェイターを頼むほど、人手が足りていないのだろうか。
霧谷の言葉に唖然として口をぽかんと開けたケイトが、デスクの真横に立つ結希へと慌てて目をやると。
ケイトへ出してくれた紅茶を載せてきた丸いトレイで、顔の下半分を隠しながら。
上目遣いで、ちらちらとケイトの顔を窺って。
だけど瞳は、期待と喜びとちょっぴりの不安が混じり合った色を湛えてうるうるしている。
ちょっぴり頬が赤い。結希のこの表情は、ケイトになでなでをお願いするときとよく似ていた。
テレパシーなど使えなくてもわかる。結希は、自分にこの依頼をぜひ受けてもらいたいと思っている。
だけど自分に接客業なんて出来るのか。しかも、メイド喫茶のウェイターなんて。
ゆにばーさるスタッフルームで結希から依頼の説明を受けるのだと思っていたケイトは、揉み手をしながら笑顔で霧谷が待ち構えていたことにまず驚き、続いてその仕事の内容が「ゆにばーさるでウェイターとして働いてもらえませんか」というものだったことに二度驚いた。
UGNが、この喫茶店を隠れ蓑として本来の活動拠点としていることは知っている。
アキハバラに表立った進出を開始したファルスハーツに対する牽制として、急遽設立された支部であることも当然知っている。ケイトがわからないのは、じゃあなんでそれがメイド喫茶なんだ、ということぐらいで、「ゆにばーさる」が各地から選び抜かれた精鋭中の精鋭で構成された、各支部でも抜きん出た存在であることは間違いのない事実であった。
だけど、なんで自分だ!?
わざわざ僕にウェイターを頼むほど、人手が足りていないのだろうか。
霧谷の言葉に唖然として口をぽかんと開けたケイトが、デスクの真横に立つ結希へと慌てて目をやると。
ケイトへ出してくれた紅茶を載せてきた丸いトレイで、顔の下半分を隠しながら。
上目遣いで、ちらちらとケイトの顔を窺って。
だけど瞳は、期待と喜びとちょっぴりの不安が混じり合った色を湛えてうるうるしている。
ちょっぴり頬が赤い。結希のこの表情は、ケイトになでなでをお願いするときとよく似ていた。
テレパシーなど使えなくてもわかる。結希は、自分にこの依頼をぜひ受けてもらいたいと思っている。
だけど自分に接客業なんて出来るのか。しかも、メイド喫茶のウェイターなんて。
少し考えさせてくれないか、と言おうとしてそれを思い直す。
脳裏に浮かぶ、ついさきほどまでの智世との会話。自分が無意識のうちに、結希に淋しい想いをさせていたことを反省したばかりじゃないかと、もうひとりの自分が頭の片隅で騒ぎ立てていた。
ゆにばーさるでウェイターとして働ければ、結希と共有できる時間は格段に増えるだろう。それこそ、いままで疎遠になってしまった時間を埋めて余りあるほどに。罪滅ぼし、というわけじゃないけれど、この依頼を引き受けることが、ケイトはなんとなく正しいことのような気がしてきていた。
結希の顔を見る。祈るような視線と、視線がぶつかった。
「………僕で、よければ」
脳裏に浮かぶ、ついさきほどまでの智世との会話。自分が無意識のうちに、結希に淋しい想いをさせていたことを反省したばかりじゃないかと、もうひとりの自分が頭の片隅で騒ぎ立てていた。
ゆにばーさるでウェイターとして働ければ、結希と共有できる時間は格段に増えるだろう。それこそ、いままで疎遠になってしまった時間を埋めて余りあるほどに。罪滅ぼし、というわけじゃないけれど、この依頼を引き受けることが、ケイトはなんとなく正しいことのような気がしてきていた。
結希の顔を見る。祈るような視線と、視線がぶつかった。
「………僕で、よければ」
ぱあっ、と花が咲いたように笑う結希を見て―――
ケイトは、自分の選んだ選択肢が完全無欠の大正解だったことを確信した。
ケイトは、自分の選んだ選択肢が完全無欠の大正解だったことを確信した。
こうして―――喫茶ゆにばーさるに新しい仲間が増えることとなったのだ。
このことが、UGNアキハバラ支部を襲う騒動の発端となることを、いまはまだ誰も知らない―――