柊蓮司攻略作戦・エリスの場合 第03話
嘘から出た真。
いや、言葉の中身にも、その想いにも嘘などないのだが、結果的にはそうなってしまったと言わざるを得ない状況に陥ってしまった少女がひとりいる。
少女の名前は志宝エリス。
なんの考えもなしに柊蓮司宅へと押しかけてしまい、なんの用事があるわけでもないのに柊に会いに来てしまった、恋する少女である。
ただ会いたくなってしまって。ただ顔を見たくてしょうがなくなってしまって。ただ声を聞きたくなってしまって。本当にただそれだけで。
恋する少女特有の行動力でやってきた柊のマンションで、こともあろうに「なんの用事で来たんだ?」などという、あまりに乙女心を解さぬ台詞を吐いた当の朴念仁に、
「先輩のちょっと遅い卒業祝いにお料理を作りに来ました」
と、口からでまかせの思い付きを口にしてしまったエリス。いや、口からでまかせ、と言うと語弊があるかもしれない。
エリスが柊のためになにかしたいと思う気持ちはいつでも本当だし、それが自分の得意分野である料理ならばなおさら、振るう腕にも力が入るというものだ。
「ただ会いたくて」
そんな台詞を正直に言うには少女の性格は控え目すぎた。そして強い恥じらいを吹き飛ばす勇気もちょっと足りなかった。だから、ついつい言ってしまったのだ。
先輩の卒業祝いにお料理を作りに来ました、と。
そして、結果的には彼女の言ったとおり、ほのかに好意を抱く先輩に料理を振舞うことになってしまったのだから、これは明らかに嘘から出た真。
いや、半分の嘘と半分の本当から出た真。
そして、それをひどく喜んだ先輩が、買出しに行くなら一緒に行こうぜ、と言ってくれて。
「荷物持ちぐらいやらせてくれよ。女の子にばかりやらせるわけにいかねーからさ」
と、持ち前の天然フェミニズムを発揮して買い物に同行してくれるということで、エリスのテンションはいやがおうにも高まっていた。
一緒に晩御飯の買い物に行くということ。
これはもはや、デートなのではないだろうか!?
そして晩御飯の食材を連れ立って買いに行くということは、デートを通り越してまるで新婚さんみたいなのではないだろうか!?
そこまで思考が飛躍した瞬間、エリスは瞬く間に瞬間湯沸かし器のように顔から湯気を噴き出し、慌ててそんな恥ずかしい想像を頭の中から追い出した。
そんな様子のエリスを生温かい視線で見つめていた京子が、なにかに思い至ったように自分のポケットをなにやらまさぐり始める。
札入れから一枚の紙幣を抜き出すと、それを弟の手に握らせた。
「なんだよ姉貴………って、おおっ!?」
柊が驚いたのも無理からぬこと。
京子が手渡した紙幣には、『天は人の上に人を作らず』という御言葉を遺したあのお方のご尊顔が、燦然と光り輝いていたのである。
「あー………いまさらだけど、あたしからもまあ、蓮司の卒業祝いってことで」
「い、いいのか」
「うん。それで、このお祝いは………」
紙幣を握ったままの柊の手をぐわっと掴み、そのままエリスに持っていく京子。
「はい、エリスちゃん」
「え?」
「せっかくうちの愚弟のためにお料理してくれるんだから、姉の私にもこれくらいさせてよ」
つまりは、このお金で食材を用意するといいよと、そう言っているのである。
「そ、そんな、悪いですよ」
恐縮して両手をパタパタと振り、遠慮するエリス。
勝手に押しかけて、勝手に料理を作ると言っているのは自分なのだ。食材費まで出してもらっては、あまりにも図々しすぎるではないか。
「わーるくないって。ほら、蓮司に卒業祝いしてなかったのは事実なんだし。でも、私じゃ気の利いたお祝いなんて出来ないし。だから、エリスちゃんのお祝いと連名させて欲しいのよ」
そう言って、ウィンクしてみせる京子。その言葉と仕草に、エリスの胸の中がなんともいえず温かな気持ちで満たされていく。
エリスに気を使って、変な口実を作ってまでお金を渡す不器用な気遣いは、やっぱり姉と弟。よく似ている。
それでいて、弟の蓮司のために「どうせ祝ってもらうならたくさん祝ってもらっちゃいな」という気持ちで奮発しているのも事実なのであろう。
さすが柊先輩のお姉さんだな。やっぱり、私、京子さんのこと好きだな。エリスはそう思う。
「ありがとうございます。それじゃ、私と京子さんで、先輩のお祝いしましょうね」
笑顔でお金を受け取り、エリスが微笑んだ。
「おおっ、これだけあったらどんだけ食えるんだー!?」
可憐な後輩と不器用な弟思いの姉の心中が、本当にわかっていないのはこの男。
やっぱり、柊蓮司なのである。
「さっそく買いだし行こうぜ、エリス!」
柊の顔には満面の笑み。お正月とクリスマスと誕生日を一度に迎えた小学生のような笑顔であった。さっさと一人立ち上がるとエリスの手を取り、ぐいっと引っ張る。
「きゃっ!?」
不意に手を握られて、エリスの心臓が高鳴った。大きな手。自分の手など丸ごと全部包み込んでしまうほど、大きくて力強い手。力強いだけじゃない。とっても、温かい手。
手に手を取って、二人の若い男女が歩く。
それはやっぱり。間違いなく。私たちがそうだとは言わないけれど。
これはもしや、傍から見たら恋人同士に見られるのではないだろうか!?
今日のエリスは、想像力がひどく豊かであった。
柊家にお邪魔しているという事実、姉の京子と仲良くなることが出来たこと、そして柊と仲良くお買い物。
こんな夢のようなイベントが次々と成立しているという僥倖が、エリスに普段の平静さを失わせていることは間違いがないのである。
だからほんのちょっぴり。だから少しだけ。エリスは勇気を出してみようと思ってしまう。
(これくらい………いいよね?)
自分の手を掴む柊の手を、握り返してみる。
いままでは。いつもは引っ張られていただけだったエリスの手が。
いま、初めて柊の手を対等に握り締めた瞬間であった。
だけど、そんなエリスのなけなしの勇気にはどうしても気づけないのは柊蓮司の真骨頂。
京子に「ちょっくら行って来るわ」と左手を挙げると、エリスを振り回すようにしてマンションから飛び出して行ってしまう。
「きゃーっ!? ひ、柊先輩、走らないでくださいーっ!?」
叫ぶエリスの声が遠ざかり、続いて、どたん、ばたばた、と慌しい足音とドアの閉まる音。
瞬く間に静けさが喧騒に取って代わり、ひとり居間に残された京子は、おもむろに新しい煙草に火を点けた。
「ほんとに………気をつけなよね、蓮司」
いろいろな意味で心配をかける弟に、いまはもう届かない言葉をかける。
弟が、自分の知らないところでなにやら無茶をしていることには京子だって気づいている。
それはきっと、自らの身体を傷だらけにするような無茶であり、それはきっと誰もが音を上げてしまうような無茶なのだ。
柊はなにも言わないけれど、二十年近くも一緒にいる弟のことだ。京子が気づかないはずはない。
でも。どんなに無茶をやっても馬鹿をやっても。
絶対にそこから生還するだけのタフネスぶりを柊が持っていることも知っている。だから、京子はそんなことは心配していない。
あいつが命を落とすとしたら、まず女の子が原因だろうなあ。
京子は溜息と共にそんなことを思っていた。
「あんなイイ娘、泣かすんじゃないよ、蓮司」
イイ娘―――それがエリスのことか、それともくれはのことなのか。
言った本人ですらそれは判別しかねて、京子は憮然と煙草の火を消した―――。
いや、言葉の中身にも、その想いにも嘘などないのだが、結果的にはそうなってしまったと言わざるを得ない状況に陥ってしまった少女がひとりいる。
少女の名前は志宝エリス。
なんの考えもなしに柊蓮司宅へと押しかけてしまい、なんの用事があるわけでもないのに柊に会いに来てしまった、恋する少女である。
ただ会いたくなってしまって。ただ顔を見たくてしょうがなくなってしまって。ただ声を聞きたくなってしまって。本当にただそれだけで。
恋する少女特有の行動力でやってきた柊のマンションで、こともあろうに「なんの用事で来たんだ?」などという、あまりに乙女心を解さぬ台詞を吐いた当の朴念仁に、
「先輩のちょっと遅い卒業祝いにお料理を作りに来ました」
と、口からでまかせの思い付きを口にしてしまったエリス。いや、口からでまかせ、と言うと語弊があるかもしれない。
エリスが柊のためになにかしたいと思う気持ちはいつでも本当だし、それが自分の得意分野である料理ならばなおさら、振るう腕にも力が入るというものだ。
「ただ会いたくて」
そんな台詞を正直に言うには少女の性格は控え目すぎた。そして強い恥じらいを吹き飛ばす勇気もちょっと足りなかった。だから、ついつい言ってしまったのだ。
先輩の卒業祝いにお料理を作りに来ました、と。
そして、結果的には彼女の言ったとおり、ほのかに好意を抱く先輩に料理を振舞うことになってしまったのだから、これは明らかに嘘から出た真。
いや、半分の嘘と半分の本当から出た真。
そして、それをひどく喜んだ先輩が、買出しに行くなら一緒に行こうぜ、と言ってくれて。
「荷物持ちぐらいやらせてくれよ。女の子にばかりやらせるわけにいかねーからさ」
と、持ち前の天然フェミニズムを発揮して買い物に同行してくれるということで、エリスのテンションはいやがおうにも高まっていた。
一緒に晩御飯の買い物に行くということ。
これはもはや、デートなのではないだろうか!?
そして晩御飯の食材を連れ立って買いに行くということは、デートを通り越してまるで新婚さんみたいなのではないだろうか!?
そこまで思考が飛躍した瞬間、エリスは瞬く間に瞬間湯沸かし器のように顔から湯気を噴き出し、慌ててそんな恥ずかしい想像を頭の中から追い出した。
そんな様子のエリスを生温かい視線で見つめていた京子が、なにかに思い至ったように自分のポケットをなにやらまさぐり始める。
札入れから一枚の紙幣を抜き出すと、それを弟の手に握らせた。
「なんだよ姉貴………って、おおっ!?」
柊が驚いたのも無理からぬこと。
京子が手渡した紙幣には、『天は人の上に人を作らず』という御言葉を遺したあのお方のご尊顔が、燦然と光り輝いていたのである。
「あー………いまさらだけど、あたしからもまあ、蓮司の卒業祝いってことで」
「い、いいのか」
「うん。それで、このお祝いは………」
紙幣を握ったままの柊の手をぐわっと掴み、そのままエリスに持っていく京子。
「はい、エリスちゃん」
「え?」
「せっかくうちの愚弟のためにお料理してくれるんだから、姉の私にもこれくらいさせてよ」
つまりは、このお金で食材を用意するといいよと、そう言っているのである。
「そ、そんな、悪いですよ」
恐縮して両手をパタパタと振り、遠慮するエリス。
勝手に押しかけて、勝手に料理を作ると言っているのは自分なのだ。食材費まで出してもらっては、あまりにも図々しすぎるではないか。
「わーるくないって。ほら、蓮司に卒業祝いしてなかったのは事実なんだし。でも、私じゃ気の利いたお祝いなんて出来ないし。だから、エリスちゃんのお祝いと連名させて欲しいのよ」
そう言って、ウィンクしてみせる京子。その言葉と仕草に、エリスの胸の中がなんともいえず温かな気持ちで満たされていく。
エリスに気を使って、変な口実を作ってまでお金を渡す不器用な気遣いは、やっぱり姉と弟。よく似ている。
それでいて、弟の蓮司のために「どうせ祝ってもらうならたくさん祝ってもらっちゃいな」という気持ちで奮発しているのも事実なのであろう。
さすが柊先輩のお姉さんだな。やっぱり、私、京子さんのこと好きだな。エリスはそう思う。
「ありがとうございます。それじゃ、私と京子さんで、先輩のお祝いしましょうね」
笑顔でお金を受け取り、エリスが微笑んだ。
「おおっ、これだけあったらどんだけ食えるんだー!?」
可憐な後輩と不器用な弟思いの姉の心中が、本当にわかっていないのはこの男。
やっぱり、柊蓮司なのである。
「さっそく買いだし行こうぜ、エリス!」
柊の顔には満面の笑み。お正月とクリスマスと誕生日を一度に迎えた小学生のような笑顔であった。さっさと一人立ち上がるとエリスの手を取り、ぐいっと引っ張る。
「きゃっ!?」
不意に手を握られて、エリスの心臓が高鳴った。大きな手。自分の手など丸ごと全部包み込んでしまうほど、大きくて力強い手。力強いだけじゃない。とっても、温かい手。
手に手を取って、二人の若い男女が歩く。
それはやっぱり。間違いなく。私たちがそうだとは言わないけれど。
これはもしや、傍から見たら恋人同士に見られるのではないだろうか!?
今日のエリスは、想像力がひどく豊かであった。
柊家にお邪魔しているという事実、姉の京子と仲良くなることが出来たこと、そして柊と仲良くお買い物。
こんな夢のようなイベントが次々と成立しているという僥倖が、エリスに普段の平静さを失わせていることは間違いがないのである。
だからほんのちょっぴり。だから少しだけ。エリスは勇気を出してみようと思ってしまう。
(これくらい………いいよね?)
自分の手を掴む柊の手を、握り返してみる。
いままでは。いつもは引っ張られていただけだったエリスの手が。
いま、初めて柊の手を対等に握り締めた瞬間であった。
だけど、そんなエリスのなけなしの勇気にはどうしても気づけないのは柊蓮司の真骨頂。
京子に「ちょっくら行って来るわ」と左手を挙げると、エリスを振り回すようにしてマンションから飛び出して行ってしまう。
「きゃーっ!? ひ、柊先輩、走らないでくださいーっ!?」
叫ぶエリスの声が遠ざかり、続いて、どたん、ばたばた、と慌しい足音とドアの閉まる音。
瞬く間に静けさが喧騒に取って代わり、ひとり居間に残された京子は、おもむろに新しい煙草に火を点けた。
「ほんとに………気をつけなよね、蓮司」
いろいろな意味で心配をかける弟に、いまはもう届かない言葉をかける。
弟が、自分の知らないところでなにやら無茶をしていることには京子だって気づいている。
それはきっと、自らの身体を傷だらけにするような無茶であり、それはきっと誰もが音を上げてしまうような無茶なのだ。
柊はなにも言わないけれど、二十年近くも一緒にいる弟のことだ。京子が気づかないはずはない。
でも。どんなに無茶をやっても馬鹿をやっても。
絶対にそこから生還するだけのタフネスぶりを柊が持っていることも知っている。だから、京子はそんなことは心配していない。
あいつが命を落とすとしたら、まず女の子が原因だろうなあ。
京子は溜息と共にそんなことを思っていた。
「あんなイイ娘、泣かすんじゃないよ、蓮司」
イイ娘―――それがエリスのことか、それともくれはのことなのか。
言った本人ですらそれは判別しかねて、京子は憮然と煙草の火を消した―――。
※
秋葉原の街を歩く。見慣れた電気街に少し寄り道しながらそぞろ歩く。
二人揃ってパソコンとか電子機器のことはさっぱりわからないので、本当に冷やかし程度のウィンドゥショッピングだ。
それでも楽しい。こうやって柊先輩と二人で寄り添って歩きながら、他愛もないお喋りをすることがすごく楽しい。
笑って、驚いて、感心して、そしてたまにちょっぴり拗ねて。くるくると感情豊かに変わるエリスの表情が、とても輝いている。
エリスは気づいているだろうか。その愛らしさ、可愛らしさがいつも以上に人目を引き、いつも以上の魅力に満ちていることに。
二人とすれ違う道行く男性たちが、例外なく、輝明学園の制服を着た小柄な少女を振り返る。それほどエリスの魅力は街中でも際立っている。
恋をすると女は美しくなる、と言うけれど。まさにいまのエリスがその言葉の証明であった。
「それじゃ、時間も時間ですし、買い物行きましょうか?」
街の中を一時間ほどぶらぶらと歩いた頃、電気屋の店頭で新作ゲームのプロモ画面を眺めていた柊を見上げ、エリスが声をかけた。
「え、もうか? まだ三時過ぎだけど早くないか?」
「ええ。だけど、今回は食材選びにも調理にもいつもより時間をかけたくて………せっかく、柊先輩にごちそうするんですから」
そう言いつつ、ほんのりと頬を桜色に染めるエリス。普段の彼女よりも、言いたいこと、本音の部分、柊に対する想いが自然と口をついて出る自分に、少し驚く。
「リクエスト、聞いちゃいます。柊先輩が食べたいもの、仰ってください」
はにかみながら首を傾ける仕草がやっぱり愛らしい。普通ならば撃沈である。普通ならばフラグが立つ。普通ならばもう、本当に男であれば放っておかない。
しかし柊蓮司は。
「おう。俺のリクエストは特にないぞ」
エリスがへなへなになるような台詞を素で吐いた。
「え………でも、なんでもいいですよ? 食べたいものとか、好きなものとかありませんか?」
「いや、エリスが作りたいモンでいいぞ」
あっけらかんとそんなことを言ってのける柊である。せっかく意気込んで頑張ろうと思っているエリスに向かって、あんまりといえばあんまりな台詞であった。
「でも………」
柊先輩のために作るのだ。柊先輩が食べたいものが作りたいのだ。柊先輩が喜んでくれるものを作りたいのだ。そんなエリスの気持ちに、気づいてはくれないのだろうか。
「だからさ。せっかくエリスが俺のために作ってくれるんだろ? だったら、俺は自分の食べたいものを食べたいとは思わねえなあ」
え? 柊先輩、いまなんて言ったんですか?
『自分の食べたいものは食べたくない』ってどういう意味ですか?
柊の言葉の意味が本当にわからなくて、エリスは顔中にクエスチョンマークを貼り付けた。
「エリスが作る料理はどれも美味いのは知ってるけどさ。どうせなら一番美味い料理を食いたいんだよ、俺」
にこにこしながら柊が言う。
「たぶん、それは俺の好物のことを言うんじゃなくて―――」
エリスを見つめながら少し真面目な顔をして。
「エリスが俺に食べさせたい、食べてもらいたいって思う料理のことを言うんじゃねえかな、って思うんだよな、俺は」
柊の言葉の意味がようやくわかって。料理のことなんかなにもわかっていないはずの柊に、目を開かれた思いのエリスであった。
どんな高級食材でも、どんな名料理人でも適わない最上級のご馳走。それは、食べてもらう人のことを思って、食べる人にこんな料理を食べてもらいたいって思う、作り手の気持ちがこもった料理のこと。
卒業式の日、肉が食べたいと言っていた柊。だけど、それはただの彼の好物に過ぎない。
好物よりも美味しい料理があるとすれば。それはきっと柊の言うように、『こんな料理を食べてもらいたい。食べさせてあげたい』と思うエリスの気持ちが込められた料理であろう。
柊先輩ったら―――なんて難しい。でも、なんて嬉しいリクエストをしてくれるんだろう。
エリスはふふ、と笑いながら柊の期待に満ちた顔を見上げる。この期待は裏切れないなあ、とそう思う。
「じゃあ、柊先輩。私、今日は本気の本気でお買い物、しちゃいますよ?」
「おうっ、エリスの料理のためならいくらでも付き合うし、荷物持ちだってまかせとけ!」
ガッツポーズで答える柊に、エリスが微笑む。
二人揃ってパソコンとか電子機器のことはさっぱりわからないので、本当に冷やかし程度のウィンドゥショッピングだ。
それでも楽しい。こうやって柊先輩と二人で寄り添って歩きながら、他愛もないお喋りをすることがすごく楽しい。
笑って、驚いて、感心して、そしてたまにちょっぴり拗ねて。くるくると感情豊かに変わるエリスの表情が、とても輝いている。
エリスは気づいているだろうか。その愛らしさ、可愛らしさがいつも以上に人目を引き、いつも以上の魅力に満ちていることに。
二人とすれ違う道行く男性たちが、例外なく、輝明学園の制服を着た小柄な少女を振り返る。それほどエリスの魅力は街中でも際立っている。
恋をすると女は美しくなる、と言うけれど。まさにいまのエリスがその言葉の証明であった。
「それじゃ、時間も時間ですし、買い物行きましょうか?」
街の中を一時間ほどぶらぶらと歩いた頃、電気屋の店頭で新作ゲームのプロモ画面を眺めていた柊を見上げ、エリスが声をかけた。
「え、もうか? まだ三時過ぎだけど早くないか?」
「ええ。だけど、今回は食材選びにも調理にもいつもより時間をかけたくて………せっかく、柊先輩にごちそうするんですから」
そう言いつつ、ほんのりと頬を桜色に染めるエリス。普段の彼女よりも、言いたいこと、本音の部分、柊に対する想いが自然と口をついて出る自分に、少し驚く。
「リクエスト、聞いちゃいます。柊先輩が食べたいもの、仰ってください」
はにかみながら首を傾ける仕草がやっぱり愛らしい。普通ならば撃沈である。普通ならばフラグが立つ。普通ならばもう、本当に男であれば放っておかない。
しかし柊蓮司は。
「おう。俺のリクエストは特にないぞ」
エリスがへなへなになるような台詞を素で吐いた。
「え………でも、なんでもいいですよ? 食べたいものとか、好きなものとかありませんか?」
「いや、エリスが作りたいモンでいいぞ」
あっけらかんとそんなことを言ってのける柊である。せっかく意気込んで頑張ろうと思っているエリスに向かって、あんまりといえばあんまりな台詞であった。
「でも………」
柊先輩のために作るのだ。柊先輩が食べたいものが作りたいのだ。柊先輩が喜んでくれるものを作りたいのだ。そんなエリスの気持ちに、気づいてはくれないのだろうか。
「だからさ。せっかくエリスが俺のために作ってくれるんだろ? だったら、俺は自分の食べたいものを食べたいとは思わねえなあ」
え? 柊先輩、いまなんて言ったんですか?
『自分の食べたいものは食べたくない』ってどういう意味ですか?
柊の言葉の意味が本当にわからなくて、エリスは顔中にクエスチョンマークを貼り付けた。
「エリスが作る料理はどれも美味いのは知ってるけどさ。どうせなら一番美味い料理を食いたいんだよ、俺」
にこにこしながら柊が言う。
「たぶん、それは俺の好物のことを言うんじゃなくて―――」
エリスを見つめながら少し真面目な顔をして。
「エリスが俺に食べさせたい、食べてもらいたいって思う料理のことを言うんじゃねえかな、って思うんだよな、俺は」
柊の言葉の意味がようやくわかって。料理のことなんかなにもわかっていないはずの柊に、目を開かれた思いのエリスであった。
どんな高級食材でも、どんな名料理人でも適わない最上級のご馳走。それは、食べてもらう人のことを思って、食べる人にこんな料理を食べてもらいたいって思う、作り手の気持ちがこもった料理のこと。
卒業式の日、肉が食べたいと言っていた柊。だけど、それはただの彼の好物に過ぎない。
好物よりも美味しい料理があるとすれば。それはきっと柊の言うように、『こんな料理を食べてもらいたい。食べさせてあげたい』と思うエリスの気持ちが込められた料理であろう。
柊先輩ったら―――なんて難しい。でも、なんて嬉しいリクエストをしてくれるんだろう。
エリスはふふ、と笑いながら柊の期待に満ちた顔を見上げる。この期待は裏切れないなあ、とそう思う。
「じゃあ、柊先輩。私、今日は本気の本気でお買い物、しちゃいますよ?」
「おうっ、エリスの料理のためならいくらでも付き合うし、荷物持ちだってまかせとけ!」
ガッツポーズで答える柊に、エリスが微笑む。
(柊先輩? 女の子のお買い物に付き合うのはちょっと男の人には大変かもしれませんよ?)
少し悪戯っぽく、内心でそんな言葉を思い浮かべるエリス。
志宝エリスの本気の本気、見せちゃいますからね。
最高のお祝い、しちゃいます。
志宝エリスの本気の本気、見せちゃいますからね。
最高のお祝い、しちゃいます。
料理は愛情。愛情こそが最高の調味料。そんな使い古された言葉を、エリスは信じている。
そして―――
そして―――
その“調味料”には自信もあるし、たくさんたくさん、私、持ってます―――
ちょっと強気に、ちょっと気恥ずかしさを覚えながら。
柊蓮司攻略の第二のゴングを―――今度は自分自身の手で鳴らすエリスであった―――
柊蓮司攻略の第二のゴングを―――今度は自分自身の手で鳴らすエリスであった―――
(続く)