卓上ゲーム板作品スレ 保管庫

第02話

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takugess

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灯~Speak The Word ~ 第02話





 普段から分刻みでの行動が身についた灯にしては珍しく、今朝の身支度を始めるまでには随分と余計な手間がかかってしまった。
 それは起き抜けに、ベッドの上から無為に眺めていた屑篭の中身 ――― そんなものにいつまでも気を取られていた所為である。
 書きかけとも呼べぬ手紙のできそこない。
 ほとんど白紙のまま、インクで汚してしまった便箋たち。
 紅い瞳を虚ろに泳がせたままでいると、気がつけば、登校のためにマンションの玄関をくぐる時間まで、あと十分を切っていた。
 ぎしり、と大きな音を立てて灯がベッドから這いずり出す。その音に目を覚ました枕元のどんぺりが、驚いたように上半身を起こし、無粋な起床をうながした主に非難の視線を向けていた。
「どんぺり………ごめんなさい」
 どこか茫洋とした声で呟いて、灯はパジャマのボタンを素早く外していく。視線を移せば、室内の壁にかけられたハンガーには、アイロンのしっかりとかかった輝明学園のブレザーが見えた。
 歩きながら、灯は躊躇なく上着を、パジャマのズボンを脱いでいく。
 壁際まで到達するころには、灯の歩いた跡に点々と、彼女の寝巻きが脱ぎ捨てられていた。
 少々お行儀は悪いが、時間に間に合わせるために、これは仕方のないことであったかもしれない。
 手早く制服を身に纏うと、振り返り、その足で冷蔵庫まで歩いていく灯。
 栄養補給だけを目的とした、ドリンクタイプの栄養食品の缶をそこから取り出すと、灯は卓上時計のデジタル表示に目をやった。
 小気味良い、カキンという音を鳴らしてプルタブを引くと、その中身を一息に飲み干す。
 学園生活という平穏な日常にあっては、昼食までの時間であれば、活動に支障ない程度の栄養分がこれで摂れるのだ。空腹感など抑えが利くし、またいくらでも誤魔化すことができるはずだった。
 キッチンに、飲み終えた空き缶を置く。質素な机の上には、あらかじめ前の晩のうちに用意しておいた学生鞄が置かれていた。灯は身をかがめ、鞄を手に取ってもう一度時間を確認する。

 残り時間、あと二分。
 どうやら急ぎすぎて、予定の時間よりも早く準備が出来てしまったらしい。
 数秒の黙考の後、灯はきびすを返して玄関口へと向かった。
 たかが二分で出来ることなどたかが知れている ――― そう考えたのかもしれない。
 靴を履き、マンションの鍵をポケットから取り出し、出発の準備がすべて整うと、すでに灯の表情にさっきまでの憂いは欠片も残ってはいない ――― いや、いないかのように見えた。
 ただ一度だけ、住人の姿を無くして空虚さを増した室内を振り返り。
「じゃあ………行ってくるね、どんぺり」
 抑揚のない、あのいつもの声で出立を告げた。
 金属音を鳴らしてマンションの扉が開閉されると、冷たい鉄の向こう側で規則正しい靴音が響き、すぐに遠ざかっていく。
 もう見えなくなったはずの主の姿を、どんぺりがいつまでも見送っていた。




 普段と変わらぬ表情で、普段と変わらぬ受け答えをし、そして普段と変わらぬ挙動を保っていたと、そう思いこんでいた。
 今朝のこれも、普段と変わらぬ朝の登校風景の一幕だと、これっぽっちも気に止めていなかった。
 しかし、実はそう思っていたのが自分だけだったということに、灯はすぐに気づかされることとなる。
 灯にその自覚があったわけではない。また、努めて自分の気持ちを隠そうなどとしていたわけでもない。それでも彼女の心にほんのわずかでも生じたさざ波を、鋭く見抜いていたものがいたのである。
「………なんだか元気ないみたい。どうかした? 灯ちゃん」
 そこに、気遣わしげに自分を見上げる少女がいた。
 海と空の色をしたカチューシャに、大きな青いリボンが揺れている。同年代の少女たちの中でもすらりと背の高い灯と並んで歩くと、彼女のただでさえ小柄な身体がより小さく見えた。
 志宝エリス。
 かつての宝玉戦争の呪縛から解き放たれた彼女は、いまでは灯の同級生として輝明学園に通う三年生である。
 灯が任務で学園に通えない朝はともかくとして、いつの頃からかエリスも灯に時間を合わせて登校するようになっていた。

 無表情、無愛想、無口の三拍子揃った灯だが、不思議となぜか学園で孤立することはなく、意外に言葉を交わす相手は少なくない。いや、それどころか友達と呼べるものも少なからずいる。
 その友人たちの中でも、特に親密な友人同士と呼べるのが彼女、志宝エリスなのである。
 それはやはり、“あの戦い”を経たおかげでもあったのだろう。
 共に戦い、あるときは袂を分かち、そしてまたふたたび強い絆で結ばれた親友として、いまや灯が特に気をかける仲間の一人なのだった。
「………どうして………?」
 言葉少なに、灯が疑問を投げかける。
 それは、なぜエリスが自分に元気がないと思ったのか、という意味の問いであろう。
 かすかに ――― ほんのかすかにではあるが、実は灯は動揺していた。
 心のぶれを極力少なく保ち、平静に努めることは戦士としての必須条件である。絶滅社における訓練でも、実戦の中でエミュレイターと戦うときでも、灯は常に模範的な『戦士』であった。
 それが、今朝の他愛もない憂慮 ――― たかだか手紙が上手く書けなかったというくらいのつまらないことに因る ――― に、わずかながらであっても煩悶しているということ。
 また、それをあっさりとエリスに見抜かれてしまったということ。
 それは取りも直さず、自分の動揺が灯の感じている以上に大きいということであり。
 またそれを、エリス相手にですら隠しきれていないということでもある。
 それが、自分の『戦士』としての沽券にひどく関わることのような気がして。
「………………」
 灯は、形のよい眉をかすかにひそめ、無言の姿勢を崩さなかった。
 ところがエリスは、灯の内心にはあえて触れることなく、
「わかるよ。だって灯ちゃんのことだもん」
 そう言って淡い笑みを浮かべるのであった。
 しばらく無言でいた灯が、エリスの微笑みにぶつかってようやく愁眉を開く。
 自分の心の内を見透かされたことを気に病んでいたはずなのに、いまは不思議と、その表情に穏やかなものが漂い始めていた。

 心の揺れを恥じる気持ちよりも。
 そのことを気づかれた気まずさよりも。

 二人の少女が交わした、たった二、三の会話には大切なものが秘められている。
 言葉数も少なく、表情の変化にも乏しい。そんな自分の心情を、たったこれだけの会話の中で感じ取ってくれる友がいるということ。
 それは決して恥ずべきことではない。
 むしろ喜び、そして誇るべきことであったからである。
「………うん」
 空から射す朝の陽光が、かすかに赤らんだ灯の頬の色を上手く隠してくれた。
 しばし無言で歩く二人。その間もずっと、気遣うようにエリスは灯を見上げながら歩いている。
 決して言葉を急かすでもなく、彼女のことをただじっと待ちながら、エリスは灯の唇が言葉を紡ぎ出すのを待っているようだった。
 アスファルトを踏む自分の足元を見つめながら、灯はじっと黙りこくっている。
 しかし、その逡巡の時間はそう長くは続かなかった。不意に顔を上げ、エリスのほうを振り向くと、今朝から溜まっていたもやもやしたものを、灯はぶつけてみようと思い立ったようだった。
「てが ――― 」
 話し始めた灯の唇が、たった二文字の言葉を吐いただけで固まった。
 手紙、と言おうとして、はたとなにかに思い当たったように口をつぐむ。
「手が? 手がどうかした? もしかして、手が痛いの? 怪我とか、してるの?」
「いや………そうじゃなくて………」
 赤の他人の多少の誤解など気にも止めない灯だが、相手がエリスとなれば話は別である。
 変に話をこじらせて心配をかけたままでいるのは、さすがに心苦しいような気がするのだ。
 灯が口をつぐんでしまったのは、エリスに手紙の書き方を尋ねることを躊躇ったからである。
 明敏な灯は、すぐさま『手紙』というものが、エリスにとって決して良い想い出とは言えないことに気がついたのだ。
 一時期のエリスが、まるで日課のように書いていた手紙。
 それは、身寄りのなかった彼女の、心の拠り所となる相手へと捧げられたものであった。
 だがいまは、エリスが手紙を書き続けていた相手はもういない。
 彼女の夢見た親愛なる“足長おじさん”は、文字通り夢のように、儚く消えてしまっていたのだから。

「………」
 灯の沈黙は続く。こんなことは余計な気遣いかもしれない。エリスに手紙の書き方を教えて欲しいと言えば、彼女は屈託なく笑って、灯に優しく手ほどきしてくれるであろう。
 しかし、これがエリスにとって辛い頼みごとになるかもしれないと気づいてしまった以上、灯にはそれを訊くことが憚られてしまったのだった。
「………灯ちゃん?」
「自分で………なんとかしてみる」
 灯には、それしか言うことができなかった。
 ほんの少しだけ、エリスは泣き笑いのような顔をした後で、
「そっか。うん、頑張ってね、灯ちゃん」
 なにを頑張るのかは分からないが、分からないなりに、灯を励ます言葉をかけてくれた。
「………うん」
 エリスからそっと視線をそらす。本当のことを話せなかったことが、やはりエリスにとっては残念なことなのだ、ということに改めて気づかされて、なんとなく気まずく思う。。
 そのとき、灯の心中をひとつの決意がよぎる。

 書こう。ちゃんと手紙を書こう。

 エリスを心配させ、悲しい顔をさせてしまったことが、不思議と灯の強い決意へと変わる。
 手紙を書くことで、エリスになにを報いることが出来るわけでもないのだが、なぜか灯はそうすることが妥当だと ――― いや、そうしなければいけないような気になっていた。
 この話題はそれっきりでお開きとなり、他愛もないお喋りが輝明学園までの道すがら、しばらくの間続く。エリスの朗らかな声に曖昧に相槌を打ちながら、灯は放課後を待とう、とそう思った。
(便箋、買い足しておかないと ――― )

 彼女が用意しておいた便箋一式は ――― 昨晩のうちにすべて屑篭行きとなっていたのであった。




『命へ。
 先日あったことを話す。▲月×日午前。絶滅社からの連絡で学校を早退。
 指定ポイントにて月匣の展開を確認。
 下級侵魔二体と交戦後、此れを撃退 ―――― 』

 ぐしゃり。
 わずか百文字にも辿り着くことなく、灯が便箋を握りつぶす乾いた音が室内に響く。
 放課後、意気揚々と(傍目にそうは見えなかったが)コンビニで便箋を一揃え購入し直し、自宅マンションへと帰宅した灯が、命への手紙を書くことを再開したのである。

『話すことをすぐに見つけるのは大変だろうから、今日こんなことがあったよ、とかこんなことを思ったんだよ、とか、そういうことを手紙のようにして書いて御覧なさい』
『そしてそれを、命クンの前で読んであげたらいいんじゃないかしら』

 絶滅社の研究施設で出会った女性スタッフの言うとおり。
 助言通りのことを試してみた灯であったのだが ―――
(………なにか………これはなにかが、違う ――― )
 低く呟くその口調はどこか呆然としているようだった。
 いや、むしろ『途方に暮れていた』という表現が正しかったかもしれない。
 買い足したばかりの便箋の枚数が、途端に心許ないもののように思えてきて ―――

 ――― 灯は、そっと溜息をついた。



(続く)

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