卓上ゲーム板作品スレ 保管庫

第03話

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灯~Speak The Word ~ 第03話





 日常の他愛もないことや、ふとした想いを紙の上に綴ることの、なんと困難なことか。

 ここ数日の灯の奮闘は、マンションの屑篭に溜まっていく丸めた便箋と、無駄にした便箋を買い足すために、足繁くコンビニへと通う回数が、なによりも雄弁に物語っていた。
 書いては紙を丸め、紙を丸めてはまた万年筆を手に取って。
 だけど、その気持ちを伝えたい相手の名前をただ書き綴っただけで、それ以上なにも書けなくなってしまう。
 いや、書けないわけではないのだが、どうにもこれは自分が伝えたいこととは違う、ということばかりを書いてしまい、溜息の回数だけが日増しに増えていくのだ。
 その日にあった出来事や命に伝えたいこと。
 それは、エミュレイターとの交戦回数や任務の内容、はたまた任務における自分の戦術の反省などでは、断じてなかった。第一、これではまるで報告書ではないか ――― 灯はそう思う。
 まるまる、書き上げた手紙を無駄にするのも勿体無いので、せっかくだから無粋な文章ばかりを連ねた便箋は、有効活用させてもらうことにした。
 結果として、「普段よりも報告書の提出が早くなったな」と絶滅社の上司に褒められたが、別段嬉しくもなんともないし、それについて、灯にはなんの感慨も沸かなかった。
 結局、無為な日々がただ過ぎていく。
 次の定期調整までに書き上げようと思っていた手紙は、ついに書き終えることができず、それどころか、書き始めることすらもできずに、灯は今日という日を迎えてしまった。
 繰り返される日常の中で、意識レベルにまで刷り込まれたもうひとつの日常。
 絶滅社の息のかかった病院の別棟で、生温い溶液に身を浸すあの時間。
 すべての検査をいつも通りに滞りなく済ませ、手早く制服へと着替えた灯は、また命の病室へと向かう。研究棟から一般病棟へと足を運ぶ灯の足取りは、普段よりもやや重い。
 たとえ眠ったままの姿とはいえ、命には会いたい。だけど、また病室の外から彼の寝顔を見つめることだけしかできないのは ――― 気の利いた言葉一つかけてあげられないのは、やはり辛かった。
 受付へと向かう途中、自分の元へと駆け寄ってくる軽やかな駆け足の音に、灯が気づくのが遅れたのは、そんな憂悶を心に抱えていたせいかもしれない。

「灯さーん!」
 足音の主が、やたらと陽気な声で自分に呼びかける。
 そのとき初めて、灯は彼女の存在に気づいたようだった。
「マユリ、久しぶり………」
 肩の辺りで切り揃えられたおかっぱ髪。かつてともに戦ったときからまんまるでふくよかだった幼い少女の顔立ちは、宝玉戦争で再会したときも、そして今でも変わらず愛くるしい。
 大きく、くりくりとした瞳に、トレードマークの大きなトンボ眼鏡。立ち止まり、呼吸を整えると胸に手を当てながら灯を見上げ、にこりと微笑む。
「どうして、ここに………」
「お見舞いです。命さんの」
 人懐っこい笑顔が灯を気遣うようにわずかに曇り、
「………命さんの容態は、どうですか………?」
 おずおずと、そう尋ねた。
「相変わらず眠ったまま………」
 答える声に動揺や憂いを込めないように努めたつもりであったが、マユリは敏感に灯の声音からなにかを感じ取ったのであろう。
「そうですか………」
 と、そう言ったきり、重たい沈黙が二人を包み込んでしまったのである。
「 ――― でもでもっ」
 ちんちくりんの魔法使いが爪先立ちになって、灯へ顔をぐいっ、と近づけながら明るく笑う。
 余った袖からわずかに見えるちんまりとした両手をぶんぶんと振り回しながら、まるで灯を元気づけるように、
「目を覚まして! 元通りに、元気に、灯さんと一緒に暮らせますっ! きっと、きっと!」
 そう声を張り上げるのであった。
 それは、なんの根拠もない、気休めのような励ましである。
 でも、マユリが心の底からそれを信じ、そう願っていることは疑うべくもない。
 だから灯も、それに素直な気持ちで頷くことができた。
「ありがとう、マユリ………」
 てらいも躊躇もなく、口をついて出たのは感謝の言葉である。
 はにかんだように笑うマユリに促されるようにして、灯は命の病室へと急ぐ。

 目をつぶっても、もう命の病室へどう行けばいいのか分かるほど、何度も歩いた建物の中。
 目にするだけで、胸のどこかがちくりと痛む、『真行寺 命様』と黒いマジックで書かれた病室の扉のネームプレートが視界に入る。
 名札の文字をじっと見つめ続ける灯の替わりに、マユリがそっと病室の扉をノックした。
 控え目に、ガチャリ、という音を立てて扉を開け、
「灯さん」
 灯に入室を促した。
 そこで初めてハッとなる。
 らしくもない。ついつい、呆けて立ち尽くしてしまっていたようである。
 灯が一歩、足を踏み入れるのを確認すると、そこでようやく、
「お邪魔しまーす」
 マユリがのんびりとそう言った。
 だが。その声は、灯の耳には届いていない。
 それは灯の赤い瞳に、目を疑うような光景が飛び込んできたからだった。
 白いベッドの上にいつも横臥していた少年の姿が ――― ない。
 しわくちゃのベッド、跳ね除けられたシーツ。深い眠りにあったはずの病室の主が、そこにはいなかった。
「………え?」
 横でマユリが間抜けな声をあげたのにも気がつかない。いまの灯は、まるで五感のうち視覚しか機能していないかのように、眼前の光景だけに心を奪われている。
 ベッドサイドに。こちらへ背中を向けて佇む少年の姿。
それは、いつも灯が憂いとともに見つめていた、この病室の主の背中である。
たとえ背を向けていたとしても、灯が彼を見間違えるはずもなく。
 そして、それはかつてともに世界を救うために戦ったマユリにとっても、すぐさま気がつく彼の背中であるはずだった。その証拠に、顔一杯の笑顔を浮かべて、
「灯さん、命さんが起きましたよ!」
 マユリがそう言ったのは、彼が振り返るよりも先のことである。

 そう。真行寺命が、自らの二本の脚でそこには立っていた。

 完全に予定外、予想外の事態に出くわして、灯は呆然と立ち尽くす。
 冷静沈着であるはずの強化人間の少女は、あまりの驚きと ――― あまりの喜びのため、その場に硬直してしまったのである。
 二人の入室に気がついたのであろう。命がゆっくりと身体をこちらへ向けた。

(みこ、と)
 唇を震わせて声にならない声で呼びかける。かすかな、あまりにもかすかな呼びかけは、きっと真横にいるマユリにも、聞こえなかったに違いない。
 どんな顔をして会話をしたらいいのか。どうやって命の側まで行けばいいのか。
 そんなことも分からぬまま、溢れ出してしまいそうになる想いが心の中で渦を巻く。
 そして、命が灯を振り向いた、次の瞬間。

 灼熱が、灯の腹部を焼き尽くした。

 虚空に迸る光の帯。
 それは、きびすを返した命の、突き出された右手から伸びていた。
 腹部に感じた熱の正体が、その光の先端に自らが刺し貫かれたせいである、と気づくと同時に、灯は吐血した。
 背後で、尻餅をついてへたり込むマユリの、息を呑む音がようやく耳に届く。
 ああ。そうか。あの光から、自分はマユリを護ろうとしたのだ。
 初めて、灯はそのことに気がついた。
 意識を取り戻した命に駆け寄ることは出来なかったのに、マユリの危機に身体が無意識に動いたのが、むしろ不思議な感じがした。
 命の顔を邪悪に歪めながら、命じゃないモノがほくそ笑んでいる。
 腹部から背中までを一気に突き抜けた激痛に、初めて灯の五感が回復した。
 自らの流す血の匂い。自分の名前を悲痛な声で叫ぶマユリの声。

 だけど遠のく。遠のいていく。意識が、生温かい血液と一緒に零れ落ちていく。

 後から考えてみれば。
 このときの灯は、不測すぎる事態とあまりの痛みで、意識が混乱していたのに違いない。
 なぜなら、このときの彼女はなによりも、
(目覚めた………よか、った………)
 自分の身よりも、命の変貌よりも、ただ彼が目覚めてくれたことへの喜びだけを、感じていたというのだから ―――




 それからしばらくの日が経って。
 灯は、いまや見慣れたはずの病室を、普段と違う視点で見上げていた。
 真っ白な天井が視界一杯に広がる。
 天井を見上げているということはつまり、灯も病室の主となったということだ。
 突如覚醒した命に『ヒルコ』で貫かれ、昏睡状態にあった灯。
 絶滅社特製の調整槽の中での治療が続けられ、二、三日は危険な状態にあった灯だが、すべての“異変”が終結を迎えると、一般病棟に移ることが出来るまでに回復した。
 灯の意識が戻り、最初に彼女を見舞ってくれたのはマユリと、いまやアンゼロット直々の指名を受け、世界の守護者代行として重責を負うようになった赤羽くれはの二人であった。
 会話が出来るようになってから最初に教えてもらったのは、命の変貌の理由である。
 冥魔と手を結んで甦った魔王アスモデートの陰謀、ラビリンスシティにおける激闘、そして彼らの勝利。
 自分が眠っている間に新たな世界の危機が勃発し、そして収束していたのだという驚きに、灯は彼女たちの話を聞きながらわずかに目を見開いた。
 彼女と長く付き合いのないものにはなかなか判りづらいことだが、これが灯の驚きの表現である。
 そして。
 一通りの説明を終えれば、あとは年頃の少女たちのこと。
 絶対安静の状態は脱したとはいえ、まだ万全ではない灯の体調を気遣いながらも、少女三人のかしましいお喋り(もっとも灯は聞き役に徹していたが)が始まるのであった。
 他愛もない会話が十分も続いた頃、
「それにしてもさ~」
 お見舞いに持ってきたはずのお菓子をばりぼりと食べながら、くれはが笑う。
「随分と粋な計らいもあったもんだよね~? ねぇ、あかり~ん?」
 まさしく「にまにま」としか表現しようのない、なんとも味のある笑顔であった。
 灯の顔を見たかと思うと、視線を真横にずらして「んふふ」と笑い、そしてまた灯を意地悪な表情で盗み見る。
 すなわち ――― くれはの視線の先には、この病室の元々の主、真行寺命が安らかな寝息を立てて眠っているのであった。

「………なんのこと」
 一瞬声を詰まらせて、結局灯が発したのは、どうにも下手糞な誤魔化しの言葉である。
 そう。一体どこの誰が余計な気を回したのかは知らないが、一般病棟に灯が移るとき、こともあろうに命と同室になるように手配したものがいたのである。
 相手が深い昏睡状態にあるとはいえ、命と同じ病室でしばらく寝起きする日々が続くというこの状況を、くれははからかっているのである。
「あ、ああ~っ! そうです、そうですよね~」
 ここにいたってようやくなにかに気がついたかのようにマユリが声を上げた。
「よかったですねぇ、灯さん! あ、いえ、怪我しちゃったのはアレですけど、でも、これって不幸中の幸いって言いませんか~?」
 胸の前で両手を握り締めながら、やけにキラキラとした目をしてマユリが身を乗り出した。
「………別に。そんなことは、ない」
 ぷいっ、とマユリから顔を背けて灯が横を向く。
 それが、灯の鉄面皮をもってしても隠し切れない、彼女の動揺と赤面を気づかれぬための仕草であるということは、さすがにマユリにもばれてしまうだろう。
 しかし、それでも顔を背けた反対側には、当然のようにくれはが座っているのである。
 かすかに赤らんだ頬と泳いだ視線が、真正面からくれはとぶつかってしまい、慌てて首を元の方向に向ければ、やはりそこにはマユリのまんまる笑顔があって。
「………もう、寝る」
 灯が、逃げ場をなくしてベッドのシーツに潜り込む。
 そして、くれはとマユリが優しい笑顔を見合わせた。




 退院まで一週間 ――― 。
 そう言い渡された灯が、消灯時間までの長い暇をつぶすための手段というのが、気にかけていた例の『手紙』を書くことであった。

 枕を背もたれ代わりにベッドに半身を起こし、膝の上の便箋に目を落とす。
 難しげな思案顔で、時には小首を傾げながら考え事をし、夜が更けるまでの時間を命への手紙を書くことに費やす日々が続いている。
 このために購入した万年筆と便箋を、灯に届けてくれたのはエリスである。
 輝明学園の学友たちを、絶滅社の息のかかった病院に来させることはさすがに出来なかったが、灯の入院を聞きつけて(情報のソースはくれはであろう)、エリスも見舞いに来てくれたのだ。
 そのとき、マンションの鍵を手渡され、自室に置き去りにしてきた道具を取ってきてほしいと灯に頼まれたエリスは、なぜかやたらと嬉しそうに、
「うんっ、まかせて、灯ちゃん!」
 二つ返事で頷いたのであった ―――




 書いては筆を止め。筆を止めては考え込み。考え込んではまた筆を動かす。
 最初はたどたどしかった灯の右手の動きは、二晩、三晩と過ぎるうちに、次第にペースを上げていった。
 考えに詰まると、ホッと息をつき。
 隣のベッドで寝息を立てる命の安らかな寝顔を眺める。
 考え事をしすぎて眉間に寄せていた皺が、その寝顔を見つめているうちに柔らかくほころび、顔つきも穏やかなものになっていく。
 そしてまた、命の寝顔を眺めているうちに、新たな書きたいこと、伝えたいことが浮かんでくるのであろうか、ふたたび灯は便箋に向かうのだ。
 二枚目の便箋に最初の一文を書きかけて、灯の右手がピタリと止まる。
 自分が書いた文面をなにげなく見直しているうちに、その表情に明らかな困惑が拡がっていくのだった。
 ――― なんだか、とても支離滅裂な文章を書いている気がする。
 それが、灯の手が止まった理由であった。しばし沈黙、そして硬直。
 だが、すぐに気を取り直したように手紙を書くのを再会する。
 文才とか、気の利いた文章とか、初めから多くを望みすぎているということに気がついたのだ。

 いまの自分に書けることを書こう。

 そう、思い定めてしまえば、後はとにかく書くだけだった。

 消灯時間は、いつのまにか過ぎている。
 蛍光スタンドの光だけが照らす淡い闇の中、ペン先と紙の擦れる乾いた音だけが、いつまでも続いていた ―――




『命。
 いま、私はあなたへの手紙を書いている。
 書きたいことを、ただどんどんと書くだけだから、変なこと、書くかもしれない。

 あれから、とにかくいろいろなことがあった。任務も相変わらず忙しい。
 世界の危機も、何度か。戦いは日常のように続いている。
 ついこの間、本当に大きな戦いがあって、私たちの周りの環境も随分と変わってしまった。

 変わったことといえば、くれはがアンゼロットに指名されて世界の守護者の代行になったこと。
 忙しすぎて、アンゼロット宮殿からいつも抜け出す悪巧みをしている、とそうぼやいていた。
 先日お見舞いに来たとき、はわ、の発音もどこか元気がなかった気がする。
 少し、心配。

 マユリが久しぶりに日本に来た。
 たぶん、命が知っているマユリよりも、少し大人っぽくなっているかもしれない。
 小さくて、丸い顔なのは相変わらずだった。
 今回、色々と世話になった。改めて、きちんとお礼しに行こなければ。
 そのときは、きっと命も一緒に。

 そういえば。大きな戦い、という話に戻ってしまうけれど、そのときエリスという友達ができた。
 女の子らしくて、とても可愛い娘で、料理が上手。
 とてもいい娘で、私だけがそう思っているのでなければ、たぶん一番の友達。
 目が覚めたら、紹介してあげる。
 そのときは、私とエリスの料理を食べ比べてもらうつもり。
 結構、私の料理の腕もあれから上達した ――― かなり』

 書きあげた手紙の文面を、ぽつりぽつり、と囁くように。
 命のベッドの縁に腰掛けながら、彼の寝顔を見つめながら語りかける。
 こんなに多くの言葉を、灯が喋るのは本当に珍しいことであった。
 ここまで読んでみて、はた、と気がつく。
 そういえば、他人のことばかり書いていて、自分のことをあまり言っていない。
 そんなことに気がついた。

 灯は口ごもる。
 自分のこと。自分の言いたいこと。自分が、命に本当に伝えたいこと。
 それはやはり、こんな紙切れに書き連ねることが出来るほど、小さな想いではないことに改めて気づかされる。
 たった一つの想いが大きすぎて。それは多分、二言、三言で済んでしまう言葉なのに。
 紙に書こうとすれば、その行為が途端に味気ないものに感じられてしまう。
 部屋一杯に紙を敷き詰めて、マンションの屋上からでなければ読めないような大きな文字で書けばいいのだろうか? 違う。それは、多分違う。
 灯は、手にしていた便箋を畳み、命の寝顔をじっと見つめた。

「命」
 ゆっくりと、愛しい名前を呟く。
「命………起きて」
 灯が心の底から願っていること。灯が命に伝えたいこと。
「………なにか喋って。言葉にして、私に伝えて ――― 」

 Speak The Word ―――
 これが、命に望む灯の気持ちだった。
 目を開けて、私を見て。私の名前を呼んで。そして、話しかけて。
 大して喋ることのできない私の代わりに、たくさん、たくさん命の声を聞かせて。

 くしゃり、と灯の拳の中で便箋がひしゃげる。
「命………命………命………」
 蛍光スタンドの薄明かりの中、灯の俯いた顔に紅い髪がふわりと覆い被さった。
 膝の上に、握り締めた便箋ごと両手の拳を置きながら。その肩を、頼りなく震わせながら。
 そして、紅い目を伏せる。だからそのとき、灯は気づかなかった。

 この部屋に、思いがけない奇跡の刻が舞い降りたことに。

「………呼んだ………? あかりん………?」

 懐かしい、愛しい呼びかけが、まるで夢のように病室に小さく木霊する。弾かれたように顔を上げた灯の目の前で、瞳を開けた命が ――― 多分 ――― 笑っていた。
 きっとそう。
 多分、命は笑顔でいるに違いない。
 そのことに灯が確信が持てなかったのは、なぜだか視界が霞んで、命の顔がよく見えなかったからで。
「みこ、と………」
 彼の名前を呼ぶ声の、どうしようもなく震えてしまうのも止めることができない。
「ただいま、あかりん………あ、先に『おはよう』、かな」
 そんな呑気なことを、命は言った。
 灯は思う。
 あんなに声が聞きたかったのに。あんなにお喋りしてほしかったのに。
 でも、いまこのときだけはそうは思わなかった。
 ふわり、と。灯の紅い髪が、横たわる命の顔をカーテンのように覆い隠して。
 二人の間に優しい沈黙が降り積もる。

 いま、このときだけは。
 言葉を紡ぐ時間ではありえない。
 言葉を紡ぐためのものを、言葉を紡ぐためのものが。
 かなりの長い時間、温かく、柔らかく塞いだのだった ―――




 長い、長いときを経て。
 ようやくかなった願いがある。

 灯の真横を護るように、ヒルコを振るう命の姿。
 命と隣り合わせになり、彼の横でガンナーズブルームの引鉄を絞る灯の姿。
 かつてそうであり、そしていまそうあるべくしてある二人の姿を、いまは見ることができるだろう。
 世界の守護者代行となった赤羽くれはによって ――― かつてのアンゼロットと柊蓮司との関係のように ――― ほとんど彼女専属のお抱えウィザードのような扱いを受けるようになった灯と命。
 くれはが気を利かせたのか、性懲りもなく訪れる世界の危機を回避するためにはそれが必須条件であるせいなのか ―――
 それは余人の与り知らぬところだが、こうして二人が対となって戦場に立つ姿を、今後は見る機会も多くなるであろう。

「援護する ――― 走って、命」
 クールに、手短に灯が的確な指示を出せば。
「よろしく、あかりん! いっけえぇっ、ヒルコぉぉぉぉぉぉぉーーーっ!」
 光り輝く剣を振るい、どこまでも駆けていく命の姿。

 もう、灯が万年筆と便箋をその手に取ることはないであろう。
 伝えたい気持ち、伝えたい言葉。
 届けたければ届く距離にいるお互いを、いまは強く感じていられるのだから。
 駆ける。駆ける。どこまでも駆ける。

 命の背中を見つめる灯の紅い瞳は、いつよりも優しく、温かなものに見えるようだった ―――




(了)

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