Ohne Ruh', und suche Ruh'

Ohne Ruh', und suche Ruh' ◆CxB4Q1Bk8I



 戦闘の余韻はやがて消え、残ったのはただ寂寥とした思考でした。
 八意永琳は、里へと向かう道の途中、置いてきた弟子のことをぼんやりと思い返しておりました。

 ウドンゲ。彼女の事を、永琳はそう呼んでおりました。
 臆病だけれど働き者で、忠実で、お互いに信頼していた筈でした。
 彼女は自分や姫と同じ、月から逃げ出して追われる身として、閉じた世界で同じ時間を共有しておりました。
 互いに不満を口にすることなどもありましたが、決して互いを害する意図も無く、それは傍から見れば家族のようだったことでしょう。

 いえ、それは所詮、家族ごっこだったのでしょうか。

 永琳は、ほうと嘆息しました。
 今自分は姫のことを第一に考えなければ自分を保てないと判っておりましたから、鈴仙について思い詰めることはもう止そうと思いました。
 それでも、心の奥の引っ掛かりが無視できるほどには済まないこともまた、感じておりました。
 あの時、自分に攻撃を向けた彼女の心中など、知る由もありません。
 ただそれは信頼という言葉など軽々と崩してしまう敵対行為である事は明らかでした。
 元々の性格や過去の行動から、彼女の自分への攻撃を裏切りと捉えて信頼できないと結論付けるのは致し方の無い事でした。
 それでも彼女を殺さずに生かしたのは甘さだったのだろうと、今となって思い返すのでした。
 彼女がまだ自分の身内であるという意識が、どんなに冷徹になろうとしても確かに存在していた事を意味するのだと思いました。

 所詮は他者なのですから、永琳が鈴仙の考えなどわからないように、彼女もまた永琳の考えなどわからないでしょう。
 彼女が何を考えて自分を攻撃したのかわからないのと同様、自分が残したメモを彼女がどう解釈するかも、それを受けてどう行動するかも、結局は彼女次第です。
 永琳は、自分の一瞬の感情に任せて問題を先送りにしたに過ぎないことを自覚しておりました。
 リスクが少ない方法を取ったという自負こそありますが、理屈で言うならばそれが最善ではないと承知しておりました。
 それでも、やはり彼女に対して無情ではいられなかった事を、否定は出来ませんでした。


 お許し下さい。
 ただ貴女の事だけ考えることが出来ずにいる私を。
 仮初とは言え、同じように家族だった彼女のことを、諦め切れない私を。


 ふと、八意永琳は、遠くに小さく誰かの姿を確認しました。
 手近な茂みにさっと身を隠し、眼を凝らしてそれを見つめました。
 どうやら、男物の―ーどこかで見た記憶があるような――服装ではあるけれど、その主が亡霊嬢である事には気付きました。
 彼女は、今は普段の掴みどころの無いふわふわとした身のこなしでも、呆けているような中に深い理知を含む表情でも無く、
 どこか思い詰め、心の葛藤を抱きながら、一歩一歩と迷いながら歩いてるかのようでした。
 幽霊らしくない重い足取り。遠目でも、彼女の感情が深いところで重石を抱いている事が推測できました。
 武器だけはしっかりと握り締めて、何か刺激を与えてしまってはそれが暴発しそうだと思えるほど、張り詰めているようでした。

 永琳は彼女の事を知っておりました。
 冥界に住まう、死を司る亡霊。嘗ては半人半霊の庭師を従えて、永琳の術を破ろうと動いたこともありました。
 永琳は、今の彼女の様子に納得することが出来る理由もひとつ、その知識の中に持っておりました。
 つまり、彼女は、この殺し合いの中で、庭師を失っているということでした。
 彼女がその従者を大切に思っていたことは、永琳も重々承知しています。
 従者を亡くしたことは、彼女の心に重大な傷を負わせたのでしょう。

 永琳はまだ大切なものを亡くしてはいませんでした。
 不死者は亡霊の気持ちなどわかりません。亡霊もまた、不死者の気持ちなどわからないでしょう。
 ただ、もし大切な者を失ってしまったとしたら、そう考えるときっと心は同じこと。
 拠り所無く歩く彼女を少し、不憫にも思いました。


 しかし、永琳は通り過ぎ行く彼女に声をかけませんでした。
 不覚な同情こそ抱いたけれど、今の彼女は自分の力になるとは思えませんでした。
 自分を主催者だと思っているだろう上に、身内を失い、心ここにあらず。
 触れたら切れそうな糸の上を、揺らせば爆発するような武器を抱えて渡っている。
 永琳にとって、彼女に接触するのは決してリスクの割りに見返りが期待できるとは言えませんでした。
 山の神の時は、同情と苛立ちの結果、衝動に任せた行動で彼女を正気に戻すことは出来ましたが、今は勝手が違うと考えます。
 つまり、足取りが重いとはいえ、相手が自分の意思で行動をしているということ、それは、様々な意味で、危険性を孕むものでした。
 だから、避けることにしたのです。極めて冷静で非情な判断でした。
 嘗ての弟子に対して行った対処は、随分と手心が加わっていたのだと、今更ながら思いました。

 彼女は、永琳に気づくことなく、東に消えました。
 このまま行けば、余程幽々子が何かに盲目的でなければ、気を失っている鈴仙を見つけるでしょう。
 永琳は、鈴仙の処遇が他人に委ねられることに、ほんの少しだけ、躊躇いました。
 ただ、彼女宛に残したメモを見れば、聡明な亡霊嬢ならば、少なくとも自分の立場は理解してくれるのではないか、
 その結果、弟子である鈴仙に対しても悪いようには扱わず、或いは彼女を正しく説得して、後の厄介事を減らしてくれるのではないかと期待しました。
 もし今の彼女がそれも不可能なほどに迷走しているとしたら、鈴仙は無事では居られないのかもしれません。
 それは自分にとって、少なくとも悲しみを抱くには足ることだと思いました。
 しかし、その大きさは永琳の中では、相対的に小さいものであると諦め、今は考えないことにしました。
 自分が姫と合流し彼女を保護した後に、それでも自分の余裕をそこに向けられるとしたら、その時に考えれば構わないと思ったのです。
 見捨てるのか、見逃すのか。自分の感情がそのどちらだったとしても、今は構わないと、思ったのです。

 八意永琳は、一人、人里へ向かいます。
 その先に待つものが幸福なる家族の姿である事を、彼女は今もまだ信じておりました。


【E-4北西 一日目 午後】

【八意永琳】
[状態]疲労(中)
[装備]アサルトライフルFN SCAR(20/20)
[道具]支給品一式 、ダーツ(24本)、FN SCARの予備マガジン×2
[思考・状況]行動方針;人里に行って輝夜を探す
1.輝夜と合流後、守矢神社で諏訪子と合流
2.輝夜の安否が心配
3.うどんげは多少気にかかるが、信用できない

※この場所が幻想郷でないと考えています
※自分の置かれた状況を理解しました
※この会場の周りに博霊大結界に似たものが展開されているかもしれないと考えています



 ◇

 八意永琳に見送られたことなど気付きもせず、西行寺幽々子は一人、数刻前に通った道を東へ進んでおりました。
 記憶に焼きついた閻魔の言葉と、もはや善悪の葛藤に等しいと思える心中の錯綜を抱え、彼女らしくなく焦燥感に駆り立てられておりました。
 自分が失った大事な従者と記憶、喪失感と遣る瀬無さ、閻魔の言う全てを受け入れることでその穴は満たされるというのかもしれない。
 それでも、言いくるめられたように認めることなど出来る筈も無く、全ての仮定を拒否しておりました。
 あらゆる証拠は曖昧で、空白と深淵の記憶の奥底に眠る呪縛はその意味するところもまるで判らず、つまり思考の迷走は止まるところを知りません。

 こんなに必死になるものなのか、幽々子は自身ですら経験したこと無いような感情を今は抱いておりました。
 冥界で他者の死を管理していた嘗ての自身と、今の自分の感情や行動が異なる理由は、閻魔の言うように何か心に秘めたものがあるからなのでしょうか。
 まさか。家族のように愛したというのに、彼女を自分が死に誘うなどある筈がない。
 でも、自分が封じた記憶の中に、そういうことがあったことを意味するのかもしれない。
 それがどういうものであれ、こうしているあいだはただ逡巡を繰り返す螺旋に嵌っているだけだと気付いておりましたが、
 それを止めることなどできず、ただただ重い足を前に進めるだけが精一杯でした。


 人里の東、森が視界に入るところで、亡霊姫はその迷走する思考の中でも、倒れた彼女の姿には気付く事ができました。
 幻覚を操る赤眼の月兎。不死者の弟子。鈴仙・優曇華院・イナバ
 断片的な、彼女に関する情報が、彼女の思考に浮かび上がりました。

 彼女が八意永琳の弟子ということは知っておりました。
 八雲藍の残したメモから、八意永琳が主催者と名乗ってフランドール・スカーレット達と交戦した事や、
 霧雨魔理沙などが彼女が真の主催者ではない可能性などについて考えていた事も知っておりました。
 ただ、幽々子自身は当初から主催者側のこの異変の意図について疑問を持っておりましたし、
 ましてこの月兎までが主催者側で暗躍している可能性は無いと思っておりました。


 その様子には警戒しながら彼女の傍へ寄り、ふと見ると、その脇に一枚の書置きがありました。
 拾い上げると、流れるような筆跡で、彼女への伝言がありました。

『私は主催者ではない。“楽園の素敵な神主”が変装している。正体は不明。
 ここは幻想郷とは違う、どこかの結界の中だと思う。私は姫様を探して守りつつ脱出への策を練る。
 武器は預かるから、ウドンゲはどこかに隠れてじっと待ってなさい。 八意永琳』

 不死の薬師から弟子への伝言。簡潔で飾り気のないものだと思いました。
 しかし、それは、家族に宛てた手紙のように、何故か暖かさを感じるものだと、幽々子は思いました。
 同時に、身を切る寒風に吹かれたかのように、その身体を抱えてしまいたい衝動に駆られました。
 自分が何かをそこに見出してしまったからなのだろうと、幽々子は理解しましたが、頭をぶるぶると振ると思考をメモの内容に追いやりました。

 成程、八意永琳は主催者ではない――嘗て考えた可能性の一つに更なる根拠が出来ました。
 八雲藍のメモの中では霧雨魔理沙の考えに近いでしょう。
 それほどあの子は勘がよかったかしら、と僅かながら微笑ましく思えました。

 そして、それは同時に、八雲藍のメモに記されていた、フランドール・スカーレットの話した八意永琳の振る舞いが、明らかに異常だという証明に思えました。
 可能性の話ならば、幾らでもそれに合ったシナリオを想像することはできたでしょうが、幽々子にはそれを受け入れるような思考は今は持ち合わせておりませんでした。
 メモの内容にはそれ以上は記されておらず、フランドールが抱いた違和感を率先して話さなかったというだけなのですが、そんなことは知る由もありませんでした。
 フランドールは真実としては不可解な事を話した。即ち彼女が偽証を以って場を乱す、善き存在ではないという事の証明なのだと、無理矢理にでも結び付けました。
 つまり、フランドールが妖夢を殺した。幽々子はそう思うことを選択しようとしたのです。

 ああ、これで、フランドール・スカーレットを殺――


 しかし、その一瞬心を過ぎった思考は、殺意とほんの僅かな安堵でありました。
 はっとそれに気付き、幽々子は酷く動揺しました。
 自身は妖夢を殺していないと証明するため、その殺害者である他者の存在を見出し、それを自身の手で殺すことを、自分は望んでいたということ。
 それは、あれほど否定したかった閻魔の言葉に、自分の心が強く縛られていたという証拠に他なりませんでした。
 すると、急速に、今しがた自分の導いた結論が、余りに不安定な根拠に基づいた酷く粗雑なシナリオであるように思えてきたのです。
 一度安定を取り戻したかに見えた心中は、再び拠り所を失い、逡巡の螺旋へ回帰しようとしておりました。



「う、ううっ」
 動揺を隠せなかった幽々子の思考に、不意に外界からの介入がありました。
 それが、気を失っていた月兎が小さく呻いただけだと気付くのに、僅かに時間を要しました。 

「貴女、大丈夫?」
 考えるより前に、幽々子は声をかけていました。
 今、自分に他者を気遣う余裕など無いと思っていただけに、幽々子は自分でもその行動に疑問を持ちました。
 その理由は判りません。
 混沌の思考を一度平常に戻したほうがいいと思ったのかもしれない。仲間を見つけたかっただけなのかもしれない。或いは――。
 ただ、自身も苦悩の海の真っ只中にいるというのに、もう一人の漂流者を無視することなど出来なかったのです。
 それは、閻魔を助けたことも同様、決して打算や裏の意図のある行為ではないという証明になると心の奥底で感じ、幽々子は淡い安心感を抱きました。


 月兎は、すぐに目を覚ましました。
 なんとも哀れな表情で、怯えた瞳を幽々子に向けておりました。
 幽々子の顔を見て、その手の武器に目をやり、再度顔を見てその思考を読み取ろうとしているようでした。
 そして、しきりに周囲を手で弄り、そこにあったはずの何かを探しておりました。
 それは、目の前の相手を殺す事のできる武器でしたが、勿論幽々子には知る由もありません。

「――ねぇ?」
「ひっ!」
 幽々子が声をかけると、びくりと肩を震わせ、鈴仙は再度幽々子を見上げました。
「あ、の、み、見逃して、くださっ――」
 鈴仙は声を絞り出しました。掠れた声でしたが、それを聞き取る事はできました。
 幽々子が怪訝な表情を見せても、鈴仙はがたがたを身の震えを止めることが出来ず、幽々子の顔と武器を交互に見やりました。

 幽々子は肩をすくめ、その手の武器を背中に回しました。
「大丈夫、貴女を害するつもりは無いわ」
 鈴仙の眼が、幽々子の眼を見据えました。その心中を測っているかのようでした。
 全てを狂わす赤眼も今はその力など微塵も感じられず、ただ弱々しく潤んでおりました。

「貴女宛の手紙よ、そこに置いてあったの。何があったのか、教えてくれるかしら?」

 鈴仙に、師匠からのメモを手渡すと、幽々子は出来うる限り優しく尋ねました。
 考えを揺るがされ、拠るところを求めて彷徨うその身には、孤独で臆病な兎は随分とか弱く見え、
 同時に、自分が深い思考の闇の中に囚われている事から、わずかばかりに解放された気分にもなりました。
 その時はそれが、自分が彼女に同情や哀れみを抱いているからだと、思っていたのです。


 つまるところ、鈴仙は、何一つわかっておらず、わかろうともせず、ただその場しのぎのように誤魔化された最善を追い、
 行き当たりばったりの自己正当化された暴走を繰り返してきただけなのでした。
 永琳からのメモを二三度読み返し、鈴仙は強い後悔の衝動に駆られました。
 もしこれが本当ならば、自分はなんということをしたのだろう。
 何も余計なことをせずに師匠と接触できれば、いや、そのまま師匠をただ見送っただけだったとしても、真実がそのメモの内容どおりならば、輝夜が鈴仙に課した全ての誓約もやがて意味を成さなくなり、あらゆる呪縛から解放されたかもしれないというのに。
 あれほど家族として、師弟として信頼しあった筈の仲だったというのに、鼻で笑われるような自己満足と思いつきのような正義感に駆られた暴走でそれを破壊し、呆れるほど繰り返してきたというのに、またも自分は最悪の判断をして泥沼を進んでしまったのだと思いました。

 しかし、同時に、本当にそれを鵜呑みにしていいものなのかという、心に張り付いた暗い思考を振り切ることも出来ませんでした。
 姫様に、自分が都合のいいことだけを真実と感じてしまうことの愚かさをを痛さによって知らされましたし、
 姫の言う脅された主催者という仮定や、その他諸々の仮説が覆ったわけではなく、ただ可能性が一つ増えただけでした。
 師匠の信頼というのも、今こうやって過去を思い返せば、ただの仮初のものであったのかもしれないし、師匠が自分に信頼をどれほど置いていたのかなど知る由も無く、もし普通の接触を試みたなら、どうなっていたか、それは逆に、今よりも状況が良かったという保証はありませんでした。

 自分が生かされたことでさえ、自己否定の積み重なった心ではとても前向きになど捉えることは出来ませんでした。
“無碍に摘み取りたくは無い。でも――”
 あの時の姫様の言葉が、心を圧して押し潰すほどに重いものに思えました。
 つまり、もしこの手紙が真実だとしても、鈴仙は永琳にとって連れて行くに値するわけでもなく、隠れていて生き残れば幸運だったというその程度の存在だということでした。
 それはそうだと、鈴仙は自虐的に嗤いました
 師匠にとって姫が最も大事な存在である事も、自分が師匠を殺そうとしたというのにまだ大事に思ってくれている筈が無いことも、考えずともわかることでした。

 そして、最悪の可能性もまた、鈴仙の心を深く抉るように浮かんできたのです。
 即ち、師匠に攻撃を加えた自分を姫が許すだろうか、という事でした。
 彼女は首輪の爆破装置を持っているのだから、その意思ひとつでこの首は胴体から切り離されてしまう。
 その瞬間は、姫が自分の師匠に対する裏切りを知ったその時にでも訪れてしまう。
 ゴクリと喉が鳴りました。冷や汗が頬を伝い、永琳の書置きにぽたりと落ちました。
 永琳を追い弁解するにも、既に彼女はどこかに立ち去っているのだから、それは出来ず、
 まして姫と先に会ってしまえば、嘘が下手な私は、交わした誓約の意味も、言い訳の余地もなく殺されてしまうのだろうと思えました。

「ねぇ」
 メモに目を遣ったまま固まっていた鈴仙に、痺れを切らしたのか幽々子は声をかけました。
 ぐるぐると最悪の思考の螺旋に囚われかけていた思考から引き戻され、鈴仙は顔を上げました。
「あ、ごめんなさい、あの」
 そこには、亡霊姫のどこか憔悴した、憂いを湛えた表情がありました。
 先ほど見た庭師の姿が頭を過ぎりました。何者かに命を奪われて、倒れたその姿。
 そして、彼女に着せられていた衣服――
 鈴仙は、幽々子が恐らくその死を看取ったのだろうと、思いました。
 しかし、今は、従者を失って、悲観はしていても、決して自棄になっているようには見えず、
 少なくとも鈴仙には、永琳を救おうと盲目になった輝夜より余程、彼女が正しく全てを考えているように見えました。
 その内心は、彼女と同じ、深い波間に今にも飲み込まれようとしていたというのに。


「何があったのか、教えてくれるかしら?」
 視線を上げた鈴仙に気付き、鈴仙の手の書置きに目を遣ると、幽々子は再度問いかけました。

「あ、あの。はい、私は――」
 鈴仙は、この殺し合いの主催者だと思った師匠に武器を向け、しかし殺すに至らず返り討ちにあった旨を、極めて簡潔に、どもりながら幽々子に伝えました。
 幽々子の持つ武器にちらちらと目を遣りながら、その表情を逐一伺いながら、師匠を見かけてからのことを順を追って話しました。
 幽々子は何か別のことを考えているかのような表情で、しかししっかりと相槌を打ちながらその話を聞いておりました。

 一通り話し終え、鈴仙が一息ついたところで、幽々子は口を開きました。

「そう、まぁ、わかりました。信じるわ。それで、この内容はどう思うの?」
 幽々子に指差されたメモにもう一度目を遣ると、鈴仙は首を横に振りました。
「――わかりません。私や姫が連れてこられているから、少なくとも殺し合いの開催は師匠の本意では無いと思うんですが」

 それは姫の考えでありました。それを言葉にしながら、自分が余りに短絡的思考で判断していたのだと、胸に刺さるような痛みを覚えました。
 永琳が自分から、家族である自分達を巻き込む筈がない。
 取ろうとした道は否定したけれど、その推察は正しい可能性があったというのに、自己の命が脅かされると同時に、
 それだけが心の中で重きを占め、それ以外のことなど、今の今まで全くもって思考の外に追いやられてしまっていたのでした。
 散々繰り返した筈の自己否定もまだ足りなかったというのか。
 永琳が自分を見捨てたのも当然、自分は師匠を救う考えなど微塵も起きず、自分勝手なその思考が自ら地獄への道を選んでいたのです。

 そして、そういった鈴仙の表情の陰りを、幽々子は捉えたようでした。

「貴女、何か大事なこと、知ってたり、隠したりしてないかしら?」

 極めて柔らかに、幽々子は問い質しました。
 しかし、鈴仙には、それが、自分の秘めている全ての苦悩を看過した言葉のように聞こえました。
 そして、この目の前の相手が、幻想郷でも上位に位置する実力者であるということが、ぼんやりと思い返されておりました。

 長いといえる逡巡の後、鈴仙は口を開きました。
 顔を上げた鈴仙の顔を見て、幽々子の表情に動揺が走りました。
 その表情はきっと、酷く醜く、必死だったのだろうと、思いました。

「私、脅されて、いるんです――!」

 叫ぶように言うと、鈴仙は、自分が姫と会い、彼女に脅された事を洗いざらい話しました。
 彼女が主催者についてどう考えているか、そのためにどうしたいと考えているか、自分が何をされたか、早口で捲くし立てました。

 自身が姫に科せられた呪いを言葉にしていく度に、その誓約が心を押し潰していきます。
 姫には捨てられ、師匠には捨てられ、自分は本当に一人だと、痛々しいくらいに感じます。
 一人。辛い。死にたくない。助けて欲しい。
 捨てたはずの未練は、それでも捨てきれず、鈴仙は未だ救いを求め続けていたのです。
 だから、もしそれが自分を救ってくれるのなら、全てが終わってくれるのならと、勝手な論理で嘗ての師匠にすら武器を向けることが出来たのでしょう。

 可能性が一縷でもあるなら、それに縋ろうとしたでしょう。
 もし目の前の誰かが手を差し伸べてくれるというのなら、それをどうやってでも掴んだでしょう。
 あの時、冷たく見放した、輝夜の眼。美鈴や静葉の眼。
 自分がそんな風に扱われても仕方ないのは重々承知しているというのに、たとえ幻とはいえ、誰かが手を差し伸べてくれるのなら。

 そう、誰かが。

 だから、自分が哀れである事、自分が被害者である事、すぐにも殺されるかもしれない事、助けが欲しい事、必死になって口にしておりました。
 決して自分の過ちは語らず、輝夜に脅されたのも、永琳に攻撃を加えたのも、ただ正義感の末の不幸だと、弁解めいた口調で捲くし立てておりました。
 それは一種の真実とは言え、語るには余りに見るに耐えないものだと、図々しいものだと、嘆かわしいことだと、心の中の誰かがぽつりぽつりと呟いたのでした。



 西行寺幽々子は、哀れな月兎の話を、半ば聞き流すような形で考えておりました。
 考えていたのは、脅迫を受けて哀れな位置に立たされていた月兎のことではなく、
 彼女が口にする、蓬莱山輝夜の八意永琳への信頼と申しましょうか、その身を案じる考え方の中に、
 何故か、自分と妖夢が互いに幸せだった遠い過去の時間を、ぼんやりと思い返していたのです。
 どこまでも美しく、遠く空虚で、泡沫の夢のような――。


「わ、私を助けてください。お願いです」
 急に近くで発せられた声に、ハッと幽々子は我に返りました。
 鈴仙は、幽々子の武器を持つ腕の袖を必死で握り締めておりました。
「姫様も、師匠も、きっと、私を捨てたんです、だから、私、もう、居場所、無くて、でも、」
 もはや言葉になってない、脈絡の無い単語の羅列ですが、鈴仙の表情は必死でした。
「死にたく、ないから、お願いです、私に出来る事、なら、なんでもします、から」

 死にたくない。
 亡霊である幽々子にはわからず、また、今の幽々子には意味の大きい言葉でありました。
 殺す事を強いられ、常に死の恐怖が付きまとっている彼女。
 殺したか、これから殺すか、二つに一つが真実として与えられた自分。

 懇願する目の前の哀れな兎の目を、再び見据えました。
 死を恐れる。彼女の瞳はその心中を雄弁に語っておりました。

「貴女、正直ね」
 ぽつりと幽々子は漏らしました。
「それくらい、正直だったら、よかったのに」
 意図せず口から出たその言葉が何のことか、幽々子にはわかりませんでした。
 ただ消えた記憶のどこかで、きっと幽々子はそのような感情を抱いた瞬間があったのだろう。
 鈴仙が怪訝な表情を見せたので、幽々子は僅かにうろたえ、袖で口元を押さえました。

「あ、あの、それってどういう」
「ねぇ、貴女、フランドール・スカーレットを見かけたかしら?」

 幽々子は、鈴仙の言葉を遮り、なんともないように問いかけました。
 鈴仙は、その質問の意図が掴めず、一瞬きょとんとしておりました。

「え、い、いえ、私は」
「私、あの悪魔を、探しているの」
 一瞬幽々子が纏った、彼女の物腰からは想像出来なかった殺気に、鈴仙は肩を大きく震わせました。
「え、あの、もしかして」
 庭師は悪魔に――鈴仙はその言葉を発するのに躊躇い、幽々子はその続きを待たずに言葉を繋ぎました。

「私は貴女の、蓬莱山輝夜の難題を解くのを手伝ってあげても構わないわ。
 といっても、三人も冥界に送るんじゃなくて。貴女が月の姫や蓬莱の薬師に殺されることがないように手を尽くしてあげる。
 ただ勿論――貴女が、私を手伝ってくれるなら、だけど」

 幽々子は鈴仙を誘いました。
 それは、いつ殺されるかもわからないという彼女を保護する事が、理由もなく他者を救うことは無いという閻魔の言う自分や法を否定する証明になると思い、また余りに不安定になっていた自分の選択に、こうして従ってくれる誰かがいることが、他の何よりも心の落ち着くことだと思わずにはいられなかったからなのでした。
 尤も、幽々子が閻魔の言葉から本当に解放される筈もなく、何が本当の真実か、フランドールを探してどうするか、といった問題は何一つ解決しておらず、失った記憶の中の自身の立ち位置に、閻魔の言うものと違うようで同一の、不安定な足場が出来るだけで、大事なことは考えるのを先送りにしたのでありました。


「――。はい。私で、よければ」

 鈴仙は誘いを受けました。
 それは、幽々子の庇護の下に自分を置く事で、限界と思えるまで高まった自身に迫る死の臭いから逃れようとすると共に、少なくとも自分の存在を必要としてくれる、目の前の彼女に従うことで、誰からも捨てられた自分の存在を、再び安定へ向かわせたいという心の奥底の思惑がありました。
 尤も、その庇護でさえ鈴仙を死の恐怖から解放する訳もなく、姫の持つ首輪を爆破する道具の持つ力から逃れられる訳でもなく、再び自身の死に直面した場合は、迷いなく裏切りと逃走を繰り返すのだろうという確信めいた心中からは眼を逸らしておりました。


 あまりに不安定で、脆く、僅かな風で崩れてしまいそうな仮初の“仲間”は、二人、静かに、手を取り合いました。
 何処へ行くのかわからない道標を好き勝手に立てて、虚構の一つの道を共に歩き出したのです。
 それは、お互いに、誰かの代わりとしては余りに足りない、ニセモノの――



【E-4東部 一日目 夕方】

【西行寺幽々子】
[状態]健康、親指に切り傷、妖夢殺害による精神的ショックにより記憶喪失状態
[装備]64式小銃狙撃仕様(13/20)、香霖堂店主の衣服
[道具]支給品一式×2(水一本使用)、藍のメモ(内容はお任せします)、八雲紫の傘、牛刀、中華包丁、魂魄妖夢の衣服(破損)
    博麗霊夢の衣服一着、霧雨魔理沙の衣服一着、不明支給品(0~4)
[思考・状況]妖夢の死による怒りと悲しみ。妖夢殺害はフランによるものだと考えている。
1.鈴仙と行動を共にする
2.フランを探す。探してどうするかは未定
[備考]小町の嘘情報(首輪の盗聴機能)を信じきっています

※幽々子の能力制限について
1.心身ともに健やかな者には通用しない。ある程度、身体や心が傷ついて初めて効果が現れる。
2.狙った箇所へ正確に放てない。蝶は本能によって、常に死に近い者から手招きを始める。制御不能。
3.普通では自分の意思で出すことができない。感情が高ぶっていると出せる可能性はある。
それ以外の詳細は、次の書き手にお任せします。


【鈴仙・優曇華院・イナバ】
[状態]疲労(中)、肋骨二本に罅(悪化)、精神疲労 、満身創痍
[装備]破片手榴弾×2
[道具]支給品一式×2、毒薬(少量)、永琳の書置き
[思考・状況]基本方針:保身最優先
1.幽々子に守ってもらう。
2.幽々子を手伝う。
3,輝夜の命令を実行しても自分は殺されるだろう。
4.輝夜、永琳は自分を捨てたのだと思っている。
5.穣子と雛、静葉、こいしに対する大きな罪悪感。

ルーミア、フランドールに対してどうするかは不明


129:酒鬼薔薇聖戦(後編) 時系列順 131:夜が降りてくる ~ Evening Star
129:酒鬼薔薇聖戦(後編) 投下順 131:夜が降りてくる ~ Evening Star
124:月兎/賢者/二人の道 八意永琳 146:Ipomoea nil
120:伽藍の堂 西行寺幽々子 134:平行交差 -パラレルクロス-
124:月兎/賢者/二人の道 鈴仙・優曇華院・イナバ 134:平行交差 -パラレルクロス-

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最終更新:2010年09月03日 19:07
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