ナビ
朝。目が覚めると同時に香ばしい香りが漂ってきた。 「あ、おはよ。」
ああ、そういえば昨日『未来の俺』こと優子さんがうちに押しかけてきたんだっけ。
「朝ごはん作っといたから。」
顔を洗って、あらためて彼女をよく見てみる。
胸はあまり出ていない。自分の将来だと考えると喜ぶべきなのか悲しむべきなのか……。まあそんなことは女になってから悩めばいい。いや、希望を捨てたわけではないけれども。
しかしながらスタイルはいい。身長は俺より高いんじゃないだろうか。男だったらもっと高いはずだし、俺はこれから伸びるということなんだろう。
そして顔。はっきり言って美人だ。それに……やはりどことなく母さんに似ている。母さんがよく「昔はモテた」と言っていたのは嘘ではなかったのかもしれない。
「なにぼーっとしてんの、食べるわよ。」
「あっ、はい!」
あわてて席に着く。
「それにしても……。」
大皿の上にはオムライスがでんと載っていた。二人で取り合って食べるにも量が多すぎないだろうか。
「朝からこれ……ですか……。」
「ごめんごめん、研究生活してると昼夜の感覚がなくなってくるんだよね。うん、でも本当は朝にいっぱい食べたほうがいいんだよ。」
そういえば大学院の博士課程だったか。俺もよくそこまで勉強する気になったものだ。
「興味だよ、興味。」
あれ……今、俺の考えていることが分かったのだろうか。さすがに十年もこんな他愛のない会話を覚えているはずはないだろうから、「分かった」んだろうな……。
ちょっと怖くなってきた。今は考えるのはやめて食べることに集中しよう。
結局三分の二ほど食べ終わったところで遅刻ギリギリになっていることに気付き、あわてて家を飛び出した。
一時間目の授業には何とか間に合い、その後は何事もなく終了のチャイムが鳴った。
「よお優太、珍しくギリギリだったな。」
「たまにはそんなこともあるよ。」
こいつの名前は翔、一言で表すなら「カッコいい」だ。男の俺でもそう思う。
「だから今日は雨が降らなかったんだろうな。」
「普通逆だろ?」
「梅雨だからな。」
もうひとりの友人が話しかけてきた。彼は博美、翔が二枚目とするならこいつは三枚目だ。
この学校は中高一貫式ではないのでさまざまな地区からお互い見ず知らずの生徒が集まってくる。
その中で、この二か月半で俺が特に仲良くなったのがこの二人だ。
しばらく話し合っていると翔がこんなことを言ってきた。
「今日お前ん家行っていいか?」
「え?」
そう、彼らは自宅から通っているので集まるのはもっぱら俺の部屋ということになる。
しかし今は優子さんがいるのだ。彼女を見たら彼らは一体何と言うか……。
「なんか用事でもあるのか?」
「いや、用事はないけど……。」
「怪しい。」
「えっ!?」
「ヒロミ、これは行って確かめるべきじゃないか。」
「ああもちろんだ大佐。」
「ちょっ……!」
「拒否権なし!」
見事にハモった二人の声。そして二時間目の始まりを告げるチャイムにダメ押しされ、観念せざるを得なかった。
「なあ、何見ても絶対に変なこと考えるんじゃないぞ?」
「ほうほう、見られちゃまずいものがあると。」
墓穴を掘っているような気がしてしょうがないが、保身せずにはいられない。
なにせ大人のお姉さんと同棲だ。ああ、言葉にすると自分でもヤバいと思う。
だが相手は自分だ。変な気なんか起こすはずはない。……本当か? いやいや、何を考えているんだろう。もう。問題はそれが彼らに分かるわけがない、ということだ。
俺自身まだ九割しか信用していない。そんな現実離れした現象を、身内でもない彼らに信じ込ませるすべがどこにあるというのか。
というわけで何とかしてごまかすしかないだろう。しかし俺の頭はすでにパンク状態。
あとは俺よりは十年人生経験をつんでいる優子先輩がなんとか切り抜けてくれればいいんだけど。
とか何とか考えているうちに俺の手はもう部屋の玄関を開けていた。いつの間にここまで来たんだ、記憶がまったくない。
「おじゃまします!」
そんなに元気よく二人揃って挨拶しないでくれ……。
「しょ! ……え、ええっと、お友達?」
ちょうどトイレから出てきた優子さんとばったり目が合ってしまった。
「あ、う、うん。」
しかし今翔の名前を呼ぼうとしたような……。
「どうぞ上がってって。」
こっちサイドの三人は固まったままだ。俺と彼らではその理由は違うわけだが。
「えっと、ジュースでいいかな?」
優子さんも緊張してるのは緊張してるんだろう。
最初に足を踏み入れたのは翔だ。
「どちらさま……ですか?」
「ん……、優太の従姉です。こっちに仕事探しに来たんですけど、お金が無くて、しばらく一緒に住まわせてもらうことにしたんです。」
ナイスだ優子さん。ひとつ減点するとすれば従姉弟同士同士は結婚できるということだ。何も思い浮かばなかった俺にそんなことを言う資格はないけどな。
「ほら、そっちの……えーっと……。」
「博美です。そちらは翔。」
「博美君もこちらにいらっしゃい。」
まさか本当に忘れてしまったわけじゃないよな、演技だよな。翔は開口一番に言いかけたのに。友達の名前を忘れてしまうなんて俺は嫌だぜ。
「ほら、優太も座った!」
やれやれ。俺は仕方なく席に着いた。
それから優子さんも混じってテレビゲームをしたりトランプをしたりして盛り上がった。
優子さんが素直に本名を明かしてしまったんだが、俺は改名後どう言い訳すればいいんだ? とにらみをきかせたら「しまった」というような顔をした。
しょうがない、その時はその時で考えるか。俺にはそれより今、気になっていることがあった。
二人が帰った後、優子さんは一つ伸びをしてベッドに倒れこむと漫画を読み始めた。カバーをページにはさんであったから、どうやら読みかけだったようだ。
「よく飽きないですね。それ、もう何回も読んだはずですけど。」
「うん、忙しくて読む暇がなくなってきたから、全部売っちゃった。」
「そうですか……。」
この本棚の漫画が全部消えるかと思うとちょっと寂しくなった。
「ゲームもね。ああ、でも誰かが研究室に持ち込んだのをやってたわ。」
もちろん気になってることはそんなことではない。閑話休題。俺は優子さんの漫画を伏せて彼女を見つめた。
「翔と何かあったんですか? いや、これから何かあるんですか?」
「ううん、大したことじゃないの……。」
その答は「ある」と言っているようなものだ。しかも、多分、「大したこと」らしい。
彼女はあの時、しきりに翔のことを見ていたり、逆に視線が合いそうになると急に目をそらしたり。
彼は気付いていたのだろうか。これから俺と翔の間に何があるんだろうか。
「ごめん、お風呂入ってくる。」
二日目にして早くもまたあの目を見ることになるとは思わなかった。彼女の瞳は潤んでいた。
「その時はその時で考える……か。」
俺は無人になったベッドの上で天井とにらめっこした。
最終更新:2008年09月06日 23:12