ナビ
ついに俺たちのところにもやってきた。
クラスの一人が女体化したのだ。そいつは昨日一日休んだと思ったら次の朝新しい制服に身を包んで登校してきた。
初めてというだけあって質問攻めにあっていたようだ。
俺と博美と翔は、気にならないわけではなかったが遠くで見ていた。そろそろやめてやれと言う勇気は俺にはなかった。
「それにしても可愛くなったもんだな。」
と博美。もともと女っぽい顔をしていたので俺には特に変わったようには見えないが黙っておいた。
そもそも俺はあいつとあまり話をしたことがない。「俺は」というより、クラスでもおとなしいほうだったので誰とでもそうだったのではないかと思う。
ぼーっと人だかりの方を見つめていた。しばらくして翔が一言。
「そろそろ授業始まるぞ。」
放課後、もう散々聞きつくされたのか一人でいるそいつに、俺は声を掛けた。
「やあ。」
「君も何か質問があるのか?」
「いや、別に。」
少々苛立っているようだ。まああんなに人に詰め寄られたことはないんだろう、当然だ。
「俺もちょっと危なくてさ。」
危ないというよりはほぼ確定なんだけどね。
「それで僕に言い寄ろうというのか。」
これは予想外だった。すごく睨んでる。怖い。
「まさか。そうなった時はよろしくって……。」
「……はあ。」
溜息をついてうつむき、思いっきり悲しそうな表情をされた。
「みんな『男だった僕』に興味なんてないんだね。」
「え……?」
「母さんや姉さんも僕が女になってなんだか嬉しそうだしさ……。」
「……。」
「いつか自分でも忘れちゃうのかな……。」
前に見た優子さんと同じ表情。
他人事とは思えなかった。そいつのために何かしたかった。
「私には何も出来ないわ。」
一番頼りにしていた人に、あっけなく突き返された。
「どうして……。」
「私はもう、忘れちゃったから。」
遠い目をする。
「もちろん記憶はあるよ。でも男の子の考えとか感覚とか、いつの間にか分からなくなってくるの。」
「怖くなかったんですか?」
「うん、気がついたらそうなってたから。」
「じゃあ……、」
ごそごそ、
「これは?」
彼女と初めて会った時のあの本を取り出してみた。
「ああ、それは、参考にしようと思って。」
何のだ。
「性欲も結構違うのよ。男のは急に襲ってくる感じだけど女のはじわーってくるの。」
ああうん、それはとても気になりますが今は関係無いのでは。
「とにかく。どっちみち放っておいた方が彼女のためよ。時間が解決してくれるわ。」
「そんな、目の前で悩んでいるのに黙って見てろって……。」
「あんたに何が出来るの、彼女のことも女体化のこともまだ何も知らないあんたに。」
怒鳴っているわけではなくむしろ優しく諭されたような口調だったが、それにむしろ反感が募る。
「へたに刺激すると逆に傷付け……、ちょっと、どこ行くの。」
気付くと俺は靴を履いていた。
「図書館。」
後ろで溜息が聞こえた気がした。
百冊は読んだのではないだろうか。もちろん関係ありそうなところしか読んでいないが。
心理学の本やエッセイや小説まで読んだが、今のところ結論としては「次第に女性としての感情が身につき、気にならなくなります。」……悔しいが優子さんの言ってることと同じような感じだ。
机の上に広がっている本を片付けて、また次の棚の本を手に取る。
目を覚ました。目を覚ましたということは今まで寝てたということで、時計は閉館時間五分前を指していた。
急いでさっきと同じように本を片付ける。そこであいつと目があった。
「あ。」
自分のやっていることを知られたくなかったので、気をそらせようと話し掛ける。
「よく来るのか?」
「うん、ここってなかなか見つからない本も置いてあるから。」
慎重に次の言葉を考える。「何読んでたの。」とでも聞けば、聞き返されて言葉に詰まりそう。
そういうわけでしばらく黙り込んでしまっていると、今度は向こうから意外な言葉が発せられた。
「そうそう、田岸君ってお姉さんとかいるの?」
優子さんのことか? 何故こいつが知っているんだ。
「さっき女の人がここに来て……、」
その時の会話を再現するとこういう風になるらしい。
『ねえ、田岸優太って子知らない?』
『あ、はい。クラスメイトです。』
『ここに来てるはずなんだけど……、どこにいるか分かる?』
『いえ、見てないです。』
『そう……。ところで君、最近女体化したばっかでしょ。』
『え、分かるんですか?』
『私も当事者だからね。何か不安なこととかない? 良かったらおねーさんに話してみて。』
と。その後ずっと相談に乗ってくれていたらしい。
外に出るとこの前のように空が赤く染まっていた。もうすぐ梅雨も明けそうだ。
公園に寄って、なぜかそういう気分だったのでブランコに乗ってしばらく語り合った。
別れ際。
「なあ、今度から明って呼んでいいか?」
アキラ、ここまでずっと代名詞だったそいつの名前である。
「うん、いいよ。じゃあ僕も、」
「ユウ、でいいよ。」
どうせすぐ変わっちゃうだろうし。
「わかった、じゃあユウ、またね。」
家に着くと優子さんが何食わぬ顔でシチューの味見をしていた。
「放っておいた方が良いんじゃなかったんですか?」
ニヤニヤが止まらない。
「久しぶりに思い出してね。」
ミトンを取り出してお鍋をテーブルまで運ぶ。
そしてこっちを向いて意地悪な笑みを浮かべ言い放った。
「男はどうしようもなく馬鹿だってこと。」
「な……!」
ご飯をよそいながら彼女は付け加えた。
「良い意味で、ね。」
その言葉は卑怯だ。
翌朝、わざと大げさに挨拶してみた。
「おはよう、明!」
「おはよう。」
クラス中の驚きの視線を浴びる。
「お前、いつの間に仲良くなってたんだよ。」
博美が羨ましそうに聞いてくるが俺は笑顔でたった一言だけ返した。
「ひみつ。」
最終更新:2008年09月06日 23:13