ナビ
バスを降りると心地よい風が海岸のほうから吹きつけてきた。大きく伸びをするとほのかな潮の香りが肺を満たす。
太陽は南中直前、雲はまだら。絶好の海水浴日和だ。ビーチは既に朝からの客でにぎわっている。
「はやく着替えようよ!」
と一番はしゃいでいるのは保護者的な立場にいるはずの優子さん。なんでも海は四年ぶりだそうだ。
そんなわけで更衣室。この建物は隣の海の家が経営しているらしい。ロッカーに百円玉を入れ、荷物を置く。
で、俺以外の皆は早速脱ぎだした。
それにしても真由、胸が大きくて羨ま……い、いや、気の迷いだ。大きくたって邪魔なだけだもんな。というかそもそも元男の俺がそんなこと……。
なんて思いつつ眺めていると不意に『いいこと』を思いついた。この前の仕返しだ。
「えいっ!」
と抱きついたまでは良かったのだが……。
「ん? どうした?」
ヤバい。自分からやったくせに緊張して動けない。
なんでこんなにやわらかいんだろう。夏だから当然俺も薄着なわけで、肌の感触が直に伝わってくる。
「えっと……この前いじめられたから仕返しに……。」
ほとんど独り言のような小さな声しか出せなかった。
「だめだよユウ、女の子困らせたいならこれくらいしないと。」
そう横から明が口を出すと俺の手をほどいていく。
感謝の思いも束の間。
「え、やっ……。」
俺の胸をおもむろに掴んで……。
「ちょっと……んっ、人いるんだよ……。」
「これくらい誰も気にしないって。」
そう言って一分ほど散々揉んでおきながら、
「やっぱり服の上からじゃつまらないや。」
などと言い出すのであった。
「じゃあ一斉に、どうぞ!」
俺は……、明と、か。
「なんか俺たち不利じゃない?」
「男二人が分かれたんだからこれ以上どうしようもないでしょ。」
何の話かといえば、ビーチバレーの貸しコートがありやってみようということになったので、そのチーム分けのことである。
ちなみにあらかじめ仕込んでおいたので真由と博美という組み合わせ。
「それにあんたたちなんだかチームらしいじゃん。」
どういうことか。それはこの前の買い物でのこと。
あの時、当然明も女物の水着は持っていなかったわけで一緒に買ったのだが、その水着というのが俺が買ったものの色違いである。俺がピンクで明が水色。逆にしてくれたほうが嬉しかったのだが……。
話は戻って、
「まあまあ、手加減してやるから。」
などと博美がのたまうので、
「お前だけには負けねえよ。手抜いたらぶち殺す。」
と返しておいた。のだが……。
「はい、十対零、マッチポイントね。」
こんなに強いなんて聞いてなかったぞ。いや、博美じゃなくて真由のほうが。
「ユウ、脇を締めろ!」
見かねたのか翔がアドバイスをくれた。うん、頑張ろう。なぜだか翔には格好悪いところ見せたくない。
「いっくよー。」
サーブは真由。俺が受けて明が返す。ここまではいい。さあ、博美がトスを上げた。問題はここからだ。左か右か?
明が左よりでブロックしているから右に……いや、きっと明の甘いブロックなんか抜けてくる。
「こっちだ!」
まるであらかじめ決まっていたかのように、あるいは磁力によって引きつけられたかのように、飛び込んだ俺のこぶしの上にきれいにボールが落ちてきた。
しかしまだだ。まだ拾ったっだけ。敵のコートに落とさなければ点にはならない。
「明、トス!」
叫びつつすぐに起き上がって駆ける。ネットぎわまでつくとボールがいいタイミングでやってきた。
「よし。」
その俺のつぶやきを合図に同時にジャンプした博美。こいつ、背伸びたかな。
「遠い。」
「え?」
ぽかんとしている博美の真下にボールを叩き落としてやった。そんなにネットから離れていたらブロックにならんだろ。
「イェーイ!」
ハイタッチ。こういうの、なんか『いい』と思う。
対抗戦は引き分けで終わった。あの試合では結局負けたのだが、次の真由チーム対翔チームで優子さんがはしゃぎすぎたせいで、最終戦は実質二対一のようなものであった。
「やっぱり年には勝てないわね。」
「いや、あれだけ動き回ってたら俺たちでもバテますって。」
なにせ「どう見てもアウトです。」というボールまで拾っていたからな。
「ラーメンうまかったな。」
昼食に食べた塩ラーメン。この海で採れた塩を使っているらしい。
「そろそろ泳ごうよ。」
「おし、行くか!」
真由の提案に即座に乗っかる博美。本当に扱いやすい奴だ。
「ごめん、俺まだ腹に残ってて……。」
「えー、もう。早く来てよね。」
と言いつつ彼女がウインク。博美は気付いていないようだ。
「僕も同じ。」
「私は疲れちゃったからちょっと休憩。」
彼女たちには更衣室であらかじめ言っておいたからいいとして……、
「女の子ばかりじゃ心配だから俺も残るよ。」
流石翔だ。
「うまくいくかな。」
「さあねー。」
なんて言いつつニヤニヤしている優子さん。その表情ということはきっと大丈夫なのだろう。
「あ、上がってきたよ。」
水面から手をつないで、というか少女が少年を引っ張って走ってくる。
こちらも海の家から歩いて彼らに近づく。
「ユウ! 知ってたんならもっと早く言ってくれたらよかったのに! こんな可愛い子なんだから。」
「馬鹿、本人より先に告白する奴がどこにいる。」
残念ながらこいつは道連れにできそうにない。万が一そんなことになったりしたら真由の代わりにぶん殴ってやる。
そして真由も一言、
「ありがとう。」
だがそれだけではなく、そっと耳打ちしてきた。
「あんたも頑張るのよ。」
「え……?」
そう、俺は未だに自分で気付かないでいたんだ。一時間後、『事件』が起こるまでは……。
それからは皆で適当に泳いだり砂浜に埋めあったり、思う存分遊んだ。
そしてあの時が来た。俺は翔と二人で浅瀬を泳いでいた。
何をしゃべろうかな。他の人と話す時より慎重に言葉を選んでいた。
ふと、そういえば、俺の水着姿は彼の目にどう映っているんだろうなんてことが急に気になり始めた。
最初はそんなこと聞けるはずがないと頭から消すつもりだった。だが一度気になるとどうしても聞かずにいられないのが人の性。
ついに耐え切れなくなった。ただ、泳いでいるこの姿勢では話はできない。俺は立ち上がろうとした。
その時、浅いと思っていた地面が急に深くなっていることに気付いた。気付いたからといってもはや立て直せる体勢ではなかった。
水を思い切り吸い込んでさらにパニック。その上に足がつりはじめて、もうだめだと思った。
「ユウ!」
もうだめだと思った。だがその次の瞬間には、俺の両腕はしっかりと翔の体を抱きしめていた。
「大丈夫か?」
頭を縦に何回も振る。声が出せなかった。水を飲んだからじゃない、気付いてしまったから。女になって次の日には既に抱いていた感情に、今頃気付いたから。
――俺は、翔が好き。
最終更新:2008年09月06日 23:16