ナビ
六月最後の日曜日。うちの学校は土曜休みなんてものは無く、貴重な休みであった。
というわけで俺は声を大にして叫ぶ。
「さて、寝るか!」
「ね、映画見に行こう!」
この居候さんはなぜこうも俺の意に沿わない行動を取ってくれるのか。たしか俺自身だったはずなんだが。
梅雨らしく外は雨である。それに、新しい学校生活には大分慣れたものの、やはり疲れは大きい。一週間に一度くらいゆっくり寝かせてくれてもバチは当たらないと思う。
「なんでまた……。」
「今日で公開終了なんだよ。ねっ、お願い。」
だからといって俺まで巻き込む必要は無い。
「一人で見に行けばいいじゃないですか。」
「でも、どうせ連いて来るのよ。」
「……どうしてですか?」
起き抜けで結構イライラしている。早く会話を済ませてほしい。
「だって、あんたが今日映画館で途中で寝ちゃったせいで、私は続きが気になって気になって今こうして誘ってるんだから。」
えーっと……。寝ぼけているので話がいまいち飲み込めない。
つまり俺が今日映画館に行くのは決定事項というわけだ。俺が映画館に行かなかった場合はそもそも誘われないわけで……。
え? なんだこれ。ちょっと混乱してきた。
話を整理してみよう。
優子さんが映画館に行きたいのは俺が中途半端に映画を見てしまうから……らしい。
そして俺が映画に行くのは優子さんがそう言ったからだ。
なんてややこしい話だ。原因が結果を生んでその結果が原因を生んでいる。ニワトリとタマゴ、どちらが先か分からない。
ところでこんな話を最近どこかで聞いたような。
「って優子さん、何読んでるんですか?」
「ん……あんたが固まったまま考え込んでたから。この本面白いね。」
その本とは優子さんが来てから図書館で借りた、タイムマシンやら宇宙やらについての考察の本で……、
「あーっ! それ、返却期限!」
今日までだ。というわけで、めでたく外出が決定したわけである。
「ところで優子さん、さっき『あんたが』って人のせいみたいに言ってましたけど、その『あんた』って自分じゃないですか。」
「あ、ばれたか。てへ。」
無駄にかわいいから反応に困る。
十分後。
「結構準備早いんですね。」
「そうかな。」
部屋の鍵をかける。
「化粧とかもっと時間かかるものじゃないんですか?」
「さあ……。あんまり他の女の子がどうなのか聞いたことないから分かんない。」
女になっても女の子と縁の薄い生活をすることになるのか、俺は。
「工学部って女の子少ないからね。いてもほとんど元男だから。」
いても……か。性別が変わると興味まで変わってしまうんだろうか。
ちなみに今俺が通っている理数科の女子は一クラス四十人中五人程度である。
「でも、増えるんですよね。」
「うん。倍くらいになるよ。」
「倍……?」
予想をはるかに下回っていた。半々くらいにはなるんではないだろうかとにらんでいたのだが。
「皆意外と交友範囲広いのよね。他には身内に頼み込んだり頼み込まれたり。」
それはあんまり聞きたくない話で。
「あ、それから女の子になったら気をつけないとダメよ。女の自覚が薄かったり自分と同じ目に遭わせたくないと思ったりして、あっさりやっちゃたりするからね。女の子の初めては大事なんだから……。」
「何か……あったんですか?」
自分のことなので怖いのだが、語気を強めて主張するものだから気になって聞いてみた。
「私は別に何もなかったんだけどね。女体化した知り合いがすごく後悔してたから……ね。」
とりあえずほっとした。ほっとして良いのか悪いのかは分からないが。
話しているうちにアパートの玄関まで来ていた。傘を開く。
「……なんで一本しかないんですか?」
「あ、ごめん。……取りに行くのめんどくさいし相合傘しよ、相合傘。」
まあいいか。俺たちは肩を並べて歩き始めた。
「絶対に起きててやる。」
図書館で本を返し、映画館に着いたのは昼前だった。
「そんなに意地にならなくても。」
内容はSFのアクション物である。
ポップコーンも買って鑑賞準備はバッチリだ。
「あ、始まった。」
また宣伝が長いんだよなあ。
……お、宇宙船カッコイイ。
……逃げて! 主人公逃げてー!
…………これ二時間で終わるのか?
…………………すぅ。
「あー、面白かった!」
時刻は午後一時。映画館と直結したスーパーマーケットのフードコートで食事をとっている。
「あの宇宙戦艦が突っ込んでいった後、どうなったんですか?」
「ふふ、教えなーい。」
大げさだがやっぱり運命には逆らえないのだろうか。予言どおり優子さんに起こされた時にはもう既にスタッフロールさえ終えてまさに幕が降りようとしているところだった。もっと早く起こしてくれればよかったのに。
一通り食べ終わった頃、次の予定を言い渡された。
「買い物するから付き合って。」
なぜかこの人にお願いされると断れない。何か魔力のようなものを感じる。
これは優子さんが俺だから起きる現象なんだろうか。それとも単に俺が女慣れしてないからなだけだろうか。
彼女は専門店を二、三店回って服を買っていった。
「ねえ、これどう思う?」
「なんで俺に聞くんですか。」
「男の子の視点が欲しくてさ。」
そう言って苦笑いしてみせた。いつか男の気持ちが分からなくなる日が来るんだろうか。そう考えると少し悲しい。
不思議に思ったのは、自分に合わせてみて選ぶ服と、何かを考えながら選ぶ服があったことだ。後者のときは俺のほうをちらちら見ていたような気もする。
ただ、どちらの場合もそう悩まず決めていたような気がする。そのあたりの性格は男のままということなんだろう。
「じゃあ次は下着かな。」
「まさか連いて来いと?」
「今のうちに慣れておいたほうがいいでしょ。」
そうは言うもののあそこは男子禁制だろう。
男が入るのと女になってから仕方なく入るのでは大分違う気がする。
俺の憂慮をよそに優子さんは俺の腕を引っ張っていき、その一角に至る。
できるだけ平然を装っていたのに、優子さんは、
「かわいいのがあったら買ってもいいのよ。」
なんて言って、俺を失神させかけた。
外に出ると雨は上がっていた。夕日の中に薄く虹が見える。
「わがまま言ってごめんね。付き合ってくれてありがとう。」
まったく今日は疲れた。ただ、良いリフレッシュになった、ということは否めない。
朝から二人で映画行ってショッピング……、あれ?
「なんか、デートみたいだったね。」
同じことを考えていたらしい。
俺は赤面した表情を見せたくなくて、無言で、彼女より一歩前に出て、早足で家路についた。
最終更新:2008年09月06日 23:12