ナビ
月日の経つのは早いもので、優子さんが来てからもう四週間になろうとしていた。
土曜日の朝。テレビではニュース番組が梅雨明けを報せている。
一週間に一度の休日を目前に控え上機嫌で身支度を整える俺に、この美女は今までで最大の爆弾を落としていった。
「優太、明日女の子記念日だからね。」
理解するのに一秒ほど掛かった。理解してから言葉を発するまでさらに三秒。
「それは、俺が?」
「うん。」
「明日、朝、起きたら?」
「うん。」
ここで少し次の言葉をためらう。とどめを刺されに行くのは誰だって怖いだろう。
五秒。
「オンナノコ?」
「うん。」
そんなに平然と答えないで下さい。 「ほら、遅刻しちゃうよ。」
確かに遅刻しそうなのは事実なので、これ以上質問している時間は無い。
部屋を出る時に優子さんに呼び止められた。遅刻しそうだと言い出したのはあなたじゃないですか。
「後悔、しないようにね。」
後悔しないように、と言われてもたった一日で何をすればいいんだか。
何も思いつかないうちに時間は無情にも過ぎていく。
せめてどうすれば後悔しないか前もって分かっていればそのとおりに動けるのに。
いや……ああそうか、そうなれば『後悔しない』ことになるから優子さんが俺にそれを教えることは出来ないのか。
どうやらタイムパラドックスというものは頑なに回避される方向にあるようだ。この四週間で痛いほど実感した。
結局、最後の授業はいつの間にか終わっていた。
「どうしたの?」
視界の端から女の子の顔がのぞきこむ。
「別に。ちょっと疲れただけ。」
「ユウ、今日はちょっといつもと雰囲気違うよね。」
「そう?」
「うん。なんていうか……目がキラキラしてる。」
自分でも気づかなかったのだが、きっと無意識のうちにこの姿で見る最後の景色達を焼き付けておこうとでも思ったのだろうか。
いつの間にか、俺の座っていたベンチの横にあった自動販売機に小銭を入れながら、明は「いる?」と簡潔に尋ねる。
「コーラ。」
俺も一言で返事を済ませるとその分の小銭を投げてよこす。
その時、呼ぶ声が聞こえた。
「優太、明、そろそろ行くぞ!」
声のする方には博美と翔の姿があった。
きっとこの三人は俺が変わっても助けてくれるんだろう。
「遅かったわね。」
「外で食べてきたから。」
優子さんはいつものように本を読んでいた。
「お風呂沸いてるから先に入ってきて。」
「うん。」
何だろう、優子さんの表情が違う。何かに迷っているような感じだ。
体を洗う手になぜか力が入る。綺麗にしたからといって特に何かが変わるわけでもないのに。
洗い流して湯船に入る。ふと目を瞑るとこれまでの人生が走馬灯のように映し出される。別に死ぬわけじゃないんだからとひとり笑ってみる。
でも……。ひょっとしたら『死ぬ』というのは間違っていないんじゃないだろうか。体も、そして優子さんを見る限りは心も徐々に、自分のものではないものに置き換わっていくのだから。
風呂から上がると優子さんは何かを決心した顔になっていた。
「私も入ってくるから待っててね。」
そう言うと脱衣所の方に消えていく。しばらくしてシャワーの音が聞こえだす。
ベッドに腰掛けたまま背を倒す。のぼせたかな……。
天井を見ながら今度は将来のことについて考えてみた。扉の向こうの彼女はこの十年でどんな世界を見てきたんだろう。今どんな夢を持っているんだろう。それは俺が今追っているものと同じだろうか。
気がつくと湯気が部屋に流れ込んできていた。
「おまたせ。」
「優子……さん……?」
彼女はなぜかバスタオル姿で俺の前に立った。
「最後にイイ思いさせてあげようと思って。」
いい思いって……? 理解する間もなく彼女は俺のパジャマのズボンを下着ごと脱がせていく。
「え……ちょ……!」
ベッドに座っている俺の体の後ろから片足を回す。優子さんの足が俺をまたぐ形となった。
背中から抱きつかれ、タオル越しに胸の感触が伝わってくる。
今にもはちきれそうな「そこ」を彼女の細い手が優しく包み込む。
「ゆう……こ……さ…………んっ……。」
絶妙な力加減でその手を上下させる。ひとりでしているときとは比べ物にならない快感、背筋に電気が流れた感覚に襲われる。なんでこんなに上手いんだろう。
次の瞬間、時間が吹っ飛んだのかと思った。目線を下げると既に火山は噴火しており、白い液体が腹や脚にまで及んでいる。それでもまだ収まりそうにない。こんな経験も初めてだ。
彼女は目の前に来ていた。下に座って俺のものを懐かしそうに眺めていた。
数秒ほど、俺の息遣いと時計の秒針の音だけが部屋に響いた。
いきなり彼女の顔が視界を覆った。そして俺の体に飛散した白濁液を全て綺麗に舐めとって……、
「ふふ、こんなのも初めてでしょ?」
「ふゎ……!」
口に含まれ、もう頭が真っ白だった。ものの十秒も持たなかった、と思う。時間の感覚さえ分からなかった。二度目の爆発。その全てを美しい唇の奥に流し込んで……。
今度はベッドの上に倒されていた。間近に彼女の顔。吸い込まれそうな瞳。まだまだ満足できないと下半身が主張する。
彼女の手が俺のパジャマのボタンをひとつひとつ外してゆく。俺は金縛りにあったかのように、彼女の顔を見ることしか出来なかった。
その作業を終えると、今度は自分のバスタオルに手をかけ鬱陶しいと言わんばかりに剥ぎ取り一糸纏わぬ姿を晒す。
「私ね……、」
そのまま優しい口調で語りかけてきた。
「女になって、本当に幸せだったの。」
唐突に何の話をするんだろうと疑問が浮かんだ瞬間に、かぶせるように次の言葉が飛んできた。
「でも、失ったものも大きいわ……。」
久しぶりに見た気がする、あの潤んだ瞳を。
「出来ることなら……、田岸優太の人生をやり直してみたいとも思う。でも、私にはもうできないわ……。」
俺はまだ動けないでいた。
「けど……、あなたならまだ間に合う。私と……。」
「でも……、そんなこと……。」
ようやく声だけ絞り出すことが出来た。
「タイムパラドックスのことは分かってる。……私はどうなってもかまわないから、あなたはあなたの人生をいきなさい。」
優子さんの頬に流れる一筋の光を見たからだろうか、同じ遺伝子を持つ者同士は惹き合わないというあれだろうか、それとも大いなる時の自己修復力の仕業だろうか、興奮は知らない間に収まっていた。
俺は裸同士なのも忘れて彼女の頭を抱き寄せた。そしてこの美しい人の未来を守りたいと思った。この人が未来の自分だからなどということは全く関係無い。そうすることが、男として俺のとる正しい道だと感じたんだ。
最終更新:2008年09月06日 23:13