アメリカ合衆国ウマ娘史/History of American Horsegirls
著:________ 挿絵:________ 監修:サクラメント大学
随時更新中。
古代 BC3500~
アメリカ大陸におけるウマ娘の最古の記録は紀元前3500年、ミシシッピ川沿いのマウンドビルダーの丘がウマ娘の手によって作られた痕跡である。その他ラテンアメリカ各地で造られたピラミッドにウマ娘のような彫刻画が確認されたり、各地の地層や火山灰からのバ骨の出土、オルメカ文明の巨石人頭像の中にウマ耳の確認できるものがあったりなど、紀元前1500年ごろにはウマ娘はアメリカ大陸全土に定住していたことが分かる。
先コロンブス期 ~1600
先コロンブス期のウマ娘は総じて身分が低く、アメリカ大陸全土の記録を見てもウマ娘が何かしらの集団の長を務めていた記録は30もない。この時代のウマ娘はヒトの数十倍のパワーや俊敏性を買われて、大半は農業に従事し、一定以上の速さとタフさを持ち合わせたウマ娘たちは物流であったり、都市計画のための整地や未開拓地の開墾、最上位層は部族の長の伝言をほかの部族にいち早く伝える、現代で言うところの外交官のような地位にあった。地域によっては選出制でウマ娘を神格化し祀り上げ、信仰の対象とした文化も存在したようだが大した記録は残っていない。1450年ごろになると、ウマ娘の手によってアメリカ大陸がほとんど開拓され、それぞれがいずれかの部族の領地となってからは、開墾をしていたウマ娘は軍バへと転身し、ウマ娘の人口も増え始めたためにこのころから部族同士の争いにウマ娘が介入してくることになる。
"第一植民世代"1600~1700
16世紀後半頃になると、新たに発見された大陸を自らの新天地とせんとばかりに欧州の船団や植民者が東方、南方から押し寄せた。襲来をいち早く観測し交戦した部族のウマ娘が周囲の友好関係にある諸部族へと連絡、各地で侵略者に対する防衛同盟が生まれ、次第に部族連合へと結びつきは固くなっていった。強固な連携と生産、有事を支えるほどのインフラを整えることができた諸部族連合は、暫くは入植者との争いに耐え切れたものの、暫くすると原住民に免疫のない疫病が持ち込まれたり、各国から銃を持った武装歩兵や先進的な装備の軍バが上陸したりと次第に劣勢になり、原住民の領地は略奪されていった。各国は原住民の居住区域を厳格に設け原住民に大移動を強いた。原住民のウマ娘に至ってはことごとく捕らえられ収監され、欧州での会議の元、各国の植民者に引き渡され奴隷として運用された。これらのウマ娘は次第に植民者集団に同化し、それぞれの言語や文化に迎合した。現代アメリカには生きた世代や、自身の先祖がいつ頃からこの大陸にいるかを記すために用いられる「世代」と言うものがあるが、この時期にアメリカにいた先住民奴隷ウマ娘や、国に新大陸への移住を命じられた白人入植ウマ娘、そしてアフリカ大陸から連れてこられた黒人奴隷ウマ娘のことを総じて「第一植民世代」"1st colonial generation"と呼ぶ。
都市基盤が整ってからは、各地でウマ娘たちのゲリラレースが見られた。
当時はウマ娘たちが勝手にコースを切り開き、各地で勝手にレースをするだけであったが、1660年代に"レースコース"が完成したのを皮切りに急速に体制が組み立てられ、かつてのイギリスと同じように、貴族が有望なウマ娘を自らのチームで"所有"し、レースで競わせ賞金を奪い合った。イギリスよりも悪質だったのは、レースの開催元が賞金や利益の捻出のためにレースの登録料の他に、ウマ娘のレース結果に賭けられる"賭場"を用意した点。当時のウマ娘のレースというのは完全に貴族達のお膝元にあり、ウマ娘の権利などというものはなく賭博の材料とされていた。
当時はウマ娘たちが勝手にコースを切り開き、各地で勝手にレースをするだけであったが、1660年代に"レースコース"が完成したのを皮切りに急速に体制が組み立てられ、かつてのイギリスと同じように、貴族が有望なウマ娘を自らのチームで"所有"し、レースで競わせ賞金を奪い合った。イギリスよりも悪質だったのは、レースの開催元が賞金や利益の捻出のためにレースの登録料の他に、ウマ娘のレース結果に賭けられる"賭場"を用意した点。当時のウマ娘のレースというのは完全に貴族達のお膝元にあり、ウマ娘の権利などというものはなく賭博の材料とされていた。
"第二植民世代"1700~1776
ここからは現在のアメリカ合衆国に通ずるイギリス植民地のみフォーカスします。
人間の入植者は創設から各地への定住を開始し、この頃にはそれぞれの街に賑わいや新たな文化の芽生えが見られたが、ウマ娘はそうではなかった。原住民や黒人の奴隷ウマ娘に限らず、入植者の白人系ウマ娘も定住はせず開墾や街の基礎整備に次々動員されていた。そうしなければ白人ウマ娘ですら生活に必要な賃金が確保できなかったからである。かつてニューヨークのような港町を開墾したウマ娘の子や孫たちは、もうこの頃にはほとんどがニューファンドランド島やハリファックスの北部諸島や、カロライナやジョージア地域などの南部に移っていた。その影響も相まって今現在も東海岸諸州の総人口のうちウマ娘が占める割合は著しく低いままである。ウマ娘たちは度々原住民区域の侵犯を画策しながらも地主や雇い主の命令で都市整備、力仕事、一通りの開墾が終わっては農業を生業として生活をしていた。この後に欧州の巻き添えでイギリス植民地はお隣のヌーベルフランス植民地と幾度か戦火を交えることになり、互いに動員された多くのウマ娘、特に原住民系の奴隷ウマ娘が戦死した。この惨劇や科された重税から、人バ問わずイギリス本国に対する反抗心が生まれ、「アメリカ人」「アメリカウマ娘」としてのアイデンティティを確立。植民政府への抵抗運動が多く行われることとなった。1773年の暮れ、東インドの茶独占法にしびれを切らした民衆の意思を示すために、商船からの荷物の積み下ろしのために雇われていたウマ娘たちが積まれていた茶箱を全て捨てた「ボストン茶会事件」が起こり、これの報復としてイギリスはウマ娘の選択権の制限を含んだ"耐え難き諸法"を制定し、対立は避けられないものとなった。この18世紀初めから独立戦争の直前までを生きたウマ娘のことを総じて「第二植民世代」"2nd colonial generation"と呼ぶ。
この時期のレース文化の盛り上がりはイマイチであった。
レース場がそれぞれ担っていたレースの開催元としての役目を一つの組織にまとめ上げたりレースウマ娘達の登録制度の採用などから透明性は跳ね上がり大衆の心を掴みつつあったのだが、戦争が起こるたびレースのウマ娘は根こそぎ軍バとして徴兵されたためレースは開催を停止、戦争が終わったとしても生き残ったレースウマ娘の数に応じて開催を調整しなければいけなかったため、娯楽としては少し安定性に欠けていた。イギリス本国とのレースウマ娘同士の交流が行われたり、平民階級のレース場立ち入りが認められたりとレース文化が大衆化してきた矢先にイギリス本国とアメリカ植民地の関係が悪くなり、またしてもレースどころではなくなってしまった。
レース場がそれぞれ担っていたレースの開催元としての役目を一つの組織にまとめ上げたりレースウマ娘達の登録制度の採用などから透明性は跳ね上がり大衆の心を掴みつつあったのだが、戦争が起こるたびレースのウマ娘は根こそぎ軍バとして徴兵されたためレースは開催を停止、戦争が終わったとしても生き残ったレースウマ娘の数に応じて開催を調整しなければいけなかったため、娯楽としては少し安定性に欠けていた。イギリス本国とのレースウマ娘同士の交流が行われたり、平民階級のレース場立ち入りが認められたりとレース文化が大衆化してきた矢先にイギリス本国とアメリカ植民地の関係が悪くなり、またしてもレースどころではなくなってしまった。
"自由の娘達"1776~1800
1776年、アメリカ植民地は独立を宣言し、とうとう一連の紛争は名実ともに独立戦争となってしまった。レースの完全ストップはおろか、アメリカ領内のウマ娘達は身分や職業問わず動員された。
戦争が始まってしばらく、アメリカは全構成員が気性の荒いウマ娘からなる遊軍を試験的に導入。とてつもない機敏性と残虐性を誇り、独立戦争の選局に多大な影響を及ぼした。が、この遊軍のことは新聞で大々的に取り上げられ、ウマ娘の内に秘めたる残虐性が改めて知られることとなり、ウマ娘の解放からは少し遠ざかった。独立戦争が終わった後には、警察や治安部隊などにウマ娘が登用される機会が莫大に増え、とうとう力仕事以外に社会に参画する選択肢が生まれ始めた。対照的に、戦時下から脱走したウマ娘たちはギャング・マフィアを各地で結成し、悪さの限りをしたという。苛烈な独立戦争の末、ウマ娘がついに社会に影響力を持ち始め、ウマ娘の権利を主張し始める人たちが出てきた。この変革の時代を生きたウマ娘のことを総じて「自由の娘達」"daughters of liberty"と呼ぶ。
戦争が始まってしばらく、アメリカは全構成員が気性の荒いウマ娘からなる遊軍を試験的に導入。とてつもない機敏性と残虐性を誇り、独立戦争の選局に多大な影響を及ぼした。が、この遊軍のことは新聞で大々的に取り上げられ、ウマ娘の内に秘めたる残虐性が改めて知られることとなり、ウマ娘の解放からは少し遠ざかった。独立戦争が終わった後には、警察や治安部隊などにウマ娘が登用される機会が莫大に増え、とうとう力仕事以外に社会に参画する選択肢が生まれ始めた。対照的に、戦時下から脱走したウマ娘たちはギャング・マフィアを各地で結成し、悪さの限りをしたという。苛烈な独立戦争の末、ウマ娘がついに社会に影響力を持ち始め、ウマ娘の権利を主張し始める人たちが出てきた。この変革の時代を生きたウマ娘のことを総じて「自由の娘達」"daughters of liberty"と呼ぶ。
この時代にはレースは行われなかった。
"ニューフロンティア世代"1800~1849
1803年、アメリカはフランスからルイジアナを買収した。新天地にウマ娘の雇用が生まれることはここ150年ほどで世の中の常識となっていたため、ウマ娘やウマ娘奴隷を保有していた資本家たちがこぞって西方へと押しかける。ヌーベルオルレアンから改名されたニューオーリンズは人バ問わず賑わい、更なる西方開拓の拠点となった。
連邦政府はこの頃に優秀な軍バであったブラックゼファー(Black Zephyr)をリーダーに有志ウマ娘を募り、買収したルイジアナの探検とその先の領域の解明、西の海洋への到達を目的としたブラックゼファー探検隊を結成。33人のウマ娘たちは1807年に詳しい道程とルイジアナ全土の大雑把な地図、体験や道中の様子などを記した日記、交流した各未開部族から賜った土産物などを持ち帰り国の開拓と西方遠征の促進に大いに貢献。ブラックゼファー探検隊はウマ娘ながら当時の国民的英雄となった。買収した地域のおおよそが平原で構成されていることが判明し、土地も肥沃であることからルイジアナ開拓が国全体で熱気を帯び、肥沃な土地を生かした農場や牧場が大量に生まれた。この頃には力のあるウマ娘が牧場の見張り番やスタッフとして雇用されるケースが生まれた。
幾十年たった頃に行きすぎたウマ娘の西方開拓への情熱が問題を引き起こす。ウマ娘達は遂に深刻なメキシコ領への領土侵犯をしてしまった。メキシコ中央政府は当時数々の内乱の影響で遠い北部の統制を取れておらず、テハスやヌエバメヒコの地域に流入していた不法なアメリカ人入植者・入植ウマ娘の対処ができず、遂に中央政府に痺れを切らしたテハスのウマ娘らがアメリカ入植者らと共闘。警察を跳ね除けテキサス共和国を宣言してしまった。国旗を決めたり選挙を行う前にテキサスはアメリカへの編入を要求、これをアメリカが承認しテキサス州としてアメリカ領になったのだがこれにメキシコが憤慨しメキシコ戦争が勃発。この頃にはウマ娘のパワーが国の成長に如何に重要か知れ渡っていたため無駄にウマ娘を徴兵せず、職業軍バ以外は依然として開拓に従事した。1848年にメキシコ戦争へ勝利し西の広大なメキシコ領を割譲したことが報じられると開拓を一通り終えたアーカンソー、アイオワ、ミズーリ地域のウマ娘などは新たな雇用と土地を求めて西への旅路を急いだ。この開拓への狂乱の時代を生きたウマ娘達を総じて「ニューフロンティア世代」"New Frontier generation"と呼ぶ。
連邦政府はこの頃に優秀な軍バであったブラックゼファー(Black Zephyr)をリーダーに有志ウマ娘を募り、買収したルイジアナの探検とその先の領域の解明、西の海洋への到達を目的としたブラックゼファー探検隊を結成。33人のウマ娘たちは1807年に詳しい道程とルイジアナ全土の大雑把な地図、体験や道中の様子などを記した日記、交流した各未開部族から賜った土産物などを持ち帰り国の開拓と西方遠征の促進に大いに貢献。ブラックゼファー探検隊はウマ娘ながら当時の国民的英雄となった。買収した地域のおおよそが平原で構成されていることが判明し、土地も肥沃であることからルイジアナ開拓が国全体で熱気を帯び、肥沃な土地を生かした農場や牧場が大量に生まれた。この頃には力のあるウマ娘が牧場の見張り番やスタッフとして雇用されるケースが生まれた。
幾十年たった頃に行きすぎたウマ娘の西方開拓への情熱が問題を引き起こす。ウマ娘達は遂に深刻なメキシコ領への領土侵犯をしてしまった。メキシコ中央政府は当時数々の内乱の影響で遠い北部の統制を取れておらず、テハスやヌエバメヒコの地域に流入していた不法なアメリカ人入植者・入植ウマ娘の対処ができず、遂に中央政府に痺れを切らしたテハスのウマ娘らがアメリカ入植者らと共闘。警察を跳ね除けテキサス共和国を宣言してしまった。国旗を決めたり選挙を行う前にテキサスはアメリカへの編入を要求、これをアメリカが承認しテキサス州としてアメリカ領になったのだがこれにメキシコが憤慨しメキシコ戦争が勃発。この頃にはウマ娘のパワーが国の成長に如何に重要か知れ渡っていたため無駄にウマ娘を徴兵せず、職業軍バ以外は依然として開拓に従事した。1848年にメキシコ戦争へ勝利し西の広大なメキシコ領を割譲したことが報じられると開拓を一通り終えたアーカンソー、アイオワ、ミズーリ地域のウマ娘などは新たな雇用と土地を求めて西への旅路を急いだ。この開拓への狂乱の時代を生きたウマ娘達を総じて「ニューフロンティア世代」"New Frontier generation"と呼ぶ。
この時代に東海岸には現代に通ずる様々なレース場が開場。ピムリコレース場やベルモントパークレース場などニューヨークからマイアミまで11のレース場は人々の娯楽として賑わい、貧困層は夢を求めて賭場収入も跳ね上がった。
この頃にこれらの近代的なレース場の所有&管理やウマ娘のレース興業などの役割を全て統括した"UHSA"(全米競バ連合協会,United Horseyracing Society of America)が誕生。チームがウマ娘を所有するという風潮も売りに出された奴隷ウマ娘のみに限られ、この頃には個人での出走やウマ娘がチームと"契約"することでのチーム加入が主流になり、レースの世界に限ってウマ娘達への抑圧的な風潮は無くなり始めた。
この頃にこれらの近代的なレース場の所有&管理やウマ娘のレース興業などの役割を全て統括した"UHSA"(全米競バ連合協会,United Horseyracing Society of America)が誕生。チームがウマ娘を所有するという風潮も売りに出された奴隷ウマ娘のみに限られ、この頃には個人での出走やウマ娘がチームと"契約"することでのチーム加入が主流になり、レースの世界に限ってウマ娘達への抑圧的な風潮は無くなり始めた。
*本の間に挟まっていたUSA NEWS FRESH紙の記事*
LHC特集 ベースボールミドル級
ニュージャージー代表ニューアーク市が南北カリフォルニアを跳ね除けミドル級優勝
古豪北カリフォルニア代表サクラメント市守備の崩壊から勢い失速、サンディエゴの仇を打てず
古豪北カリフォルニア代表サクラメント市守備の崩壊から勢い失速、サンディエゴの仇を打てず
リベルタメモリアル,ホーシーズチャンピオンシップ ベースボールの部ミドル級ファイナル
Louisville,Pegasus general sports field
Louisville,Pegasus general sports field
TEAM | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R |
NWK | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 5 | 2 | 9 |
SAC | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 |
両者優勝候補を薙ぎ倒してのファイナル。
サクラメントの先発投手In My Opinionが7回を2点に抑え
打撃もPowhatanやMoonbeam Mystiqueら上位打線が機能。
優勝に向けて順調だったものの8回にアクシデントが発生。
"Ninja"とも称される守備名人、7年生のセカンドベースNouvelle Genesisがランナーと激突。
転倒の際に聞き手の右手を負傷、セカンドベースの控えがいないサクラメント市の守備は崩壊した。
その後ニューアークが7点を奪取し、クローザーXaohroaが2回を投げきり試合は終了した。
サクラメントの先発投手In My Opinionが7回を2点に抑え
打撃もPowhatanやMoonbeam Mystiqueら上位打線が機能。
優勝に向けて順調だったものの8回にアクシデントが発生。
"Ninja"とも称される守備名人、7年生のセカンドベースNouvelle Genesisがランナーと激突。
転倒の際に聞き手の右手を負傷、セカンドベースの控えがいないサクラメント市の守備は崩壊した。
その後ニューアークが7点を奪取し、クローザーXaohroaが2回を投げきり試合は終了した。
これまでの戦績
サクラメント市対戦相手 | スコア | 試合 | スコア | ニューアーク市対戦相手 |
北カナダ,イエローナイフ | 12-0 | 1回戦 | 6-4 | デラウェア,ウィルミントン |
バハカリフォルニア,ティファナ | 6-0 | 2回戦 | 5-0 | ネバダ,リノ |
アリゾナ,フェニックス | 4-2 | 3回戦 | 5-1 | サウスカロライナ,グリーンビル |
東テキサス,フォートワース | 7-4 | 準々決勝 | 3-2 | ミネソタ,ミネアポリス |
ケンタッキー,ルイビル | 4-3 | 準決勝 | 6-5 | 南カリフォルニア,サンディエゴ |
"フォーティナイナーズ(49世代)"1849~60
1848年1月、メキシコから割譲したカリフォルニア、サンフランシスコより北東108マイル付近、開拓地のサクラメント周辺で金が発見された。当時は地元の開拓民のみで金を掘り進めていたが、サンフランシスコの新聞社長が「金だ、アメリカン川から金だ!("Gold! Gold on the American River!")」と金を手にしながらサンフランシスコ中を駆け回ったことにより金鉱の存在がついに世に出回った。そしてその男は自身の仕えのウマ娘にニューヨークを目標をしてとにかく東へ走りながら経由地の新聞社にこの情報を売ってこいと命じ、そのウマ娘は山脈を越え砂漠をこえグレートプレーンズを駆け抜け、8ヶ月をかけニューヨークまで情報を伝達したとともに、道中の彼女にその情報を知らされたウマ娘らは新領土の開拓地から、グレートプレーンズの農村から、先進的な都市からすぐさま彼女が来た方向へ向かって走り出した。中にはこの情報を聞いて所有主の元から脱走した奴隷ウマ娘集団もいたという。