オーマング=アッタクテイ(本編)


今日も、ダメか、とため息をつくその青年。
ネステルのとある大型の病院。先生が複数人いて、看護師さんも多い。それなりに色々なことができる総合病院だ。ネステル市内に住むポレウル=クミルテルキは、その病院に入院するある女性に背を向けて、家に帰ろうとしていた。看護師の人の励ましの言葉に言葉を返して挨拶をする。途中で担当の先生にあったりしながら、病院を出て、家路に向かった。
ポレウルは一人暮らしではなく実家で、親の手伝いをしながら生活をしていた。サニス条約圏への参入からかれこれ20年。ハタ王国の情勢も安定し、これからも経済発展が期待できたころである。千年以上続く彼らの信仰心が薄れてきたわけではない。四大派閥の和親がスカルムレイにより義務付けられてから、四大派閥はにらみを効かすということを避けてきた。実家がクントイタクテイ派のポレウルもそんな世論と両親に影響されて、穏健派の一人として生活している。
病院は駅の近くにあり、その駅から地下鉄で20分ほどいき、あとは国鉄で少し郊外に出る。かなり住宅街が続いている地帯だが、ここもれっきとしたネステル市内だ。どこからか現れた猫や、元気にさえずる鳥たちをよそに、ポレウルは実家にたどり着いた。実家は一軒家で、核家族だ。
家の鍵を取り出してドアを開ける。母親の姿があった。
「あら、おかえり。病院に行ってたの?」
「うん。今日もダメだった」
「そう・・・」
息子の心情を察して返す言葉を見つけられなかった母親。
沈黙という名の同情を受け取ったポレウルは、質問をした。
「あの、父さんは?」
「お父さんは、イルキスの手伝いに行ったわ。すぐに戻るって」
父親は近くのイルキスの手伝いをしている。内容としては、落ち葉を掃除するなどの簡単な整備の仕事だ。
イルキスは大きい場合は、何人かのお手伝いを募ることがある。だが、スケニウ・イルキスなどのかなり大きいイルキスの場合は信徒数も多く、そこに仕えている補助のシャスティパンシャスティも多いため、そんな募集は必要ない。だが、大きくなったばかりのイルキスや、ここのような住宅街ばかりのイルキスは周りからボランティアを募っている。父親はそこに参加していて、いちおうパンシャスティと言えるかもしれない。無論、給料は出ない。
「帰ってくるの遅かったし、お母さん先にお昼ご飯食べちゃったわよ。そこにあんたの分用意してあるから、食べておいて。お母さんはちょっと出かけるから」
母親は大急ぎで出て行った。ポレウルはこれといってやることがない。お昼ご飯を食べたら、自室にこもって読書をするか、それくらいしかない。
部屋に入ると、隣りには本棚、そして勉強机。パソコンも置いてある。構図的に彼の部屋は大学生であるが、実際に彼は大学生である。ポレウルは本棚の前に行き、昔読んだ本をあさりだした。取り出したのは、手のひらサイズの小さい文庫本。厚みもそこまで無い。それを片手に彼は布団にもぐりこんで本を開いた。
その本の題名は「アッタクテイとその心」という本である。堅苦しそうな内容に聞こえるかもしれない。だが、これは他の本とは少し違うところがある。それは、印刷書体ではないということだ。内容はというと、確かに題名通りのアッタクテイ派の話が出てくる。ハタ王国ではもはやアッタクテイ派は少数派であるとするのがハタ王国での理であるが、この本を直筆で書いた人は、それをもろともせず、自らの信念を貫いたと言えるかもしれない。そんなこの本の著者の思いが、なんと直筆で綴られている。
本を読みながら、彼の回想は始まった。人の書く文字には、その人の性格が現れるという。まるでそれが本当であるかのように、ポレウルはこの本の著者のことを思いだした。しかし、それは彼の回想と絡んでくる。
本を書いたのは、ポレウルが会ったことのある人物なのだ。

「・・・またその本か」
何処からか声がした。ポレウルにとっては聞き慣れた男性の声だ。またか、という顔をした。最近大学で知り合い、ちょくちょく家に来るようになった、彼のれっきとした友人である。ちょくちょく来る、といってもその手段はもはや侵入に近い。いつもいつの間にか彼はポレウルの部屋に忍び込んでいて、最初は驚いたが、現在はそれを見るたびにこういった顔をする。
「シャスムング=ロビラガルタ、またお前か」
「その表情、見飽きたぞ」
シャスムングは、天井に張り付いていたが、そこから降りて、布団の横に座った。
「気持ちは分かるが、あいつはまだ生きているんだ。言葉を語りかけて見ろ、きっと届いているさ。閉じこもるな」
精一杯の彼の励ましである。だがどうも、彼にはこれを励ましだと受け取れない。どちらもコミュニケーションが交錯していて、本当に伝えたいことがちゃんと伝わっていない。
「お前に分かるか・・・」
そう返すだけだった。
「分かるさ。お前はあいつを、恋人を亡くして、しかもあいつが生きているのかどうかも理解できない。そんな状況に、お前はそうやってその本を読んであいつのことを頭の中で想像するしかないんだ」
「分かったから」
突き放すような一声。それでも、シャスムングは立ち去らない。そのことを、ポレウル含めて誰も咎めない。
唐突に、ポレウルが本の中にある文章を読み上げた。
「アッタクテイは、神の定めた掟に従い、逸脱しないように生きることを責務であることを強調する」
シャスムングは難しいことを考えるのは好きではないようで、大学で勉強していない時は、ほとんど遊んでばかりいる。そんな彼だから、こんな状況でもとても学問に勤しむ大学生の発言とは思えないようなことを口にする。
「何言ってんだ?」
「逸脱しないように生きることを貫いた人間に対する神の最後の恩恵は、安定した死亡である」
「アッタクテイ派の考え方って、本当によくわからないよな。あれがもともとのトイター教の考え方で、アルムレイによる世界創造の経緯とかそんなんよりも強調されていただなんて」
返す言葉はすでにポレウルには見つかっていた。だが、それを口にするのにはもう少し時間が置かれた。
「僕は、分かりたい。あの人が考えたことだし」
時間をおいてから彼は本を閉じて、シャスムングの方を見た。
「僕は、これを理解してもしかしたら目覚めるかもしれない彼女にこれをテーマに話してみたい。仮に目覚めないとしても、僕は必死に語りかけたい」
「・・・そうかい」
だが、今まで続けられていた彼の読書は終わってしまった。内容が難しかったのか、水を差されて集中力を切られたのか。それとも、何か別のことをしたくなったのか。
布団から出て、玄関に向かおうとした。急に始まった彼の行動に、シャスムングは追いつこうとした。
「おいおい、何所へ行くんだ?」
「いいことを思いついた」
彼の家は一軒家である。玄関を出ればそこはもう道である。やや急ぎ足で、彼は最寄り駅まで向かった。彼が国鉄を使うときは、ほとんど都心に出る時である。それも、彼女のいる病院に行く時か、本などを買うために行く時くらいだ。
「おいちょっと待ってよ。まだ切符を買っていないんだよ」
ポレウルは定期を持っているが、シャスムングはそうではない。定期券を通してさっさと行ってしまうので、シャスムングは切符を購入するのに少し手間取った。
丁度よく電車が来たので、それに乗る。遅れてきたシャスムングもそれに何とか乗ることができた。
「よく一緒に乗れたな」
「はあはあ、これくらいできないと、毎日お前の家に侵入できないだろ」
息切れしているが、大丈夫かと思った。珍しく、近くに席が空いていなかったので、その辺に立った。シャスムングも、その隣に立った。
さっきまでいた家やそれを囲む住宅街がどんどん横に流れていく。列車が発車したようだ。シャスムングは、ポレウルがどこに向かおうとしているのかどうかまだわからない。
「なあ、何所に行くんだ?」
「ハグナンに行く。そこでアッタクテイ派について勉強してみる」
シャスムングには気付かなかったが、よく見ると彼は、例の直筆の文庫本を持っていた。いったい何をしようというのか、だいたいシャスムングには予想がついた。
「おい、マジで言っているのか?」
「マジだよ。アッタクテイ派といえばハグナン。そこに居るシャスティの人にこれを直接問いかけて、教えてもらう」
シャスムングにはいまいち、常識という物のせいで言っていることがよくわからない。何が始まるというのだろうか。
そう思っていると、あっという間に、もうすぐ病院のあるとある駅だ。ポレウルは降りなかったが、強く祈りをささげるような仕草をしながら、発車を待った。

ネステル中心部のアルパの近くまで来たはいいものの、そのあとどう行動するのかが、シャスムングには予想できなかった。


どうやってアラナス島から大陸側に移動するか、それが問題だ。様々な交通手段が考えられる。船か、航空機か、あるいはウェールフープ移動か。早さを優先するならウェールフープだが、その辺に物体を転送できるほどの実力があるケートニアーがほっつき歩いているわけがない。船は以ての外、時間がかかりすぎる。ならば、航空機か。それしかない。
「俺は今から飛行機に乗る。お前もついてくるのか?」
「ああん?俺はこれでもフェースィー忍術のロビラガルタ一族出身。潜入なら俺に任せろ。ついてこい」
「はあ、お前のロビラガルタってそんな意味だったのか」
「ああそうだ。友人のお前の為だ」
昔懐かしい名字の由来についての話を思い出した。ハタ王国では名字を名乗れば大体どんな奴なのか、そいつが敵か味方なのかが判別できるという。
航空機に潜入なんて、そんな簡単にできる物なのだろうか。
そう考えている傍から、シャスムングは早速怪しい動きをして見せた。離陸時間が表示された電光掲示板をちらちらと見ながら、搭乗口に入ろうとする人々をじっくりと観察している。もちろん狙うのはスケニウやハグナン行の航空機なのだが、観光客がどこに行こうとしているかなんてそう簡単に見抜けるわけがない
「よし、あれだな」
「あれって?」
シャスムングが指さしたのは団体客だ。およそ50人ほどで、髪が銀色だったり黒だったり金だったりと、国際的な集団のようだ。
「ていうか、あれってどういう作戦で行くんだよ。てっきり乗組員にでも変装するのかと思った」
「いや、そういうのはもっと用意周到に準備してからちゃんと制服を作って前調査をしたりしてようやく実行できるんだ。だが今日はお前が突然ハグナンに行きたいって言うから特別に即興でもできそうな作戦を考えたんだ」
よくわからないが、あの団体に紛れていくのだろうか。古典的だ。
「さあ、さっそく実行だ。あいつらが荷物から離れた時にうまいこと忍び込むんだ」
「もし人数が合わなかったら?」
「その時はそいつを静かに消すんだ。自分が仲間に入れるようなスペースを確保しておけ」
そんな野蛮なことをして大丈夫なのかよ。
「まあ、とりあえず俺の任せろ」
シャスムングはその団体を見つめて、何かのタイミングを待っていた。
その団体客はやがて荷物検査に入ろうとしていた。どのタイミングで離れる気だろう。
“はーい、皆さん、これからイザルタへ行きますが、ここでトイレ休憩をはさみたいと思います。トイレはあちらを曲がったところにありますのでどうぞー”
これは、何語だろう?リパライン語だろうか。
すると団体はその場で休憩モードに入り、数人はグループから離れてどこかに行ってしまった。トイレ休憩でも挟んだのだろうか。
「団体が散ったぞ。トイレ休憩か?」
「くそお、リパライン語だこれ。早すぎてわからなかった。だが、確かにトイレ休憩みたいな雰囲気だよなあ」
何人もの人が団体から離れて、トイレへ向かおうとした。すると、シャスムングもトイレに向かった。
「って、こんな時にもお前もトイレかよ!?」
「ちょっと一仕事だよ」
そのまま走り去っていった。
シャスムングは男子トイレに向かい、トイレをするふりをして面子を確認した。確かに、さっきの団体の中でも見かけたような顔があった。シャスムングはニヤついて、ポレウルを呼び寄せた。
「ポレウル!!ちょっと来てくれ!」
「なんだよなんだよ」
わずらわしそうな顔をしてトイレの方まで行った。意外とトイレまでは近いので、声が届くし、走れば数秒でそこまで追いつく。
「なんだなんだ」
「しーっ、声が大きい」
「お前が最初でかかったんだろうが」
「あれは、お前を呼ぶためだろ。まあいい、ちょっとついてきてくれ」
シャスムングはポレウルの手を引っ張って障害者用トイレに入っていった。
鍵を閉めて、シャスムングはやや小声で話した。
「俺の直感によると、ここにおそらく二人ほど人間が残る。それ以外に人間はいないみたいだから、ここで殺して・・・」
「おいおいちょっと待て。そんなこと言っている時点で僕の最終目標であるアッタクテイ派への理解を達成できなくなる」
「そうだなあ。じゃあ、奴らが気になってしまうような仕掛けでも作るか」
シャスムングが取り出したのは拳銃の様なもの。びっくりしたポレウルは引き留めた。
「おいおいおいおいだから、人を殺すなって」
「殺さねえよ。ちょっと体がおかしくなるだけだからさあ」
シャスムングは手洗い用の蛇口をひねって、水を溜めた。よく見たら水鉄砲のような機構をしている。
「これで、あいつらの膀胱に水を入れて、しばしここで放尿をさせる。そうすれば時間を稼げるだろう」
トイレに行ってみると、確かに二人だけ残っている。おそらくラネーメ人だ。
“おいおいー、俺ら最後だぞ~?みんなに遅れるから早くしてくれよ”
“まてっ待てって。まだ出るんだよ”
「あの二人にしよう」
シャスムングは壁に隠れながら銃を構え、男性の方に向けた。まずはまだ放尿している男性だ。シャスムングが引き金を引いたが、そのまんま水が出てこない。
「おい、水が出ていないぞ」
「はっは、これはそのまま水を出すんじゃなくて、ウェールフープを利用してその場で水を転送して奴の膀胱めがけて水を打っているんだ」
そんな技術、本当に何に使うんだと思ったら、確かに今使っていた。
「なんでそんなものもっているんだよ」
「いやあ、今は亡き親父からもらったんだよ」
“おいおい、長くないか?そろそろ切ってくれよ・・・ちょっとまて、俺もちょっと”
“なんだ、お前もトイレかよ。早くしてくれよな”
「おい、今何をした」
「座標を変えたんだよね・・・今はさっきまでトイレをしていなかった人間の膀胱の方に水をぶち込んでいる」
とんでもねえやつだ。まあ、おしっこ出しっぱなしで公共の場を歩くことはできない。きちっと出し切ってから行こうとしていた。だが、水はそこそこの量いれたようだ。
「よし、ここまでいれとけば大丈夫だろう。あとは頑張ってもらおう」
水鉄砲を懐に仕舞った。
「どれくらいあそこで小便するんだ?」
「あと三分といったところか。それが終わってもしばらくはまだおしっこが残っているような感覚に襲われる」
最悪だ。
ポレウルを連れて、シャスムングは団体に紛れようとした。よかった、まだ団体はいる。早速荷物を探した。
「ああ、荷物荷物・・・」
「ん、君たちがトイレに行った最後かな」
「ああ、そうです。僕たちの荷物誰か移動させましたか?」
「ああ、あれじゃないかな」
団体に入り込んで、シャスムングがぼやいていたら女性が話しかけてきた。この女性はどうやらユーゴック語を普通に話しているようだ。
荷物は普通の大きさのスーツケースが一人一つずつ。もちろんさっき膀胱に水を詰め込まれた男性たちのものだ。
後は団体が出発すればよい。全員集まったという報告は往きついているはずなので、もうそろそろ出発してもよい。
「お、進んだな」
「はあ、潜入成功か」

3分後、ここはもう団体もみんな立ち去り、不思議なほどに窮屈さが消え、静まり返った。さっきトイレに入る前の情景と比べてはるかに状況が違いすぎて男性たちは違和感を覚えた。
“んん?おいおい、やっぱりおいて行かれたんじゃねえか?”
“どういうことだ?じゃあ、なんで荷物もないんだ?”
“あ、あの荷物の中には一体いくら入っていると思っているんだ???”
“くそう!あの団体の中に盗人が居やがった!!!これだからリパラオネ人の観光ツアーは嫌なんだ!!”
男性二人組は途方に暮れた。


離陸から数時間後。シャスムングとポレウルはずっと寝ていた。他の団体から辺に話しかけられないようにするためだ。当然寝たふり。だが、着陸の時間には放送で起こされた。起きたのはポレウルである。
「乗客の皆さまにお伝えします。本日もハタ王国国際航空をご利用いただきまして、ありがとうございました。当機は間もなく、イザルタへ到着、イザルタ国際空港へ着陸いたします。シートベルトの着用をお願いします」
シートベルトを付けることを促すランプがついた。もう、着いたのか・・って、ん?
「なあ、イザルタって言わなかったか?」
「ああ、そうだが。ていうかイザルタでもスケニウでも国鉄とか使ったら普通にハグナンにつくだろ」
「それはそうだが、イザルタからじゃあスケニウからの3倍近くの距離はあるぞ」
「まあまあ、丁度いい団体がこれだったんだから、このタイミングに感謝しないとね」

――

イザルタについたのはいいのだが、そこからどうすればよいのかという不安がまだポレウルにはあった。この団体はこの後どこに行くんだろう。
「なあ、この後どうするんだ?」
「見た感じ、この団体は幸運なことに人数点呼もしていないし、人数も多いからメンバー間の顔もいまいち分かっていないらしい。だから、とりあえず降りて空港から出たら、独自に行動したらいい。ついでに荷物も貰っていこう」
軽々と盗みを働くつもりか。フェースィー忍術とやらは本当にそれが目的で形成されたものなのか。もはやペーセ人とかロビラガルタ一族とか関係ない気がする。

荷物検査も終わり、なかなか順調に事が進んだ。団体が空港を出るのは1時間後で、そのあとはイザルタの観光、そして今日はハフル市内のホテルで泊まるらしい。ハタ王国の一周旅行という感じか。
「ハグナンも一応ルートに組み込まれているが、訪れるのは三日目らしい。今日が何日目なのかはパンフレットを見ないとわからないが・・・」
「ここに書いてある、予定によれば今朝の8時にユエスレオネを出発、ウェールフープを利用して一時間ほどでハタ王国のネステルに到着しそこで昼食、そのままネステルを観光して、さっきの空港だ。多分一日目だな。ちなみに今日はイザルタ観光で主にイーグティェルーアルー関係を回るらしい」
「ほう、やるなポレウル。そのようだ、ってことは結構後にハグナンに行くんだな」
いくらなんでも怪しまれる前に団体から離れていち早くハグナンに向かったほうがよさそうだ。
「ポレウル、どうする、観光するか?」
「あんまり時間はない。シャスムング=ロビラガルタがさっき言っていた通り、抜けようか。荷物をもって」
この団体が移動を始め、貸し切りバスに乗るまでが脱出するチャンスだ。
移動が始まった。この通路を通って、最終的には貸し切りバスにまで乗り込むらしい。だが、バスともなると、座席の数とかが合わないとかそんなんが起こったりしないだろうか。まあ、この団体はどうやら道中で人数確認を行わない、生きようが死のうが完全自己責任の団体だからもはやそんなに考える必要はないかもしれない。
「ところで、ハグナンへはどうやって行こうと考えているんだ?」
ポレウルは伺った。
「そうだなあ、また国鉄か?」
道中の看板を指して、シャスムングは言い放った。結局そうなるのかな。国鉄なら予約も必要ない。
「よし、今抜けるぞ」
団体はそのまま向こうに向かって走り去っていった。シャスムングはポレウルの手を引っ張りながら団体を離れて国鉄の乗り場へ向かおうとする。
「おいおい、引っ張るなって。僕に先に行かせろ」
空港から数分は知ると、もう乗り場のようなところについた。ここは空港から直接イザルタ市の中心部に行ける線路が用意されていて、そこに乗っていったん中心に言った後にハグナンへ向かう。ハグナンについてからが最も大変だと思うが、まあ仕方がない。
「何言っているんだ、潜入なら俺の方がプロだ。俺に先に行かせろ」
「おや、君たちは誰かな?」
何処からか声が聞こえた。二人はその場で立ち止まり、声の主を探した。
「こっちだよ、私だ」
先に見つけたのはポレウルの方。遅れてシャスムングも同じ方向を向いた。声の主は一般的なスカルタンを着た女性である。
「・・・誰?何の用?」
「いや、君たちずいぶんと急いでいるようだから、一体どんな用でそんなに国鉄まで急いでいるのかなと。特急の予約でもしているの?」
「いや、予約はしていない。これから遠出をするんだ」
「へぇー、方向は?」
「スケニウ方面だ」
「そうなんだー、実は私もその方向なんだよね。よかったら同席しないか?」
突然なんなんだろう。何故私たちについていこうとするんだ?同じことを考えていたようで、シャスムングがこちらに耳元でひそひそと話しかけてきた。
「我々が不正に飛行機に搭乗したのを突き止めてきたスパイか何かかもしれない、安易に受け入れるなよ」
「そうは言われても・・・」
いや、一応ちゃんと断っておくかと思い、ポレウルは口を開いた。
「ごめんなさい、ここは断っておきたいのだが」
「ああ、そうか。もしかして君たちはデートかなのか?もしそうなら仕方がないね」
ん?今こいつなんて言った。
「え?いや、そういう関係では」
「あんまり邪魔しちゃ悪いな、自由な旅行を楽しむといいよ」
女性は去っていった。何とも気味の悪い女性である。
「シャスムング=ロビラガルタ・・・」
「いつも思うんだが、いちいちフルネームで呼ぶの止めろって。何だ?」
「僕らって、どちらかが女性に見えるかな」
「俺ら二人とも男気満載だと思うぞ」

降りるのはハグナン。国鉄ハグナン駅はハグナン市を代表する駅である。
デュイン戦争後の開国による交通整備や、ハタ共産党・社会党らによる改革により、ハタ王国でも鉄道に乗ることができたが、ここ大陸側の領土にまで鉄道が敷かれるようになるのはもう少し待たねばならなかった。そんな出来立ての鉄道である。
切符を買い、改札を通った。県を5つほど超えるのだから、それなりの交通費がとられる。シャスムングは特に用もないはずなのについてきたので、予想外の出費を食らっている。財布が心配だ。
「540ケテ・・・ぼったくりだなあ王国鉄道は」
「そんなもんだろ。普通にハグナンはここから遠いぞ」
「へぇー、スケニウ方面はスケニウ方面でもハグナンで降りるんだー、実は私も・・・」
「うわあああっっ!!」
さっきの女性である。まさかまた現れるとは思わなかった。
「叫ぶってことは、やっぱり君たちは・・・」
「おいおい、シャスムング=ロビラガルタ、早く切符購入済ませろよ!あの女に憑りつかれるぞ」
「急かすなって、今やってるだろ」
女性が迫ってくる。名前も知らないし、ついさっき話しただけであるが、こんなにも早く恐怖心を抱いてしまうとはこれいかに。
シャスムングが券売機から切符を取り出し、おつりを受け取る。
「よし、行こう。もうすぐ次の電車が来るらしい」
乗ろうとしているのはスケニウ行の急行。混んでいるだろうがその分各駅停車よりかは早く到着するだろう。彼女のため、より早く到着した方がいい。
「んー?なんか私から逃げようとしている?」
女性は荷物を隣にいた人間に預けた。その人間はカバンの中から一瞬で何かを取り出し、女性はそれを着る体勢を取った。人間はその服を後ろから女性に着せた。王国警察の制服の「アペシディス・スカルタン」だ。
「ミールスカッタクテイ部長!準備完了であります!」
「了解、ハフルテュデスト君。さあ、後輩たちに尋問してみようか。追いかけっこの始まりだ」


イザルタ駅の4番ホーム。ここはスケニウ、ディスナル行の電車が止まる乗り場の一つである。シャスムングとポレウルは周りに警戒しながら電車を待つ。あと数分で到着だ。
「早く来てもらわないとさっきの人が来てしまう・・・」
「あいつはスパイかあるいは警察か何かに見えるか?」
「見た目じゃあわからないけれど」
「馬鹿か、変装しているかもしれないだろ。俺たちは一応パスポートを不正に使ったりした者なんだ」
「ば、ばか、声がでかい」
腕時計を確認する。時間はまだ少しあると踏んでいた。
「おバカな子たちだねえ、次の急行スケニウ行の発車まではあと3分もあるというのに」
「どうしますか、ミールスカッタクテイ部長。一気にたたみかけますか」
「君、声がでかい。もう少し国の秩序を守るものとして落ち着いた行動をとるんだ」
ポレウルは唐突に、後ろを向いた。やがてその光景に驚き、シャスムングに警告を促した。
「おい、さっきの人、なんかヤバそうな服を着て何人かヤバそうな人を連れている!あれは何の服かわかるか?目が悪いせいでぼやけて見える」
「まったく、視力の低い奴め。あれは・・・!!」
シャスムングは自分たちが狙われているということを確信した。
「あれは、王国警察の制服だ・・・!俺たちを狙っていないか?」
ミールスカッタクテイはため息をついて部下に呼びかけた。
「あーあ、気付かれちゃったよ。彼ら、なかなかやるみたいだね。学芸会の見世物のような作戦だって油断していたよ・・・取り押さえな!」
「了解」
一斉にスカルタン、ただし非常にうごきやすいものを着た男女たちが二人に向かって走り出した。
「くっそ、追ってきやがった・・・」
ポレウルは嘆いた。
「どうする?逃げてみるか?それとも戦ってみるか?」
「どちらにしても僕たちはお尋ね者だ。ならばここは僕たちの信念を貫き通してみよう・・・」
「・・・お前に聞くのが間違いだったかもな」
シャスムングはその場で笑って、その答えを待っていたかのような表情をした。すかさずメシェーラを取り出して、後ろを振り向いて、威嚇のウェールフープを行った。
「うわぁっ!」
こちらに襲い掛かってきた警察官が煙を前に視界を奪われる。途端に近隣にいた人たちも叫び声を上げた。
「きゃーっ!」
「ほう、抵抗してみるか・・・その考え方がまた生々しくていいねー、若いって素晴らしい」
ここでアナウンスが入った。
「まもなく4番乗り場に、ネステル行き急行が参ります。白線の内側までお下がりください」
それと同時に警笛が聞こえる。もう電車が来たらしい。シャスムングとポレウルはこれに乗る気だが、ミールスカッタクテイ達はそうはさせまいと、刺客を送ってくる。まき散らされた煙はやがて晴れ、再び視界が見えてきた。電車が到着して、乗車して、ドアが閉まるまで耐えられるかどうか。
「取り押さえろ!」
「容疑者二名だ!」
「そう簡単に捕まるかっ、先に乗ってるんだ!俺はここで食い止める!」
「あ、ああ、分かった」
電車が到着して、間もなくドアが開いた。そこに急いでポレウルは乗り込んだ。あの人のため、彼女のため。仕方ないことだと割り切るしかなかった。
一方、シャスムングを前に警察官たちは苦戦していた。光るメシェーラの使い手で、なかなかに強い。また、この警察官たちはケートニアーでもないのだ。
「降伏しなよ、私達に武力で応戦している時点で、君たちがただじゃすまないことは明白なんだから」
ミールスカッタクテイの怪しい笑みがハフルテュデストに聞こえた。
「部長、私も加勢した方がいいですかね」
「焦るな、私が行く。君は住民の安全を確保するんだ」
「了解しました」
発車ベルが鳴り響く。シャスムングは自分に立ち向かってきた警察官たちに動けない程度に攻撃を加えて、急いで自分も乗車する。
「待ちな、ハーフの青年」
ミールスカッタクテイが急に迫る。シャスムングの腕をつかんで、光るメシェーラを取り出した。
ドアが閉まり始めた。
「く、放せ!」
シャスムングは一気に体制を切り替えて、巴投げをするように電車の方向に転がっていった。するとミールスカッタクテイも一緒に転がって、ドアに突っ込んでいった。二人が電車に完全に入ると、ドアが閉まり切り、発車した。
「あっ・・・」
「えっ・・・」
「あれ、部長?」
ハフルテュデストは電車が発車し始めて、しかも部長がいないということに気が付いた。
「あの、あなた、部長は見てない?」
「はあ、あの電車に乗っちゃいました」
「えっ・・・追わなきゃいけないじゃないですか」

電車の中、ポレウルはともかくとして、この状況はまずかった。
シャスムングは次に一体こいつが何をしようというのか、非常に注意深く監視していた。
「まあまあ、ハーフの青年。そんなに怖い顔するなって。私はシャナス=ミールスカッタクテイ、王国警察交通機関課イザルタ支部の部長だ。今君ともう一人の小柄な少年にはパスポートの不正使用と窃盗の疑いがかかっている。さあ、君の名前は?」
「・・・ロビラガルタです」
「ほう、姓名は?」
「シャスムング=ロビラガルタです」
「へえ、よろしくね。まあまあ、メシェーラを仕舞って。ここで暴れたら住民の皆さんへの被害の方が大きくなるからここでは戦わないようにしようね?うん、いい子だ。君に対する疑いの原因については、ハグナンででも話をしようか?今は君たちの事情を聴いて、それからあと後の私たちの行動を決めるとしよう。君と一緒にいた小柄な少年はどこに座ったんだ?」
「俺もわからないけれど、多分この扉から乗車して、右に曲がったからここよりも前の車両に座っていることは確か・・・」
そういいながらシャスムングは席を見渡したが、すぐにポレウルを見つけてしまった。手前側の席から6つ目くらいのところに座っている。
「あれが彼か?」
「ええ、ポレウル=クミルテルキ。俺の友人です」
「彼のところまで連れて行っていろいろと話をしてくれるかな」
シャスムングは最初ここでミールスカッタクテイを処分したくなったが、事をここで大きくするのはまずいと考えて、それはやめておいて、おとなしく彼のところまで案内した。

「さて、納得いただいたところでポレウル君」
「はい」
感情のこもっていない返事を返した。
「君たちは若いのにそんなパスポートを不正利用したりしてまでハグナンまで行く理由を聞かせてくれないかい?」
背筋が凍った。それはすなわち、自分のプライベートの話をするということだ。当然、そんな質問に答えることができるはずがない。
「それは、無理です」
「んーそうだよねー。これは刑事として私が気になるんじゃなくて、個人的な理由で突き止めようとしているからねえ」
「は、はあ」
「でもまあ、そのうち話したくなったらまずは私に話しかけてみてね。君たちがハグナンまで行っていったい何をしようというのか気になるから、それが終わってから君たちの処分は考えることにするよ」
それって彼女の立場的に大丈夫なのだろうか。容疑者をわざと送らせて逮捕するなんて。まあ、トイター教徒らしい考え方ではある。人間が定めた法律なんて、所詮は人間が定めたものというわけか。
そのまま、何をするかと思いきや。ミールスカッタクテイは席を外して、どこかへ行ってしまった。
「シャスムング=ロビラガルタ、あのシャナス=ミールスカッタクテイを追わなくていいのか?」
「追わなくてもいい、今は落ち着いて話をしよう」


しばらく時間をおいて、さっきからあふれていた警戒心もある程度は和らいできた。
「彼女、一体何者なんだ?」
シャスムングは百も承知であるかのように答えた。
「俺と戦う前に丁寧に自己紹介をしていた。シャナス=ミールスカッタクテイは、アッタクテイ・ミール派のトイター教徒だ。実家がシャスティなのかあるいは一般的なトイター教徒なのかは知らないが。あと、職業は刑事。王国警察のイザルタ支部の部長らしい。結構なお偉いさんだ」
「私の職業はまあ、喋っちゃったから知っているだろうけれど、素性まであさるのはいけ好かないねえ」
さっきどこかに行ったはずのシャナスが戻ってきた。
「名字は本人の信仰、そして本人の素性だと、スステ=スカルムレイは申されただろう」
まあ、そうだが、とポレウルは思った。
「ははっ、君たちこそ」
「あの、話は変わるんだが何所に行っていたんだ?」
「着替えてきただけだよ、容疑者諸君。話に混ぜてもらおうか。私はともかく、君たちについて聞きたいことがある」
遠出するための車両だったので、特急のように座席が前後を向いている。二つの席が向かい合っていて、ポレウルとシャスムングはそこに向かい合うように座っていたが、ポレウルの横にシャナスも加わった。
「君たちがここまでしてハグナンに行こうとする理由は何だい?」
彼らがハグナンに行こうとする理由。シャスムングはともかく、ポレウルにとってそれは核心を突くような質問であった。もちろん、最初は答えることを躊躇ったが、シャスムングがその沈黙を破ってしまった。
「ああ、こいつ、アッタクテイ派について学びたいんだ。だから本家であるハグナンにまでわざわざ行って現地のシャスティと話したいんだ」
「・・・!」
「へぇ~、そうなんだ。珍しい子がいたもんだねえ。君たち大学生だよね、どこの大学なの?」
「俺らはハグナンスケ中央大学だよ。トイター教の専攻」
ハグナンスケ中央大学。名前こそ知れ渡ったが、それはそこの大学の教育の高等さにある。
「ほう、エリートじゃないか。」
ポレウルはどんどん自分たちの事情がさらされていることを少し懸念していた。そのことは、周りの二人に感づかれてもおかしくはなかっただろう。
「今時はクントイタクテイが主流なのかい?」
「どうだろうね、クントイタクテイを専門にする人はそこまで多くないイメージだけれど、それよりもテリーン派が多いね。周りはみんな呪術やってるんだよ」
「そうなんだ、君たちは何をしているの?」
「ああ、俺らはアッタクテイ派の専攻」
「なるほどー・・・じゃあ、なんで大学の講義に出ずにハグナン訪問しようとしているのかねえ・・・ねえ、ポレウル君?」
二人の会話を傍観していたポレウルだったが、突然シャナスに話題を振られて動揺してしまった。
「ああっ、え?」
「なんで大学の講義に出ていないのかなって」
「え、ああ・・・」
ポレウルは言葉を探し始めた。自分たちの境遇にふさわしい状況はどう表現できようか。しばらく考えた末に、答えを出してみた。
「朔望・・・?いや、遠くに行ってほしくないという願い・・・」
突然意味不明な単語を並べられたシャナスは、動揺返しを受けた。
「え?朔望?シャスティになりたいの?」
「共有したいという想い・・・」
しばらくは冗談交じりに彼の意味不明な言動をあしらっていたが、ようやく理由がサボりとかそんなのではないことを察して見せた。
「先に簡略化する必要はないよ。具体的に話してごらん」
しかし、そう踏み込まれるとなかなか真意を伝えにくい。それでも、なんとか、むしろ何が何でも事情を聴いてくる彼女に対する諦め気味に、口を開いた。
ポレウルは上着の内ポケットから、ある本を取り出した。その本は、言うまでもない、例の手書きの文庫本である。
「・・・これは?」
「実は、それは出版社が印刷して出版したんじゃなくて、とある人が手書きで僕に記してくれたアッタクテイ派の入門書なんだ」
標題を確認してから、表紙を開いて、中身を見てみた。ボールペンで丁寧に文字が書かれていた。
「以下が、トイターが初めに授かったとされる神の言葉である。一、神である私はお前に教えるべきことを教える。この世界とは、私が主体となり原因となり、また原因は原因を産み、原因はやがて実体を作り、実体は形を変えて世界となり、世界は人間を作った。二、人間は、他の実体から生まれたものと決定的に違う点がある。その点は、決して人間の知恵をもってしても分かりえない、究極の液体をもって霊魂とし、肉体に埋め込まれた・・・」
その時、ポレウルが鼻をすする音が聞こえた。ポレウルは、泣いていた。
「ポレウル君、どうしたんだ?」
「・・・気にしないでくれ」
どうしても気になるような表情を見せるシャナス。無理もない、自分が気になっている、その根源となる事実かもしれないのだ。だが、これを本人が話してくれそうな感じは一切ない。
だが、最後に念を押したく、自分の疑問を解消したくて、最後に追い打ちをかけるように質問した。
「ポレウル君、君にとって、この本は一体なんなんだ?この本の著者とは一体どんな関係なんだ?」
「・・・著者ならば、裏表紙に書いてある」
ハッと思い、シャナスは見返して、その名を確認した。そして、読み上げた。
「オーマング=アッタクテイ・・・?」
「こいつの元カノだよ」
突然乱入してきたのはシャスムング。ポレウルはそれをとがめなかった。
「ハグナン出身の生粋のアッタクテイ派。少数派の末裔として生きてきたが、周りにシーナリア派が多すぎて、その宗派を表向きに出せなかった。革新派(シーナリア派)と原理派(アッタクテイ派)には、深い因縁があるからな」
シャスムングが話を進めるたびに、どんどんポレウルの表情は暗くなっていく。
「オーマングのいるアッタクテイ家はガレブァ原理派大虐殺の時に生き残った非常に数少ない原理派の末裔なんだ。その分、シーナリア派に対しては非常に敏感で、ただでさえ体の弱かった彼女は自らの体の危険を危惧してネステルに移住した。この時、彼女は14歳ほどだった。今でこそ365日で連邦の真似事をしたトイター暦だが、この年齢の数え方はアッタクテイ派、否、トイター教の伝統の純粋トイター暦による数え方だから、実質7歳ほどだな」
シャナスは黙って聞いていた。彼女自身もアッタクテイ出身だからだろうか、その表情にも深みが出ていた。
「最初は俺たちの住んでいるところからは少し離れたところで義務教育を終えたからその時代のことはよくわからないが、大学受験の後、一緒にハグナンスケ大学に入学した。俺もポレウルもそのときに彼女と知り合った」
「それで、ポレウル君はその子がかわいくて告白したとか?」
「短絡的に言うとそうかな。つまり、その本は、こいつの元カノが書いた本なんだよ。その本をもらったのは2年くらい前の話だが、いまだにそれを肌身離さず持っている」
別にそれは百パーセントあっているというわけではない。家にいるときはさすがに本棚に仕舞っている。逆に言えば、それ以外の時には先ほどのように内ポケットに入っていたりするのだが。
「書籍とはいえ元カノのことをまだ想っているとは、君は見た目とは裏腹にあきらめが悪い性格のようだね?その子は今はどうしているの?」
「死んだよ」
あたりの空気が一気に鎮まってしまった。さすがのシャナスも驚いていた。
「いや、正確には死んでいない。数か月前にある事件が起きて以来、脳にショックを受けて記憶喪失の状態に陥った。ネステル中心部の病院に入院して以来、両親や大学の友人からの補助を受けながら寝たきりの生活をしている。当然、彼らの顔も覚えていないし、言葉も十分に話せていない。回復の兆しもないし、俺にとってというより、むしろポレウルにとって、あいつの記憶喪失は、あいつが死んだも同然だ。だが一方で状態的には生きているんだ」


暗い話をしていると、ポレウルがどんどんうつ状態に陥り、やがては自殺してしまうとシャスムングは話していた。さすがにそこまでは半信半疑でいたが、これ以上この本についてのことと、彼らがハグナンへ向かう目的について話すことは規制がかけられた。
「ところで、ミールスカッタクテイ?」
「ん?どうした」
窓の景色を見ながら、相槌を打った。
「ミールスカッタクテイ氏はイザルタの刑事なんだろう?俺らと一緒にこの電車に乗っても大丈夫なのか?」
「この電車は特急だ。次の停車駅はハグナン。間違ってこの電車に乗ってしまったからにはそのままハグナンに行くしかないんだ」
「でも、イザルタ駅にたくさん部下を・・・」
「私の心配などするな、大人の事情ってやつだ」
すると、窓を見るのをやめて、シャッターを閉めた。
「ただ、君たちに関わるように話をしておくと、まだ何も通信を入れてないから、彼らは私が君らに捕まったとか、あるいは電車の中で激戦を繰り広げているとか、そうでなくても逮捕のための交渉をしていると考えられているだろうな。君たちをまだ逮捕せずにこうやって話していても、これは私の個人的な感情に過ぎない」
まあ、それが当然だろう。一応、彼らもこの国の法律に従って容疑者を逮捕するため、二人を追ってくる。
「このことは、私の失態でもあるんだ。容疑者を、しかも若いネートニアーを捕えることくらい、王国警察の支部長としてできなくては困るようなこと」
そういいながら、シャナスはシャスムングを見つめた。
思えば、彼女の部下たちが電車に乗ってこずに、こうして電車の中で彼女と話しているのは、シャスムングの死闘のおかげである。ポレウル自身は、シャスムングは単に運動神経のよくて、闘うと強い奴だと思っていたが、それは王国警察の支部長と張り合えるくらいの者だった。
「シャスムング君、君の出身は?見た感じだと、ペーセ人とのハーフっぽいけれど、フェースィー忍術でのやっているの?」
「やっているもなにも、実家はもともとフェースィーの忍者だ。俺はそこの長男として、この技を受け継いできた。光るメシェーラも、普通の王国のシャスティとは少々使い方が違う」
「どうして、ハグナンスケ中央大学にいるの?」
「んん・・・今の時代、そんなものを使う必要がなくなったんだよ。昔はロビラガルタ家もウィトイターだったからウィトイターを排除しようとする一部のクントイタクテイ派に弾圧を受けたし、それに対する対抗策として、そして我らがペーセ民族を守り抜くため、この技を利用してきた。だが今や市民平等の社会。ウィトイターもトイムルクテイも数に差はあれど共存を強いられた。フェースィー忍術の使い手もかつてはたくさんいたが、今現在、その技を使いこなして後世に受け継ぐ姿勢を保っているのは、我らロビラガルタ一族しかいない」
「つまり、自由主義に従ってネステルにも出てきたと?」
「そういうことだな。護身術としては受け継いだのだが、親からの薦めで進学してみたらどうだと。だが、俺はどうも勉強には向かないらしくて。ハグナンスケ大学に入れたのも本当に偶然だ」
ポレウルはこの話は何度か聞かされていた。そう、まだオーマングが彼らの中で生きていたころに。そう考えると、また悲しくなってくる。
彼女のことを思いだして、本を見ながら丸腰になっていると、シャナスが声をかけてきた。
「また暗い顔をしているぞ。元気を出せ。君のやりたいことがハグナンに行き勉強をするということなら、別に今はそれをやったらいい。それがどうやって君のためになるのか、私にはわからないが、今はそのことを私も咎めない」
「申し訳ないですが、そう簡単にはいかないですね」
突然聞こえてきた謎の声。三人は驚いたのは言うまでもないが、シャナスの驚き具合は尋常ではなかった。
「ハフルテュデスト、どうやってこの電車に乗ってきた」
「みんなで協力して、部長を追ってきました」
その女性はハフルテュデストというらしいことを二人は知った。確かにイザルタ駅に彼女の姿もあったが、あまりにも距離が離れていたため、その存在までは知らなかった。
「彼ら二人が容疑者ですか?流石部長です。すっかり警戒心を無くして、部長の話術に嵌っています」
え、という顔をした。その中でミールスカッタクテイの心が動かないかどうか、二人は心配にしていた。その時の二人の強く願うような顔がハフルテュデストの目に入ったのは言うまでもない。
一方ミールスカッタクテイの表情は真剣だった。
愚かな自らの信念を貫き通すべきか、容疑者を一度逃したにもかかわらずまた再び刑事に戻ってくるのか。彼女の考えることは、利己的な視点から見れば本当におろかである。所詮彼ら二人も、巨大なハタ王国を構成する大量の人民の一人と一人。しかしそれを自分の愚かな信念の為だけに、そのためだけに、今まで問題なく逮捕してきた数々の王国の反逆者を欺くようなことはできない。彼らを逮捕しなければならない境遇に、ミールスカッタクテイは初めから置かれている。
一方で、彼女の頭の中は閉まらない正義でいっぱいだった。自分は、先ほどイザルタ駅で容疑者を取りのがした。それも、若いネートニアー。相手が戦闘の素人ではなかったことも立派な原因となるかもしれないが、もはやそんなことはどうでもよかった。容疑者を逃がすなんて、自分は刑事ではない。刑事でない自分は、もはや自分ではない。自分はどこかに消えてしまった。そんな強い自己否定の感情に陥ってしまってもいた。
しかし、その沈黙を破ったのは、ハフルテュデストでもミールスカッタクテイでもなかった。
「警戒心を無くしただって?ロビラガルタ家の伝統的な座右の銘を借りるとしたら、『アリテ・リウ・オンマイー』。常に敵がそばにいる!」
一瞬でメシェーラを取り出して、それを振り回す。それはまるでライフル。何かがそこから発射されて、まるで数十発の銃弾が一瞬で撃ちこまれたようにあたりにまき散らされた。乗客は叫び、ガラスは割れた。
「怯んだな!」
座席から飛び跳ねて一気に急襲をかけた。ポレウルは突然の展開に、体が動かなかった。シャナスも事の収拾の付け方に悩んでいた。以前なら、すぐさま彼を捕えるために奮闘し、やがて手錠をかけていただろう。だが、それをやっていない。
シャスムングは手刀を形作り、それをハフルテュデストに向けた。ハフルテュデストはそれを見て目を見開き、ガードする体勢を取った。狙っていたのは首元である。
バシっと響く音がした。シャスムングの手刀は抑えられていた。
「とりあえず、落ち着いてもらおうか」
間に入ったのはシャナス。シャスムングの手刀を、手首を掴んで受け止めていた。
「今、お前は殺す気だった・・・貴様はやはりウィトイターのようだな」
そういわれて、ハッとしたのはシャスムングである。
「ウィトイターでいいさ。所詮俺らの一族はその目をさんざん見てきた・・・!」
「なるほど、スステ政治以降の我らの先祖がお前たちウィトイターを蔑んできた気分が分かってきた気がするよ」
「黙れ!同調圧力の権化が!!」
再びシャスムングはメシェーラを取り出した。今度はライフルではない。シャナスに向けてメシェーラの先を向けた。目にもとまらぬ速さでレーザービームが発射される。ポレウルやハフルテュデストの目には一切とらえきれない。
「ミールスカッタクテイ・・・教えてくれよ!」
光るメシェーラによる討ち合いが繰り広げられる。ここまで死闘をするシャスムングは、さすがのポレウルも初めてだ。
「なにを・・・?」
「何故お前たちは・・・そんなにも同調圧力が激しいのかを・・!」
それを聞いて、ミールスカッタクテイはニヤッとした。
シャスムングの一撃、ハフルテュデストの手が震えた。シャスムングのメシェーラから火花が飛び散る様子が見られた。やがてそれはレーザーとなり、真っ直ぐと前へ発射された。そのレーザーの進行方向にあった障害物はすべて撥ね退けられ、車両全体がガタンと音がした。しかし、ミールスカッタクテイはそこに居ない。ハフルテュデストにもその姿は確認できない。
「・・・!」
ポレウルとハフルテュデストは同時に驚いた。そこには二人の姿が丸ごとないのだ。代わりに天井に穴が開いていた。二人は上に行ったのだろうか。
この鉄道は二階建てでもないので、天井が敗れた上には空が広がっていた。しかし、それは曇り空。今はおそらくスリャーザのあたりを通っているんだろうが、今日のスリャーザは雨模様だ。なかなかの降り具合なので雨が中に入ってきて床が濡れはじめていた。
「理由を教えよう、ウィトイターのペーセ人よ」
シャスムングはミールスカッタクテイの胸ぐらをつかんで、列車の外に彼を持ち上げていた。
ハフルテュデストは叫ぶ。
「ぶ、部長!?何バカなことやっているんですか?」
シャスムングの声は聞こえない。ポレウルはシャスムングの様子を確認しようと上に上がった。
「シャスムング=ロビラガルタ!」
「ポレウル=クミルテルキ、彼は嘘のトイター教の学習者だ。トイター教を学ぶ裏で、彼はこんなにもトイター教の侮辱をしていた。トイター教アッタクテイ・ミール派として、彼の生存は認められない。君の友人を殺す。代償は払おう」
そういってから、ミールスカッタクテイの動きが止まった。全身に力抜けたように、その場で崩れ去った。すかさずシャスムングが身を切り替える。列車の外側にメシェーラを向けて弾のようなものを発射することで推進力を得て、列車の方に体を動かした。二人は助かった。
「・・・シャスムング=ロビラガルタ容疑者」
「なんだ」
「これで終わったと思うな」
シャナスは下に降りて、ハフルテュデストを抱えて列車から飛び降りた。

「はあ、なぜ・・・ここまでの行為をやってのけたんですか?彼らと話した理由は?」
「私の信条を肯定する仲間が欲しかった。彼らがアッタクテイ派に興味をもってそのためにこんな遠いところまで旅に出ていた。容疑者だが、アッタクテイ派の末裔として放っておけなかった」
ハフルテュデストが呆れ声を漏らしたのは言うまでもない。
「だが、そのあとシャスムング=ロビラガルタから放たれた言葉は、トイター教をひどく比喩して馬鹿にし、罪のない君を殺そうとした。ウィトイターだった君がトイターの教えに正当さを見出して信じぬいてくれた。私は、ハフルテュデスト君が裏切り者のペーセ人のウィトイターに殺されるのを見たくはなかった」
ミールスカッタクテイはメシェーラを取り出して、何かを吹きだして、空を飛び始めた。向かう方角はハグナンだ。
「トイターの授けた聖戦の義務と、ハタ社会党が打ち立てた人間による法律。どっちが大切なんですか?」
「今それを聞くな・・・私の居場所がまた無くなる」
「人間が一度に行える行為はたった一つです。今は何をしているんですか?」
「今の私はシャナス=ミールスカッタクテイ。ガレブァ原理派大虐殺の生き残り。アッタクテイ派の継承者であり、ミール派の末裔。いや・・・」
シャナスは矛盾に気が付いた。
「ミール派などではないな。あの頃彼らが払った『妥協』を、私の代で晴らさなければならない。今はそれだけだ。だから部下もいらないんだ」


「シャスムング・・・」
「なんだ?」
「俺らは今からアッタクテイ派を学びに行くのか?」
その言葉を聞いて、シャスムングは自信を失ってしまった。
何の自信か、自分は彼の友人としてふさわしいのかという自己否定だ。
「そのはずだった。俺はしがないウィトイターだが、それでも友人のお前を守りたくてアッタクテイ派を学んでみようと尽力してきたつもりだった」
殺伐とした車内。乗客は全員避難したかその場で血だらけになって倒れていた。ポレウルに傷はない。
「だが、お前は自分の信念を見失うな。もしお前が今、あいつの元に寄り添いたくてここまで来ているんなら、俺のことをかまわず、ハグナンへ向かうんだ。またミールスカッタクテイのやつが攻めに来てもおかしくはない。」
「そんな・・・無茶だ。お前がここにいるから僕はハグナンまで到着できそうなんだ」
「それはもうどうだっていいんだ。俺が過去にお前に施したことなんて・・・俺が死んでしまえばどうだっていい」
「・・・シャスムング=ロビラガルタ、お前はやっぱり友人になるべき人間を間違えたね」
少し笑いながらポレウルは言い放った。真顔で話されれば、その場で円を切りたくなるような言葉。それをあえて、笑顔で言い放った。
ポレウルは、自分と相対するような人間を容易に突き放したりはしない。その魅力・包容力に、シャスムングも知らず知らずのうちに気がついて彼に協力していたのかもしれない。
「ハグナンは近いぞ。降りる準備をするんだ」
その時、車内アナウンスが流れた。
「乗客のみなさん、お待たせしました。ハグナン、ハグナンです。本日も王国鉄道アッタラル線をご利用いただき、ありがとうございました。ハグナンの次は、スケニウに止まります」
彼らが聞き取れたのはここまでだ。ユーゴック語でアナウンスがかかったあと、つぎにリパライン語、ペーサック語と流れる。ここは辺境なので、そんなに多くの言葉でアナウンスがかかることはない。
「ポレウル、提案があるんだが、聞いてくれるか?」
「ん、どうしたんだ」
「今、この状況を見られてしまったらおそらくさっきよりもまずいことになる」
この車両はさっきの戦闘ですべての人間がその場で負傷して倒れているのだ。死んでいるものもいるかもしれない。その殺伐とした状況を、乗ろうとしたばかりの乗客が見たら、唯一生き残っている我々二人を見て注意するのは予想できたし、面倒事に巻き込まれることは予想できていた。
「そこで、ハグナン駅に近づいたら、この列車から脱出する」
「脱出した後はどうやってそこから離れるんだ?」
「裏をたどって、柱を使いながら高架から降りる。後はあの辺りの地形次第だ」

もう窓からは、ハグナンに聳え立つ高層ビルが見えていた。
「よし、今だ」
シャスムングは窓を開けた。固く錠がかけられていたが、シャスムングがメシェーラでちょいちょいと弄っていると、あっという間に開いてしまった。あいた途端、強い風が入ってきて、二人の髪が乱れる。
「俺のあとに続いて飛び降りるんだ」
ポレウルは受け身を取ったことも、忍術の手ほどきを受けたこともなく、充分にリスクはあった。いや、死ぬかもしれない。だが、そんなことは言ってられない。自分には成し遂げなければならない目標がある。
そう考えている間に、シャスムングはもう列車から降りてしまった。ポレウルも早く飛び降りようと焦り、何も考えずに列車から飛び出してしまった。
「うあっ!」
ただ単に投げ出されただけのポレウルは、線路に引いている石に打ちつけられた。シャスムングがすぐに助けに向かった。
「トイター教徒として、立派な行動力だったぞ」
元ウィトイターのシャスムングはそう慰めた。
「はあ、シャスムング、あの柱から降りれそうだぞ」
その柱には梯子が設けられていた。柱の下はあんまり人通りのなさそうな道路だ。

――

「ハグナンに着いたのはいいが、そこから一体何をすればいいんだ?」
シャスムングはそう問いかけた。
「まさか、とりあえず行こうとだけ考えていたわけではないよな?」
「それなんだが、イルキスに行こうと思う」
「まあ、そうなるわな。ハグナンの大学は学費がヤバいって言うしな」

ハグナンは、スカルムレイが住んだことのあるわけではないので、それ以前の遺産がある。イザルタならイーグティェルーアルー、およびケイヤ帝国のが。ハグナンにはユーゲ国の遺産がある。クンレイ家がユーゲ国を統治し始めたころ、クンレイ家はユーゲ国を帝国化させるために軍備設備を充実させようとさまざまな施設を作ったと言われる。その分、ユーゲ国は他の周辺の二国と比べて、芸術に後れをきたしていたとも言う。ハグナンがあんまり目立たない一つの要因だろう。
「ところで、どのイルキスに行くんだ?ハグナンにはどんなイルキスがあるんだ?」
「スケニウでクントイタクテイ派が優勢になってからほとんどのアッタクテイ派はハグナンに拠点を移した。オーマングのいるアッタクテイ派もこのあたりに本拠を構えている。アッタクテイの学生のはずなのに、それも知らないのか?」
「ははっ、ハグナンにはシーナリア派もあるじゃないか」
「まあそうだが・・・このあたりのシーナリア派はクントイタクテイ派がアッタクテイ派に戻ることを望んだシーナリア派だぞ。つまりセプト派だな。だが、多数派が少数派に戻ることを不可能としてアッタクテイ派を裏切ったのがガレナル派だ。この名前は原理派大虐殺を起こしたガレブァ=シーナリアの祖母に当たるガレナル=シーナリアの名から・・・」
「おいおい、話が長くなっているぞ。いつになったらアッタクテイ派について学ぶことができるんだ」
「待てよ、今からオスミトゥプ・イルキスに行くから」
シャスムングはそのイルキスの名前を聞いたことがあった。
「ん?オスミトゥプ?それって確かオーマングの・・・」
「ああ、あの子の実家だ。『ナ・ワスィムシャーマイ』とも呼ばれていて、礼拝所の中心に五つの菊の花が飾られている。トイター名にも”Wasimsyaamai”がついているんだ」
オスミトゥプの原義は「野原」、それに加えて「菊の花」。お花畑なイルキスだとよく言われる。
「しかし、そこへは徒歩で行けるのか?」
「無理だな、地下鉄を使う。6駅ほど行けば到着するぞ」
面白いことに、イルキスは都市の中心部にあれば、ものすごい辺境にあることもある。実際、ケンスケウ・イルキスは山とまぎれて建っているが、スケニウ・イルキスはビルとまぎれて建っているのだ。
今いるのは地下鉄ハグナン駅、オーマングの実家へは地下鉄で6駅。降りるのはワスィム駅で、ナ・ワスィムシャーマイのリスペクトだった。
切符を購入し、改札を抜けた。電車の中は普通だったが、少し異質な少女が一人いた。長い銀髪で、リパーシェの表記された本を一冊手に持っていた。
「リパラオネ人か・・・」
「ハグナンにもリパラオネ人が現れるんだな」
ただリパラオネ人が電車にいるっていうだけなら、ハタ王国の国際化を祝福したいところであるが、そのリパラオネ人の少女はスカルタンを着て席に座っていたのだ。
「銀髪のスカルタンは初めて見たかもしれんな」
「ポレウル、お前まずリパラオネ人の友人がいないだろ」
しばらく二人してじっと見ていたが、見られている側の少女もさすがに気づいたみたいで、こちらにも目線を浴びせてきた。
しかし、その目線はただの目線ではなく、覚悟を決めたような目線である。つまり、観光気分でスカルタンを試着したというものではないのだ。よく見ると、座席の上には荷物が載せられていた。またしてもスーツケースだ。
「ポレウル」
シャスムングがポレウルの肩をポンポンと叩いた。
「もしかしたら、我々と同じオスミトゥプ・イルキスに向かおうとしているんじゃないか?」
「・・・そうか?じゃあなぜスカルタンを着る必要があるんだ」
「分からんが、彼女自身はトイター教徒の王国人とリパラオネ人のハーフで、これから男性と結婚式を挙げる予定とか」
「あー・・・」

10分ほどたってから目的の駅に着いた。二人は当然降りるのだが、さっきの少女の行動が気になる。ポレウルはチラッと後ろを向いた。そこにはもう彼女の姿はない。乗ろうとしているエスカレーターを見渡してみると、先ほどの少女がもう急ぎ足で地上に上がろうとしていた。まさか、こんなに早いなんて。ケートニアーなのだろうか。気になったポレウルはシャスムングを置いて先を急ごうとした。
「ちょっと待て!急ぐな!」
「だ、だが・・・」
「彼女がもし本当にあそこで結婚式を挙げる予定だったら、お前邪魔だろ!見ず知らずの人たちの結婚式に参列するのか?」
「違う、彼女は結婚式を挙げるわけじゃない」
「じゃあ、何なんだ!?」
「養子縁組よ」

突然の女性の声。エスカレーターの先に、先ほど急ぎ足でイルキスへ向かった筈の少女が仁王立ちしていた。その声を聞いて二人も上を見上げた。
「養子って・・・ワスィムシャーマイのアッタクテイ家に?」
「そうよ。跡取りを失ったから、あのアッタクテイ派は養子を募集したの。でも、誰もそこに応募しなかった。アッタクテイ派だったからでしょうね。そこで、私が名乗り出て、今日縁組をしてくれるのよ」
エスカレーターを上り終わって、彼女と並んだ。このまま一緒にイルキスに行く流れだ。
「事情は分かったが、どうして君が名乗り出たんだ?」
「・・・応募資格があったからよ。成人していない女性。ユーゲ人じゃないといけないとは書いていなかったわ。これについてはもうあそこの両親から承諾済み。そっちこそ、なんでここに来たの?」
旅の目的を聞かれた時に見せるのは、やはりこの本に限るだろう。内ポケットを探り、例の本を取り出した。
「あ、この本は・・・」
まるで見覚えのあるような仕草をした。
「知っているのか?」
少女は言いにくそうな感じで、発言した。
「こんなこと私が言うことじゃないんだけれど、あなたたち二人はあの人に会っていいとは思わないわ」
「あの人って・・・?」
「ヤグネイル=アッタクテイ、私の母親となる人よ。オスミトゥプ・イルキスの現当主なの」
ってことは、オーマングの実の母親か。彼女の母親の名前は初めて聞いた。
「・・・その人はこれの著者の母親なんだろう?どうして会ったこともない僕たちが会ったらまずいんだ?」
「貴方達に問題があるというより、その本を書いた人とその本に問題があるわね。ヤグネイルさんから聞いたことなんだけれど、オーマング=アッタクテイは跡取りとして認めるには異端すぎるって・・・」
どういうことだろう。てっきりオーマングが純粋なアッタクテイ派だったからその母親もバリバリのアッタクテイ派だと思っていたが。もっと細かい違いがあるというのだろうか。
「ど、どういうことだ?」
「それはヤグネイルさん本人に聞いてほしいんだけれど、そんな簡単には教えてくれないはずよ」
やれ、意外と話がこじれそうだ。
「ポレウル、他をあたろうぜ。アッタクテイ派のイルキスは何もここだけではないはずだ」
「残念だけれど、それは無駄だと思うわ。ほとんどのアッタクテイ派がその書籍の存在を知っていて、皆その書籍に対して嫌悪感を露わにするみたいよ」
「その書籍を知らないアッタクテイ派はいないのか?」
シャスムングの質問。普通なら納得がいくが、ポレウルからすれば単なる愚問だ。
「・・・アッタクテイ派が大きく減らされたのは知っているだろう。アッタクテイ派は非常に保守的で、その立場を確保するために積極的な布教活動も避けてきた。だから、僕はアッタクテイ派の地としてここハグナンを選んだんだ」
「そういうことよ。そんなアッタクテイ派が私みたいな異邦人の血が混じった人間を養子にするんだから、今アッタクテイ派も緊張状態なのよ。だから、保守的な思想を促進するオーマングのアッタクテイ派を今は批判している」
「保守的・・・ポレウル、オーマングの本は保守的なのか?」
「・・・分からない。それも含めて聞きたかったんだが」
でもまあ、とりあえず教えてはくれるんじゃないだろうか。そう思って、まだそのイルキスを目指すことをやめなかった。
「む、まだついてくるの?」
「いや、僕らは必ずアッタクテイについて聞きださなければならない。そして、この本に書いてある内容を理解しないといけない。そうしないと、彼女の期待に応えられない。彼女の死に際を娶ることができない」
「・・・そう、まあ別に止めはしないわ。どんな事情があるのかは知らないけれど」

「ところで、君、名前は?」
「私?私はヤンゼナル=スカースナ。あなたたちは」
「僕はポレウル=クミルテルキ」
「俺はシャスムング=ロビラガルタだ」
シャスムングは手を差し出した。握手をしようとしたのだ。
「ん?え?」
「あ、いや、握手を」
「は、はあ、よろしく」
ヤンゼナルは少しためらいながらも手を差し出してシャスムングと握手を交わした。ポレウルは握手しようとはしなかった。
「あ、もうそろそろオスミトゥプ・イルキスに着くね。二人とも、やっぱりあの人に会うことにしたの?」
「・・・ああ」
もう間もなく日が沈もうとしていた。


「これがオスミトゥプ・イルキスの本堂か」
初めて見た古めかしいイルキスを前に、ポレウルは感嘆した。別にイルキス自体はずっと見ているのだが、このイルキスは本当に、素朴で、かつ本堂が比較的小さいのだ。飾りがほとんどなく、確かにアッタクテイかもしれないと感じた。
「これ、本堂が小さいんだな」
「アッタクテイ派は、礼拝は個人で決まった時間に行うから、広い礼拝所を用意する必要がないんだ。だから、この本堂には唯一神を祀るものしかない。まあ、祀るものといっても花が数本と神を讃える文言が書かれているだけだけれど」
そして、アッタクテイ派の特有の施設として講堂がある。講堂ではそのイルキスの持ち主であるシャスティの説法が行われたり、また勤勉を行うところである。
「あ、これはこれはヤンゼナル殿」
話しかけてきたのはスカルタンを着た男性。このイルキスの人間である。
それを見るなり、ヤンゼナルは気を付けの姿勢を取って話しかけてきた男性に向き直った。
「はい、ヤンゼナル=スカースナです。ヤグネイルさんにご挨拶に伺いました」
「ええ、承っております。どうぞ私についてきてくだ・・・そちらの方たちは?」
ポレウルはハッとした。シャスムングがすかさず答えた。
「私たちは参拝客だ。気にしないでほしい。ただ、ヤンゼナル氏の話が終わってからでいいので、このイルキスの主とお話がしたい」
「分かりました。では、そちらでお待ちになって、ヤンゼナル殿はこちらへ」
「はい」

ヤンゼナルは連れて行かれた。
「なあ、あの男は何なんだ?」
「昔は、代々特定のイルキスを手伝ってきたパンシャスティあるいはシャスティの一族がいたのさ。彼もおそらくそうで、このアッタクテイ家に代々仕えてきた一族の末裔なんだろうけれど、都会のイルキスだとこれをバイトで募集することも多い」
「なるほどなー」
「もちろん、手伝いも雇わずそのシャスティ家のみですべてを管理するイルキスもあるがな」

――

「なあ、オーマングが実家から疎まれているって本当なのか?」
シャスムングが突然話題を振ってきた。とても、ここで話していいこととは到底予想がつかない。
「分からないけれど、なぜ今それを言うんだ」
「いや・・・たしかにヤグネイルさんに会うんだけれど、その本を出していったい何を教えてくれるんだろう?」
「それは・・・とりあえず見せてみて何かを聞きださないと・・・」
「その本なら読んだことがありますよ」
突然後ろから声がした。スカルタンを着た一本結びの女性。トイター暦で数えて大体90歳くらいだ。もう養子縁組の件は終わったのだろうか?
「え・・・あなたは?」
「どうも初めまして。ここのイルキスの主のヤグネイル=アッタクテイです」
「は、はあ。僕はポレウル=クミルテルキです」
「シャスムング=ロビラガルタです」
「ロビラガルタ?クミルテルキ?」
名字を聞いてヤグネイルは首をかしげた。
「ポレウルと言いましたかね、あなたはネステル出身ですか?」
「はい、そうです。一応、彼もそうです」
「あらそう、やっぱり、現代は名字が個人を必ずしも特定しないのね」
あからさまに古い考え方が残っているようだ。
「で、ここに来た理由は?」
その質問を待っていた。ポレウルは例の本を見せた。
「これは、娘さんが書かれたんですよね?」
「ええ、そうだけれど・・・彼女は今うちとは関係ないわ」
「ええ、そうではなくて、私にこの本に書かれていることを教えてください。いったいどういう思想を持っていて、どういう風にトイムルの生活を規定しているのかどうかを」
ヤグネイルは顎に手を当ててうーんと唸った。
「別に、その本がもっている思想自体を理解できるトイター教の専門家はあなたの大学にもいっぱいいるはずよ」
「そうではなくて、この思想が絶対的に正しいと主張する根拠は」
「え?」
「この思想は、どうしてこの思想なんですか?」
一気に質問をされてヤグネイルすこし戸惑った。
「・・・絶望させるかもしれない答えだけれど」
「・・・え?」
ヤグネイルは、表情を引き締めた。
「原理派のトイターが、樋咫帝国時代や初期ハタ・スカルムレイ朝のトイター教とその共同体のやり方が正しいと言えたのは、あくまで当時の話よ」
間をおいて再び話した。
「あなたは知っているでしょう?トイター教が歴史上で初めて論破された出来事を」
「論破・・・された?」
その話は初耳だ。
「トイターは、この世界に永遠はなく、永遠は神にのみ存在すると言っていたわね?」
「そ、そうですね」
「じゃあ、ケートニアーっていうのは、一体なんなのかしら?」
「あ、それは・・・」
ケートニアーとして生まれた人間は特別な傷を受けない限り、永遠にその生を保てる。つまり不死であり、永遠だ。
「これについては、いろんな議論がなされたのよ、私達アッタクテイ家の先祖の間で何度もね。最終的には、永遠を有するのはこの世界の神により直接的に作られたものに限っていて、ケートニアーはそれに当てはまらない”何か”と位置付けられたの。これは主にクントイタクテイ派とアッタクテイ派が協議した結果ね。この解釈が王国全土に広まって、ケートニアーは異端扱いされた。ウィトイターよりも酷くね」
ポレウルは尊敬の意を持って聞いていた。さすが、本場のトイター教本職者は言うことが違うと。あの第三者でしかない大学のトイター教の教授とは違うと。
「長々と話したけれど、今その思想はハタ王国とトイター教の発展に寄与することはないと思いなさい。シャスティとは元来、迷えるトイター教徒に正しいトイターの道を教えて、その信仰を導く者のこと。あなたはもうその本のことを理解しようとせずに、より解釈の勧められたトイターの信仰体系を学んだ方がいいわ」
ポレウルは最後の言葉に少し違和感を覚えた。
「そうでは・・・ないんですよ。僕は、この本に書いてあることが何故理解されるべきでないのかを根本的に知りたい、だからあなたに質問に来たんです」
ヤグネイルは応答した。
「あなたは、学者か何か?それともシャスティ希望者?この業界も楽ではないのよ?」
「いえ、一学生としてです」
ポレウルは言葉を考えながら、なんとか情報を聞き出そうとするが、ヤグネイルはそれに応じるどころか、どんどん警戒していく。
「・・・たしかに、あなたは学生身分として教育を求める立場にあるかもしれないわね。でも、あなたの目的はそれだけ?」
ポレウルは、言っていることがまだわからなかった。
「まず、なぜあなたがその本を持っているのかどうかも疑問で仕方ないのよ。あなたは、私の娘の何なの?」
「友人です・・・」
ヤグネイルは、ポレウルのその返答を踏まえた上で思考を巡らせた。
すると、頬を固く引っ張って、眉間を集中させた。
「あなたの今の状況は分かったわ。でも、舐めないでよね。私たち、古くから伝わるトイター教アッタクテイ派のシャスティの自尊心を」
そういって、ヤグネイルは後ろを向いて、本堂に戻っていった。
「今回は見逃してあげる。ただし、次に会うときにまでにあなたの大好きな愛人の傍に寄り添って、今日のことを語ってあげなさい。私があなたに話すことは以上よ。さあ、ネステルに帰りなさい」
開いているところなんて見たことがないアッタクテイ派イルキスの本堂の扉が閉まる。ポレウルとシャスムングは、次なる目標を言い渡され、すぐには行動できなかった。外はすでに真っ暗だった。
その時、どこからか声がした。声の主は後ろから。
「見つけたよ」


「お前は・・・」
暗闇の中、エンネから放たれる光で、後ろに立つ人間の顔が確認できた。
「そう警戒しなくてもいい。先ほども告げた通り、君たちを逮捕するのはその一軒が終わってからだ。今回は君たちにとって非常に役に立つニュースがある」
後ろに立っていたアッタクテイ派の警察官、シャナス=ミールスカッタクテイは、エンネを潜り抜けて、徐々に二人に近づいてきた。
「まずはじめに、その役立つニュースのことだが、我々王国警察イザルタ支部は王国警察本部よりオーマング=アッタクテイが記憶喪失から回復したという知らせを受けたところだ。そこで、私が直々に来た。いろいろと理由があるのだがな」
信じられない吉報だ。もう、彼女は喋らないと思っていた。何もわからず、実体は残っていながらも心の中の彼女はすでに消えつつあったものを、再び帰ってきた。ずっと失われていた心の一部が、ようやく帰ってきたような気分になった。
「それは・・・本当か・・・?」
質問をしたのはシャスムング。
「ああ、そうだ。そこで、二つ目の話だ。ネステル国立病院への独自ルートは我々王国警察が独自に用意している。そこで、ポレウル=クミルテルキをそのネステル国立病院へ運搬する代わりに、我々王国警察は君たちの身柄を拘束できる。抵抗した場合は、それ相応の処罰を与えることとしよう」
王国警察として、その取引を犯罪者と行っていいのか。本当に自由気ままな警察官だと思った。だが、あの復活したオーマングに会えるというのなら、この話に乗らない手はないが、シャスムングは反旗旗を掲げた。
「なぜ俺を連れて行ってくれないんだ?俺もオーマングの大事な友人で、俺にとっても彼女は非常に大事な存在だぞ」
「静粛に、君たちを転送する手段はウェールフープだ。今回の件については、二人分をネステルへ転送する許可を皇居院に取ることができなかった。妥協したまえ」
シャスムングは舌打ちをした。
「ポレウル、俺のことは気にするな・・・だが奴らが言うことをすべて信用してはならないぞ」
「ほう?連邦の真似事で組織された我々王国警察だが、この設置については偉大なるカリアホ=スカルムレイ陛下のお言葉によるものであることを忘れるな。否定的な発言は許さんぞ」
シャナスの後ろから、女性が現れた。ハフルテュデストだ。
「時間はありません。私と王国警察イザルタ支部の職員数名が同行します、早く準備を済ませてこちらに来てください」
「さあ、どうするんだ、行くのか」
「・・・だが、友人を置いていくわけには」
「ポレウル、俺のことは気にするなといった筈だぞ。お前がまたあいつの姿を目の当たりにできることこそが、俺の願いだ」
ポレウルは思考に陥った。
友人をここにおいて、自分だけ彼女に会いに行っていいのだろうか。だが、よくよく考えてみれば、ここまでは自分の意志で来た。言ってしまうのもなんだが、シャスムングがポレウルにここまでついていく理由はないはず。それなのに、わざわざついてきて、ここまでサポートしてくれたからには、最後まで彼の指示を聞こうではないか。
そう、ポレウルは思った。きっと王国警察も本当のことを言っているはずだ。
「参考までに、これはネステル国立病院が発表したオーマング=アッタクテイについての症状の変化についてのレポートです。また、実際に彼女が復活したという電話は、あなたのご家庭にも来ているはずです。ご両親と連絡は取れなかったのですか?」
「病院に行って一旦マナーモードにして、それから一切使っていないから、全く連絡が入っていない」
「なら、仕方ないですね。ともかく、こちらに来てください。ここから少し離れたところで転送ウェールフープを行います」

――

オスミトゥプ・イルキスの本堂前の広場には、二人の人間のみが立っていた。一人は立ち尽くし、一人は気持ち新たにしていた。
「さて、今の私は一トイター教アッタクテイ派の活動家だ。私の使命はそう」
突然語り始めたシャナスに、シャスムングは構えの体勢を取り始めた。
「害悪なウィトイターを排除すること、だ」
「・・・誰に言っているんだ」
「シャスムング=ロビラガルタ、君は自らの目的の為なら人殺しさえも行うんだね?そういった君たちのような一部のウィトイターの野蛮な行動によって、ハタ王国はその分躍進を送らされたことがある、これ以上王国に停滞させるような行動はしないよう、君は私から直々に処罰を下す」
「はっ、それはお前たちが俺らの邪魔をしたからで・・・」
シャスムングの言葉を遮るように、シャナスの攻撃が炸裂した。光るメシェーラによる一撃。いつの間にか懐から光るメシェーラを取り出していたのだ。
「うわっあぶなっ!」
ギリギリのところでそれをかわした。
「これから私と闘う貴様には教えておこう、ウィトイターよ」
何を教えるのか、シャスムングは若干気になりながら反撃しようと試みる。
「シャスティ家とは、いわばトイター教の警察だ。自らの価値観に沿ってトイター教徒の信仰を管理して、正しい道へと導く。悪い行いをしようものなら排除し、罰を与える。与えねば、背教徒を見殺しにしたことになる。トイター教はそうやって長い間秩序を保ち続けてきたんだ」
シャスムングは話を聞きながら応戦する。話しながら戦闘する辺り、シャナスはかなりの実力者であるとシャスムングは思っていた。
「だが、そこに異教徒が入ってきたら、どうなるんだ。彼らはトイターの秩序が通じない。我々の助言も通じない。そんな異教徒がトイター教に手を出して来たら一体どう対処すればいいんだ?」
シャナスが最後の言葉と共に、これまでにまして力強くウェールフープする。メシェーラが激しく光って、シャスムングを追い込む。急な強い攻撃に、シャスムングは耐えられなかった。
そのまま強く吹き飛ばされ、ぎりぎりの体勢で受け身を取った。
「武力を行使するんだよ・・・この行為は長年わが一族によって封印されてきた。むやみに激しく行動したら問題になるからな。それが最も早いやり方だというのに」
「・・・」
「すべては、『トイターの宗教がもっとも高尚だから』。この世界の、そしてこの国の正義はトイター教の理念であると決まっている。それに従わない奴は、悪党でしかない!」
とどめを刺そうと、シャナスは大きくメシェーラを振ってシャスムングがいるところをもろもろ破壊し尽くし、壁が壊れるまでに至らせた。

――

あたりの景色が一斉に変わり、強い光に包まれた。
その光が消えると、見慣れた光景があった。ネステル国立病院、オーマングが入院している病院だ。
「転送成功しました。ポレウル=クミルテルキ、もう動いて大丈夫です。早めに面会を済ませてください」
「分かった、感謝する」
それだけ言って、ポレウルは病室へ急いだ。
この先に、ずっと自分が待ち望んでいた光景が。もう二度と得られないと思っていた、戻らないと思っていた。そんな彼女がもう起きている。報告だけを受けたのだが、それを信じて、ただただ階段を上って、廊下を駆け抜けて、急いで病室へ。
オーマング=アッタクテイと書かれた名札。これが掲げられている病室に、彼女はいる。心の準備をする暇もなく、勢いよく扉を開けた。
「・・・なん・・・だと?」
そこには虚空、今までの自分の期待をあしらうような。
普段彼女が寝ているはずのベッドには、誰かが飛び上がって起きた毛布の残骸しか残っていない。
「オーマング・・・一体どこに?」
ベッドの前で何をしたらいいのか、何が起きているのかもわからぬまま、ポレウルは立ち尽くした。やがてしゃがみこみ、地面を見つめた。
「あなたが、彼女の話に出てきたトイムルクテイなのね?」
突然女性の声がかかった。開いたままの窓を見てみると、誰かが窓枠に立っていた。ただし、この病室の窓は、大人が一人窓枠に立てるほどの大きさはない。すると、相手は非常に幼いか、非常に身長が低いかのどちらかだ。ただ、明らか前者であろう。明らかに、顔つきが童顔だ。
「あなたは・・・?」
「私のことはいいの。さあ、例の本を持っているんでしょう?よこしなさい」
例の本、もしかして、オーマングが書いたあの本だろうか。だとしたら、なぜそれを今目の前の少女に渡さねばならんのか。
「だが・・・こちらとしてもこれは大事な本だ。簡単に渡すわけにはいかない」
「あなたを正しい道に導くのがトイター教のシャスティの仕事。シャスティの言うことには従うものよ」
よく見てみると、スカルタンを着ていて、紋章は蜘蛛十字。彼女はウロカーシャテリーンの出身だ。
「どうしても渡してくれないというのなら、あなたも来てもらうわ」
窓枠から降りて、ゆっくりとポレウルに近づく少女。いったい何をされるのか。彼女の手から逃れようとする。ポレウルはドアに手をかけて急いで部屋から脱出した。
「あら・・・面白い展開になって来たわ」
少女は廊下に出て、ポレウルの姿がすでにないことを確認した。
「仕方ないわね、皇居院の人たちには申し訳ないけれど・・・」
少女は背中に積んであった巨大な長刀を取り出した。少女の身長の二倍近くありそうな長さだ。両手でそれを持ちながら、大きくそれを振り回した。突然地面が割れて、二つ下の階にまで達した。
「みーつけたっ」
真っ直ぐと少女はナイフを投げた。ウドゥミトだ。
見事命中して、ナイフはポレウルの足首に刺さった。ポレウルはあたりに走った斬撃に気付いていなかったのか、ナイフにも気づかず、突然攻撃され、そのまま走れなくなって倒れた。
「く、クソ・・・」
少女は階段を下りて近づく。
すぐ前まで来ると、うつ伏せで倒れるポレウルの顔を覗き込むようにしゃがんで問いかけた。
「さあ、ここであなたの持っている例の本を渡してくれればすべてが片付くんだけれど、どう?」
「ハア、ハア、無理だ。それはできない・・・」
「じゃあ、こうするしかないわね」
巨大な長刀を背中に積み、両手を差し伸べる。両手でポレウルを抱っこし始めた。
「・・・!?」
「あなたを、ハグナンナルの本部まで運ぶのよ。正確には、あなたがもっているその本を、ね」
何を言っているのかさっぱり理解できないポレウル。再び先ほどの病室に戻り、窓枠に立つ。そこには、すっかり日が沈み美しいネステルの夜景が広がっていた。近代的な高層ビルが立ち並び、その中に負けじとアルパの美しい赤色の壁が街頭により照らされていた。
シャスティの少女は飛び降りた。
着地すると思ったら、電線に乗り、そのまま高速で走り始めた。いったいどこに向かっているのか、ポレウルには全く見当もつかない。自分は殺されるのだろうか。そう思った瞬間もあった。オーマングには会えるのだろうか。目的は達成されるのだろうか。

「・・・君は、シャスティ?」
「そうよ、私はフムル=ウロカーシャテリーン」
「お、オーマングについて何か知っているのか?」
「むしろ、あなたが知らないことに私は驚いたわ。彼女は、異端扱いされているのよ。それで今回、対立したハグナンのシャスティ達に報復を受け、やがて・・・」
「ちょっと待ってくれ、今回?」
「あなた、あの娘が今回の事件についてどうかかわっているかについて全く知らないのね。むしろ、あの娘自身があなたたちにあんまりそういうことを語らなかっただけかしら。最重要異端者のオーマング=アッタクテイがネステルに移住して大学生として生きているという情報を入手して、ハグナンの反オーマングのシャスティが結束して、彼女に報復する。それで私たちは、ある条件を言い渡したの。もし彼女がそれに従うのならばそこで彼女を殺害し、本をハグナンのシャスティの間に捧げること。もし従わないのであれば、あなたとシャスムング=ロビラガルタを殺す。そういう話を持ちかけたの」
背筋が凍った。なんて話だ。そんな話は一切聞いていない。そんなに重要な選択を彼女はしいられていたのか。

もう、移動が早すぎてどこに移動したのか全く分からないが、その少女の動きは突然にして止まり、目的地に到着したかのように見えた。そこは、ものすごく古そうなタイプのトイター建築。だが、イルキスとは少し違う。それは、ペルニウが本堂についていないことから明らかだった。
本堂らしき最も大きな建物の入口の前に到着したようだ。少女はそこから中に入ろうとする。
「ナ・ワスィムシャーマイ、例の本を持ってきたわ」
「ん?それは人間じゃないか・・・って、君はあの時現れた少年じゃないか。ポレウル=クミルテルキ。ずいぶんと早い到着だな」
本堂の中心、もっとも前で立っていたのは、先ほどハグナンでも見たヤグネイル=アッタクテイだ。
「ポレウル君!!」
強く名前を呼ぶ声が聞こえた。ポレウルは、その声を聞いただけで泣きそうになった。
「お、オーマング・・・記憶が・・・」
オーマングは頭から出血していて、床に座っていた。
ポレウルをずっと抱えていたシャスティの少女は、ポレウルをそっと置いて、ヤグネイルのところへ行った。ポレウルは降ろされたのをはじめは疑問に思ったが、すぐに気にしなくなり、オーマングへ近寄った。
「ごめんね・・・ごめんね・・・」
何かを謝ろうとするオーマングの声。ポレウル自身も何か言葉をかけたいところだが、欠けるべき言葉が見つからない。
この雰囲気を壊したのは――いや、壊さざるを得なかったのかもしれないが――ヤグネイルだ。
「感動シーンのところ済まないけれど、そろそろ決めてもらおうかしら」
「お母さん・・・」
オーマングの表情はこれまでにないほどに複雑だった。
オーマングには二つの道が与えられてしまった。シャスティの言葉は神の判断に通ずる。オーマングは神に裁かれていると言っても過言ではない。
自分が死ねば、考えも保存されうるし、ポレウル達も生き残る。だが、反対に自分の立場を保持しようとすると、ポレウル達が殺害される。当然ながら、そんな数秒で決断できるはずがない。
よく見たら、オーマングの前には数人のシャスティがいた。ここに来たばかりのポレウルには何がどうなっているのかが全く予想がつかない。分かるのはただ、オーマングが死ぬかもしれないということだ。彼女は非常に弱っていた。病み上がりと言えばそうなのかもしれないが、単にそれだけではない。彼女には、決闘を交えた痕跡がないでもないのだ。その証拠に、彼女は右手に、弱い握力で、今にも落としそうな様子で刀を持っていた。

「最後に聞くわよ、わが娘オーマング。あなたは改革者?それとも、反逆者?」

10
ただでさえここは街の外れなので、街灯もそんなに立ってはいない。そんな状況で、彼ら二人はよくまあ、ここまでの激戦を繰り広げたものだ。
お手伝いのパンシャスティ、およびシャスティしかいないオスミトゥプ・イルキス。シャスムングと王国警察支部長シャナス=ミールスカッタクテイは、光るメシェーラを使って戦っていた。
「王国警察!あんたは一体何をしたいのか、いまいち俺にはわからねえ」
「・・・?同じ言葉を返そうかしら」
シャスムングが発言してシャナスが応答すると、戦いは一旦止んだ。
「俺は、しがないウィトイターの出身だった。当然、俺にはトイター教の信仰やらが身にしみついているわけでもないし、シャスティとは無縁の生活だ。だが、ネステルに来てから、連邦出身のウィトイターだけではなく、シャスティ出身の敬虔なトイター教徒にも出会った。信教なんて関係ない。あいつらは俺の仲間なんだ。だから、俺はここまでやって来た。トイター教に反対するためじゃない」
「私も同じだよ。君に反対するためじゃない。ついでに言うと、私は容疑者の君を逮捕するためでもない」
「じゃあ、なぜ俺を狙うんだ!」
「このハタ王国で、神に従わずして生きていけると思っているの?今の皇居院は”妥協”をして、ウィトイターの連邦出身移民を受け入れたりしているけれど、それはハタ王国が現世で栄えるための、トイター教徒を騙った皇居院の議員の堕落よ。私たちの先祖はこれを受け入れて、でも自分たちの姿勢は大事にしてきた。だから、異教徒が入ってきても、彼らを避けるようにして生活し、自分たちは原理派を続けてきた。それが私たちミール派の異教徒との接し方だった」
シャスムングは何も言わずに聞いていた。だが、彼女がここまで大声を張り上げて、このイルキスを占領しながら自分と闘っているのが妙に気になった。
「今から私は君を殺すけれど、私を恨まないでよね。私は伝統の保持者。トイターと神の教えを偽りなく後世に伝えるシャスティの末裔。単なる使徒でしかないの。無駄だと思うけれど、恨むのならば君の行動や行動を非正義と定めた神を恨みなさい!」
シャナスのメシェーラが異様な火を上げる。それに少しびっくりして、シャスムングは後退りした。
「最後に一つ教えてあげようかしら。ここが君の最後なのだから」
何かを伝えようとするも、シャスムングは聞く耳をまともに持たない。こちらも対抗して光るメシェーラを取り出した。
「ハタ王国の古来の信仰を取り戻すため、各地で制裁を行っている『ハグナンナル』という同盟が、大陸側のシャスティの間で結ばれているの。私と、オスミトゥプ・イルキスのシャスティはそこに属しているの。つまり、グルってわけね」
異様な火は、地面に燃え移った。
「オーマングは助からないわよ。助からないというより、彼女自身が助かろうという気がないのは明白。私たちの提示した条件によって、彼女は間違いなく死を選ぶ。そして、禁断の書籍もこちらに引き渡される。あんなものがあっていいわけがないわ。オーマングには、自分が死ねばあなたとポレウルは助かると聞かせているけれど、王国の秩序を乱す反乱分子である君自身も死んでこそ、これから健全で敬虔なトイター教徒になるであろうポレウル=クミルテルキの生存を保証できるものね」
それはつまり、シャスムングは何があってもどうせ殺されるということを暗示していた。だが、そんな話を改めて聞かなくても、自分が殺されずに済むことを理解していた。
「なんでもいいさ。俺はあんたを殺して、自己を防衛すればいい。それより、気になることがある。あんたは原理派の考え方を押し通していくつもりみたいだが、それはオーマング自身もそう考えていたはず。だが、あんたらのグルのオスミトゥプ・イルキスのシャスティはそうではなくて、もともとの原理派の考え方を少し変えて、妥協して再繁栄を図っているんだろ。あんたとあのシャスティは、敵対しているのか?それとも友好的なのか?」
「無知なるウィトイターに教えてあげるわ。私とオスミトゥプ・イルキスのシャスティの関係は、単なる利害一致よ。原理派に栄光あれ、繁栄あれ。これが私たちの共通の目的。それ以上の一致はないわ」
燃え盛る火は、二人を包んでいく。間もなく本堂に引火しそうだ。シャスムングも少しずつ焦り始めた。
「ウィトイターならばシャスティとして、必ず聞かなければならないことが一つあったわね」
シャナスは歩み寄った。
「君は神を信じる?」

――

彼女が何を言うのか、ここにいた全シャスティが期待していた。
「私は」
ようやく口を開いた。
「私は改革者でもありません。ただ、今までの原理派が取ってきた体制を保存することが最も大切なことであって、何もハタ王国の現在の信仰を軌道修正させる必要はないと思います。新生派も呪術派も統一派も、考えていることはただ一つ。トイター教は一神教であって、ハタ王国の結束力の源。みんなスカルムレイ陛下のことが大好きで、尊敬しています。そんな中で、私たち原理派はここ全王国民と心を通じ合えていて、同じようにスカルムレイを尊敬するウィトイターやユエスレオネ系移民と協力し合えるんです。
反逆者でもありません。私はこれでも、誇り高きトイター教のシャスティとして生を受けて、イミルの道が開かれていることに喜びを感じています。トイターが私たちの生活を作り上げて、神の言葉を伝えられた。その英知を享受して、私たちは生きていられることについて、本当に神に感謝しなければならないのです。そして、道に外れそうな者達を救済する。スカルムレイという偉大な指導者の名のもとに。
だから、統一する必要もないんです。みんなが神を尊敬していて、スカルムレイにつき従っています。信仰の形態が変わったところで、結局はトイターによってもたらされた範囲外のことで名目上分かれているのに過ぎないんです。大本は、同じ。あなたも私も、同じトイター教徒です」
ここまで言い切って、オーマングは発言をやめた。
「ここまでオープンで何でも受容する原理派は、今までいなかったわね。オーマング、あなたの考えはよくわかったわ。ハグナンナルとして、あなたは敵になる。私たちが求めるのは絶対的信仰心であって、緩い仲間意識じゃないのよ」
この言葉から、彼女が助からないこと、そしてポレウルのみが生き残るということは明白となった。
「私の話は終わっていないですよ」
「・・・?」
手に持っていた刀を再び強く握り始めた。そして構え、立ち上がった。
「皆さんがどれだけ武力を行使しても、どれだけ現状のトイター教徒を戒めても、私は死にません。簡単には殺されません。殺せないんです。なぜなら、みんな私と同じように考えているから」
「・・・もうわかったわ。あなたが何をこれから言おうと、私たちの敵であることは十分に伝わった。私たちの要求を呑む気はあるの?」
「あなた方の選択肢に応える気はないです。ポレウル君やシャスムング君には死なせないし、私のこの本も、重要な記録として私が厳重に保持しておきます。あなたたちの手に渡れば、おそらくこの本は焼却されるのでしょう?」
「当然よ。この本は、アッタクテイ派の繁栄に際し、在ってはならないことが書かれている。明確な信仰を失ってしまった現代の王国民はこの本の内容を鵜呑みにしてしまうかもしれないわ」
「もういい、あんまりぐずぐずしていると日が昇るわ。日の出までに片付けるわよ」
親子の会話を聞いて、別のシャスティが言葉を遮った。ヤグネイルを含む、中心にいた数名のシャスティが前に出て、剣を構えた。
「オーマング=アッタクテイ、あなたに神の名のもとに異端者として処罰を下す!」
一斉に斬りかかった。オーマングは片手に持っていた刀を強く握りなおして、三つの刀を同時に受け止めた。一瞬過ぎて、ポレウルには何が起きているのか理解できない。
だが、ポレウルにはただ一つやらなければならないと感じていたことが一つあった。今はなぜこうして何もせずに立ち尽くしているのか。自分には何もできないのだろうか。
彼女の理解を求めてハグナンへ飛びポレウルが学んだものは、トイター教は自由な学問とはとても言えないものであるということである。この国では、学問には対立が付き纏う、戦闘が付き纏う。何かを学ぶ者は、対立する者達との戦いを避けられなくなっている。矛盾したものを習得しようものなら、矛盾していると主張する者からの攻撃を受ける。
そんな状況で、学徒たちが自分の興味関心のために学問を修めることは可能なのだろうか。
「ポレウルといったわね、トイムルクテイの青年」
フムルが話しかけてきた。彼女は処刑には取りかかっていないので、こちらを見るなり話しかけてきたのだ。
「な、なんですか?俺も殺すんですか?」
「オーマング=アッタクテイは、私たちの要求を飲みこんで、自らの命を犠牲にすることを選んだ。あなたも、ここにいる理由は失われた。帰っていいわよ」
「・・・え?」
無表情のまま、フムルは語りかけた。そういいながら、スカルタンの袖を上げる。
「だから、帰っていいのよ。もしもオーマングが別の決断をしていたら、あなたをここで殺さないといけなかったけれど、その必要もなくなった」
いきなり戻れと言われたが、ポレウルには帰り道もわからないし、何よりこんなやりきった感じのしない状況で帰れるわけがなかった。
そのとき、向こうから激しく刀と刀がぶつかる音が聞こえた。
「きゃあ!」
叫び声を上げたのはオーマングのほうだ。当然と言えばそうかもしれない。彼女は三人を相手に闘っていたのだ。
オーマングは刀を手から離してしまった。

11
「・・・?」
「今ここで改宗し、神の存在を認めて、敬虔で正しい生活を送ろうというのならば、今まで私がしてきたすべてのことを悔い、君を歓迎しよう。どうする?」
しばしの沈黙。そのあと、シャスムングは答えた。
「俺は唯一神の存在を信じるつもりはない。そしてあんたらの行動を許して戦いをやめる気もない」
燃え盛る炎はもはや、外の景色をほとんど遮断しようとしていた。光るメシェーラを構えた。
「もう私は君を救わないよ」
メシェーラをシャナスが振った。振り下ろして、地面に付けた。何をしているのかは素人には分からないが、シャスムングにはわかった。だが、炎はすっかり彼らの周りを取り囲んでいて、逃げ場なんて上しかなかった。でも、上がある。上があるなら、それを使えばよいのだと、シャスムングは考えた。
「あぶなっ!」
寸のところで交わした。炎はシャスムングが立っていたところを覆ってしまった。だが、地面に降りれば再び丸焦げになる。それを避けて、しばらくはメシェーラにつかまっていた。初めて見る周りの様子。しかし、そこは意外な状況だった。
本堂には燃え移っていない。あくまで二人がいたところだけが燃え盛っていたのだ。
燃えているところから少し離れたところから、シャスムングはライフルを取り出し、シャナスのいるところを狙ってぶちかました。しかし、一発も当らない。
「クソッ!」
「抵抗は無駄だよ。君のような数年修行しただけで家督も継いでいない子が、私のような戦闘のプロに勝るなんて・・・」
シャナスは炎を操った。シャスムングのところまで炎が行き届くまでに、驚くほど時間がかからなかった。気が付くと、シャスムングの足もとは炎に包まれていた。
「あっっつ・・・」
いざ、本当に異常な熱さや痛みが来ると、意外と叫べないものらしい。今の彼の状況はまさにそんな感じで、見る見るうちに自分の体に火が燃え移っている様子を目の当たりにしていた。
そして、時間差でとてつもない熱が伝わる。リアルに自分の足から炎を上げている様子を間近で彼は見た。
何も声を上げず、シャスムングはただひたすら水たまりを探した。そうでもしないと、そのまま自分は焼死してしまう。彼は自らの死さえ覚悟した。自分の人生は一体どんなものだっただろうか。思えば、今まで自分の人生を阻んできたのは、彼女のような人間だった。

俺は昔から、その生まれを否定されがちというか、あんまりよいものと思われていなかった。俺はペーセ人との混血だった。ロビラガルタという名字も、王国では少数民族を象徴する名前であった。
ペーセ人だった父親は病死した。俺は女手一つで育てられたのだ。母親はユーゲ人でウィトイターだった。かつてはユーゲ人の大多数が信仰していた伝統的多神教を信じ、一神教のトイター教に改宗しなかったイムマム山麓に住む人たちの末裔である。イムマム山麓の人間達は、王国大震災までトイター教の影響をほとんど受けず、かなりの人間がその多神教の信者で、ペーセ人も入り混じっていた。そのなかで少数ながらユーゲ人もいたのだという。
そんな母親と幼いころ亡くなった父親の間に、俺は生まれた。一人っ子だった。
フェースィーという戦闘技術も、父親が元々の使い手だったが、それを母親が継承して俺に教えてくれた。その時いつも技の技術と添えて、ある言葉を残してくれていた。
「少なくともこの国では、自分の考えを通すために戦う必要がある」と。
この言葉の意味は、初めてイムマム山麓の田舎を出て、学問に専念するためにスケニウという都に出るまで分からなかった。スケニウは旧都で、トイター教の権威であるスカルムレイが住んでいた土地であると昔から教えられていた。また、現在のハタ王国は宗派を話しただけで生死が決まるなんてこともないのだとも教えられていた。
しかし、俺にはもう一つ別の問題があった。彼らはペーセ人という人種になれていない。慣れていない人間達は、疎外したくなる。この俺の生まれが、俺の人生に障害を持たせた。そう思っていた。
だが、実際は違う。俺がペーセ人に生まれようと、ユーゲ人に生まれようと、俺の現実での扱われ方とは本質的には、違う。スケニウで数か月住んでいるうちに、俺の居場所はここではないと気づくとともに、俺の生まれが俺の人生を邪魔しているのではなく、この世界が俺の生まれを邪魔なものとしていたのだというふうに考えるようになった。
だが、これでもまだ足りない。彼らは異なる信仰を避けたがる。リパラオネ教ならまだしも、神の唯一性を説くトイター教徒のユーゲ人の前には、俺の元々持っている多神教信仰なんてものは攻撃の的だった。
原理派の人間には、数多くの迫害と攻撃の数々を受けた。いや、そんな激しい攻撃をしてくるのは原理派くらいだったと思う。原理派は数が少ない代わりに主張が激しいから四大派閥に組み込まれているんだとさえ思っていた。
ついに俺は、居場所を変えることにした。きっかけは簡単。母親も病気で死んでしまった。後になってから聞いた話である。俺はいつ辞めさせられるかもわからない状況で、信じてもいない宗教の権威のために働いて、生活費を稼いでいた。自分の人生に危害なんて見当たらなかった。いくら考えても、自分は生まれた時から間違いを犯していたのだと。そんな虚しい人生を送るのならば、いっそ自分が達することのできる最も人間が富を築き上げた大都会――ネステルへ行ってみて、そこで自分の人生を再び見つけてみようと、そう願って二度目の移住をした。
移住した結果、自分の人生は変わったかといわれると、ちょっとは変わった。ネステルは原理派の自己主張も控えめで、ペーセ人の他にもいろんな異民族が住んでいる。俺はペーセ人のコミュニティに入って最初は名前も知らない仲間と共に暮らしていたが、後に独立して、ついにネステル郊外のとある平地に過ごし始めた。有名な大学を受験したら、受かったので学問もおさめてみようと思った。自分を苦しめ続けた原理派が一体どんなものなのかも興味があったので、それを専攻にしながら大学生活を始めた。豊かな金はなくても護身術はそなえている。
生きがいは見つかった。ポレウルといういい友人も見つけた。あいつはいい奴だ。まっすぐで、真面目で、でも頼りない。俺とは違って、無知ながらに適切な判断ができる賢明な奴だ。こいつが死ぬなんてありえない。自分のこの武力は、こいつのために使うことにしようと思った。それはあいつのパートナーとなったオーマングという子も同じだった。三人と過ごすのは、短いながら楽しかった。

オーマングも、原理派にやられてしまうのだろう。せめてポレウルだけは、それに巻き込まれて欲しくはない。オーマングは助からないだろうと宣告を受けた。何故かそれだけは納得できてしまった。あの子は、俺と同じ戦士なのだ。自分と同じで、自分の考えを通すために戦う必要があるのだろう。
「どうせなら、こうすればいいか」
シャスムングの足は黒焦げ。もはや感覚がない。暑いという感覚になれてしまった感じがある。目の前を覆うのは、暗い空と、真紅の炎。自分の人生はここまでだ。シャナスの声も聞こえなくなってきた。それでも最後の抵抗をと、力を振り絞ってメシェーラを振り、小さな気弾を飛ばした。気弾は方向を変え、アラナス島へ向かった。
原理派はこう考える。その人間の身が滅んでも、その人間の考えは残されうると。

12
「最後まで抵抗し続けて、他人に自分の領域を踏み込ませることを拒んだあなたの体勢は、わが娘として誇りに思っておくわ。でも、あなたにシャスティを務めさせるわけにはいかない」
三人でオーマングを追い込んでいたシャスティ達は、そのうち二人が戦闘から外れた。残ったのはヤグネイル=アッタクテイ、オーマングの実の母親である。
一方のオーマングは頭から血を流し、地面に横向きに倒れていた。まだ意識もあって、大きな傷を受けて両腕で自分の上半身を支えている。
「我が指導者、彼女もここまでです」
「そうみたいね、あれをよこしなさい」
ヤグネイルは「あれ」を要求した。実際に「あれ」が出てくると、オーマングとポレウルはひどく驚いた。
「ウチにそんなものが・・・」
「正当な後継者に指名していないあなたには見せていなかったわね。あなたの知っている通り、いや、みんな知っていると思うけれど、これはラシーチャ刀そのものと伝えられているものよ」
ガレブァ原理派大虐殺の時、各地のシーナリア派が原理派を異端者であると決めつけて殺害することによって革命を起こしていた。首謀者はガレブァ=シーナリアというシャスティだった。彼女がすべての殺害減滅計画を支持し各地のシーナリア派を鼓舞していたのだ。
逆に言えば、彼女を殺しさえすれば虐殺は止まるのだった。すでにほとんどの原理派が殺されてしまった中で、ガレブァと対等に戦えるほどの原理派の戦士がガレブァを殺すことによってシーナリア派の権威が失われ、衰退していった。原理派は大勝利を飾ったが、その戦士はスカルムレイに捕えられたのちに、獄中で死んだという。
いわば、原理派界隈の救世主のような人物だ。その戦士こそが、ラシーチャ=アッタクテイという人物である。ラシーチャは一刀流で、ガレブァ討伐の際に使った刀が、今まさにヤグネイルが右手に持っているものがそうだという。
それ以降、ラシーチャの子孫の
「ポレウル=クミルテルキ、あなたにも教えておくわ。ナ・ワスィムシャーマイのアッタクテイ家は我々アッタクテイ派を窮地から救ったラシーチャ=アッタクテイの直系の子孫よ。さすがにここまではあなたも例のペーセ人も知らなかったでしょうけれど」
フムルはこう告げた。
ポレウルは何をしたらいいのか、全く見当がつかずに黙ってこの様子を見ていた。その上、下手に動いて介入すると、ヤグネイルに見兼ねられて殺されるかもしれない。それがポレウル自身の心境に基づいた決断だった。
悲しいけれど、彼女は殺される。愛人を失う。今までようやく満たされていたはずの自分の一部が再び欠かれ、しかもそれは死ぬまで続く。同時に自分の無力感を味わうことにもなった。
次の段階に移るまでの時間は短い。ヤグネイルはいつでも首を刎ねることができる体勢にすでに移っていた。
「神の名において、汝を不正者と見做す!」
その光景が、ポレウルを突き動かした。
やめてくれ、と。心の中で叫びながら。

ポレウルは異常な速さで走りだし、ヤグネイルの振り下ろした刀を素手で捕えた。それは間一髪。とりあえずポレウルも傷つくことはなく、オーマングも生きていた。だが出血はひどい。おそらくオーマング自身の意識は遠のき始めている。
「ポレウル=クミルテルキ・・・」
「ポレウル君・・・」
ヤグネイルは持っていた刀を無理やりポレウルの手から離して、降ろした。
「その子を守りたいか、クミルテルキ」
「僕は彼女を死なせたくない。彼女の味方をする」
スカルタンのスカートのようなものを締め直し、刀を左手に持ち直した。
「覚悟を決め、立場を変えた勇気は認めよう。この私に勝てるのならな!」
血相を変えて再び殺しにかかってきた。ヤグネイルの追撃を免れるためポレウルは避けた。
「まだ動けそうな貴様から処分してくれよう」
様々な角度から刀を振り下ろしてくるヤグネイル。すべてをポレウルは巧みにかわしているが、後がないことが明白な表情だった。
「ポレウル君・・・無理しないで・・・」
二人が戦う様子を見てオーマングは再び立ち上がろうと決心。刀を持ち直し、再び自身の母親に挑もうとする。そのたびに患部からの出血がひどくなっていくのである。
不本意ながら、彼女は決心をし、すぐに立ち上がった。自分がまず何をすべきか自覚した。
急にオーマングが立ち上がったのでシャスティ達は驚いて一斉に構えた。
先に取り決めたルール――複数人で交戦するのは彼女を弱らせるときのみ――に背こうしたものなので、ヤグネイルは戦いながらシャスティ達を咎めた。
「何をしている!お前らはうごかなくていいぞ!」
「しかし、我らが指導者!オーマングが何かをしようとしています」
「動じるな、ケートニアーじゃあるまいし、こんな短時間で急速に回復するわけではない!」
実際オーマングが重傷を負っていて動きも不十分であることには変わりなかった。だが、ある仕方のない決断を下したからには、それを実行せざるを得ない。
「お母様!後ろから失礼!」
オーマングは思いっきり背中を軽く斬りつけた。
「ギャァアッ!!」
ヤグネイルは軽く悲鳴を上げた。そのまましゃがみこんでしまった。
「ポレウル君、ここは一旦退散よ!とてもあの人たちに対抗することなんてできない。数が多いし、お母様も強いし・・・」
そこまで言いかけて、オーマングは急に立っていることも困難なまでになった。めまいで倒れ込んでしまい、ポレウルはそれを運ばなければならなかった。
「お、オーマング、大丈夫か?」
「ごめん・・・ごめん・・・」
今まで一切泣いている姿を見せなかったオーマングが、今はポレウルにだけ見えるように泣いた。
ハタ王国が女性中心社会だからといって、男性が一切社会にしゃしゃり出てはいけないわけではない。女性はその家を統括し、男性はそのサポートをする。もし女性が弱っているのならば、男性はその女性を助けてサポートしなければならない。絶対的家父長制によって栄華を気づいたユーゲ国を否定したのだ。強いものが代表するのでは駄目だ。強いものが守らなければならない。
「オーマング、僕につかまって。ここから離れるぞ」
かなり重たそうな姿勢を取りながらも、ポレウルはオーマングを背負って退散を始めた。
「あ、逃げるぞ!もう一度捕えろ!」
シャスティが一気に二人を捕えに走り出した。ポレウルは逃げ足は速いようで、あっという間に建物から外に出られる。

外の景色は依然として真っ暗で、いまだに世が明ける気配がない。視界も悪い。逆に言えば、何所に逃げてもわかりにくいだろう。ウェールフープを使われない限り。
二人はとにかく逃げた。逃げて逃げて、逃げまくった。
まだ夜は明けないものかと。何度も願った。オーマングはポレウルの背中から振り落とされまいと、必死にへばり付いた。
ポレウルもまた、彼女を落とすわけにはいかないと、強く留めた。
再び、何所へ向かえばよいのかわからなくなった。どこに逃げれば、自分たちの安全が保障されるのだろうか。ここはネステル。彼女ら以外に、自分を正しくないものとみなすような人間はいないはず。いや、まずここはどこなのだろう。フムルに連れて行かれてここまで来たけれど、そういえばそこに連れて行かれたのか見当もつかない。ほんとにネステルなのだろうか?いや、人間の足でここまで来たんだ。ネステルに決まっている。
「オーマング、ここがどこかわかるか?」
「ハグナンナルは・・・ハタ王国の四つの場所に拠点を構えているの。ハグナン、スリャーザ、イザルタ、そしてネステル。私もいきなり回復して突然連れて行かれたから・・・」
「いきなり回復・・・?」
意味が解らなかった。
「多分、まだ記憶喪失状態の時に、ハグナンナルの誰かが私にお見舞いに来たんだと思うの。それで私は突然目覚めて、それを確認したハグナンナルの人が私をさっきの拠点に連れて行ったんじゃないかと・・・」
「ってことは、ここは少なくともアラナス島・・・」
刹那、丁度後方、自分たちが逃げてきた方向からすさまじい爆発音がした。二人ともビックリして後ろを見てみる。
そこは確かに、ハグナンナルがオーマングを処刑しようと集まっていた建物だ。そこが、炎に包まれ、燃え上がっていた。
それをみてポレウルは方向転換してその場に駆け付けた。
「ちょっとポレウル君!どこ行くの?」
「もしかしたら、アレかもしれない!」

13
一仕事終えたシャナスは通信機を片耳にあてながら話していた。
通信機の先の女性――ハフルテュデストは言った。
「そちらの状況はどうですか?」
「うまく行ったさ。邪悪なウィトイターのシャスムング=ロビラガルタは、死亡を確認した。気にすることはない。後は戦えるのはオーマングのみだが、オーマングの処理は済んだのだろう?」
「それが、ネステル支部の方からまだオーマング処刑完了の知らせが届いていません・・・」
「なんだと!こっちはようやく仕事を済ませたというのに!」
「お、落ち着いてください。まだ報告を待ちましょう」
「これが落ち着いていられるか!それから、今そっちで鳴っている通信機は取らないのか?」
「え、ああ、今度こそ報告でしょうか?フムルさんからです」
「ああ、早くそっちの知らせを聞かせてくれ」
「分かりました、少々お待ちください」
ハフルテュデストはもう一方の通信機を手に取り、耳にあてた。
「もしもし、こちらハフルテュデスト」
「こちら、ネステル支部のフムル=ウロカーシャテリーン。大変なことに、突然建物が爆発に遭った。」
「・・・は?」
「そして申し訳ないが、オーマングとポレウルに逃げられた。おまけに建物のドアは、あいつら二人が逃げないようにと閉め切ったままで、とても開けるのが難しく。私たちが生き残れるかどうかわからず・・・」
ハフルテュデストは相手の大変な状況を受け入れがたかった。
シャナスからの通信。
「応答しろハフルテュデスト。フムルからの知らせはどうなんだ?任務は完了したのか?」
「完了どころか、しくじって逆襲にあったようです」
「何・・・?」
「建物が爆発に遭ったと聞いています。フムル、応答を」
フムルが答えた。
「はい、どうぞ」
「そちらの生存者は何人?」
「私とナ・ワスィムシャーマイのみ。それ以外は皆、爆発に巻き込まれた」
今の声はあまりにも大きかったためか、複数の通信機を通じてシャナスにも直接聞こえた。
「・・・!?いったい誰の仕業・・・」
シャナスの声が途中で途切れ、何者かに殴られる音が聞こえた。シャナスはその場に倒れ込み、通信機と光るメシェーラを地面に落とした。
「部長?部長!どうしたんですか!?」
フムルもその声に気が付いた。
「何?シャナスがどうかしたの?シャナス?」

「ロ、ロビラガルタ・・・!お前死んだはずじゃあ!!」
地面に倒れこみながら言った。
そこには、つい先ほど全焼したはずのロビラガルタがボロボロになって立っていた。皮膚は黒く焦げ、目が見えているのかどうかもわからない。だが、固く閉じた口元だけが確認できる。
シャスムングは、その口を開いた。
「メシェーラのウェールフープで応急的に回復したのさ・・・だがあまりにもやけどの傷が深すぎたみたいだ。なんてことをしてくれたんだろうな。余命は伸ばせたが、お前にはそうはさせないさ。光るメシェーラもこちらにある。俺が致命傷を負わせれば、お前も俺と共に終わる。残念だったな」
「それはどうかな・・・お前のそのぼろぼろの体で、まだピンピンしている私を抑えられるかどうか!」
シャナスは手をバキボキと鳴らして、いつでも攻撃できる態勢を整えた。
「私は素手でも相当なものだぞ?なにもウェールフープのみで戦ってきたわけじゃないんだ!私の純粋な体術を食らいな!未熟者!」
シャナスは大きく足を振り、シャスムングを蹴ろうとしたが、当たらない。もう一度、振り返って攻撃を繰り出すがまたしても当たらない。すべて読まれていて、避けられている。シャナスはいら立ちを覚えた。
「未熟者は、お前の方だ」
シャナスのパンチをかわして、目にもとまらぬ速さでシャナスの腹にパンチを繰り出した。それとほぼ同時に東側から若干明るくなった。
「くそ・・・」
シャナスは今度は投げられた。一回転して頭から地面に打ち付けられる。そして途端に意識が遠のく。シャナスが意識をもうろうとさせながら起き上がるも、再び頭に蹴りを入れられる。
「なぜ・・・この私が・・・独学でここまでやって、王国警察支部長にまで上り詰めたこの私が・・・ハタ王国の戦士のこの私が・・・」
「答えは簡単。お前の戦い方はお前の数十年の生涯で得たもの。だが俺の戦い方ははるか数千年に渡る我々ペーセ人の長い歴史によって紡がれ受け継がれてきた戦い方だ」
仰向けになったシャナスの前に、自分のメシェーラを取り出した。
「お前は俺によって助からない。俺も、この体じゃもう生きていられねえ。お互いつらい人生だったな」
シャスムングは、シャナスの目線を確認した。
まだ、何かをしてきそうな顔だ。
「なんだ?自分はまだ生きていられるとでも思っているのか?お前が死んでも、トイター教の真理を追究しようという人間はいっぱいいる。もうあとはそいつらに任せたらいいじゃないか。俺も、フェースィー忍術はまた別系統のペーセ人によって語り継がれている」
「・・・そうかもしれんな。だが、やすやすと負けるわけにはいかない。降参は絶対にしないからな」
シャナスはメシェーラを強く向けた。
「俺もさ。この戦いは引き分けだ・・・それであいつらが生きられるのならそれでいい」
「・・・最後に聞きたいことがある」
「なんだ、命を引き延ばそうってのか?」
「そうだ。ナ・ワスィムシャーマイそのほか、私の同志たちが謎の爆発でやられたらしい。何か知っているか?」
「・・・ああ、あれか。弾道ウェールフープだよ。最後に、もしかしたらオーマングの母親を必ず殺さなければならない場面があるかもしれないと思って、その座標を覚えさせておいた。そこに向かて爆弾を飛ばした。それとついでに一緒にいたやつまで爆発に巻き込まれたんじゃないか」
「一歩間違えれば、爆発がオーマングやポレウルにも行ってたんじゃないのか?無謀なことをする奴だなあ」
シャナスは笑った。
だが、それに対してシャスムングも笑って返した。
「いや、あいつらがよければいいのさ。それくらいの対応はできたはず。狙いは母親だったのだから」

「・・・留めだ。シャナス=ミールスカッタクテイ。ここで終わらせてもらう」
「好きにしろ。必ず報復が来る。母なる神が必ずおられるのだから」
メシェーラはシャナスの心臓のあたりを串刺しにした。シャスムングが何か力を入れると、体内で破裂を起こした。
そのあとを追いかけるように――どうせ途中で道は分かれるのだが――シャスムングは目をつぶって倒れた。通信機の通信は途切れていた。

14
近づけば近づくほどに周りの温度が上昇していく。恐る恐る二人は来た道を戻り、さっきの爆発音をたどっていた。例の建物に着いたとき、その建物は骨組みのみがかすかに残った状態で燃えていた。
「これは・・・一体」
「ポレウル君、前方に気を付けて!」
「オーマング、あなたさえ始末すれば私たちの任務はそこで終了する」
燃え盛る建物の中から出てきたのは、服がボロボロになったヤグネイル。こちらを睨みつけ、錆びた刀を構えていた。その錆びた刀は、いつぞやの名刀のはずだ。
「よく・・・ここまで戻ってきてくれたわね。何?親子の愛情かしら?母親の私のことが心配になった?」
「いや、そういうわけじゃ・・・」
「あら、違うのね。それともここが燃えていることに気が付いて様子見に来たのかしら?」
まさにその通りだが、その質問に対しては何も答えなかった。無回答は、ヤグネイルに暗黙のうちに回答を与えた。
「申し訳ないけどポレウル、オーマングを殺すのに、あなたが邪魔よ」
考える隙も与えずに刀を振り下ろした。そのスピードに、ポレウルがついてこれるわけがなかった。
しかし、後ろでポレウルに掴まっていたオーマングが背中から背伸びして、メシェーラでその刀を受け止めた。金属同士がぶつかり合うような音が聞こえた。メシェーラは竹製なのに。
「ポレウル君!右に逃げて」
「分かった」
ヤグネイルが振り下ろした刀がメシェーラを抜けて地面に突き刺さる。同時に地面が少し斬れた。ヤグネイルはすぐにオーマングを乗せたポレウルを補足し、今度は大量のナイフを投げつけてきた。
「逃がさないわよ!」
「ポレウル君、そのまま逃げ続けて!」
ポレウルはそのまま振り返らずに前方に逃げた。再びオーマングはメシェーラを取り出して、飛んできたナイフを散らして地面に落とした。
「まだまだ・・・逃がさないわよ・・・!」
既に二人は十数メートル先へ逃げてしまっていた。突如として建物が再び爆発し、炎が宵闇の中にさらに広がった。時はすでに遅く、ヤグネイルは何も言い残さずに炎に巻き込まれた。
「お母様!!」
ポレウルは止まらなかった。ポレウルは、ヤグネイルが生きていると思ったのではない。もうあの母親に関わりたくないのだ。少しずつ、朝日が昇る気配が強くなる。東の空はうっすら明るくなっていた。

ここはそんなに深い森の中なのだろうか。いくら走っても全然森を抜けることができない。ネステルにいるとは言っていたが、その中でもアラナス島中部の山奥なのだろうか。そうでもないかぎり、都会のど真ん中にこんなに広大な森林なんて想像できない。あるいは、未開の地なのだろうか。まだ森林伐採も開墾もしていない。今だ人の手の加わっていないアラナス島の自然の姿なのだろうか。
しかし、今はそんなことはどうでもいい。彼らは行かなければならない。もうあそこの建物にいた人間達は死んだのだろう。オーマングの命を――彼らの幸せを脅かそうというものはもういない。シャナスはオーマングを狙ってはいない。自分たちは、助かった。
「はあ、はあ、オーマング、後ろ誰か来ているか?」
「いえ、誰も・・・」
ポレウルはすぐ後ろに愛する人を背負っていた。自分の大切な存在である。覚めてから初めて会ったときは生きててよかったという幸せや、安心感を味わっている暇などなかった。
今、こうして彼女の体温を感じていることは、自分たちが再会できたことを表していた。
――と、安らぎを得ていた最中。
「うっ・・・」
突然オーマングが唸り声を上げた。ポレウルは走ることをやめざるを得ない。
「なんだ!どうした?」
ポレウルは急いでオーマングを地面に静かに置いた。置いてみると、先ほどヤグネイルに着られた傷あとがはっきりと残っていた。そして、どうにも止まりそうにない多量の出血。オーマングの意識も限界らしい。
「お、オーマング・・・」
ポレウルは涙も出ない。
「た、た、た・・・」
何かをオーマングは伝えようとしている。その言葉を、ポレウルは聞こうにもなかなか聞き入れることができなかった。
「頼みがあるの・・・ポレウル君に」
「・・・何?」
「もはや、私もここまでね・・・だから、お願い。あの本を焼却して、私の墓と一緒に埋めてほしいの」
「・・・!?」

「あの本が王国のためにならないからじゃないの。あの本によって私みたいな活動家が現れて、それに反対する人が現れたらまた今回みたいに闘争になる・・・」
ポレウルは黙って聞いていた。
「どっちが正しいかなんて、考えてみれば時代によって異なるわ。スステ政治が始まる以前のハタ王国にはスステ陛下の力が必要だった。反王国派を打倒するには連邦の力が必要だった。同じように、トイター教が全く忘れ去られたら、私の本が必要だった。トイター教が忘れ去られたら、みんな私の本からスタートを切ればいいなと思ったの」
ポレウルは例の本を取り出した。
「トイターの生き方は人間が生きている限り不滅よ。必ずどこかで語り継がれると思ってる。たとえ、スカルムレイが崩御なさってこの国が亡ぼうとも・・・だから、私の本は単なる闘争の引き金になるのよ。今は必要ない。どうせなら、私の死と共に燃やしてもらっても構わないわ・・・いや、燃やして、絶対に」
その訂正は、彼女の人生の未練を全て拭い去ったかのように見えた。
「ポレウル君、燃やしてくれる?」
本を固く握りしめながら、答えた。
「できないよ、そんなことは」
「どうして?」
「これは、僕にとっては闘争の原因じゃなくて、君を確かに感じることができるバイブルなんだ。これから君が死んでも、この本があれば、君が生きていたという事実を忘れられない。その思い出にずっと浸れる」
「ふふっ・・・」
その笑い声でさえも、最後の体力を使っているように見えた。
「馬鹿ね・・・左手を貸しなさい。私の利き手よ」
何をされるんだろうと戸惑いながら、言われるがままに左手を差し出した。
オーマングは非常に弱い握力で、ポレウルの左手を優しく握った。そして、手のひらをゆっくりと自分の唇にあてた。
「・・・!」
「頼みを聞いてくれて、ありが・・・とう・・・」
握る力はなくなり、完全にポレウルの左手を話して、オーマングは目を閉じた。

人はなぜ死ぬのだろうか。この世に永遠など存在しないからだ。

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最終更新:2016年03月12日 15:18