かけがえのない親友を守るために、
ちっぽけな人として勇気を振り絞り怪物達に立ち向かおうとしたアンヌ。
白い杭によって救われて、恐怖で震えへたり込む少女の身体をそっと抱き締めながら、ケイトリンは
己の背を追いかけるだけの気弱な少女としか見てこなかったアンヌが、いつの間にか人として成長していた事を認め……
同時に、現実に抗ってきたつもりでいて、
本当は一歩も進めていなかった自分自身に気づいてしまった。
そして彼女は、疲れ切った老女のように、手を伸ばして得たはずの特別な道でさえ望みとは違っていたと、
だが、それでも現実に止まり続けることだって辛くて息苦しかったと、静かに思いの丈を吐露し始める。
――その中で、彼女は吸血鬼というものに己は本当になりたかったのか?
そう、煌びやかな神秘に幻惑されて、ずっと見えなかった本音に近づいていった……
本編より
……小柄な体だ。小さい手だ。しかしそれの持ち主が、自分を守ったのだとケイトリンは思った。思い知らされた。
そのアンバランスさがおかしくて、思わず苦笑してしまう。
いつも夢見がちなのに行動力がなくて、誰かの真似しか出来ないことに煩悶して。結局は自己嫌悪。
でも真面目だから手を抜かなくて、いつも彼女なりの全力で頑張っているから、最後の一線は絶対に譲らない。
窮屈な決意だ。あっさり捨ててしまった方が、よっぽど楽なのに。
「……ほんと、窮屈だよ。この世の中は」
「なんか……疲れちゃったよ、あたしもさ。ロックに弾けるのも、ふざけんなって中指立てるのも……全部、全部」
「地面からおさらばしたら、今度は飛び続けなくちゃいけなくて……羽の付け根が、ちょっと痛いよ」
「飛ぶのも歩くのもうんざりで……けどさ、何にもしないのはダサくて嫌な気持ちになる。ほんと、面倒な仕組みになってるや」
「頼んでもないのに、明日はやって来るしさぁ……」
「……きっと、太陽が昇ったらまた、大して成りたくもない何かに、必死に成ろうとしなきゃいけないんだろうなぁ」
当たり前の人間に生まれているから、そう生きるしかない。
けれど与えられた選択肢には、自分のやりたいことなどないのだ。
現実は驚くほど雁字搦めで、身じろぎ程度にしか動けないのに……ある程度は動けと常にせわしく急かしてくる。
「ああ――ほんと、やだやだ……」
立派な社会人に。格好いい大人の女性に。
そんなありきたりの自分を、せせこましく作り上げなければならない。
目が覚めてみたら、ローブを着た魔法使いから勇者の子孫だと言われないだろうか。
不思議な妖精がやってきて、君の力が必要なんだと言われないだろうか。
特別な存在だと求められたい。そんな機会が欲しいのに、現実はケイトリン・ワインハウスをただのはねっ返りに留めてしまっている。
最初から出来ない事ばかりが用意されている人生ゲーム。
怠惰な愚者にはなりたくない。けれど、賢者になって世の狭量さを納得したくはないのだ。
だから――彼女は問う。
「……あたしの夢って、なんだろうね?」
紡がれた言葉が、彼女の本心。
魔法のように色とりどりの夢が欲しい。
ケイトリンもまた、“吸血鬼”という特定の存在に成りたいわけではなかった。
自分だけの、たった一つきりの特別が欲しかったのだ。
他の誰がどう頑張っても成れない何か。この世界中で唯一、自分だけが持っている最高の特別。
言えば誰もに尊敬されて、聞けば誰もが憧憬するような。そういう夢を求めていた。
――そう、できれば……この腕の中にいる少女へ自慢できるような。
とびきり格好いい、最高の夢が欲しいんだ。今は、強くそう思う。
同時に、湧き上がるのは悔恨の念。
今まで自分は何をやっていたのか? そういう想いが、今度はケイトリンの中で膨れ上がる。
下卑た笑みを浮かべる男を食い物にして、馬鹿な血族をたぶらかして、好き勝手にやって来た。
吸い殺した相手に善人などいなかったのも当然だ。彼女に寄ってくる男など……こぞって悪辣で邪な小悪党しかいなかったのだから。
そんな存在としか釣り合わなかった自分と、そして欲望のままに命を弄んだ自分が、滑稽な愚か者に見える。
小さな良心は鬱陶しい小針となり。砕けた自愛は荒ぶる気概を削いで。
罪を罪とも思えないまま、罰の機会だけは永遠に失われた。
成長していないのは自分だけ。ウサギとカメの童話のように、カメはいつの間にか自分だけのゴールを手に入れていた。
ウサギであったはずのケイトリンは寝ぼけたまま。……目が覚めた後になっても、目指す方向を見失っている―――
最終更新:2024年10月26日 00:22