赫の眸が輝き……一人の女性の閉ざされていた記憶の蓋が開く。
両者が出会った霧の街で――50年、いや52年ぶりに、
人間アンヌ・ポートマンと、縛血者トシロー・カシマは再会した。
出会った時とは違う、枯れ木のように朽ちゆく少女と、寸分変わらぬ姿のままの男として。
トシローは既に、アンヌが不治の病により余命幾ばくもない事を知っていたが……
彼女は「病も含めての天寿だ」と、心穏やかに告げていた。
年月を重ね色褪せながら、深い慈しみを宿す瞳が、静かに佇む男を見上げる。
かつて夜の世界で知り合った者達が、今も変わりなく在る事を聞き満足げに頷くアンヌ……。
「これは老人の勝手な空想……黄昏の風が囁くものと思い、どうぞお聞き流し下さいまし……」
そうして、少女の頃を思わせる無邪気な笑みを浮かべながらアンヌは語りかける。
「あなたが、こうしてわたしの元を再び訪れた理由……」
「それは……もしも、わたしが迫る死を前に悲嘆に溺れ、人生を悔い、やり直したいと、そう望んでいたのならば……」
「このわたしに、不滅の薔薇をもう一度与えてくださる為に……」
独り語りを前に、トシローはただ黙して答えない。
「ふふ……女というものは、本当に……幾つになっても、身贔屓が過ぎるものですわねえ……」
「あなたにとっては、その永い人生で、ほんの一瞬きの間に関わっただけだというのに……」
心から可笑しそうに、老女は微笑っていた。
「でも……もしもそうだとしたなら……そのお心遣いは無駄に終わったようですよ……?」
本当にそう思っていると、アンヌの表情は物語っていた。
その言葉に、トシローもまた微笑を浮かべる――
死は拒むべきでない、君にとって受け入れるべき当たり前なのだな――と。
「ええ……それはもう随分と、面白い人生でしたから」
老女は自らの生涯を振り返り、どこか己が達観した性格になっていたのか。
どうしてずっと独り身のままでいたのだろうかと、不思議に思っていたと語る。
けれど、それは失われていた出会いの記憶が理由を明かしてくれた―――。
「若く、純粋な青春の日々に……あれほどの、身を焦がすような恋に堕ちていたのなら……」
「ふふ、どんなに魅力的な出逢いも、色褪せて見えてしまうのは当然でした……」
万感の想いを吐き出したアンヌに、今度はトシローが語りかける―――
かつて、君から言われた言葉……「自分は雨の夜に拾った子犬に過ぎないのか」という言葉――
それは、ずっと自分の心の深くに刺さる棘となっていたと。
故に―――
「あの時、闇で君に差し伸べたこの手が、正しかったのかどうかを考え続け……」
「俺はその答えを求めて、君の人生を時折り影から追っていた」
そして―――アンヌ・ポートマンが刻んだ人としての営みの軌跡の先。
「今日……俺は、その答を受け取ったように思う」
その答えに感極まり……言葉を失くすアンヌ。
「まあ……それは……なんという……」
「わたしにとっては……なんという、両手に持ちきれない程の持ち物である事でしょうか……」
それは、アンヌの想いが生涯を懸けて成就した瞬間だった。
――諦めたはずの想い人は、影ながら自分を見守ってくれていた。
たとえ、この身は結ばれずとも。
たとえ、その相手にとっては、無限に続く旅路の瞬間に過ぎなかったとしても。
「わたしの初恋は……報われていたのですね……」
「わたしも、今日……答をもらえました。これ以上、この人生に望むものはありません……」
そのまま、悪戯めかすように微笑んで―――
「それに……こんな皺だらけのお婆ちゃんのまま、あなたと共に生きていくなんて……とんでもない話ですよ?」
そんな姿に、トシローの頬も釣られて緩んだ……。
そして―――最後の邂逅は終わり、男は再び夜の世界へと戻ると告げ……
「ええ、そうでしょう……あなたは久遠の旅路を往く人。このまま振り返らず、お往きになってください」
「でも、さよならは言いません……それは、あの日にもう……」
「ああ───そうだったな」
遠ざかっていく足音、小さくなってゆく鼓動。
共に思い描く光景は、過ぎ去りし記憶の夕陽に染まっており―――
やがて、夜の帳が公園を静かに包み込んだ時………
黒い外套姿は既に消え、一人の少女は眠るようにその鼓動を止めていた。
- このエンドが一番好き -- 名無しさん (2020-04-28 19:35:45)
- これも墓エンドか。いや、逆墓エンドとかになるのか? -- 名無しさん (2020-04-29 17:58:51)
- ヴァーミリオンでしっかりと終わりになったエンドだよね。ほかのヒロインは俺たち冒険はこれからだって感じだし -- 名無しさん (2020-05-24 11:19:29)
最終更新:2021年02月26日 01:20