おまえはもはや不要だ、不肖の子よ




「静まれ」


戦闘の熱を失い、沈黙する両者の前に……その男は姿を現した。
薄汚れた、どこか物悲しい外套から滲み出るのは、隠せぬ真の気品だ。
悠久の旅路を歩む旅人のようにくたびれながら、決して色あせぬ完成された芯が出会う者を否応なく威圧する。
“彼”はただ立っている。
それだけで見る者は理解するだろう。この男と自らの間に横たわる絶対の差というものを。

厳かに、静謐に。一目で敵う者なき絶対者であると、そう知らしめる威厳と共に在った。



激情に駆られ、獣の如くアリヤを狙ったバイロンは、しかし覚醒していた人間の少女に翻弄され続ける。
決め手を欠きながらも盤面を支配していたアリヤは、微笑みさえ浮かべながら余裕の体で脱出しようとするも……
彼らの動きを、たった一声で制止させて、伝説の縛血者―――《伯爵》が闇より姿を現す。

絶対者は、バイロンに向けて問いかける。

「貴様は何故、このような無意味な愚行へ耽っている。
幼き稚児へ痛みを叫び、激痛に咽び泣いている。まるで手負いの魔獣だ。
自らの在り方を放棄し、積み上げた威光を放棄してまで。愚かしいとは思わぬのか?」

虚偽を許さぬと伝えた言葉に、バイロンは己の不明を恥じ、恭しく頭を垂れ、その足元へと躊躇なく片膝をつく。
自愛も傲慢も、怒りもそこにはなく、圧倒的な憧憬が彼に誠意ある態度を取らせていた。
そして同時に、跪くバイロンの胸には、無二の理想を前に際限なき悦情が溢れ続ける。

「私を駆り立てるものなど、誕生から眠りまでただ一つ。偉大なる父よ、あなたに関わることのみです」

「心は千路に乱れ、愚挙に走った事実、認めましょう。しかし、私には耐えられなかったのです。……この、あまりに大きな喪失を」

あなたのくれた贈り物を炎に奪われてしまった。その不義理を、どうかお許しになってください───父よ」

許してください。この裏切りを。そして叶うなら、再び私を愛して下さい。
この上ない敬服の念と共に、バイロンは《伯爵》に哀願する。
この世の全てに憎悪されることより、この男より寵愛を受けぬことこそ恐ろしいとばかりに。

「下らぬ。そのような思い違い(・・・・)でおまえは声を荒げていたか」

「失ってなどいない。そもそも、失いようがないのだ」

返ってきたのは落胆の声。それに続き、《伯爵》は淡々と『柩の娘』が不死なる存在である事、
真なる所有者の元に灰の一つでも残っていれば、瞬く間に再生を果たすという事を説く。
その内容に対し、バイロンは神に遭遇した殉教者のような貌で耳を傾ける。
不滅という名の幻想、それに至るものが既に与えられていたという事実が、絶頂の幸福をもたらしていたから。


陶酔し跪くバイロンに、《伯爵》は手を伸ばし……

「血族の至宝にそこまで心血注いでいたこと、大儀であった。おまえの進言、確かに聞き入れたぞ」

「おお、伯爵よ………!」

自身にとって絶対である存在から責められるのではなく、労をねぎらわれたことにバイロンは夢見心地となる。
認められ、隣に立ちたいと願った彼にとって、この瞬間こそ待ち望んでいたものだったから―――


「そして────」


故に、裁定は下される。出来損ない(想像通り)の仔に向けて。


「おまえはもはや不要だ、不肖の子よ」


伸ばされた《伯爵》の腕は、バイロンの心臓から背中までを容易に貫通していた。


「不出来で愚かな迷い子──おまえは要らぬ、崩折れよ」


……信じられない光景に、吐血しながらバイロンは絶望ですらない、空虚な表情を父に向ける。
だが、それに対しても絶対者は表情一つ変えず、心臓を潰した所業を当然のように眺めるのみ。
呻き、親の名を呼ぶ声に返す声もなく、《伯爵》は腕を引き抜き――血を振り払った。
後に残るのは、地に放り捨てられたバイロンの死骸。

――訳の分からぬまま親に見捨てられ、死ぬ。
そんな、あまりにも呆気のない末路が、かつて暴虐で欧州を震撼させた魔性の公子バイロンの終点だった。





  • 改めて見ると、バイロンかわいそう過ぎるな -- 名無しさん (2020-09-26 01:06:06)
  • 哀れではあるけど、自分も似たようなこと散々してるからなぁ -- 名無しさん (2020-09-26 03:25:00)
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最終更新:2021年02月25日 21:56