――どこに、かえればいいの?



『三本指』の模倣犯、彼に生まれたちっぽけな欲求――どこにでもいる縛血者に戻りたくない――が暴走する。
掟の番人の裁きも、自分たちを狩る狩人の妨害も届かないだろうという余裕が、
貧困の中に生まれ育ったことの反動が、裕福な人間の家庭へ手を出すことに躊躇いをなくし、
狙いを定めた、その家の幼い子供の幸せそうな声が、男の歪んだ嗜虐心をさらに加速させ――――


妄執に溺れた男の行為により、アンヌ・ポートマンは帰るべき家を奪われたのだ。


――燃え落ち、崩れ去っていく。
――人であった時の拠り所が、家族と過ごした思い出と共に焼き払われていた。


本当に、偶然に。心寂しさにつられ実家を見に来ていた縛血者の少女は、
ただ呆然と、野次馬達に紛れる中で、目の前の光景に言葉を失っていた。


「やめて、かえして………」

「やめて、かえして、やめて、かえして、やめて、かえして」


アンヌは懇願した。燃え落ちる家に向かい何度も何度も呟き続ける。
けれど目の前の炎は聞き入れてくれない。


―――柱が灰になっていくのが聞こえる。

―――誕生日に買ってもらったぬいぐるみは、既に灰だった。

―――部屋が消える。廊下が消える。思い出が消えていく。


―――わたしのかぞくといっしょに。


「やめて、かえして、やめて、かえして、やめて、かえして、
やめて、かえして、やめて、かえして、やめて――――」


無表情のまま、涙をこぼし………かえしてほしいと、それだけを口にする。
もしかしたらと、家族は出かけていたのではと、そんな淡い願いを抱いても……

アンヌの得た、人の頃よりも鋭くなった体の感覚は肉の焦げる臭気を感じ取り、
燃える炎の中で、誰が灰になっていくのか(・・・・・・・・・・・)を、はっきりと理解してしまっていた。


不条理(げんじつ)は止まらない。アンヌの心を切り刻む。
永遠に傷が残るように、残酷な光景を進めていく。


―――お願いします。神様。神様。時間を戻してください。
―――ほんの少しでいいのです。一生のお願いです。もう身の丈に合わない願いは言いません。
―――ですからどうか、戻してください。せめて自分に、家族を守り抜く機会だけは与えてください。
―――でないと、こんな、こんな…………

「こんなっ、わたし、いやだ、いやだっ……うそだよ、どこに、ねぇ、わたし、これからどこにっ」

―――ああ、だから……わたしは、これから。


「―――どこに、かえればいいの?」


その口から、縛血者(ブラインド)としてではなく、
ただのアンヌ・ポートマンとしての嘘偽りない本心が零れ落ちた。


「あぁ、ぁぁぁ……あああっ、うぁ、っ――――」


……その本音が、彼女自身の心に最後のとどめを刺した。

気づかなければよかった。帰りたいと、ずっと願っていたなんて。
背伸びをし続けるよりも、本当は何より大切に思っていた日常への帰還。
もう一度、日の下を歩きたいという、ささやかな未来への希望。


けれど、もうその願いは叶わない。
流れる水のように、この指の隙間を通り抜けていってしまったから。


そうして……アンヌは、再び陽が上るまでの間、喪失の焔の前で慟哭し続けるのだった―――




  • 白木の杭(肩をポンポン) -- 名無しさん (2018-11-21 20:04:05)
  • ↑ ま、丸太ジジイ……(戦慄 -- 名無しさん (2020-11-07 23:39:36)
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最終更新:2020年12月22日 01:19