| リシュティエ・メレノシュ・フレルナ | ||
| 母国語名称 | ||
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| 生没年 | 1648年5月36日〜1703年14月17日 | |
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| 生誕地 | アライド王国リァエシュト県キールカルシャエ市 | |
| 没地 | フレルミエ連合王国ベリニア共和国チアレカクシァエ特別行政区 | |
| プロフィール | 目次 | |
| 所属組織 | フレルミエ連合陸軍 | |
| 軍歴 | 1674年〜1700年 | |
| 異名 | 隻眼の女王蟻 | |
| 最終階級 | 大将 | |
リシュティエ・メレノシュ・フレルナはフレルミエ連合王国の軍人。トリア皇帝ハルミエ3世の弟であるメレノシュ・マルシエ・フレルナの娘。 彼女は先天盲により生まれつき右目の視力がない。 世界大戦にて指揮官としてシャノワール軍と戦い、第3次オレグベーリャ攻防戦やパルミエ作戦、シルトルエンの戦いなどで多大な戦果をあげた。
1648年、トリア革命から逃れた先のアライドにて生を受ける。トリア革命時にはまだリシュティエは生まれていなかったが、病弱であった母親であるエレナーゼの療養のためにメレノシュはアライド地域の別荘に身を寄せていたために革命による殺戮から逃れることが出来た。 トリア皇帝家の末子であるネウメ3世がまだ幼かったため、彼女の父であるメレノシュが皇位を継承するはずだったものの、1649年に発生したクーデター(アリュエステ事件)により廃位と請求放棄を迫られ、メレノシュは妻と産まれたばかりのリシュティエの安全を保証することを条件にこれを受諾した。
18歳になったリシュティエは軍事パレードの視察をきっかけに軍人を志すようになる。 成績優秀だった彼女は当時のアライド王国女王兼議長のエルスカジ・クロルフィート・フレルナの計らいによってグランダへ留学した。留学中には言語や教養などの他に、グランダ軍の兵器の設計思想やドクトリンなどを学んだ。 帰国後はフレルミエの士官学校に入学し、1974年に26歳でフレルミエ陸軍に入隊した。