血の16日間

概要

血の16日間とは、701年、ベルザフィリス国において、はじめて起きた内乱である。
それまでも、小規模な反乱はあったが、国の主要人物による内乱は、これが建国史上初の出来事となる。
名前の由来は、討伐隊派遣から、反乱鎮圧までに要した日数が16日間だったことから。

原因

ディースの戦いで負傷したルーディアは、2月24日に突如国主の座から引退することを発表。その地位を養子のガイヴェルドへ譲ると宣言した。
周囲の者は当然反対したが、ルーディアの決意は固かった。彼女は元々好戦的な人物ではなかったが、先王ディアルの遺志を継ぐ為にあえて自らを修羅と化して戦っていた。強靭な精神力で支えてきたその仮初の姿も、1本の矢によって簡単に断ち切られ、自らの精神力の限界を感じたのである。
ルーディアの説得を諦めた諸将は、彼女の決意を尊重し、2月26日、ベルザフィリス国国主はガイヴェルドへと受け継がれた。
だが、ベルザフィリス国ではなく、ルーディア個人にほれ込み、独眼竜だからこそ忠誠を誓ったと豪語する五舞将デイロードシレン。彼らは昨日まで同格であったガイヴェルドに頭を下げるつもりはないと、この後継に反対。反乱罪をかけられた為、3月1日に2人は挙兵する。
ここに五舞将は真っ二つに分かれ、一枚岩を誇っていたベルザフィリス国で始めての大規模な内乱がはじまった。

血の16日間

デイロードシレンの反乱に対して、ガイヴェルドは速やかにラゴベザスレニィラに討伐を命じた。
デイロードシレンは、反乱軍を率いて戦うというよりも、同格だったガイヴェルドを主と認めず、他国へ出奔するための準備行動だったという説が通説となっている。いかに猛将である二人でも、国を相手に抗うにはあまりにも無力である。ここは一度でいいから、討伐部隊を撃退して、十分なデモンストレーションを見せたところで、自分達を高く買う他国へ奔るつもりだった。
だが、ガイヴェルドのあまりにも早い対応により、二人は想像以上の軍勢により、包囲されることとなる。

3月15日、シレンデイロードは山頂に陣を構えるが、その兵力は僅か3000。対するラゴベザスレニィラは2万の兵力であった。
ラゴベザスデイロードは、幼き頃から共に育った親友であり、その攻撃を躊躇するのではないかとレニィラは懸念していた。しかし、ラゴベザス本人からその様な心配は無用だと一喝され、レニィラは彼の依頼により、完全なる包囲陣を敷いた。
ラゴベザスは実直で忠実な男であり、ルーディアの志をガイヴェルドが引き継ぐのなら、今度はガイヴェルドのために戦う事を決意していた。

3月16日、水も洩らさぬ完全な包囲網によって、退路を断たれたデイロードシレン。その夜、ラゴベザスが単身デイロードの陣へと赴く。
明日、総攻撃を行う、今夜が親友でいられる最後の夜だと彼は語り、デイロードと酒を交わした。
デイロードも覚悟を決め、二人は酒を飲み交わしながら昔話を語り明かした。
ラゴベザスは、デイロードに降伏を促す様な事は一切口にしなかった。幼馴染みである彼には、今更デイロードが考えを改める筈がないとわかっていた為、ここで下手に勧告することは寧ろ彼の名誉を傷つけると思った為である。
こうしてラゴベザスは忠に行き、デイロードは己の意思を貫いた。

3月17日、ラゴベザスレニィラは総攻撃を仕掛ける。シレンはこの囲みを突破してなんとしても自分を高く買ってくれる国へ逃れようとしたが、レニィラの作り上げた包囲陣は彼を逃すこともなく、五舞将シレンは、自分がガイヴェルドよりも劣っているなど認めないと叫びながら全身に矢を受けて落命した。
そしてデイロードは、ラゴベザスと壮絶な一騎討ちの末、親友の手によって討ち取られた。

4月12日、ガイヴェルドベルザフィリス国の新体制を発表した。
国主にガイヴェルド、軍師にディルセア、副軍師にレニィラ、内政総指揮官にグレシア五舞将の名誉職は廃止し、ヴィルガスは東伐総指揮官、ラゴベザスをその副将とし、北伐総指揮官に元ロッド国、ロードレア国の将軍を渡り歩いたレアを配備、そして後方から全体の軍勢の配備バランスを統括する軍務監としてディグドを抜擢した。

関連項目


最終更新:2011年12月14日 02:17