基本情報



略歴

ラグライナ帝国軍第三騎士団の指揮官、物静かと言うより非常に寡黙で、部下や同僚の中には彼の声を聞いた事がない者も多い。
孤高の虎と呼ばれた勇将だが、その視野は攻撃にのみ傾き、守勢や戦乱を生きる処世術とは無縁な存在であった。
ガルデス共和国軍のキロールと幾度となく剣を交え、帝国と共和国という国の枠すら超越した二人だけの戦場を作り出したことから、後世において彼らの対決を主軸とした演劇や本も数多く存在する。

初陣は1249年3周期の国境戦。
数年前に帝国に降ったロンディアナ家の私兵として戦闘に参加したルーデルは、キロール率いる共和国の精鋭部隊と交戦し大敗、自身も片腕を失う重傷を負う。
戦自体は敗戦であったが、この時の戦いぶりがラグライナ帝国正規軍のある将の目に留まり、ラグライナ帝国正規軍へと編入されることになる。
編入されてからの昇進は異例の早さであり、数年後には一部隊の指揮を任されるほどとなっていた。

1253年3周期14日目、ラグライナ帝国とガルデス共和国の間で起きたモンレッドの戦いに一部隊の指揮官として参戦。
この戦いで再びキロールと相見えるが、この衝突こそがラグライナ帝国とガルデス共和国の長きに渡る戦いの最初の激突となる。

1255年9周期23日目フェルグリアの戦いにも参戦し、その中心地でキロールと激しい戦いを演じたが、その激突は凄まじく他者の介在を許さぬほどで、「戦場の中で完全に独立した場所であった」あったという。
翌年の第3次モンレッドの戦いでもキロールと激突するが、この時は後続部隊の援護もあり兵力で圧倒した為、キロール部隊を撃退してはじめて彼から勝利するが、本人は兵力で圧倒しただけの戦いに納得を得ることはなかった。

そして、クァル・アヴェリの戦いにて、味方を逃がすために一人突撃してきたキロールと最後の戦いに赴く。
戦局では勝利したものの、一騎打ちにおいてはついに彼に勝てず、キロールは捕虜となり帝都にて処刑され、ついに彼は勝者になったという実感をもてないまま宿敵を失った。

その後、ガルデス共和国首都を目指している最中、ノスティーライナの戦いにおいてラヴェリア自らが指揮する部隊による奇襲を受けるが、かろうじてこれを撃退。
その直後にラヴェリア事件がおきた為、共和国攻めは一旦中断され、帰国する。

セルレディカ病没後に勃発した帝国内乱戦争において、セリーナに見初められ自らの派閥に加入することを強いられたが、これを拒絶した為、毒酒を送られる。
彼は帝国の未来に乾杯と言い残し、その酒を飲み干して舞台から去っていった。


人物

  • 飲酒を趣味としているが、既に生活の一部と化しており「これを趣味とは呼ばない、呼吸をしているのと同じだ」と豪語したことがある。
  • 史書、同世代の日記等でも「ベルンハルト」ではなく「ルーデル」として記録されているものが多く、周囲が彼を「ルーデル」と呼んでいたことがわかる。
  • 戦傷により片腕となったルーデルは、片腕でも振るえる細剣を好んで使った。彼の愛刀「ブリュンヒルト」は、代々の所有者が早死にすることで名が知られている。
  • 第3次モンレッドの戦いではキロール部隊を撃退しているが、これは、まったく互角だった所に、ルーデルのみ後続部隊の援軍が来た為であり、本人はこれを勝利と言われると、不機嫌な顔をした。
  • 彼がセリーナの誘いを断ったのは、このとき既に手の感覚が失われ、剣を握ることもできなくなっていた為とも言われている。明確な証拠は残っていないが、ノスティーライナの戦いを最後に、実戦はもとより訓練においても彼が剣を振るっている姿を見たものはいない。
  • 敵前で霧雨の陣を展開して悠然と待ち構えると見せて、突然砂塵の陣に陣形を変更して突撃する戦術を最も得意とした。これは後に帝国内乱戦争においてユウ将軍も使用しているが、彼の戦法を教典としたのかは不明。


関連項目



最終更新:2024年06月29日 04:27