レスパン遺稿(-いこう)は、サンテネリ共和国の父として知られる大指導者ジュール・レスパンが残した文書群である。レスパン手稿とも。この遺稿はレスパンの死から約2期を経た21期初頭(20期末とも)にアングラン南部にある納屋の古い鞄の中から発見された第一級の史料である。
この文書群は約300枚以上の紙束から成り、その内容は日記の断片、論文の草稿、そして国王グロワス13世の言行録という3つの主要な部分から構成されている(104)。文書はレスパン自身の筆跡でサンテネリ語によって記されており、その物質的な特徴から17期から18期にかけて製作されたことが分かっている。(79)
この文書群は約300枚以上の紙束から成り、その内容は日記の断片、論文の草稿、そして国王グロワス13世の言行録という3つの主要な部分から構成されている(104)。文書はレスパン自身の筆跡でサンテネリ語によって記されており、その物質的な特徴から17期から18期にかけて製作されたことが分かっている。(79)
特に研究者の間でその価値が認められたのは、グロワス13世に関する詳細な記録である。遺稿には、1716年の学位授与式典の献辞披露の直前になされた国王の演説全文が、レスパンによる注釈や所感と共に一言一句漏らさず書き留められていた。(104)
この記録から、レスパンは後に自身の主著『悪について』を評した「別ちがたく結びつくもう片方の翼」が、まさにこの国王の演説であったと示唆された。レスパンは演説を書き留めた余白に、「偉大なこと! 偉大な人!」と記しており、国王グロワス13世に対して深い信頼と敬意を抱いていたことが明らかになっている。(79, 106)この事実は、国王が献辞を理解できなかったという従来の通俗的な歴史的通説を完全に覆すものであった。
さらに、レスパン遺稿は、後に共和国時代にレスパンが披露した演説の口調や修辞が、グロワス13世の口調に酷似していたことを証明した。(104)これらの発見は、長らく「愚王」や「玉座の置物」として無視されてきたグロワス13世像の本格的な修正と再評価を促す最大の要因となった。
レスパンの自作に関する記述も見られる。彼は学位請求論文の抄として王に捧げた『悪について』を「片翼をもがれた不完全なもの」と評していたが、遺稿の発見により、その不完全さを補完するのがグロワス13世の演説であったことが示された。
この記録から、レスパンは後に自身の主著『悪について』を評した「別ちがたく結びつくもう片方の翼」が、まさにこの国王の演説であったと示唆された。レスパンは演説を書き留めた余白に、「偉大なこと! 偉大な人!」と記しており、国王グロワス13世に対して深い信頼と敬意を抱いていたことが明らかになっている。(79, 106)この事実は、国王が献辞を理解できなかったという従来の通俗的な歴史的通説を完全に覆すものであった。
さらに、レスパン遺稿は、後に共和国時代にレスパンが披露した演説の口調や修辞が、グロワス13世の口調に酷似していたことを証明した。(104)これらの発見は、長らく「愚王」や「玉座の置物」として無視されてきたグロワス13世像の本格的な修正と再評価を促す最大の要因となった。
レスパンの自作に関する記述も見られる。彼は学位請求論文の抄として王に捧げた『悪について』を「片翼をもがれた不完全なもの」と評していたが、遺稿の発見により、その不完全さを補完するのがグロワス13世の演説であったことが示された。
遺稿内の記述
偉大なこと! 偉大な人!
ー献辞捧呈に先立ちグロワス王が行った挨拶の全文が記録されていた箇所の余白に記された所感ー
私が何をするべきか、それが今日はっきりと分かった。私はグロワス・ルロワ氏の想いを受け継ぐ。彼がなし得ないことを私が行う。
私は一人の思想家を持った。私は一人の師を持った。そして、一人の模範を得た。
私は彼らを受け継ぐ。そして次代に渡すだろう
ー同日箇所の記述ー
正教新暦1735年8月25日
人知れず孤独に天を支えた巨木を、我らは失った。
その広大な枝葉の元に憩うことは、もう叶わない。
じきに空が落ちてくるだろう。
今後、我らが頼るものはない。
ゆえに我らが支えねばならない。
天を。
ーグロワス13世の死後4日後の日記。乱れた筆致で、極めて強い筆圧によって紙面を抉るように記されていたー