初出:第1部 第1章 『無能な王のルーティン 朝〜夕』
正式名称
グロワス・エネ・エン・ルロワ(Gloice aîné en Leroy(*1))
ロー・グロワス・トレージェン(Gloice XIII)
ロー・グロワス・トレージェン(Gloice XIII)
家族構成
正妃:アナリゼ(帝国皇女)
次男:グロワス
側妃1:ブラウネ(宰相の娘)
長男:ロベル
三女:フローリア
側妃2:メアリ(近衛軍監の娘)
長女:メアリ・アンヌ
三男:リシャル
側妃3:ゾフィ(ガイユール公の娘)
次女:マルグリテ
男児(夭逝)
次男:グロワス
側妃1:ブラウネ(宰相の娘)
長男:ロベル
三女:フローリア
側妃2:メアリ(近衛軍監の娘)
長女:メアリ・アンヌ
三男:リシャル
側妃3:ゾフィ(ガイユール公の娘)
次女:マルグリテ
男児(夭逝)
容姿
地位
地方の造園会社社長(転生前) → サンテネリ王太子(~1712年) → サンテネリ国王(~1716年) → サンテネリ国王 兼 枢密院主催者(~1735年)
通称
「玉座の置物」、「時計を弄ぶ白痴の王」、「導き手(コントゥール)」、「グロワス・グロー(偉大なるグロワス)」
作中での活躍
物語の主人公。前世は日本の地方で造園会社を継いだ30代半ばの男性だったが、お飾りの社長であることに無力感を覚え、高層マンションから飛び降りて自死した。
その後、異世界のサンテネリ王国で、20歳の若き国王グロワス13世として目覚める。転生前のグロワスは、中興の祖グロワス7世に憧れ、正教の教えに傾倒する過激で好戦的な思想の持ち主だった。彼は、宰相を失脚させるなど、その過激さで周囲との間に深刻な軋轢を生んでいた。
転生後の彼は、前世の失敗経験から、自身を「無能」と断じ、優秀な臣下に全てを任せる「傍観の技術」を駆使する「判子係」に徹しようとする。前任者である元のグロワスがやらかしたことの後始末として、家宰や海軍卿などに謝罪して回り、関係修復に努めた。周囲からは、この変化を病から回復した影響だと見なされている。
国政においては、当初の傍観的な姿勢から徐々に当事者として関わるようになる(弾劾演説)。財政破綻寸前の国家を立て直すため、長年の敵国であった帝国との和解や軍縮といった大胆な政策転換を決断(ロワイヨブルの演説)。特に、王の私兵ともいえる近衛軍の解体は、自らの最後の武器を手放す命がけの決断だった。また、財政難の中、自身の旧城を「勇者の宮殿」として負傷兵の療養施設に転用するなど、民衆への配慮も見せていた。さらに、旧来の王家中心の統治体制を改め、「大回廊の勅令」により大諸侯も参画する「枢密院」を設立し、王権を委任することで、サンテネリを「ルロワ家の所有物」から真の「国家」へ変えようと試みる(弱者の演説)。
外交においては、長年の敵国であった帝国と和約を結び、皇女アナリースを正妃に迎えた。また、軍事強国プロザンの王フロイシュ3世とも会談し、三国間の同盟を画策した。
しかし晩年に起こった二重戦争は、新大陸植民地の放棄、プロザン王国に対しグロワス13世の娘であるマルグリテ王女を人質として差し出す、三王同盟の破綻など屈辱的な結果に終わり、それぞれ腹心であった首相アキアヌ大公ピエルと、軍務卿デルロワズ公ジャンの辞任に繋がった。しかし長期的に見れば、サンテネリが手放した新大陸をアングランが手中に収めたことで、アングランは後に新大陸独立戦争という火種を抱え込むことになり、また人質としてプロザンに嫁いだマルグリテ王女は、後にプロザン王フロイシュ4世の正妃となり、その政治姿勢に大きな影響を与えることになり、必ずしもサンテネリにとって不利益なだけではなく評価が難しい。
しかし晩年に起こった二重戦争は、新大陸植民地の放棄、プロザン王国に対しグロワス13世の娘であるマルグリテ王女を人質として差し出す、三王同盟の破綻など屈辱的な結果に終わり、それぞれ腹心であった首相アキアヌ大公ピエルと、軍務卿デルロワズ公ジャンの辞任に繋がった。しかし長期的に見れば、サンテネリが手放した新大陸をアングランが手中に収めたことで、アングランは後に新大陸独立戦争という火種を抱え込むことになり、また人質としてプロザンに嫁いだマルグリテ王女は、後にプロザン王フロイシュ4世の正妃となり、その政治姿勢に大きな影響を与えることになり、必ずしもサンテネリにとって不利益なだけではなく評価が難しい。
私生活では、正妃アナリゼのほか、ブラウネ、メアリ、ゾフィを側妃として迎える。彼女たちとの関係は、単なる男女の情愛だけでなく、それぞれの実家との政治的な繋がりを背景にした複雑なものとなっている。庭園で暗殺されかけた際には、身を挺して短剣の刃を素手で掴み、負傷した。この事件をきっかけに、ブラウネとメアリを「王様係」として光の宮殿に住まわせることになる。
前世の知識は国家運営にはほぼ役に立たないが、現代日本の価値観を持つ転生者として、この世界の「魔力」を基盤とした身分制度には強い違和感を抱いている。その思想は、碩学ポルタ教授や、後に”大指導者”となるジュール・レスパンといった人物との対話の中で深く掘り下げられていく。
趣味は時計収集で、特にサンテネリの職人アブラム・ブラーグの作品を愛好している。
グロワス13世の治世は1712年の最初の病による意識喪失(回心)から始まったが、彼の健康状態は治世の終わりまで悪化の一途を辿った。特に晩年、王は父グロワス12世も患った「渇病」(体内の汚れた血液が充満し喉の渇きを訴える病気)に苦しんでいた。彼は当時の標準的な治療法であった瀉血を「無意味だ」として拒否し続けたため、病状は悪化の一途を辿った。病の影響で手が震える(顫動)ようになり、不眠が続き、肉体は痩せ細っていった。
彼の身体的衰弱は治世の終わり近く、特に1735年5月の枢密院会議後に急激に進行した。彼は床に伏せるようになり、公務に姿を現さなくなった。この時期、彼の発言は減り、声は乾いて掠れ、わずかな囁きしか出せなくなった。彼の思考は混濁し、時折、現実と妄想が入り混じった言動(妄言)を漏らすようになった。
死が間近に迫る中、王は自らの無力感や、前世での自殺経験からくる罪悪感に苛まれ続けた。彼は自身を「無能な王」と自称し、妻のブラウネに対して「自分は怖い、なぜ自分なのか」と弱音を吐露した。
最期の時、グロワス13世は自身の政治的な努力が崩壊することへの恐怖を妻ブラウネに訴え、子どもたちの未来と幸福を願った。彼は、長女メアリ・アンヌに伝説の剣(ユニウスの剣)を与えるなど、遺言で子孫たちの称号と所領を定めた。また、当時の慣習に反し、全ての妻が再婚後も王妃号(ロワイユ)を保持できる特権を認めた。
グロワス13世は1735年8月21日未明、側妃ブラウネに抱きかかえられながら静かに崩御した。彼の葬儀は9月10日にイレン・サンテネリ聖堂で執り行われたが、その規模は質素で「貧相」と評された。
彼の身体的衰弱は治世の終わり近く、特に1735年5月の枢密院会議後に急激に進行した。彼は床に伏せるようになり、公務に姿を現さなくなった。この時期、彼の発言は減り、声は乾いて掠れ、わずかな囁きしか出せなくなった。彼の思考は混濁し、時折、現実と妄想が入り混じった言動(妄言)を漏らすようになった。
死が間近に迫る中、王は自らの無力感や、前世での自殺経験からくる罪悪感に苛まれ続けた。彼は自身を「無能な王」と自称し、妻のブラウネに対して「自分は怖い、なぜ自分なのか」と弱音を吐露した。
最期の時、グロワス13世は自身の政治的な努力が崩壊することへの恐怖を妻ブラウネに訴え、子どもたちの未来と幸福を願った。彼は、長女メアリ・アンヌに伝説の剣(ユニウスの剣)を与えるなど、遺言で子孫たちの称号と所領を定めた。また、当時の慣習に反し、全ての妻が再婚後も王妃号(ロワイユ)を保持できる特権を認めた。
グロワス13世は1735年8月21日未明、側妃ブラウネに抱きかかえられながら静かに崩御した。彼の葬儀は9月10日にイレン・サンテネリ聖堂で執り行われたが、その規模は質素で「貧相」と評された。
彼の死後、息子のグロワス14世が17歳で即位し、枢密院体制を引き継いだが、早すぎる譲位により政治的混乱が深まり、後にサンテネリ共和国(第一共和国)が樹立される「大改革」のきっかけとなった。
後世では、国粋主義的な国民史観と保守的な王党史観の両方から無視され、「時計を弄ぶ白痴の王」などと不当に低い評価を受けてきた。しかし、21期に入り、ジュール・レスパンの遺稿発見などを機に再評価が進み、サンテネリの軍制改革や枢密院創設を主導し、近代国家への礎を築いた人物として見直されている。
略歴
正教新暦 | 年齢 | 概要 |
1692年 | 0歳 | 1月7日、誕生。父はサンテネリ国王グロワス12世、母は正妃マリエンヌ。 |
1712年 | 20歳 | 1月18日、父王グロワス12世の崩御に伴い国王に即位。 |
3月2日、病により倒れる。 | ||
3月9日、意識が回復。その日を境に言動が大幅に変わる。本編開始。 | ||
1714年 | 22歳 | 4月、旧城にてアキアヌ大公と会談。 |
1715年 | 23歳 | 7月3日、アナリース・ヴォー・エストビルグと結婚。正妃として迎える。 |
1716年 | 24歳 | 1月、プロザン王フライシュ3世との会談。 |
2月15日、「大回廊の勅令」成立。枢密院が設置される。枢密院主催者に就任 | ||
2月、側妃メアリの懐妊発覚。 | ||
9月16日、グロワス9世校の学位授与式典に臨席。「悪について」 | ||
第一子メアリ・アンヌが誕生。母は側妃メアリ。時期不明? | ||
1717年 | 25歳 | 皇帝ゲルギュ5世と会談。時期不明。 |
第2子ロベル誕生。母は側妃ブラウネ。時期不明? | ||
1718年 | 26歳 | 第3子グロワス14世誕生。母は正妃アナリゼ。時期不明? |
1720年 | 28歳 | 第4子マルグリテ誕生。母は側妃ゾフィ。時期不明? |
1722年 | 30歳 | 第5子フローリア誕生。母は側妃ブラウネ。時期不明? |
1724年 | 32歳 | 5月、皇帝ゲルギュ5世、プロザン王フライシュ3世と会談。三王会談。 |
1735年 | 43歳 | 8月21日未明、逝去。 |
9月10日、イレン・サンテネリ聖堂において葬儀が執り行われる。 |