「今日夕方、ウチの猫を獣医さんのところにつれて行くんだよね」
「あずにゃん2号どこか悪いの?」

私のことを言ってるのかと思った。
ムッタンをケースから取り出し、弦の張り具合を指で確かめていると遅れて部室に入ってきた純と憂がそんな会話を始めた。
あずにゃん2号は病気ではなく定期検査らしい。

「というわけで、これは置いて帰るから二人で練習しててよ」
今回は純が作曲することになっていて、出来上がった楽譜を机に置いてポンポンと叩いてみせた。
純は気楽に部活しているようでも期限前など時間厳守にはめっぽう強い。

感心した私が「純、早いね」と声を漏らすと、「私もやるときゃやりますよ」とフフンと鼻を鳴らした。
純が得意げなのは、私の作詞がまだ上がっていないからだった。
むっとなる私の頭を撫でて、「じゃ部長、あとは頼むよ」と純は鞄を担ぎなおす。

純が部屋を出て行ってから、早速置いていった楽譜を手にして鍵盤に向かう憂。
「梓ちゃん、純ちゃんの作った曲いいかも」

二人しかいなくなった静かな部室にオルガンの音が響く。
純の作曲が先に出来たということは、歌詞もこれに合わせたものに修正しなければならない。
私はソファにがっくり腰を下ろした。…負けた!と私は心の中で呟く。
負け惜しみを言うようだが、最近私は集中力を出せないでいるのだ。

「ねぇ、見て見て。ここの節よくない?」
憂は楽譜の一部分を指差して楽しそうにしていた。でも、楽譜はここの距離から見えるわけない。

「憂は今回、作詞作曲しないからいいよね」
私はソファから立ち上がる。

「ここのフレーズがね、こんな感じじゃないかな?」
憂は始めて弾く曲なので(純が今出したものだから当然)軽快さはなくても譜面からメロディを忠実に弾いてみせる。
憂の後ろに立った私は、音よりも、彼女の手を目で追いかけていた。

「梓ちゃん、早く歌詞つけてあげてよ」
「うん、分かってる」

「それよりさ…」
私は身を屈めると憂の背中に自分の体を重ね合わせた。
彼女の鍵盤に置かれた左右の手を握り、彼女の首筋に顔を埋めると憂はビクリとくすぐったそうに身をよじらせる。

「ま、真面目に練習しようよ?」
「だって集中できないんだもん」

私が集中できなくなっている理由。それは、私が憂と付き合い始めて間もなかったからだった。
今語っている上では唐突な話であるが、流れる時間の間に私たちは親友関係から気が付けばお互いそういう雰囲気になっていた。
交際を願い出たのは私からだった。
最初迷っていた様子の憂もほぼ二つ返事で承諾してくれた。

私たちのどちらかの家など人目のない場所ではともかく、周りを気にしなければならない場所、主に学校では目立って仲良く振舞ったりすることはない。
普通の友達のように接している。
しかし、校内とはいえ室内で二人きりとなると気が緩んでしまうものだと思った。

「この位置だと、誰か入ってきて見られたら…言い訳できない」

そう言う憂の首筋に唇を這わせていた私は、部室の入り口の方に目を向ける。
もし、純がいきなり戻ってきた場合、なんて言おう?
…確かに言い訳できない。私は憂の手を離すと姿勢を起こした。

「憂、こっちならいいかも」

そう言って、腕をとった私に憂は「どうするの?」と不安そうに言う。
立ち上がらせた憂を誘導した先は、先輩達といつか大掃除した物置部屋。

「ここなら…」
「見えなかったらいいってものじゃないよっ」

私は憂の腕を引いて中に入れるともう片方でドアを閉めた。
ちょっと強引だったかなと思った私は憂の腕を放すと、少しぎこちなく彼女に微笑む。
憂は怒ってはないが諦めたような視線で私を見ていた。

「ちょっと息抜きするだけだから」

私が憂に詰め寄ると、憂は後ろのドアに背中が当たった。私が顔を近づけると彼女の動きも止まる。

付き 合ってから、憂と口付けることはもう慣れてきていた。
彼女がどう反応するとか、こうすればいいとか試行錯誤のうえ手順や加減なんかも分かってくる。
私は無意識に憂のブラウスのリボンに手を掛けていた。そのうち一本を引っ張るとタイは簡単に解ける。

私は憂から唇を離した。憂と目が合う、彼女はまったく無抵抗だった。

「……」

この沈黙はなんなのだろう?続きをしても構わないということなんだろうか。
この狭いところで…。

私は足元や自分の傍まで迫ってる積まれた備品を見渡していると、「誰か来るよ」と憂が小声で言った。

部室の入り口のドアが開いて、誰かが入ってきた音がした。
純ならば真っ先に声を上げるだろうから、さわ子先生の可能性が高い。
鞄や楽器などの荷物が外に出しっぱなしなので練習中に退出したという状況になっているはずだった。

椅子の引く音が聞えた。どうやら座って私たちを待つつもりらしい。
耳を澄ませば、先生の何やら独り言も聞えるがドアの向こうの音は以外と聞き取りづらかった。

憂は声に出さないが「どうしよう?」と目線で訴えかけてくる。
…外の音が聞えにくいということは、中の音も外に漏れにくい。

ちょっと意地悪したくなった私は解いたリボンを持ったほうの手を動かし、憂のブラウスのボタンを上からいくつか外した。
「なっ…!あず」
「静かにしてればいいよ」

私は彼女の胸元を開いて顔を近づける。
憂は咄嗟に引いて逃げようとし、肘がドアに当たりガタンッと派手な音を立てた。

「そこにいるの?」

今度ははっきりとさわ子先生の声が聞えた。これはマズイ。

さすがに瞬時に憂の解いたリボンとボタンを掛ける余裕はないので、乱れたブラウスの胸元だけ整える。
外から扉が開いた。憂は背中をもたれかけていたのでドアごと一歩後ろへ下がる。

姿を現したのは、やはりさわ子先生だった。この時、威圧的に感じたのはやはり罪悪感からだろうか。

「あなたたち、そこで何をしてたの…かしら?」

さわ子先生は勘ぐるような視線で、私たちを見ながら一語一句ゆっくり話した。
「いえ、これは何も」
「べ、別に先生を驚かそうとか、そんなことは全然…!」

先生はしばらく疑わしいといった感じの顔をしていたが、苦笑するしかない私たちにフッと表情を緩めると、
「そのようね、いいからさっさと出てきなさい」と促した。
先生にやや背を向けてボタンを直す憂に、私はさっき解いてしまったブラウスのタイを渡す。

さわ子先生はそんな私たちの様子を横目で見ながら続けた。
「イジメでもなさそうだし、そうでなければあとは追求しませんけどね」

悠然とした態度の先生に私は安心していた。
私たち10代半ばの誤魔化しなど、大人はすべて見抜いていて分かってるものなのだろうか。
先生には実情を知られたが、この先生なら良かった気がする。

「教師やってると色々とあるものねぇ」
先生はいつもの自分の指定席に戻っていく。先生の後姿を見ながら憂が私に言った。

「梓ちゃんがいけないんだよ…!」
「憂が慌てるからだよ」

こそこそと言い合う私たちに先生は後ろから一喝する。

「そうね…。まあとりあえず、お茶いただこうかしら!」
先生は眼鏡の縁に手を当てるときっぱりと言い放った。私たちは素直にお茶の支度をすることにした。

end
最終更新:2011年02月15日 12:07