放課後のチャイムが鳴り響く。
クラスメイトたちがわいわいと他愛もない雑談を交わしながら教室を出ていくのを、私は机に臥せって見ていた。
自分もこのあとは部活だ。部室に行かなければいけないのは分かっている。

分かっているけど……。

「……はぁ」

どうにも腰は上がらない。
この憂鬱な気分が私をここから動かさないのだ。

……まあ動きたくないだけだけど。

それも仕方ない。
だって私のせいじゃないんだもん。
こんなに私を憂鬱にさせるのも、元々の原因を作ったのも。

目を閉じて考える。
けれどやっぱり面倒くさい。
このまま寝てしまおうかなんて思いつきに、机についた腕に顔をうずめて沈んでしまおうとしたところ。

「梓ちゃん、もうおやすみ?」

……そこにいた。



沈めた顔を気休め程度に持ち上げて前を見ると彼女がいた。

クラスはいつの間にか閑古鳥が鳴きそうな物寂しさに包まれているというのに。
私が気怠い感覚に少しばかり心を任せていたというのに彼女ときたら。

「ん?」

首を傾げて私を見てる。
私の前の席の椅子をこちらに向け、さも当然のことかのように座っていた。

「……席、そこじゃないでしょ」

何も言う言葉が思い付かなかったからとりあえずどうでもいいことを突っ込んでおいた。

「だめ?」

しかし彼女はまん丸な目で私を見返してくる。
やめてよ、そんな目で見ないでよ……。

何故だか心が痛んだ私は、目線が外れるようにまた腕の枕に頭を寝かせた。



彼女のせいだ。なにもかも。
彼女のせいでこんなにも気が沈んで、頭が乱されて重くなって、どんどんどんどん負荷がかかる。
今にも頭を抱えて唸り声を延々と出し続けたいところだけれどそんなことをしても意味はない。
気力もない。
だから八つ当たり。

「……ばか」

「えっ、ひ、ひどいよ梓ちゃん!」

私がそう言うと、彼女は眉をハの字にひそめていかにも悲しそうな表情をする。
でも、謝ってあげない。
罪悪感なんて、両手に抱えるほどしかないんだから。

気付かないのが悪いんだ。
いっつも他人のことばっかり見てるくせに。
自分のことになると途端に鈍感になる彼女の性格が、ちょっぴり疎ましかった。

「……うぅ」


まだ気にしてちらちらとこちらを伺う彼女を見るのには、さすがに私の心の良い部分がきしりと痛んだからごまかすように謝っておいた。

……もう、どうしてそれだけで笑顔になっちゃうのかな。



でも彼女は気付かないんだ。
私がどれだけ想いを寄せても。
のほほんとした笑顔でいつも見つめてくるだけ。
その度に私はむしろ後ろめたさが沸いてきて、一歩が踏み出せなくなってしまう。

だからずるい。
手の出しようがないんだもの。
しかも本人は無自覚なんだからたちが悪い。

「……やんなっちゃうよ」

「なにが?」

でも、気づいてほしいなんて一方的な願望をするだけ、私のほうがずるいのかな。



「帰らないの」

この心を乱すもやもやに自棄になって、質問とは呼べないような単調で尋ねた。
帰ってほしいのかどうかを聞かれたら、たぶんなにも答えられない。

「いたらだめ?」

そうきたか。
だめじゃない、だめじゃあないけれど……。

「憂も、帰ってすることあるでしょ」

「いつも通り、ご飯作るくらいだからへいき」

「……帰ったらいいのに」

どうしてそんなふうに言ってしまうんだろう。
昔から素直じゃない、なんて言われ続けてきたけれど少しは成長したと思っていた最近でも結局変わりはないらしい。

だけど、素直になるのが無理だって自分でもわかってる。
なにせずっと付き合ってきたんだから。
それがわかってしまうのが少し憎くて、ほんの少し泣きたくなる。

「……つんでれ?」

そして彼女には、どこまでお見通しなんだか。



いつもこうだ。
私は彼女をさりげなく支えてあげたくてあれやこれや頭を捻っているのに、助け船を出すのはいつも彼女。

少し前までは彼女ときたら口を開けばお姉ちゃん、ペンを持たせたらお姉ちゃん、味見をさせたらお姉ちゃん。
……とはさすがに言い過ぎだけれど、それほど姉を気にかけていた。
おっちょこちょいだから仕方ないのかもしれないけれど、過保護とまで呼べるほどだった。

しかし、今は当のお姉ちゃんは大学~、一人暮らし~と家を出ていってしまい、彼女も家に一人きりだ。
まあ家を出る日は二人ともわんわん泣いていたからそれほどほのぼのしたものではなかったとは思うけど。

でも、彼女は。

「なに?」

寂しい素振りなんて、今は全く見せやしない。

「……ツンデレじゃない」

「今ごろ?」



寂しいくせに、だれかに傍にいてほしいくせに彼女はそれを表には出さない。

もっと、私を頼っていいのに。
もっと、私を頼ってほしいのに。

「今日はご飯どうしようかな」

じとっ、と怪しい目線を彼女に向けると、いつの間にか窓に向き直って外を見ていた。
行儀良く膝に手を置いているところがなんとも彼女らしい。

「……わ」

視線を上げると、夕陽に照らされた彼女の横顔は、なんだかすごく……

憂「ん?なに?」

……やっぱり言ってあげない。



「変な梓ちゃん」

変なのはどっちだ。

「そうですかー」

でも彼女とこういうやりとりをしてしまったら埒が明かない。
自覚がないというのは本当に困りものだ。

私が答えないでいたら、彼女も黙ってしまった。
気まずくはないけれど……。
気になって彼女をちらりと見た。

「……もう暗くなってきちゃったね」

あ、また。

「憂」

横顔からだって、表情に出ていなくたってわかってしまう。

「なあに?」

そんなに、寂しそうな顔しないでよ。



「私に何か言うことはないの?」

「えっ?」

しまった。
言わぬのならいっそのこと聞いてしまえ、となったのはいいものの、これではまるで因縁をつけているようだ。

「じゃ、じゃなくて!その、悩み事とか」

「悩み事?」

「……言いたいこと、ない?」

「うーん、特には……どうして?」

全く何をしてるんだ。
これじゃ私が言いたいことも伝わらない。

「ええとつまり……」

「?」

つまり、憂に言ってほしいことを言ってもらうために私が言いたいことを婉曲に……あれ、良くわからなくなってきた。

「つ、つまり!私をもっと頼ってって言ってるの!」

……あ。

「へ?」

言っちゃった。



「あ……今のはその……」

どうしよう。
たぶん今の顔、ひどいことになってる。
顔が熱い。体が熱い。

「……えへへ」

それなのに彼女ときたら、少しいじわる気な笑顔。

「い、今のは忘れて」

苦し紛れに言ってはみたものの。

「がんばります!」

敬礼をして嬉しそうな顔をする彼女には期待できない。



空気が重い。
そう思っているのはきっと私だけで、彼女はどうせいいネタを拾ったとでも考えているのだろうか。

「うひひ~」

憎たらしい顔も、彼女にしたら途端に化ける。
さっきの発言も相成って私の心臓は飛び出そうだ。

「もー!」

「わっ」

自棄になって机を叩いて立ち上がった。
どうせ今さら失うものはない。

勢いに任せて言ってしまえ。

「憂!」

「は、はい」

「私はちゃんと言ったんだから憂もちゃんと言いなさい!」

なんて自己中心的な発言だ。



「な、何を?」

いきなり私が喚いたものだから少し体を強ばらせる彼女。
無理もない。

「だ、だから!憂私を全然頼ってくれないでしょ!」

でも。

「そんなこと……」

「ある!」

引いてはあげない。

「……いつも梓ちゃんには迷惑かけてばかりだし」

でも、この子も強情だ。

「……憂」

「……なに?」

私は、彼女の目が僅かに伏せたのを見逃さなかった。



「憂、三年生になってから今までとは変わったでしょ」

「……勉強とか?」

「違うよ、もっと、大切なこと……」

「……あは、ごめんね。わかんないや」

わかってるくせに知らんぷりをする。
いじわるなのはどっちだ。

「違うでしょ…憂にとって、とっても大切なこと」

「……うーん」

「憂、わかってるでしょ?」

彼女は、もう私と目を合わせてはいない。

「……わから……」

「唯先輩のことだよ!」

痺れを切らして言ってしまった。
でも仕方ない。私だって彼女の力になりたいんだ。

憂「……わかんないよ」

この子は……。


____
______


「唯先輩、一人暮らししちゃったでしょ!憂は寂しくはないの?」

「……でも、今は平気だよ」

うそつき。
自分にはそんな言葉がぴったりだ。

「そんなの嘘だって見てたらわかる」

親友にも、自分の心にも嘘をついて。
外面だけは体裁よく見せようとしてるずるい人間だ。
でも、梓ちゃんには見抜かれちゃってるみたい。

「梓ちゃんが心配することじゃないよ」

「……どうして」

私は誰にも迷惑かけたくないから。
お父さんにもお母さんにも、お姉ちゃんにも、梓ちゃんにも。

「どうして何も言ってくれないの?」

だから、私のためにそんなに真剣にならないで。

「わ、私は平気だよ」

「うそつき」

お願いだから、そんなに私を追い詰めないで。



「憂が、あの唯先輩に付きっきりだった憂が平気なはずないじゃん」

「……今は」

「今だって。前に比べたらずっと寂しそう」

ああ、どうして彼女にはわかっちゃうのかな。
それとも私が隠すの下手なだけなのかな。

「憂、私は全部受け止めてあげるから」

そんなセリフだって普通恥ずかしくて言えないよ。

「だから……私をもっと頼って」

だから、私がダメになっちゃう。



「寂しかったら私に寂しいって教えて」

「……そしたら、なんとか私も寂しくならないように頑張るから!」

そんなことで私は梓ちゃんの時間を奪いたくないんだよ。

「……じゃあ」

……でも、口からは漏れてしまう。

「もし……寂しいって言ったら」

優しくされちゃうから。
私のせいじゃない。彼女のせいだ。

「……梓ちゃんは、何をしてくれるの……?」

「わ、私は……」

私はとんだお馬鹿さん。



「……憂、ちょっと立って」

期待なんかしちゃいけないのに、真剣な顔の梓ちゃんを止められない。

「う、うん」

昔から本当は甘えん坊だなんて言われることもあったけど、今でも変わってないみたい。

「……で、では」

そして、ぎゅっと抱きしめられた。
梓ちゃんの細い腕から感じる温もりと柔らかい香り。

懐かしい感触。
前に誰かに抱きしめられたのはいつだったかな。

「……これぐらいしか思い付かないけど」

……あったかい。

「これぐらいならできるから」

押し付けられて脈打っているのはどっちの胸かな。

「……うん、ありがとう……」

堪えきれなくて私も腕を回した。
ぎゅっと力を加えると、胸に満ちるのはただ幸せな気持ち。

「……やっと素直になった」

今だけ、今だけだから。
少しだけ甘えるのを見逃してもらおう。


「じゃ、じゃあそろそろ……」

「待って、もう少し……お願い」

「……うん」

顔を見られるのが恥ずかしくて、梓ちゃんを強く引き寄せて見えないようにした。
横には、梓ちゃんの顔。
頬と頬が触れあうくらいに近い。

「……ん」

体が熱くなるのは抱き合っているせいか、それとも、彼女のせいか。

「ちょっと……苦し……」

「あっ、ごめんね」

勢い余ってそのまま離れてしまった。
少し残念。

「……ふぅ」

梓ちゃんが聞こえないくらいの吐息を漏らす。
もしかして嫌だなんて思われちゃったかな。

……そうだったら、悲しいな。



「……憂?平気?」

あ、また心配をかけてしまった。
今ので終わりにするつもりだったのに。

「うん……平気だよ」

無理してでも答えなきゃ。
梓ちゃんが早く帰れるように。

「うそ。また何か考えちゃったでしょ」

でも、彼女にはお見通し。
私はそんなに表情に出やすいのかな。

「じゃあ……もう一回、いいかな?」

恐る恐る尋ねると彼女は満面の笑みで

「もちろん!」

なんて答えてくれた。



「……ねぇ、憂」

私が梓ちゃんにしがみついてからどれほど経ったか分からない。

「……なあに?」

だって、こんなにも胸が満たされるから。

「わ、わたし……」

だから、今のうちにいっぱいいっぱいに幸せを蓄えて、もうこんなことないように。

「……いつでも、やってあげるから」

ああ、だめだよ。

「憂が寂しいときには、いつだって側にいてあげるから」

心臓が暴れちゃったら、零れちゃう。

「だから……」

だから私は逸る胸を抑えるように、ゆっくり深呼吸をする。




続きの言葉がないまま、また静かな時間が流れる。

今にも聞いてしまいたいけれど、声が裏返りそうで少し躊躇った。

だから耳元で吹きかけるように声を出した。

「それって……告白?」

自分でも何を言っているか分からない。
でも心のどこかで、彼女に何かを期待する。

「……かも」

「やったぁ」

「……やった、って……なに?」

ああ、幸せ。

「梓ちゃん、ずっと側にいてくれるんでしょ?」

だけど私はずるい人間。

「……うん」

自分からなんて言えないから。

「……梓ちゃん、部活は?」

「おやすみ」

どこか楽しげに呟く梓ちゃんがおかしくて、私たちはくすくすと響かないように声を漏らした。



   おしまい。
最終更新:2010年10月29日 01:50