再び辿り着いた庭の一隅で、俺は暫し呆然と立ち竦んだ。
ここは仮にも甲斐が誇る武田が屋敷、不審者など容易に入り込めようはずも
なく、使用人の末端に至るまで不心得者もいるわけがない。
しかし。しかし、だ。
年ごろの娘が斯様な場所で無防備に眠り込んでいるというのは、どんな前提が
あったとしても看過できるものではない。
年齢の違いとか身分の差とか、そういった全ての要素を踏み越えて、怒鳴り
つけて起こした上で厳しく言い聞かせて差し上げるべきか。
その思いつきは大層魅惑的ではあったものの、結局俺がしたことといえば、
呼吸も気配もなるべく潜めて、先ほど同様姫君の隣に身を落ち着けるという
間逆の行動だった。
断じて言うが、これは立場を弁えてとか、ましてや保身に走ったとかいう
考えからではない。
抱えた膝に頬を埋めて眠る姿に、ついせんに想像した小さな姫君が重なって
見えたからだ。
……最初は泣いているのかと思ってしまった。だから息さえ止めて耳を澄ませ、
聞こえてくるのが寝息であってすすり泣く声ではないと確かめるまで、動くに
動けなかったのだ。
泣かれてしまうくらいなら、眠り込んでおられるほうが遥かにましだ。
穏やかな寝息の横、同じ時の流れの中に身を置く。
小さな姫君の『隠れ鬼』は、ただの遊戯などではなかった。国を背負うという
覚悟、領民や家臣から向けられる目に見えぬ重責、敵国の脅威、そういった
ものに追い立てられる日常から、ほんの少しだけ姿を隠して心を癒す。
そうして再び現れたときには、何にも負けぬ竜姫に戻っておられたのだろう。
それはまるで、強さを取り戻す儀式にも似て。
隣にある肩は、国ひとつを支えるには細すぎはせぬだろうか。有能な副官殿や
心からの崇拝を向けてくる部下たちがいるにしても。
以前に一度、恐れ多くも触れたことのあるその肩に、躊躇いながらも手を回す。
あのときはとてもそんな余裕はなかったが、こうして改めて抱いてみれば
やはり小さく華奢だと感じる。
本当に、この身体の一体何処に、俺と互角に闘うだけの力を秘めておられる
のかが不思議でならない。いくさ場で刃を交わしていた相手は別人なのだと
言われたら、つい信じてしまいそうなほどだ。
それでも――――かつて幾度となく切り結んだ蒼き竜と、今俺の腕の中にいる
姫君は、間違いなく同じひとなのだ。
そして……俺は。
ここは仮にも甲斐が誇る武田が屋敷、不審者など容易に入り込めようはずも
なく、使用人の末端に至るまで不心得者もいるわけがない。
しかし。しかし、だ。
年ごろの娘が斯様な場所で無防備に眠り込んでいるというのは、どんな前提が
あったとしても看過できるものではない。
年齢の違いとか身分の差とか、そういった全ての要素を踏み越えて、怒鳴り
つけて起こした上で厳しく言い聞かせて差し上げるべきか。
その思いつきは大層魅惑的ではあったものの、結局俺がしたことといえば、
呼吸も気配もなるべく潜めて、先ほど同様姫君の隣に身を落ち着けるという
間逆の行動だった。
断じて言うが、これは立場を弁えてとか、ましてや保身に走ったとかいう
考えからではない。
抱えた膝に頬を埋めて眠る姿に、ついせんに想像した小さな姫君が重なって
見えたからだ。
……最初は泣いているのかと思ってしまった。だから息さえ止めて耳を澄ませ、
聞こえてくるのが寝息であってすすり泣く声ではないと確かめるまで、動くに
動けなかったのだ。
泣かれてしまうくらいなら、眠り込んでおられるほうが遥かにましだ。
穏やかな寝息の横、同じ時の流れの中に身を置く。
小さな姫君の『隠れ鬼』は、ただの遊戯などではなかった。国を背負うという
覚悟、領民や家臣から向けられる目に見えぬ重責、敵国の脅威、そういった
ものに追い立てられる日常から、ほんの少しだけ姿を隠して心を癒す。
そうして再び現れたときには、何にも負けぬ竜姫に戻っておられたのだろう。
それはまるで、強さを取り戻す儀式にも似て。
隣にある肩は、国ひとつを支えるには細すぎはせぬだろうか。有能な副官殿や
心からの崇拝を向けてくる部下たちがいるにしても。
以前に一度、恐れ多くも触れたことのあるその肩に、躊躇いながらも手を回す。
あのときはとてもそんな余裕はなかったが、こうして改めて抱いてみれば
やはり小さく華奢だと感じる。
本当に、この身体の一体何処に、俺と互角に闘うだけの力を秘めておられる
のかが不思議でならない。いくさ場で刃を交わしていた相手は別人なのだと
言われたら、つい信じてしまいそうなほどだ。
それでも――――かつて幾度となく切り結んだ蒼き竜と、今俺の腕の中にいる
姫君は、間違いなく同じひとなのだ。
そして……俺は。
―――――お館様。お館様への忠誠に、かけらの揺らぎもないのですが。