空の遠くで軋む車輪が大きく転げる音がしている。
墨を流した雲の中で、強い光が暴れだそうと今か今かと期をうかがっていた。
あの光は怖い。大きな音も恐ろしい。
そういえば、と元就は子供の頃を思い出す。
今夜と同じようは夜には、雷の恐ろしさに耐えられなくてよく兄の元に泣きついた。
今にして思えば、何と弱々しい事かといっそ笑ってしまう。
兄の心労はそんな自分の弱さのせいで余計に深まったのだ。
墨を流した雲の中で、強い光が暴れだそうと今か今かと期をうかがっていた。
あの光は怖い。大きな音も恐ろしい。
そういえば、と元就は子供の頃を思い出す。
今夜と同じようは夜には、雷の恐ろしさに耐えられなくてよく兄の元に泣きついた。
今にして思えば、何と弱々しい事かといっそ笑ってしまう。
兄の心労はそんな自分の弱さのせいで余計に深まったのだ。
篝火の音は近い。火の粉が舞い散る様は、まるで小さな赤い蝶だ。
人の魂は死ねば蝶になると言うから、きっとこれらは我を恨んで寄って来ているのだろう。
赤い色はその身から流す恨みの血の色で、斬りつけたのは当然、我だ。
人の魂は死ねば蝶になると言うから、きっとこれらは我を恨んで寄って来ているのだろう。
赤い色はその身から流す恨みの血の色で、斬りつけたのは当然、我だ。
にいさまは、何色の蝶になったのだろう
元就の記憶の兄はいつも清しく柔和な笑みを浮かべているが、
それでも兄の選んだ業を思えば、彼女がそうと信じたがるより彼の人は綺麗なばかりでもない。
元就とてそれには気付いてはいる。しかし。
(きっとにいさまは、みんなは真白い蝶になったのだ)
そう、信じたかった。
それでも兄の選んだ業を思えば、彼女がそうと信じたがるより彼の人は綺麗なばかりでもない。
元就とてそれには気付いてはいる。しかし。
(きっとにいさまは、みんなは真白い蝶になったのだ)
そう、信じたかった。
「それじゃあよ、」
ふ、と元就は思考の泥から引き上げられる。自分の心に芽生え始めた恋情にも気付かず、
彼を意識すれば生じるもどかしさを元就は嫌悪感と取り違えて認識し、眉と口を不快気に歪ませる。
元親には彼女の表面的な様子しか見えないので、
だから(ずいぶんと嫌われたもんだ)と小さく舌打ちするしかない。
「アンタ、好きなものはなんだ?」
ふ、と元就は思考の泥から引き上げられる。自分の心に芽生え始めた恋情にも気付かず、
彼を意識すれば生じるもどかしさを元就は嫌悪感と取り違えて認識し、眉と口を不快気に歪ませる。
元親には彼女の表面的な様子しか見えないので、
だから(ずいぶんと嫌われたもんだ)と小さく舌打ちするしかない。
「アンタ、好きなものはなんだ?」
なにが?と元就の思考が白く変わる。
がらりとまた空で恐ろしい音がして、つられたか風も大きく叫んで宴の席に吹き荒れた。
既に引き上げの準備に掛かっている兵達の慌しい足音も気にせず、
元親は乱れた髪を押さえる元就を見ていた。
がらりとまた空で恐ろしい音がして、つられたか風も大きく叫んで宴の席に吹き荒れた。
既に引き上げの準備に掛かっている兵達の慌しい足音も気にせず、
元親は乱れた髪を押さえる元就を見ていた。
彼女の、その姿。
天の上でも強い風は巻き起こったらしく、瞬間分厚い雲が裂かれた。
その傷を掻き分けて零れる、と言うには余りに強い鮮烈な光がある。
射られた元就は無意識の内にか振り返って仰ぎ見る。夜の后を。天の珠玉を。
その化身のような彼女。
その傷を掻き分けて零れる、と言うには余りに強い鮮烈な光がある。
射られた元就は無意識の内にか振り返って仰ぎ見る。夜の后を。天の珠玉を。
その化身のような彼女。
──月、
(よりにもよって、そんな厄介な)
元親はまた溜息をつく。綺麗な服やら髪飾りやらを欲しがるのにはこの女には期待できそうもないが、
せめてもっと即物的な物ならどうとでも用意出来るというのに。
「お月サンが好き、か」と問えば、元就はやっと彼に気付いたかの様子で視線を返す。
そして、こくりと小さく頷いて見せた。
(とんだかぐや姫だぜ)そりゃあなびかねぇ訳だ、と元親は視界に入る砂を噛む気分になる。
それにしてもあの風情。月光を浴びて瞳を煌かせる姿は、まるで一枚の絵だ。
「──もれいずる月の影のさやけさ…てか?」
ふいに古い歌の一節を口ずさむ元親に、元就は軽く驚く。
しかしややあって、(そういえば、子供の頃は閉じこもって本ばかり読んでいたのだったか)
と気付く。何から何まで自分とは真逆だ。
元就は、彼が自分を月に例えてその歌を持ち出したのだとそちらには気付けない。
「…今は、季節ではないぞ」
「じゃ、安芸から来たお姫サンに捧ぐって事にしといてくれや」
元就の、ふん、とかすかに鼻を鳴らす返答は、ついに振り出した雨に溶けて消えた。
誰が姫か、と講義する声もやはり雨と、駆け出す周囲の者の足跡に消された。
だから、振り払う機会を逃した。と、元就は誰に聞かせるでもなく心内で言い訳する。
手首を掴んで帰り道を誘導する元親を拒めなかった事を。
せめてもっと即物的な物ならどうとでも用意出来るというのに。
「お月サンが好き、か」と問えば、元就はやっと彼に気付いたかの様子で視線を返す。
そして、こくりと小さく頷いて見せた。
(とんだかぐや姫だぜ)そりゃあなびかねぇ訳だ、と元親は視界に入る砂を噛む気分になる。
それにしてもあの風情。月光を浴びて瞳を煌かせる姿は、まるで一枚の絵だ。
「──もれいずる月の影のさやけさ…てか?」
ふいに古い歌の一節を口ずさむ元親に、元就は軽く驚く。
しかしややあって、(そういえば、子供の頃は閉じこもって本ばかり読んでいたのだったか)
と気付く。何から何まで自分とは真逆だ。
元就は、彼が自分を月に例えてその歌を持ち出したのだとそちらには気付けない。
「…今は、季節ではないぞ」
「じゃ、安芸から来たお姫サンに捧ぐって事にしといてくれや」
元就の、ふん、とかすかに鼻を鳴らす返答は、ついに振り出した雨に溶けて消えた。
誰が姫か、と講義する声もやはり雨と、駆け出す周囲の者の足跡に消された。
だから、振り払う機会を逃した。と、元就は誰に聞かせるでもなく心内で言い訳する。
手首を掴んで帰り道を誘導する元親を拒めなかった事を。
その手が大きくて暖かくて、
──何故だか泣きたいくらいに感じた安堵する心も、なかった事にして。
──何故だか泣きたいくらいに感じた安堵する心も、なかった事にして。
つづく//潮の花18




