ナショナル・ボリシェビキ党(Национал-большевистская партия)は、1993年から2007年まで存在したロシアの政治組織であり、極端な反体制活動と独自のイデオロギーで知られる存在だった。
正式には政治政党として登録されることは一度もなく、モスクワ州を拠点とする地域組織としてスタートし、全国に支部を広げていったが、常に「党」という名称を掲げながらも、法的な政党資格を得ることはなかった。
創設のきっかけは1993年5月1日のメーデー行進の後、エドワルド・リモノフとアレクサンドル・ドゥーギンが再会し、「命令第1号」という文書を作成したことにある。この文書では「反国民的なフンタと社会独裁の少数派体制の打倒」「ロシア民族の国民的・社会的伝統に基づく新秩序の確立」を目標に掲げ、国家ボリシェヴィズム(ナショナルボリシェヴィズム)という合成イデオロギーの誕生を宣言した。
リモノフが党首として前面に立ち、ドゥーギンが初期の理論的支柱を担ったが、2000年代初頭に両者は決定的に決裂し、ドゥーギン派は別組織を立ち上げた。イデオロギーは一言で言えば「極左と極右の極端な融合」であり、ソ連時代のスターリニズムへの郷愁、帝国主義的な大ロシア主義、反資本主義・反オリガルヒ・反西欧の姿勢、そして徹底した反プーチン(後に反メドベージェフ)路線が混在していた。党員たちは「革命」を標榜し、街頭での過激なパフォーマンス、行政機関への突入、象徴的な建造物への落書きや旗掲揚などで知られ、ロシアの反体制運動の中でも最も視覚的・劇場的な存在だった。党のシンボルであるハンマーと鎌を逆さまにした赤黒の旗は、当時のロシアの政治風景で異彩を放っていた。2000年代半ばになると、党は「もう一つのロシア」(Другая Россия)という反クレムリン連合の主要メンバーとなり、2006–2007年の「不服従の行進」(Марши несогласных)で最も目立つ役割を果たした。しかし当局の弾圧は激しさを増し、2006年に5度目の政党登録申請が却下された後、2007年6月にモスクワ市裁判所によって「過激派組織」と認定され、活動が全面禁止された。最高裁判所もこれを支持し、NBPはロシアで最初に禁止された政治組織の一つとなった。禁止後も多くの元党員は活動を継続し、2010年にエドゥアルド・リモノフを中心に新党「もう一つのロシア」(Другая Россия)を結成した。リモノフの死去(2020年)以降も一部のグループは細々と存続しているが、かつてのNBPのような規模と勢いは失われている。