NEETY GIRL:やっほー

 Iris:おいす

 NEETY GIRL:こんな時間からとか珍しくない? いーちゃんいっつも深夜帯inなのに

 Iris:気分

 Iris:学校休みだし今

 NEETY GIRL:もしかして都住み?

 Iris:黙秘

 NEETY GIRL:絶対そうじゃ~ん! あれでしょ、今大変だもんねー。バッタですごいことになってるんだっけ。
       わたしの地域はまだ虫が来てないみたいだけど、わたし虫だいっきらいだから毎日めちゃくちゃびくびくしてるー。

 Iris:うるさい

 Iris:きいてない

 NEETY GIRL:つめたくない?

 NEETY GIRL:傷つきました。あーあ

 NEETY GIRL:それで

 NEETY GIRL:なんかクエストいく?

 Iris:水晶山

 NEETY GIRL:水晶山のなにw

 NEETY GIRL:ほんと短文ガールなんだから キッズみたい

 Iris:4ね

 Iris:水晶山の竜王

 Iris:忙しくてまだ火急クエやってない

 NEETY GIRL:竜王か~~~ あれむずいんだよね

 NEETY GIRL:ガチ装備で行っていい?

 NEETY GIRL:いつものドロ増装備だと私も三落ちするかも

 Iris:なんでもいい

 Iris:はやくいこ

 NEETY GIRL:はいはい

 NEETY GIRL:ていうか

 NEETY GIRL:イリスちゃんさー

 Iris:なに

 NEETY GIRL:なんかあったでしょ?

 Iris:なんで

 NEETY GIRL:いつももっとこう

 NEETY GIRL:毒にキレがある 本気で傷つくこと平気で言うじゃん

 Iris:おまえ私のことなんだと思ってんの

 NEETY GIRL:事実だもんw

 NEETY GIRL:で、なんかあったの?

 Iris:人のリアルを勘繰るのってマナー違反なんじゃなかったっけ

 Iris:どうせ中身コミュ障ニートのクセに調子乗りやがって

 Iris:殴るよ

 Iris:人中とかを

 NEETY GIRL:暴力だねぇ~~~~~~~~~

 Iris:いいからくえいこ

 Iris:ニートに相談してもしゃあないもん

 NEETY GIRL:まあいいけど

 NEETY GIRL:私、このゲームやってくれるフレってイリスちゃんしかいないからさ

 NEETY GIRL:ニートでよかったらいつでも話聞くよ、なんて

 Iris:考えとく

 Iris:クエ受注した

 Iris:三落ちしたら*す

 Iris:あ

 Iris:NGワードキモすぎ 4ねばいいのに

 NEETY GIRL:いまどき珍しいくらいキッズだね今日も

 NEETY GIRL:じゃ、いこっか!



◇◇



 時刻は、今から少しだけ遡る。
 楪依里朱は表情のない顔で、目の前で正座するガラ悪げな見た目の男を見下ろしていた。
 自由奔放、傍若無人を地で行くさしもの彼も今回のやらかしに関しては何も言い訳が思い付かないらしい。
 そんな彼のらしからぬ殊勝な姿を見ても、当然ながら温情など微塵も沸いてこない。
 当然だろう。今回のはただの命令無視や不遜とは訳が違う。
 イリスにとっての最大の地雷、その真上でタップダンスを踊った挙句ずっこけて片足折って帰ってきたようなものだ。
 一見すると平静に見えるが、その実今、イリスはかつてないほどに不機嫌の絶頂にあった。

「……で」
「ハイ」
「申し開きは」
「アリマセンデス、ゴメンナサイ」

 事の経緯を説明するには、またまた時を遡る必要がある。
 昨夜のことだ。あろうことかこのサーヴァント・ライダー……虫螻の王。
 シストセルカ・グレガリアという群体は、この聖杯戦争における最強最悪の存在へ独断で接触を図ったのである。

 すなわち、神寂祓葉
 〈はじまりの聖杯戦争〉の勝利者にして、針音の仮想都市を想像した主従の片割れ。
 そして、楪依里朱という女がこの世で最も憎む宿敵。かつて一度は、友と呼んだ少女。
 飛蝗どもはイリスに断ることなく、それへと挑んだ。
 その上で、予定調和のように敗走して帰ってきた。
 好奇心は猫を殺すというが、砂漠飛蝗は殺されなかった。
 だがそれでも、無謀の代償は甚大だった。

「今、どんだけ力を出せるの」
「ま、まあ……六割くらい、カナーって」
「……はぁあぁあぁあぁあ……」

 サバクトビバッタ――〈Schistocerca Gregaria〉は、原則として不滅の存在である。
 神代から現代に至るまでを渡り、変わらぬ猛威で人を、文明を喰らい続ける天地神明の暴食者。
 草を食うだけですら地平線を埋め尽くす軍勢を形成できる昆虫が英霊となり、際限(リミッター)を外されたなら。
 あらゆるモノを食物として喰い貪れる飛蝗の群れは、もはや手の付けられる存在ではない。
 無限に増え、無限に群れる。なんの比喩でも誇張でもなく、彼らはこの東京に無尽蔵に存在し、こうしている今も生殖を続けている。
 だが瞬時の補充は不可能だ。不測の災害で失った四割の同族を埋め合わせるまでには、彼と言えども多少の時間を要する。

 一応"裏技"はないでもなかった。
 イリスが令呪を命令でなく彼への魔力源として供給すれば、瞬間的な大生殖を行うことも不可能ではないだろう。
 ただまだ聖杯戦争は序盤も序盤。この段階から既に虎の子のひとつを失うのは出来れば避けたかった。
 兵站的な意味でもそうだが、飛蝗男(こいつ)は見ての通り、一時のテンションに任せて何を仕出かすか分かったものではないからだ。
 首輪なしでこの暴れ馬に跨るなど自殺行為である。少なくとも、イリスに博打打ちの趣味はない。

「補充しきるまでどのくらい」
「あー、そうだな……。日没くらいになれば、ほぼほぼ全快は出来ると思うぜ。
 これでも一応ちょっと焦ってんだよ。蝗害の進行を一旦止めて、全力で盛り合わせてっから」
「……、」

 想像するだけで気持ちの悪い光景だが、六時間程度であれば確かにまだ巻き返しは利く範疇だ。
 その六時間で軍勢を補充して、元の規模を取り戻し次第"蝗害"の進行を再開する。
 当座の方針はそんなところであろう。イリスとしては、本来の予定を向こう見ずの身勝手でねじ曲げられたことが甚だ不快であったが。

「……申し訳なさそうな顔しなくていいから。どうせ腹の中じゃ反省も何もしてないんだろうし」
「え。い、いやぁ。そんなことは――」
「ライダー」
「あ、はい。じゃあいい子ちゃんな俺はそのヘンに置いときます」

 置いといて、とジェスチャーして、虫螻の王はしおらしい正座を崩して男(オス)らしく胡座を掻いた。
 昆虫は学習こそするが反省はしない。イリスもそれは分かっているので、彼にそういう礼節の類は一切期待していなかった。
 正直、あらん限りの悪態と罵詈雑言をぶつけてやりたい気分でいっぱいだ。
 だが、それを差し置いてでもまずは聞かなければならないことがあった。
 そう――聞かなければならない。これが、曲がりなりにも今は自分の相棒ということになっているこの男が。
 彼女に、神寂祓葉に、"出遭った"というのならば。
 楪依里朱は、彼に問わねばならない。理屈ではない、もっと見苦しく不合理でどろついた感情から。

「あいつに会ったんでしょ。で、戦った。こっぴどくやられてのこのこ帰ってきた」
「ああ。会った、戦った、負けた。認めたかねえが、今もう一回やっても同じ結果だろうな」
「――祓葉は、強かった?」

 強くなければそもそも負けて帰ってなど来ないだろう、というのはイリスも承知の上で聞いている。
 言っただろう、これは理屈ではないのだ。
 きっとシストセルカ・グレガリアには理解のできない感情を羊水として浸かり生まれた惰弱なる無駄。
 だからこそ譲れない、譲るという発想がそもそもない。
 死に、甦り、未来の代わりに狂気を与えられた少女の根幹。
 今も瞼の裏に焼き付いて離れないあの青い日々、"彼女"の残像にイリスは狂している。

「改まって言うまでもねえだろ。ありゃ強い、いや強いなんてもんじゃねえな。
 〈怪物〉だ。理屈が通じない、常識が通じない。そもそもそういう話の中に存在していない。
 疑似(ニセ)とはいえブラックホールを内側からぶった斬ってくる女なんざ、強がりでも弱いとは言えねえや」

 シストセルカは、虫螻の王は、昨夜の出来事を余さず覚えている。
 最初、あの戦いは何をどう転んでも己の勝利で幕を下ろす筈だった。
 持てる戦力、火力、不滅性、いずれにおいても神寂祓葉は完全に己の後塵を拝していた。

 だが戦う内に少しずつ、それが変化していった。
 不可解な能力上昇。限界地点のゆらぎ。
 今思えば、彼処まで派手な手に訴えたのは単なる高揚ではなく本能的な行動でもあったのだろう。
 昆虫は理性ではなく本能で動く。だからこそ、無意識の内に神寂祓葉という存在を"総体の危機"と見做していた可能性がある。
 故に出したのがあの特大の妙技、飛蝗を極限まで密集させて生み出す砂漠の大渦(ブラックホール)であった。
 恐らく直撃すれば、この針音聖杯戦争に存在するどのサーヴァントでも耐えられないに違いない究極の殺傷手段。
 ――しかし祓葉は、それすら斬り伏せてみせたのだ。あの恐るべき、光の剣で。

「…………そ。やっぱ強いんだ、あいつ」

 ちりちりと、脳のどこかが焦げ付くような錯覚を覚えた。
 もしも"弱い"だなどと言われたなら瞬時に氷点下の怒りを剥き出しただろうに、望み通りの答えが返ってきても納得しない自分の面倒臭さに我ながら反吐が出そうになる。
 最悪だと、クソ女だと、そう侮蔑しながらも気付けば考えるのはあいつのムカつくくらい能天気な笑顔ばかり。
 この手を握って走るあいつの温度まで――思い出しそうに、なる。

「ライダー。あんたに挽回の機会をあげる」
「ほぉう。ま、俺も見下されっぱなしじゃ沽券に関わる。
 いいぜ、言うこと聞いてやるよ。魔女のイリス様は、この虫螻風情に何をお望みだい?」
「害虫駆除」

 祓葉は強い。
 当たり前のことだ。
 だからみんな、あの女にまんまと転がされた。
 あの笑顔と、言葉と、立ち振る舞い。
 その純粋と無垢が、この世の何よりも醜い無自覚な悪意と表裏一体だと誰も気付かなかった。
 それが〈はじまり〉の失敗。
 眩しすぎてこっちの視界が曇っていることをついぞ理解せぬまま、祓葉という怪物を見誤ってしまったこと。

「アギリの言う通りだった。あのクソジジイ、自分がどこにいるのか隠そうともしてない。
 らしいなって思っちゃったよ。死ぬほどムカつくことにね」

 イリスは決めている。
 今回は絶対に同じ轍は踏まないと。
 できる筈だ。なぜなら今回の自分は、誰より神寂祓葉を知っているから。
 あいつがどんな顔で笑うのかも、どんな顔で泣くのかも、どんな顔で人を裏切るのかも。
 他の五人など問題にもならない。自分だ。自分こそが、あの醜悪な女の真実に誰より迫っていると自負している。

 祓葉を倒す。
 アレを倒せば、この煩わしい焦躁も消えると信じて。
 だがその前に、是が非でも滅ぼさなければならない五つの屑星があることもイリスは認識していた。
 戦略的理由ではない。感情的理由だ。自分以外の五人、あの誰かが祓葉にとっての運命になる可能性を彼女は決して許せない。

 祓葉を倒すのは、私だ。
 世界の誰であろうと、そこの一点だけは決して譲らない。
 ましてや祓葉の顔を何も知らない癖に、黄泉帰って訳知り顔をしているあの五人は論外だ。
 必ず殺す。その第一歩としてイリスがまず標的に据えたのは、前回もっとも手を焼かされたある魔術師だった。

「蛇杖堂記念病院。そこに私と同じ、前回の聖杯戦争に参加したマスターがいる」
「病院ねぇ。薬臭えだけで食いでがなさそうだなァおい。やるとは言ったけどよ、退屈なヤマは勘弁だぜ?」
「そこは問題ない。行けば――会えば分かるよ。あのヤブ医者、本当に芯から性根腐り切ったクソ外道だから」

 その男は、〈はじまりの聖杯戦争〉における台風の目であった。
 他人の陥穽をたちまちに見抜く洞察力と、それを裏打ちする年季故の知識と知見。
 そして何よりも、魔術師としての類稀なる、老獪に逸出した実力。
 英霊にさえ恵まれた老魔術師の君臨は、すべてのマスターにとって紛うことなき目の上の瘤。
 神寂祓葉という存在が本格的に頭角を現し始めるまで、間違いなくかつての聖杯戦争は彼を中心に回っていたと言っていい。


『呆れたものだ――愚か者の一族から零れた胤は、やはり無能か』
『持って生まれた素養を幼稚なパーソナリティがすべて無に帰している。その齢になってまだそれとは』
『理想と現実の区別も付かん痴呆の家は、子を育てる才能も枯渇してしまったらしい』


 忌まわしい老人の声が脳裏を木霊する。
 今となってはそんなもの、すべてどうでもいいことだが――
 それでも、投げかけられた嘲笑を返すいい機会なのは間違いないだろう。
 たかだか今際の際に祓葉の超常を垣間見ただけの負け犬がよく吠えた。

「人間としては腐ってるけど、魔術師としては間違いなく優秀。
 たぶん"こういう"事態に備えていろいろ企てを抱えてるんだろうし、最悪殺せなくてもいい」
「らしくねえな。"首取るまで帰ってくるな"とか無理難題押し付けるのがお前流だろ?」
「ただし、その代わり――完膚なきまでにあっちの備えと拠点、ブチ壊してきて。
 病院も、備蓄も、全部全部全部。ありったけ、食えるだけ食ってきていいから。
 もしいなくてもそれはそれで構わないし。住所聞き出してくれてもいいけど、そこまであんたには期待しない」
「へぇ。そりゃ良いけどよ、だが何故?」
「決まってるでしょ。嫌がらせ」

 遅くなったが、売られた喧嘩は今買ってやる。
 存分に死ね、老害。

「――もう偉そうに語る資格はないね、蛇杖堂寂句
 あいつの温度も知らないあんたに、私の未練(ふつは)は渡さない」



◇◇



 ――そして、時刻は現在に戻る。
 シストセルカは出撃させた。蛇杖堂寂句の討伐、もとい彼の備えに対する可能な限りの略奪が目的だ。
 蛇杖堂の老蛇は放っておけば放っておいただけ力を増す、知恵を肥やす。だからこそ早めに削りをかけるのは必要条件だった。
 ここで殺せるのが最善なのは言うまでもないが、そうでなくても敵の戦力をある程度削ぎ落とせれば後はアギリなり他の四人なりが攻め込むだろう。前回の聖杯戦争を経験している者で、蛇杖堂寂句の脅威を知らない者はいないのだから。

 イリス自身も出撃する選択肢はあった。
 昨夜のアギリ陣営との交戦で実感したことだが、自分の〈色間魔術〉は今飛躍的な伸びを見せている。
 何せあの赤坂亜切とすら、真っ向切ってやり合えるレベルだ。もはや苦心しながら狡辛く魔術の行使に勤しんでいた頃とはわけが違う。
 ただ、ここは結局控えることにした。蛇杖堂は老獪だ。力に溺れて下手を打てば、次の瞬間にはこちらが絡め取られる。
 まずはシストセルカで削りつつ偵察をし、情報を集めてそれから改めて恨みを晴らすのでも遅くはない。
 だからこその自宅待機。空いた時間を何に使うか考えた末、イリスは"暇潰し"に用いることにした。

 何せ、聖杯戦争はここまで一ヶ月以上に及び続いているのだ。
 常在戦場の気構えは常に維持しているが、それでもやはり手の空く時間はどうしても多くなる。
 そんな中でイリスが暇潰しに手を伸ばしたのが、とあるアクションゲームだった。
 ゲームとしては至ってオーソドックス。巨大なモンスターを武器を持ったプレイヤー達が囲んで力を合わせて狩猟する。
 最初は舐めてかかっていたイリスだったが、いざ実際に臨んでみるとこれがなかなかどうして奥が深い。
 端的に言うと、ハマってしまった。とはいえ無理もない。楪の本家があったのはドの付く田舎の村だったし、ましてや旧態依然を地で行く楪の家にはパソコンはおろかテレビさえなかった。イリスにとって娯楽とは、そんなごく限定的な環境の中で許されるごく退屈でつまらないものでしかなかったのだ。
 そんな箱入りの田舎娘が最新のオンラインゲームに触れた。結果、見事にハマり散らかした。それ自体は責められることではないだろう。

 とはいえイリスはこの通り、誰に対しても基本的に辛辣で容赦がない。
 祓葉と友人になれたのはひとえにあちらの底抜けなフレンドリーさがあった故のこと。
 ゲーム内チャットだろうと平気で不満を吐く彼女は、基本的にソロプレイで試行錯誤を繰り返すのが常だった。
 ――ある、奇特な人物がフレンド依頼を送ってくるまでは。


 >NEETY GIRLさんからフレンド依頼が届いています

 >さっきのめっちゃチャットで喧嘩してたひとだよね?
 >私あの人たち身内ノリキモくてすっごい嫌いだったの! なんか胸がすっとしちゃった
 >よかったらフレンドなろーよ! いっしょにゲームしよ(*^^*)


 その日からというもの。
 イリスは、惰性でゆるゆるとそれとゲームを続けている。
 別に理由があるわけではない。〈NEETY GIRL〉は自分よりも装備が潤沢で、腕も立つ。だから都合のいい時に呼んで連れ回しているだけだ。別に通話や重たい関係性を求めてくるわけでもないので、兎にも角にも"都合がいい"。それだけで、それまでのこと。
 〈NEETY GIRL〉はいつも饒舌だ。聞いてもいないことを、自分からべらべら語ってくる。
 かと言ってこっちの話を蔑ろにすることもない。雑に扱っても、毒を吐いても、ひょいひょい返信を返してくる。
 だから、やりやすい。気付けば暇な時は彼女と話の流れで交換したトークアプリで連絡を送り、呼び出してゲームに勤しむのが習慣になっていた。
 朝でも昼でも夜でも深夜でも、大体いつでも返事が返ってくるので"そういう生き方"をしているんだろうと思っているが詳細は不明。性別だとか年齢だとか、そういうことは何も知らない。相手も、何も聞いてこない。
 だからこその居心地のよさがなかったと言えば、きっとそれは嘘になる。

「……、……」

 ずきり。
 頭の中のどこかが、少し痛んだ。
 長い眠りから覚めたみたいだと、そう思った。



◇◇



 NEETY GIRL:おつ~

 NEETY GIRL:しんどかったね

 Iris:おつ

 NEETY GIRL:ていうかさあ

 NEETY GIRL:なんでいーちゃんずっと装備それなの? その白黒のやつ下位装備だから、もっといいのにした方がいいと思うけど

 NEETY GIRL:縛りプレイかなんかしてるの?

 Iris:似たようなもん

 NEETY GIRL:そっかぁ

 NEETY GIRL:まあプレイスタイルは自由か

 NEETY GIRL:わたしもうそろそろ落ちるけど、じゃあ今度はそれの強化素材探しに行こ

 Iris:?

 Iris:意味ある?

 Iris:強化素材くらいならひとりで集めれるけど

 NEETY GIRL:ふたりでやった方が効率いいじゃん!

 NEETY GIRL:つきあうよ~~

 Iris:まあ

 Iris:いいけど

 Iris:じゃあまたディスコで連絡する

 NEETY GIRL:りょ!

 NEETY GIRL:私だいたいいつでもいるから、ゲームでもなんでも気軽に声かけてね~~

 Iris:気が向いたらね

 NEETY GIRL:友達なんだし









 NEETY GIRL:あれ

 NEETY GIRL:いーちゃん?

 Iris:友達じゃない


【Iris さんがログアウトしました。】



◇◇



 ――楪依里朱は田舎者である。
 だから、初めて訪れる都会はすべてが新鮮であると同時に煩わしさの宝庫でもあった。
 人が多く、車が多く、空気は汚く、ただ移動するというだけでも複雑な路線図を見て時間の計算をしなくてはならない。
 物価は高いし、村では当たり前のものとして扱われていた自分のこの見た目も誰もが遠慮なく奇異の目線を向けてくる。

 色間は極めて不便な魔術だ。
 使い勝手が悪く、考えることが多い癖に術者に多くの要求を課してくる。
 その最たるものが、色彩との親和だ。白と黒、この二色を肉体と密接にしておく必要がある。
 故に髪も幼い頃からずっと二色(ツートン)に染めて過ごしてきたし、衣服もそうだ。
 ゲームのキャラでさえ"いつもの色彩"にしないと落ち着かないほど、イリスは自分の世界を白黒に支配されていた。
 生まれ故郷の村では楪家の伝統と誰もが知っていたが、都会ではもちろんそうではない。
 転入した学校でもそれは変わらなかった。転入初日に絡んできたクラスの女子達はその日の内に痛め付けてやったので以後特に不便はなかったものの、それでもイリスにとって東京の町は煩雑で喧しく、耳障りで目障りなもので溢れかえっていた。

 孤独は苦ではない。
 喧しくされるよりはずっといい。
 ましてや自分の目的は、この街で生きることなどではない。
 聖杯戦争に勝ち、老人達の愚かしい悲願を現実にしてやること。
 今も昔もこれからも、自分はあの家の妖怪どもの傀儡でしかないのだから。
 環境の善いも悪いも気にするだけ無駄。そう折り合いを付けて、さあ終わるまで孤独に戦おうと――思っていた自分に、声を掛けた女がいた。

『こんにちは! ねえ、その髪――きれいだね。どうやって染めてるの?』

 うるさいな、と思った。
 また馬鹿が殴られに来たのか、と苛立ちを浮かべて振り向いた。
 けれど、そこにあったのは今まで見たこともないような純真、混じり気の一切ない笑顔だった。
 楪家の才媛でも、奇特で良い噂を聞かない変わり者でもなく。
 〈楪依里朱〉というひとりの人間を見つめて、少女はそこにいた。


 その日からだ。
 少女は、イリスにぴょこぴょこ付きまとうようになった。
 休み時間。体育の時間。放課後。休日にインターホンで起こされたかと思ったらスイカを持って立っていた時など、本気で殴ろうか迷った。
 彼女がマスターであることを知ったのは早い内だった。それもその筈だ、令呪を隠していなかったから。
 タトゥーシールということで押し通すつもりだったと言うが、もちろん無理がある。
 イリスは迷った。良心からではない。あまりにも隙だらけすぎて、逆に殺していいのかどうか分からなかったのだ。

 結局、本人が底抜けのアホなのをいいことに当分は殺さず連れ回すことにした。
 彼女のサーヴァントは目を覆いたくなるような三流英霊だったが、それでもいざという時弾除けくらいにはなるだろうと考えた。
 思えば、いろんなところに行った。いろんなことをした。
 戦いよりも、益体もないことをして過ごした時間の方が遥かに長かったと記憶している。
 意味もないのに泊まりに来たり、興味もない動物園や水族館、流行りのコーヒーショップに連れ出されたり。
 聖杯戦争が終わったらふたりでどこか旅行に行こうよ、なんて言われた時はもう心底から呆れてしまったが。
 別に必ずしもマスターまで殺さなくてもいいのだということに気付き、もしその時までこいつが生き残っていたのなら、利用したぶんの報酬代わりに付き合ってやってもいいかもな、なんて思った。


 ――その戦いは、少なくともイリスにとっては最も大きなものになった。
 蛇杖堂の現蛇神との本格決戦。イリス、少女、そして赫眼の殺人鬼。
 三陣営による同時攻撃にさえ、老獪なる怪物は対応してみせた。
 舌戦に敗れ、魔術戦に敗れ、腹を貫かれたイリスは、死を覚悟していた。

 別に、悔いなんてものがあるわけでもない。
 むしろいつ死んだってよかった。
 死ぬ方が望みだったと言っても、きっと嘘じゃない。
 振り下ろされる医神の裁定を待ち、静かに目を閉じたその一瞬。
 降るはずの死はいつまで経っても訪れず。
 目を開けば――そこにあったのは、少女の背中だった。

 光の剣を、片手に握って。
 燃え盛る炎の中、独り立つ見慣れたシルエット。
 気付けば口は、なんで、と問い掛けていた。
 それに少女は顔だけで振り向いて、笑った。


『なんで、って。――――私たち、友達でしょ?』


 友達のことは、助けないと。
 その言葉は、予想だにしなかったもの。
 今までイリスは、"それ"を得たことがなかったから。
 いつからか望むことをやめ、無いものとして扱い続けていた概念。
 或いは、見ないようにしていた言葉。
 けれど、この時。
 目の前に立つ強すぎる光、いつもそばにいた輝きの星を見て、イリスは――それを自覚してしまった。


 こうして。楪依里朱は、神寂祓葉と、友達になったのだ。



◇◇



 トークアプリの通知が一件だけ届いている。
 それを見る気にはならなかった。
 水を打ったように冷めた心で椅子を立ち、ベッドの上に身を横たえる。

「……馬鹿みたい」

 なんと惨めで、不細工な話だろうと思う。
 これではあの老人の言う通りだ。
 幼稚。ああ、まさにその通りではないか。
 結局自分は、こうもあの日々に縛られている。
 時間にすればひと月にも満たなかったであろう、本物の東京で過ごした日々。
 "彼女"に手を引かれ、共に戦い、未来を誓い合ったあの時間に。

 楪依里朱に友達はいない。
 もう、新たに作る気もなかった。
 分かるからだ。誰とどう関わったって、自分はもうこの生き方を止められない。
 友達と呼んだ相手の胸を貫いて、素知らぬ顔で蘇らせて玩具にできる女。
 彼女のことをどれほど最悪と、屑と罵倒していても、気付けばこの足は走り去った青春の背中を追いかけ続けている。
 なのに――、さっき。
 画面越しの顔も名前も知らない相手に"友達"と呼ばれて、一瞬だけ、満更でもなかったのだ。

 どこまでも未練がましい。
 穢されてただの肥溜めに堕ちたあの青春が、こんなにも恋しいのか。
 誰彼構わず、祓葉の影を見出してしまうほど。
 そんな風に忘れようとしたって、余計に頭の中の光が強くなっていくだけだと分かっているだろうに。

「やっぱり、私も行けばよかったな」

 思えば後悔してばっかりだ。
 いつも終わってから、追いつけなくなってから後悔する。
 ――ああ。自分は、どうすればよかったのだろう。
 何をしていれば、あいつに、追いつけていたのだろう。

 考えても、答えは出ない。
 戦場では魔女となる狂気の徒も、ひとりでいるならただの少女だった。
 どこまでもちっぽけで、どこまでもありふれた、自分の思春期を飼い馴らせない不器用な子ども。
 子どもはまだ、星を見ている。手を伸ばす。かつて誰かが、そうしたように。


【文京区・イリスの部屋/一日目・午後】

【楪依里朱】
[状態]:健康、自己嫌悪、未練
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数十万円
[思考・状況]
基本方針:優勝する。そして……?
0:なんでこうなんだろ。
1:祓葉を殺す。
2:蛇杖堂を削りつつあわよくば殺す。
[備考]
天枷仁杜(〈NEETY GIRL〉)とネットゲームを介して繋がっています。相手がマスターであるとは知りません。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来るでしょう。

【ライダー(シストセルカ・グレガリア)】
[状態]:戦力四割減(急速回復中。午後六時を目処に完全回復)
[装備]:バット(バッタ製)
[道具]:
[所持金]:百万円くらい。遊び人なので、結構持ってる。
[思考・状況]
基本方針:好き放題。金に食事に女に暴力!
1:病院を襲撃する。
2:祓葉にはいずれ借りを返したいが、まあ今は無理だわな。
[備考]
※イリスの命令により、蛇杖堂寂句が院長を務める市立病院へ襲撃に向かっています。
※〈蝗害〉を止めて繁殖にリソースを割くことで、祓葉戦で失った軍勢を急速に補充しています。



◇◇



「うあ~~~~……」
「なになに。どしたのよにーとちゃん」
「いやぁ、コミュミスったなぁって……はぁ、ちょっと凹むや」

 高天小都音がセイバー共々席を外した後、天枷仁杜はしばらくパソコンに向かっていた。
 働いていた頃に給金を惜しげもなく叩いて買った、ちょっと過剰なくらいスペックの良いゲーミングPCである。
 当然、キーボードも本体も無駄に七色に輝いている。これはもう現代を生きるゲーマーにおいては風情であった。

 仁杜はよく、同居人兼素敵なマブダチであるこのウートガルザ・ロキとゲームに興じる。
 ただ、仁杜にもゲームの好き嫌いがあるように、ロキもまた合う合わないが結構あった。
 例えば仁杜は格ゲーが苦手(反射神経が鈍いから)だし、ロキはアクションゲームをあまりやらない。
 なので仁杜が最近ハマっているこの狩猟系オンラインゲームは、もっぱら彼女がひとりでプレイしていることが多かった。
 とはいえ一応ひとりだけだがフレンドもいる。今日もそのフレンドとクエストに出かけていたのだった、が。

「コミュ障はいつものことじゃん。何を今更」
「ひどい!? ……って、私はチャットとかなら割と饒舌な方なんだよ。現実世界のにーとと一緒にしないでいただきたい」
「はいはい。それで?」
「んー……なんか悩みがありそうだったから、なんでも話してよ友達でしょ!って言ったら、怒らせちゃったっぽい」
「めんどくさ。絶対メンヘラだろ相手」
「そうなのかなぁ。ぅー、たったひとりのフレンドだったのに……」

 また後で、ちょっと時間置いて連絡してみようかなあ。
 そう言ってがっくりと項垂れる仁杜こと、〈NEETY GIRL〉はもちろん知らない。
 画面越しの"友達(フレンド)"――〈Iris〉が、この世界の成り立ちにも関わる重大人物であることなど。
 そしてこれからまさに、ひとつの災禍を生み出そうとしている厄災の操り手であることなど。
 知る由もなく、コミュ障らしく自分のコミュニケーションミスにうじうじしているのだった。


【中野区・仁杜の部屋/一日目・午後】

【天枷仁杜】
[状態]:健康、落ち着いたけどちょっとブルーな気持ち
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数万円。口座の中にはまだそれなりにある。
[思考・状況]
基本方針:優勝して一生涯不労所得! ……のつもりだったんだけど……。
0:あーーーーーうーーーーー(対人コミュニケーションをミスったよ、という意味のうめき声)
1:ことちゃんには死んでほしくないなあ……
2:お酒飲みたいなあ……
[備考]
※楪依里朱(〈Iris〉)とネットゲームを介して繋がっています。相手がマスターであるとは知りません。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来るでしょう。

【キャスター(ウートガルザ・ロキ)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし(幻術を使えば、実質無限だから)
[思考・状況]
基本方針:享楽。にーとちゃんと好き勝手やろう
1:にーとちゃん最高! 運命の出会いにマジ感謝
2:小都音に対しては認識厳しめ。にーとちゃんのパートナーはオレみたいな超人じゃなきゃ釣り合わなくねー?
[備考]


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最終更新:2024年09月11日 00:47