◇◇



 父は、芸能を愛する人だった。
 映画、演劇、人が演ずる〈物語〉。
 銀幕の中にこそ神は宿る。
 人が想像を以って創造し、知恵を凝らした舞台の上には神話が出づる。

 そんな父のことが、薊美は好きだった。
 だから、彼女も当然として芸の世界に歩んでいった。
 その第一歩になったのは、父の知り合いが勧めてくれた子ども演芸教室であった。

 最初の印象は、思ったよりも本格的だな、と感じた。
 子ども演芸と言うから学芸会まがいのレベルなのだろうと思っていたけれど、巧拙あれど誰もが自分の芸と真剣に向き合っていた。
 薊美には才能があった。それでも、経験はなかった。
 後に王子さまと呼ばれる少女が初めて踏んだ、演芸の舞台。
 新入りの彼女に話しかけてくれた女の子は、その教室では半ば顔役として扱われている、薊美と同じく本気で芸の道を志している娘だった。

 かわいく凛々しく、歌っても踊っても彼女がいるだけで場がひとつの絵になる。
 ドラマや映画でお茶の間に知られる子役達と比べても遜色ない、そんな華がその子にはあった。

 ――薊美ちゃんもいつか、私みたいになれるよ。

 そう言って微笑んでくれた彼女の顔を、今も薊美は覚えている。
 とはいえそれは、尊敬しているからではない。
 右も左も分からない自分に手を差し伸べてくれた恩を今も抱いているからなんて感動的な理由ではない。

 通い始めて最初の舞台で、伊原薊美は主役に抜擢された。
 それから一度として、薊美以外の子が主役に選ばれることはなかった。
 教室には芸能関係者と思しき、見知らぬ大人たちが頻繁に出入りするようになった。
 誰もが薊美のことを尊敬し、その芸に憧れ、羨望と嫉妬の目線を向けるようになった。
 私みたいになれるよ、と言ってくれたあの子は、薊美に話しかけてこなくなった。
 ただ、いろんな感情をごちゃまぜにしたような。
 そんな泣きそうな顔で時々、舞台の端から見つめてくるだけだった。

 薊美は、その顔を今でも鮮明に思い出せる。
 アレが、王冠を剥ぎ取られた王子の姿だ。
 冠を剥がれ、靴を脱がされ、光に塗り潰された哀れな宝石。
 自分を宝石だとそう信じ、現実を知って崩折れたガラス玉。

 ああなってはいけない。
 自分は、ああはならない。
 手なんて差し伸べているからそうなるのだ。
 やはり生きる上で、輝く上で、魅了する上で大切なのはただ歩むこと。
 道に転がるその他大勢になんて目もくれず、凛と無慈悲に進み続けること。
 私は足元の林檎を拾わない。靴底で踏み潰して、先に行くだけ。
 それでいいのだと、あの子の凋落は薊美にそう教えてくれた。

 そんな幼い日のことをなぜだか今、薊美は思い出していた。



◇◇


 伊原薊美が"彼女達"に対して下した采配は、決して間違ったものではなかった。

 たまたま立ち寄った喫茶店の中で、ひときわ目を引いていたふたりの少女。
 何しろ店内の全員に聞こえるような声で"聖杯戦争"のワードを出していたのだ、故に彼女達が"そう"であることはすぐに分かった。
 薊美にとって、自分以外のマスターを見かけた経験はこれが初めてだった。
 だからこそ、薊美の前にはいくつか選択肢があった。
 そのすべてを反故にさせたのは、他の誰でもない彼女達自身である。

 あろうことか彼女達は、白昼堂々、まだ他の客が大勢いる店内で何に憚ることもなく戦闘行動を開始し始めたのだ。
 最初に仕掛けたのは白黒の方だった。恐らくは魔術、そう呼ばれる技能であるのだろう手段で大きく仕掛けた。
 それに、白髪の方も応じ始めた。眩く輝く光の剣を片手に、理解不能な現象を次々引き起こす白黒の少女に一歩も退かず立ち向かい出した。

 ――マスター。
 ――どうしますかな?

 脳裏に響くカスターの言葉に、薊美は考えた。
 状況的に考えて、ひとつ明らかなことがある。
 あのふたりはどちらも、サーヴァントを連れていない。
 マスターであることに疑いの余地はないが、なまじ腕が立つ故の油断なのか、英霊を連れている様子がないのだ。
 仮に連れているのなら、今この局面でそれを出さない理由がない。

 そして同時に、彼女達は異能を扱える連中だ。
 それも極めて高度。少なくとも元が一般人である薊美に言わせれば、十分すぎるほどに人間を超越している。
 恐らくマスターとしての素養も、常人あがりの自分よりよほど優秀なのだろう。
 であれば、取るべき選択肢はひとつだった。白昼の都心でそれをやることにリスクはあるが、上手く行けば二つの主従を壊滅に追いやれるのだからリターンは十分すぎるほどある。

 殺すべきだ。ここで。

 伊原薊美は、自分の歩みのために他者を踏み潰すことに抵抗がない。
 何故なら彼女はそれが自分の使命であると信じているから。
 微笑みながら誰かの希望を踏み潰して、すべてを踏み越えて輝いてこそ自分という光は成り立つのだと疑わないから。
 舞台が芸能であれ戦争であれ、生き方は何も変わらない。
 そして躊躇もない。誰かの将来を奪うことも、誰かの命を奪うことも、薊美にとってはそう大差がない。
 そうしなければ死ぬというのなら、そのようにするだけだ。

 いつも通り。至って、普段通り。
 冷血の王子、茨の冠を戴く君は何も変わらず。
 ただ華麗に、ただ無慈悲に、足元の林檎を踏み潰す。

 その筈だ。
 薊美はそう信じていた。
 だが、彼女の視線は常に一点を見ていた。
 踊り狂う少女達の片割れ。光の剣を握り、先に仕掛けた黒白の魔女を圧倒する白い少女。


 ――ひと目見た瞬間、"現代の脱出王(ハリー・フーディーニ)"が誰の話をしていたのか理解した。


『――備えなさい、茨の君。
 美しく咲き続けたいのなら、あなたは"太陽"に勝たなきゃいけない』


 足元に転がる果実は踏み潰さなければならない。
 万人の光たる王子さま。無慈悲に微笑む女王さま。
 望まれた星(スター)は、望むままに輝き続けなければならない。
 それができなければ、無駄で心を曇らせれば、いつしか茨の王冠は剥ぎ取られてしまう。
 あの日の彼女がそうだったように。舞台端から主役を見つめる、そんな端役に成り下がる。
 伊原薊美にその日は永遠に訪れない。今日の日まで、それを疑ったことは一度としてなかった。

 見た目は美しく、声は凛と響き、立ち振る舞いのひとつにさえ隙がない。
 誰もが認める、喝采で迎える、燦然と輝く茨の王子。
 彼女は眩いものを知らない。いつだって薊美が一番眩しかったから。
 己以上に輝く"誰か"というものを、薊美はこの方見たことがなかったから。

 そんな薊美の視界に今、得体の知れない〈光〉が映っている。

 完璧とはおよそ程遠く、高貴な品性など備わっているとは到底思えない知能に欠けた女。
 締まりのない笑顔に王子の名は似合わない。女王の無慈悲も感じられはしない。
 およそすべての要素を比べても、薊美が勝っていることに疑いの余地はない。
 なのに、何故だか。目が離せない。自然と視線を引かれ、釘付けにする何かがそこにはあった。

(そうだね。あなたに任せようかな、ライダー)
(ふむ。それは、このカスターめに采配を任せるという意味で?)
(ううん)

 王子は迷わない。
 女王は揺るがない。
 迷わず揺れぬからこそ人はそれを"君臨"と呼ぶのだ。
 伊原薊美は舞台の王。その芸に神を宿らせた無二の傑物、輝きの占有者。

 それでも。
 薊美は今、そうなって初めての感覚を覚えていた。
 この感覚になんと名を与えればいいのか自分でも判断が付かない。
 腹の中でコールタールのようにどろついた何かが悪さをしているような。
 少なくとも愉快ではない、なんとなく落ち着かない感覚がとぐろを巻いている。

 ――ああ、そうか。
 ――嫌悪か、これは。
 ――見たくない、と思っているのか、私は。

(狩り方は任せる、って意味)

 誰かを踏み潰すのは日常茶飯事。
 だけど、踏み潰す相手の顔なんていちいち見ない。
 その薊美が初めて、顔を見てから踏み潰すことを決めた。
 目障りだから。存在すること自体が鬱陶しいから、意識して靴底を振り上げた。
 主役の舞台を邪魔立てするなら、その要因は排除しなければならない。
 聖杯戦争の演者としての合理的判断と、舞台上の王族としての感情的判断。
 ふたつの理由を主訴として、伊原薊美は青き軍靴の英雄に誅戮を命じた。

 かくして、殲滅戦の開幕を告げるラッパは鳴り響いた。
 無数の銃声を伴って、高貴なる騎兵隊が花摘みの演目を開演させる。
 将官はカスター。"狩り"に長けた、星条旗を背負う軍人英雄。
 ふたりの少女をこの世から消すための、結果の見えた狩りが幕を開ける。


 伊原薊美は間違っていない。
 その判断は、戦略的にもひどく正しい。いっそ、残酷なほどに。
 ただひとつ、そこに間違いがあったとすれば。


 この物語(うんめい)の配役を、知らなかったこと。



◇◇



 アメリカ陸軍第7騎兵連隊、〈Garry owen〉白昼堂々の出陣である。
 異国の大地であろうが、彼らの勇猛とその進軍の音色は変わらない。
 更に言うなら、為すべきことを為すために響かせる銃火の調べも。
 行進と共に放たれた銃弾は、情け容赦なく娘ふたりを殺すべく迸った。
 女子供を殺すに弾丸を要するようでは未熟、非効率。無垢な林檎とは馬で踏み潰すもの。

 されど、敵が怪物であるならば狩りが成立する。
 進軍せよ、蹂躙せよ。我らは星条旗の使徒、合衆国の聖なる騎兵隊なり。
 道を開けよ、頭を垂れよ。降伏か死か、疾く選べ。
 傍若無人の凶弾に対し、少女達の視線が向かった。

 光の剣が振るわれ、弾幕を蹴散らす。
 白黒の帯が床を裂いて顕現し、魔女を守るカーテンと化す。
 それぞれの手段で防弾を済ませたふたり。
 最初に口を開いたのは、黒白の魔女の方だった。

「鬱陶しいな」
「あはは。聖杯戦争って感じだぁ。前もあったよね、こういうの」
「あったね。あの腐れマジシャンが手引きした"仕掛け"共が突っ込んできた時」
「そうそう! なんか懐かしいなぁ……。ハリー、元気してるかなぁ」

 魔女と、もっと理解の及ばない白き者が昔話に花を咲かせる。
 そこには恐れというものがまったく存在していない。
 魔女は辟易し、白色はむしろこの事態を歓迎して見える。
 はあ、とうんざりしたようにため息をひとつ吐く魔女に。
 白い少女は、微笑みと共に問いかけた。

「で、さ。これ、どうしよっか」

 その言葉の意味するところは、ひとつだ。
 それを汲み取って、魔女は答える。
 ごく端的に。それでいて、ごく酷薄に。

「踏み潰すだけでしょ。雑に行くよ、祓葉」
「オッケー、じゃあ一時休戦だね。昔みたいに息合わせよっか、イリス」

 こうして、二度と交わることのなかったふたりが同じ方向を向く。
 驚天動地の奇跡は、しかしそれ以外のすべてにとっては悪夢とまったく同義。
 楪依里朱が一歩後ろへと下がり、神寂祓葉は逆に前へと一歩出た。
 向かう先には恐るべき第7騎兵連隊。グロリアス・ギャリーオーウェン。
 死を超えてカスターの爪牙と化した連隊はもはや数などという些末な概念からは恒久的に解き放たれている。
 尽きることなく地平線の果てから現れて、ラッパの音色と共に敵を虐殺する、西部開拓時代にインディアンが見た恐怖そのもの。

 それを前にひとり立つことの愚かさたるや、言葉に尽くせはしない。
 女子供を前に、壮烈なる騎兵隊が臆し歩みを止めることなどあり得ない。
 大義のためなら輝きのままに悪魔へ成れる軍人どもは、この都市でも変わらぬ殺戮を布き続けるだろう。

「さあ皆、征くぞ! このトーキョーに、我らの旗を打ち立てる第一歩だ!! 存分に歌おう、我らの敵が果てるまで――!!」

 再びの一斉射撃、その只中を軍馬に跨る命知らずが疾走する。
 壮絶なる蹂躙の流れ弾は逃げ遅れていた一般人を数名ほど虐殺したが、必要な犠牲に彼らは一切頓着しない。
 青き死の旋風、歪なる栄光がひた走る。
 Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――勇ましい歌と共に。

 弾幕を切り飛ばしながら疾走する異国の娘に、カスターは雄々しい笑みでもって突貫する。
 彼は恐れを知らない。恐れていては、彼の望む勝利と戦功は勝ち取れない。
 勝って賞賛され、栄誉を賜るということに生涯を費やした恐るべき少年将官。
 〈カスター・ダッシュ〉が少女達の幻想を引き裂く。世界で最も偉大な国に仕えた軍人として、必ずや聖なる御旗を突き立てるために。

 〈光の剣〉と、カスターのサーベルが真正面から激突する。
 凄絶なまでの火花を散らしながら打ち合う少女と、若き軍人。
 ライトノベルの一幕を現実に切り出してきたような光景が、白昼の喫茶店の中で繰り広げられている。
 祓葉も、カスターも、共に笑っていた。笑いながら、この状況を不思議とも思わず殺し合っていた。

「ねえ、おじさん!」
「geezer(おじさん)などと呼ばれる歳ではないが、何かね!?」
「ぎゃりーおーうぇん、ってなに!?」
「ははははは! そうか、この国の人間は聞き覚えがないか! 君はもう少し勉強をした方がいいようだ!!」

 カスターが繰り出す刺突を、祓葉はがむしゃらに振り回した剣で弾く。
 しかしカスターも退かず、踊るように殺戮の剣身を躍らせていった。
 まさしく人でなしどもの舞踏会(ダンス・マカブル)。
 聖杯戦争という演目の華々しさを体現するような光景に、男と女が興じている。

「しかし問われたならば答えよう! 〈Garry Owen〉とは即ち我ら!
 神の教えに従い、合衆国の使命に従い、野心のままに為すべきことを為す者達! 壮烈なる我が騎兵連隊の名である!」
「なんかよくわかんないけど、かっこいいね!」
「ははは! そうだろう、そうだろう! 我々はいつだとて格好良いのだよ!」

 まるで父と娘か、叔父と姪か。
 そんな気安く、微笑ましさすらある会話を繰り広げながらの殺陣。
 双方ともに流派や技巧といったものには乏しく、故に彼らの打ち合いは実に原始的だった。

 なのにチープさ、拙さ、見苦しさがそこから一切感じ取れない。
 極上の役者を用いたならば、それだけで自然と舞台が最上へ近付くとでも言うように。
 過去の華と現代の華、あまりに眩すぎる主役どもの殺し合いは泥臭くも燦然だ。
 どこまでもヒロイックで、それ以外の要素がひとつたりとも介在しない。
 されど無謀のきらいはあれど将官として連隊を率いたカスターと、猪突猛進以外を知らない祓葉とではあまりに年季の差があった。

「君もなかなかの美麗さだが、肌の色だけが惜しい。
 もし次に生まれ変わることがあるのなら、ノアの子(アルビノ)にでも生まれ直すといい!」

 軍馬を用いての、華麗なる方向転換(ターン)。
 からの、懐のライフル銃を用いての銃撃。
 祓葉の腹に風穴が空く。白白とした少女の腹から臓物の欠片がこぼれる様は冒涜的だ。

 だが――カスター将軍は"良心の呵責"を知らない。
 大義を追う時、星条旗の使徒として馳せる時。
 ジョージ・アームストロング・カスターは、気高き獣となる。

「撃て(Fire)! 撃て(Fire)! 栄光のままに我らの使命を果たそうぞ!!」

 途端カスターの後方より、祓葉に向けて雪崩込む騎兵達の群れ。
 未だに射撃を続けている歩兵達は流れ弾のフレンドリーファイアを気に留めもしない。
 今や彼らは無謬の伝説、人類史にその隊ありと認められた限界を知らぬ軍勢。
 栄光狂いの連隊は、どれほど無法であろうと所業のすべてを大義の二文字で片付ける。
 此処が狭く遮蔽物に溢れた室内であろうとも構うことはない、騎兵戦のセオリーに喧嘩を売りながら彼らは溢れ出しては突撃し続けるのだ。

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 女子供は馬で殺すのだと、カスターはかつて言った。
 それをまさに今、彼はこの東京でもやろうとしている。
 銃弾の雨で蜂の巣に変えよう、できぬのならば馬で踏み殺そう。
 何も怖じることはない、躊躇うことはない。

「――案ずるな! "いつもの通り"だ!!」
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 我らはいつもそれをやってきた。
 尊いものを踏み潰す蹂躙走破が、回避不能の詰みとして少女に迫る。
 逃れ得るすべはどこにもない、そんなものがあるなら彼らの通った道はもう少し小綺麗だったろう。
 語る言葉はヒロイック、踊り舞う姿はドラマチック。されど所業のすべてはグロテスク。
 これぞカスター。これぞ第7騎兵隊。英傑(ヒーロー)という名の暴風が、いつも通りの結果を生み出さんと吹き荒れて。

「かっこいいから、私も歌っちゃお」

 されど。
 神寂祓葉は、笑みを絶やさず。

「ぎゃりーおーうぇん、ぎゃりーおーうぇん、ぎゃりーおーうぇ――ん!」

 拙い和製の発音で、蹂躙の歌を真似ながら。
 前へ出た。剣を振るった。
 それだけで――彼女に迫った騎兵、五体が真横に両断された。

「ぎゃりーおーうぇん!」

 前へ出る。
 殺す。

「ぎゃりーおーうぇん!」

 笑顔のままに、光が軍馬ごと誉れ高き騎兵隊を泣き別れにしていく。
 後方の歩兵隊列が放つ弾丸のすべてをついでに迎撃しつつ、漏れた弾が腹やら胸やら撃ち抜いても気にしない。
 覚えたてのメロディを口ずさみながら、下校途中の子どもが木の枝を振り回して上機嫌に足を弾ませるように。

「ぎゃりーおーうぇん、ぎゃりーおーうぇん――」

 技術も何もない、ただのゴリ押しで第7騎兵隊の猛威すべてを解決していくのだ。
 回避、引き撃ち、囮に特攻。戦場における戦術のことごとくがこの時点でほぼその意味を成していない。
 誉れの騎兵隊が、壮烈の軍勢が、少女の舞踏に合わせて血霧と化していく。
 紛れもなくただのマスターである、人間である筈の少女がアイヌの鬼人と同じだけの戦果を息吐くように挙げている。

「ぎゃりーっ、おーうぇ――ん!」

 次の瞬間、光の刀身が爆発的に延長された。
 違う――刀身が描くその軌跡に沿って、斬撃が飛翔(と)んだのである。

 剣士のリーチは得物の全長と腕の長さで決まる。
 その大前提を真っ向から否定する異常現象。
 死の旋盤と化した光剣は、結果として進軍中だった騎兵隊の八割を斬殺した。
 カスターの笑みは絶えず、されど驚きと焦りに彼の頬を汗が一滴伝う。

「なんと……出鱈目なッ!」

 カスターは狩りを知る者だ。
 人間が人間を狩るという行為に深く精通している者だ。
 戦争ではなく虐殺にこそ真価を発揮する、栄光狂いの獰猛な獅子。
 穢神シャクシャインにさえ一歩も退かずダンスを踊った男は今、未だかつて覚えのない不条理な何かと対峙していた。

「だがこの栄光が尽きることはない! 何故なら我らは大勢であるが故に!」

 軍馬を犠牲に宙へ逃れ、カスターは辛うじて万死の斬撃を回避する。
 それと同時に空中からライフル弾を発射し、少女への牽制にも余念はない。
 カスターの武芸もまた、彼の生きた時代と同じく現実と地続きだ。
 人間が加護や異能に依らず、狂的な鍛錬にも依ることなく身に着けられる範疇の技法と戦術。
 されどカスターの取り柄とは射撃の腕でもサーベルの扱いでも、ましてや馬術でもない。
 彼の美点は臆さないこと。恐れに慄き、臆病風に吹かれるという当たり前の弱さを知らないこと。

「そう――我らはッ!」

 そしてカスターの喝破に応えるように、騎兵隊は現れ続けるのだ。
 つい今しがたほぼ全滅の憂き目に遭ったにも関わらず、既に祓葉に蹴散らされたのとほぼ同じだけの軍勢が補充されている。

《Through the street like sportsters fight,
Tearing all before us(まるで極星の瞬きのように、すべてを引き裂く)!!!》

《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》

 歌が響く、絶望が這い寄る。
 蹄の音と軍靴の音が埋め尽くす。
 光を呑む、功に飢えた"時代の英雄"どもがやってくる。

「野蛮なる黄色い猿(イエローモンキー)よ! 本物の戦いというものを教えてやろう!」

 ラッパの音色に随伴する弾丸の雨。
 既に、これが有効打にならないことはカスターも理解している。
 この少女はもはやヒトであってヒトではない、吸血鬼(ヴァンパイア)のように不滅であると。
 であればどうする。簡単だ、銃で殺せないならもっと他のやり方を試せばいい。

 首を刎ねよう、心臓を抉り出そう。
 それで駄目なら皮を剥ごう、何でもいろいろ切り取ってみよう!
 合衆国の歴史とは創意工夫の積み重ね。
 聡明なる米国人らしく、威風堂々と不可能の壁に挑もうではないか!

「Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!」

 カスターも歌う、獰猛に歌う。
 銃弾を単なる足止め役に使いながら、少女の姿をしたモンスターの、そのすべてを奪うべく彼の軍勢がひた走る。
 しかし。学習するのは、何もかの国の専売特許に非ず。
 猿が胡桃の割り方を学び取るように、祓葉もまた次のやり方を思いついていた。

「そっかそっか。草むしりって、根っこから抜かないとダメだっておばあちゃんが言ってたや」

 言って見据えるのは、連隊を率いる者。
 ジョージ・アームストロング・カスター、英雄の顔を祓葉は見ていた。
 やることが決まったなら、彼女は何も迷わない。
 道で見かけた子猫に駆け寄るように、獅子へ向かって一目散に駆け出すのだ。

 そしてまた、戦場が不条理に支配される。
 寄せ来る騎兵隊の嵐の中を、何も損なうことなく祓葉は走っていく。
 山道を走る車にぶつかって、蛾や甲虫が次々潰れていくように。
 第7騎兵隊の勇士どもが、当たり前みたいに形を失っていく。

 それだけだ。これは、ただそれだけの光景でしかない。
 虐殺する側とされる側、その力関係がまったくあべこべになっている。
 丸腰の先住民が、かつてカスターの騎兵隊に何もできず踏み潰されたのと同じだ。
 誰も何もできない。工夫を凝らして不死破りに挑もうにも、そもそも触るところまで辿り着けない。
 となるとカスター自身が直接彼女に致命傷を与え、試行錯誤していくしかないのだったが……

「ふッ――台風(ハリケーン)に隊をぶつけているようだな。まったくやってられないぞ、これは!」

 はて困った。
 勇ましく吼えてみたはいいが、どうにも勝てる気がしない。
 目標通りカスターの前まで辿り着いた祓葉の剣をなんとか頬を掠める程度の損害に留めながら、カスターは補充した新たな軍馬で後退する。

 ジョージ・アームストロング・カスターは、英霊としてはそう優れていない。
 神秘の薄い近代英霊としては十分に破格だろうが、神話の時代を生きた正真正銘の英雄達と比べれば些か以上に格が落ちる。
 何しろ彼の戦いはあまりに愚直。無法ではあるが、その無法が通らなかった場合において彼の打開力は極端に低下する。
 台風に銃や馬で勝負を挑んでも誰も勝てない。まさにその理屈が、今カスターを苦しめていた。

(恥は承知でマスターを連れて退くか? うーん、でもなあ。見ろこのキラキラした瞳を。逃がしてくれる手合いの眼じゃないぞ)

 進軍を選んだ薊美と、それに応じたカスターの判断は確かにあの場では間違いではなかった。
 どうやら旧知の間柄らしい"そこそこできる"マスター同士が、不用心にもサーヴァントを連れずに殺し合いに興じている。
 であればそこを突いて一網打尽にしてしまうのが良手だという判断自体はちゃんと頷ける理屈の筈だ。
 まさか誰も、此処までだとは思わない。
 サーヴァントと互角以上に渡り合い、無尽の騎兵隊を単身で総崩れにし、兵法をすべて無効化してくるような災害まがいのマスターがいるだなんて想像するわけもない。

 薊美の周囲には数人の騎兵を警護役として配置している。
 今のところ祓葉は彼女に興味を示していないが、後ろで控えているイリスの存在が不気味だった。
 もしもこの戦況で薊美を狙われれば、カスターでは庇ってやれそうにない。
 誰がどう見ても退き時だが、果たして素直に逃がしてくれるかどうか。

(――ふむ。少し早いが、背に腹は代えられないな)

 であれば、逆転の発想だ。
 どうせ無茶なら、後ろではなく前へ進む手もある。
 そして幸い、カスターにはその手段があった。

 ただ、あまり易々と切りたいカードではない。
 伊原薊美の魔術師としてのキャパシティは凡庸だ。
 魔力の消費という観点から見て、この手は尾を引く可能性があった。
 されどカスターは前進の貴公子。人を超え英霊と化して尚、その〈カスター・ダッシュ〉は健在である。

(マスター!)
(分かってる。"使う"んでしょ)
(ははは、話が早いな! ――良いか?)
(良いよ。出し惜しみしてここで死んだら元も子もない。でも、その代わり)

 脳裏に響く薊美の声。
 それが、カスターに厳命を科した。

(絶対にここで仕留めて。あなたの栄光を信じます)

 その声は、いつも揺らぐことのない彼女らしからぬ口調に聞こえたが。
 ゴーサインが出たのなら、もはや振り返ることを忘却するのがこの男。
 都心の真ん中に川を流す。この戦場を、あの川へと塗り替える。
 友達だ、と必死に叫ぶ哀れな男を穴だらけの死体に変えたいつかのように。
 より無駄のなく、より容赦のない、最高効率の虐殺で不死を討つ。

 判断したカスターは、サーベルを叩き付けた反動を利用して再び軍馬を降り祓葉から距離を取った。
 軍馬など足止めにならないと分かっているが、それでもわずかの時間は稼げる。
 その小さな猶予こそが、血の川を此処に流す源流となってくれると信じた。

「実に見事だ、極東の猿よ。君は強く、そしてそれ以上に恐ろしい!
 だが知っているかね? 我々は――合衆国(われわれ)の戦いは、もっと恐ろしいぞ!!」

 魔力の横溢が、行き止まりの戦況を書き換え始める。
 現代から近代へ、現在から過去へ、泰平から戦火の時代へ。
 時は19世紀初頭。後に最も偉大な国と呼ばれる合衆国が、平和を望む先住民族との戦いに明け暮れていた時代。
 勇ましく、華やかな勝利の歴史。おぞましく、醜悪な殺戮の歴史。
 それが針音の音色を止め、此処に再現される!




「――祓葉、"入れ替え(スイッチ)"」



 ……その凶変に、水を差す声が小さく響いた。

 次の瞬間、カスターは今度こそ笑うのも忘れて驚愕に目を見開く。



「……な、に……!?」



 後ろに退いた筈の彼の位置が、突如、剣を振り上げた祓葉の目の前へと"転移"したのだ。
 理解不能。意味不明。道理の通らない非常事態(エマージェンシー)が、カスターの宝具解放を停止させる。
 そんな彼の姿を、黒白の魔女は冷ややかに見つめていた。
 英雄を見る目ではない。足元でのたくる、みすぼらしい毛虫を見つめる眼差しだった。

 既にこの喫茶店は、魔女の色彩に侵されている。
 祓葉との対決の折に、その工程は完了していた。
 色の配置を組み替えることによる、強制的な位置座標の入れ替え。
 勝利を確信した瞬間に挟み込まれた性悪の一手は、狙い通り最高の効き目をもたらした。

 微笑む怪物が、剣を振り下ろす。
 カスターに防御の手段はない。この間合い、この状況ではもはや何をどうしても追い付かないからだ。
 彼にできることは、散っていった同胞達と同じく祓葉の光剣の露と消えることだけ。

 薊美が、令呪の使用を即決する。
 それ以外に彼を逃がす術はないと、その優秀な頭脳はすぐさま理解した。
 "令呪を以って命ずる。私を連れて全力で撤退して、ライダー!"


「――おい、オッサン」


 そう口にしようとした、矢先のことだった。

 振り下ろされる筈の光剣と、斬り伏せられる筈の軍人の間に。
 一振りの無骨な剣が割って入り、その"偉大なる死"を阻んだのは。

「一応聞くが、アテはあんだろうな?」
「……!」

 褐色の、偏屈そうな雰囲気の滲んだ幼い娘だった。
 年格好で言えば祓葉やイリスよりも数段は幼く見える。
 だがその細腕が、恐るべき光の剣を見事に止めてみせていること。
 そんな信じ難い事実が、彼女がカスターと同じく人理の影法師であることを物語っていた。

 端的な問いに、カスターは驚く。
 しかし次の瞬間には、いつもの笑顔が戻ってきた。
 大胆不敵にして残虐無道。
 輝きのままに彼方へと走る、実に"カスター将軍"らしい貌で――

「――ああ、あるとも」

 カスターは笑った。
 同時に、今度こそ川の風が吹く。
 世界が、国土が、形はそのままに塗り替わる。
 さながら、旗を突き立てられたが如くに。日本の首都の一角が、異国の川岸へと定義(テクスチャ)を変えていく。

「ご覧あれ、眩き異国の怪物(モンスター)よ!
 そして我が連隊の、星条旗の使徒たる我らの足音を聞くがいい!!」

 ジョージ・アームストロング・カスターは英雄である。
 だがそれ以上に、彼は"殲滅者"である。

 相容れぬものを、相容れぬままに殺し続けた惨劇のさきがけ。
 愛国という大義のもとに、栄光という報酬のもとに、どこまでも残酷に駆けた血塗れの男。
 彼の背中はさぞ眩しかっただろう。彼の顔はさぞ恐ろしかっただろう。
 星条旗を共に背負う同胞には"勇気"と"勝利"を。神の与えた正しき大義に背く敵には"絶望"と"敗北"を。

 二面性の極み、栄光と暗黒を抱き締める益荒男の。
 その矛盾を象徴する〈ある悲劇〉が、此処に再演される――!


「『朽ちよ、赤き蛮族の大地に(インテンス・ソルジャーブルー)』――!!」


 刹那。
 四方八方逃げ場のない、出どころの"存在しない"鉛の雨が、ふたりの少女へ殺到した。



◇◇



 ライダーのサーヴァント、ジョージ・アームストロング・カスターの第二宝具。
 『朽ちよ、赤き蛮族の大地に(インテンス・ソルジャーブルー)』。
 固有結界には遠く、されど生半な結界術とは一線を画する"領域の展開"を行う。

 再現されるのはカスターの所業の中でも最も悪名高い、ワシタ川の戦い――もとい"ワシタ川強襲虐殺作戦"の惨憺である。
 この領域の内側では、あらゆる者に敵と味方いずれかの役柄(ロール)が割り振られる。
 その判断基準はすべてがカスターの認識に依る。そしてこの時、彼の敵として認められた者は無条件で、狩猟される先住民に墜ちるのだ。

 尽き果てることなく、フルオートで敵を追撃し続ける全方位からの飽和銃撃。
 領域の内側に存在する限り、どこへ逃げ隠れようとこの銃撃からは逃れられない。
 大義の名のもとの、圧倒的な殲滅行動を再現する、人類史の汚点そのもの。
 そして此度、ワシタ川のインディアンと化したのは神寂祓葉と楪依里朱。異国の異教徒たるふたりであった。

「ちっ」

 イリスが舌打ちを鳴らす。
 追い詰められた鼠が厄介な牙を出してきた、という気持ちだった。
 サーヴァントとしてはあのライダーは恐らく凡庸、凡俗。
 一度経験しているから分かるが、そう大した敵ではないと思っていた。
 だが、やはりこの局面まで生き残ってきただけのことはあるらしい。

(結界……いや、領域? 私の色彩も上塗りされてるな……面倒臭い)

 シストセルカがいれば数秒ですり潰せる相手にかかずらわねばならない、この状況が実に疎ましかった。
 どこかの誰かさんの設定した無駄に長い時間がせっせと選別した生き残りのサーヴァントども。
 どうせ最後は全員殺すのに、遊び相手の質にこだわる悪徳にはほとほと反吐が出そうだ。

 だがそれでも、多少面倒である、という以上の問題ではない。
 たかだか銃撃だ。たかだか、逃げ場のない狩場というだけだ。
 そんなもの、今の自分にはもはや敵ですらない。
 そう思いながらイリスは迫る銃撃を防ぐべく、足元に設定した白黒(ツートン)を励起させて防御壁を形成する。

 が。

「……っ、づ……!?」

 その次の瞬間、彼女の右肩を一発のライフル弾が撃ち抜いた。
 衝撃と激痛にたたらを踏む。手で抑えた患部からはどくどくと血が溢れ、熱が白い手を伝っていく。

 馬鹿な。何故――この程度の英霊が繰り出す弾丸など、色彩の壁を越えられる筈がない。
 不可解な事態に眉根を寄せるイリスの耳に、ひどく不快な男の笑い声が届いた。

「どうかね、初めて味わう銃弾の熱は。おためごかしの軍隊もどきしか持たないこの国では味わえない美味だろう?」

 カスターが、不敵な顔で嘲笑っている。
 激痛以上の不愉快にイリスは顔を歪めた。
 それと同時に理解する。

(宝具の効果か……! 何らかの理屈で、私の魔術の防御力を著しく弱めてる……!)

 イリスの顔を見て、彼女が思い至ったことに気付いたのだろう。
 正解(Exactly)と――カスターが白い歯を見せて嗤った。


 『朽ちよ、赤き蛮族の大地に』は、カスターの主観に基づき再現される燦然たる殲滅劇である。
 此処での主役は常に彼。これは偉大な大義を背負い、神を信じ、星条旗のもとに銃把を握る、"アメリカ人"の大舞台だ。
 したがって領域に取り込まれた異民族、そして異教徒は無条件で彼の凝り固まった愛国心を押し付けられる。

 頑張るな、知恵を凝らすな、逃げ隠れるな――降伏か死か、疾く選べ。
 防御はできず。耐久も許さず。かすり傷で済むなんて幸運は舞い降りない。
 どこまでも理不尽で、どこまでも自分勝手な"栄光"の具現。
 カスター将軍の晴れ舞台に、気高き敵など一切不要なれば。


「わわ……大丈夫、イリス?」
「……逆にあんたはなんで大丈夫なの。頭半分吹っ飛んでるけど」
「なんでだろうねぇ。ヨハンのおかげかな? やっぱり」
「…………何でもいいけど、私はあんまり大丈夫じゃない。最悪令呪でサーヴァント呼ぶ、とっても屈辱だけど」

 唯一の例外は、やはりというべきか神寂祓葉だった。
 彼女の体内に埋め込まれた永久機関は、既存の科学から完全に逸脱している。
 そこから生み出され続ける無限のエネルギーが祓葉を無敵たらしめるロジックは、正確に言うと"再生"ではない。
 異常加速された細胞分裂による"新生"だ。
 耐えるのではなく、新たに生まれている。
 便宜上は再生と呼称するが、その実原理は人体の自然回復機能とはまったく別な理屈に基づいている。
 だから悪辣なるカスターの陶酔に付き合わされることなく、彼女は変わらずあるがままの最強を維持していた。

 とはいえイリスはそうもいかない。
 〈はじまりの六人〉も所詮は人間なのだ。さっきは肩だからよかったが、頭部だったらもう死んでいる。
 だからこそ、蛇杖堂記念病院強襲に向かわせた虫螻の王を呼び戻し、眼前の敵を食い尽くさせようと思ったのだったが――

「? なんで?」
「は?」
「そんなことしなくてもよくない?」

 祓葉は吹き飛ばされた半面を再生させながら、小首を傾げた。
 苛立ちの極みのような顔をするイリスに、少女は言う。

「だってイリスがいて、私がいるじゃん」

 〈光の剣〉を握った右腕を、力こぶを作るみたく掲げて。
 むふー、という擬音が聞こえてきそうな締まりのない笑顔を浮かべる。
 脳裏に去来するいつかの青い春。されど祓葉は、人の気持ちなど考えない。

「負ける理由、なくない? あの頃とおんなじでしょ」
「……、はぁああああぁああ……」

 これだから、こいつは嫌いなのだ。
 こういうことを平気で言うから、関わりたくないのだ。
 そう思いながら、銃火の只中でくしゃりと白黒の頭髪を乱す。
 それからイリスは、ため息混じりに口を開いた。

「……一度しか言わないし、聞かれても言い直さないからよく聞いて。この領域を打破する方法は大まかに三つ」
「意外とたくさんあるね!」
「ひとつはあのクソアメ公を殺すこと。あいつの宝具でこうなってる以上は、大元を殺せば領域は維持できなくなる筈。
 ふたつめはあそこでナイト様に守られてる、あいつのマスターを殺すこと。
 ただこっちは望み薄。何しろアメ公側にもう一騎サーヴァントが付いてるから、マスター殺しなんてそう簡単にはさせてくれないと思う。
 だからこのふたつの中から選ぶんだったら前者かな。間違いなくあんたなら殺せる相手だし」
「わかった。じゃあ、みっつめは?」

 イリスが片膝を突く。
 そして地面へ、右手で触れた。

「――今から"探る"。この意味分かるよね」
「うん。懐かしいね」
「私を守れる?」
「守るよ。あの頃と同じ」

 祓葉は満足気に、イリスへ背を向ける。
 守ると言っても、銃撃は全方位から絶えず押し寄せる。
 防御ではなく純粋に迎撃することで多少は防げるが、それでもイリスを襲う魔の手を零にはできない。
 そんな状況で、どうやって祓葉ひとりでイリスの防衛を可能にするというのか。
 そう問うことに、きっと意味はない。

「――私達、負けたことないもんね」

 どうにかするのが、神寂祓葉だ。
 楪依里朱はそれを知っている。
 嫌になるほど、いつも誰よりすぐそばで見てきた。

 かくして始まる。
 これより始まる。
 演目、〈ワシタ川の戦い〉。
 星条旗の使徒による異民族の虐殺劇。

 ――迎え撃つは。
 ――最強のふたり。



◇◇



 高天小都音がコーヒーショップ〈ギャラクシー〉に居合わせたのはまったくの偶然だった。
 仁杜の部屋を出て、メンタルの整理と状況把握を兼ねてどこかの店に入ろうとした。
 だが治安悪化と蝗害騒動の影響でか、近場でよく知る店がことごとくやっていない。
 なので仕方なく、新宿にまで足を伸ばしてギャラクシーに入ったのである。

 最初から、そのふたりは目を引く客だった。
 特に白黒の方だ。変人奇人など一日歩けば必ず見かける天下の東京でも、此処まで突飛な外見などそうはいない。
 思わずちらちら視線を送って、『最近の若者すごいな……』とおっさんめいた感想を抱いていたのだったが――
 そしたら会話の中に"聖杯戦争"という単語が飛び出したので、小都音は思わずコーヒーを噴きそうになった。

 するといきなりふたりで戦い出すわ、やたら声のでかい軍人っぽいサーヴァントが出てくるわでもうめちゃくちゃである。
 逃げてもよかったのだが、折の悪いことに小都音の席は店の中でも奥の方だった。
 なので退散するには銃弾飛び交い色彩舞い踊る辺りを通らねばならず、八方塞がりだったのだ。
 どうすんだよこれ、と心底絶望していた時、小都音に念話で語りかけたのは彼女のサーヴァント・セイバー。

(…………ふざけやがって。コトネお前、マジでとんでもないところに呼び腐りやがったな)

 原初の鍛冶師、生き竈のトバルカインが――本当に面倒臭そうな声色に一抹の戦慄を込めてこう言った。

(え、なに。あの軍人そんなにやばいの? いやなんとなく真名に察しは付くけど。
 ギャリーオーウェンってアレでしょ、アメリカの悪名高き第7騎兵隊。
 確かに"カスター将軍"はビッグネームだけど、近代の英霊だしあんたならぜんぜん行けるんじゃ)
(違ぇよ莫迦。私が言ってんのは、あのガキの方だ)
(……白い方? 白黒の方?)
(白い方)

 そっち!? と思った。
 でも反面、納得もあった。
 何しろ明らかにヒス持ちっぽい白黒があれこれ攻撃してた時からして、あの白い少女は異常だった。
 ましてや軍人――推定カスター将軍の騎兵隊に対しても、終始圧倒し続けている。
 とはいえ世に言う魔術師という人種ではあのくらいありふれたものなのでは、とも思っていた。

 その認識が間違いだったことを、トバルカインは頭を抱えたそうな台詞ひとつで小都音に教える。

(ありゃとんでもねえバケモンだぞ。
 おいコトネ、今すぐ決断しろ。逃げるか、ワンチャンに懸けて首獲るか)
(ちょ、ちょっと待って。今考えてるから!)
(考えるくらいなら即逃げだ。はっきり言って私はアレと関わりたくない)

 ……このセイバーがこうまで言うのだからよっぽどなのだと、小都音も理解した。
 あの軽薄で胡散臭いロキの時は、嫌悪も露わに即斬りかかっていたのだ。
 悪即斬ならぬ気に入らない奴即斬、それがトバルカインという英霊の生き方である。
 その彼女が"関わりたくない"と言う。では果たして、あの少女は一体どれほどの存在なのか。

 逃げるのが最適解なのは、考えずともわかる。
 でもそれでいいのか。
 何か見落としてはいないか。
 何か、なにか――凡人にあるまじき速度で脳を回して、小都音は半ばがむしゃらに答えていた。

(……ワンチャン、ない? あの"少年将官"と手を組んで、上手いこと)
(…………ああそう、私に無茶してこいって言うんだナお前は。
 関わりたくないって言ってんのに、死地に首突っ込んでてんてこ舞いに踊ってこいと。
 は~~~やだやだ。トバルカインは薄情なマスターを持ちました。薄情だしおまけにアホです、ひぃん)
(い、一応考えがあるの! 私だっていろいろ考えてんだから!!)

 そう、考えはあった。
 ただそれは、トバルカイン及び推定カスター将軍が"彼女達"に勝たないと始まらない。
 だからこれはあくまで博打。無理そうなら令呪を使ってとんずらするしかないし、そうであってもそうでなくても後で不貞腐れた生き竈の機嫌取りに奔走する羽目になること請け合いの大勝負。

(……あの子と私で生き延びるためなら、多少の修羅場は覚悟の上だよ。だからお願い、セイバー)
(……、……)
(アレ、殺して)
(…………分かったよ。分かったが、今日の晩メシは私に献立決めさせろよナ!)

 ――こうしてトバルカインは、主である高天小都音の命を受けてカスター将軍に加勢する。
 人間ふたりと英霊二騎、本来ならば成り立つはずもない戦端の開幕。
 虐殺の皮を被った、運命の行く末を占う激突が、宇宙の名を冠したコーヒーショップの中でその幕を開けた。



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最終更新:2024年10月09日 15:49