「ちょい、お前さん」
トバルカインが、傍らの騎兵に声をかけた。
無愛想。不躾。礼儀も何もありはしない。
そもそもこれはそういうものを意に介さない。
「悪りいナ。ちょっと馬降りてくれるか?」
騎兵は応えない。
彼らはカスターの軍勢であり、同胞である。
なればこそ、ぽっと出の小娘の不躾な要望/横暴に応えるはずはないのだ。
だから無言。それが一秒の半分ほど続いた時、彼の首が飛んだ。
「降りろっつってんだよ。手間ぁ掛けさせんな、雑魚が」
首から上を失った騎兵を蹴り落として軍馬に跨る。
馬とかいつ以来だよ、とぼやくトバルカインに、豪放な笑い声が響いた。
「ははははは! 無礼を働いてくれるな、名も知らぬ英霊よ!」
「声がうるせえ品がねえ黙れクソ。助けてやった恩忘れんじゃねえぞダボが」
「うむ、忘れてなどいないとも。先ほどは実に助かった。いやはや、まったく死ぬかと思ったな!」
「大体てめえ剣の使い方がなってねえんだよ。見ててやきもきしたわ」
「これは手厳しい。それで――」
トバルカインの乱入は、カスターにとって予期せぬ幸運だった。
薊美の令呪に頼るしかない状況が、詰みが、彼女の介入により首の皮一枚繋がった。
その結果がこの凶弾飛び交う虐殺舞台だ。
カスター将軍が持ち得る、記憶する、最大最高の殲滅劇が此処にある。
「――友軍、ということで宜しいのだな?」
「今はな。てめえのより優先して獲りたい首がある」
「それは何より! 肌の色が若干惜しいが、いやはや実に心強い味方ができたものだ!
しかし安心されたし! この私、正しいことを為すならば有色無色にはさほど頓着しない良識派です故!」
「よーしあんまり喋るなよオッサン。手が滑ってブチ殺しそうだからな~??」
さて、と。
並び立つ原初と近代、殺すということのエキスパート達が行く手に立つ少女を見据える。
光の剣を握り立つ彼女が、この弾雨の中で変わらず佇み続けているのかいかなる理由か。
わからないし、考えたくもない。考えたところで、意味などないと分かっているからだ。
「最前線(フロントライン)は任せても構わないかね。どうも私ではアレに及べなそうだ」
「最初からそのつもりだ。あんたは後ろの白黒か、私が引き出した隙を使って首なり心臓なり狙え」
「了解(オーケイ)。敵と轡を並べるのは些か業腹だが、今は共に星条旗を背負おうか」
「願い下げだ。トリガーハッピーの国なんぞロクなもんじゃねえ。
偉大を自負する連中ってのはよ、いつか自分で上げたハードルに躓いて大損こくもんなのさ」
今考えるべきことは、眼前のふたりを殺すこと。
手管を尽くして、ふたつの命を奪うこと。
処刑でも虐殺でも構わない、問わない、何でもいい。
静かに合意を交わしたふたりの虐殺者は、それと同時にすぐさま動いた。
先陣を切るのはトバルカイン。敵方の隙を伺いつつ駆け回るのはカスター。
神寂祓葉・
楪依里朱――〈はじまり〉を討つための共闘戦線が此処に成立する。
赤銅の刀鍛冶が軍馬を駆る。
ひと駆けで、人でなしは"人でなし"に肉薄した。
振るう刃は神速必殺。既存どの流派にも属さない、ただ殺人に特化した最高効率の斬撃が首筋を狙う。
「わわわわ」
だが防がれる。
両者の剣はあまりにも対照的だった。
片や技の極み、片や稚拙の極み。
本来ならば戦いなど到底成立し得ない。
なのに成立している、形になっている。この不条理はいかなるものか。
軍馬を駆りながら、乗馬中とは思えない身のこなしと手数を実現するトバルカイン。
カスターや祓葉と同様に、そこには特定の型と呼ばれるものが存在しない。
いや、そう言っては語弊がある。正確には、斬撃ひとつひとつで毎回型が変わっているのだ。
流麗から不格好に。誠実から不実に。現実から虚構に。太刀がころころと顔を変える。
だからこそトバルカインの剣には、"読む"という概念がまったく通じない。
祓葉がズブの素人であったことが、この時ばかりは功を奏した。極めていればいるほど、人殺しのためだけの剣はより悪辣さを増すからだ。
そしてトバルカインの放つ斬撃はそのすべてが、当たり前に急所狙いだった。
脳と首と心臓。この三点だけに攻撃のすべてを集中させている。
神寂祓葉が不死者であることは先の戦いを見て既に承知済みだ。
であれば、即死以外の結末に意味はない。もっとも仮にそうでなくとも、この殺人鬼は同じ手を使っただろうが。
「はっ、やいねぇ……!」
「てめえが遅えんだよ」
容易い敵だ。少なくとも此処までは。
ただ、不気味なのは――彼女の振るう剣だった。
トバルカインは、刀剣審美というスキルを所有している。
武器に対する究極の理解度。見れば活かし方も壊し方もすべてが分かる生き竈に、武器を持って挑むのはその時点で愚行になってしまう。
その生き竈の目から見て、祓葉の握るあの〈光の剣〉は特に面白みも見どころもない普通の刃物という認識でしかなかった。
構造のどこにも粋というものがない、こだわりというものが感じられない。まったくつまらない、見る価値もない凡刀である。
だが、トバルカインは光の刀身に微かな"脈動"を見ていた。
比喩でなく、剣自体が小さく……一秒に一度、ナノレベル程度の脈拍を刻んでいる。
妖刀の類であれば珍しいことではない、だがあの無機質な刀身にそんな禍々しい自我(エゴ)が宿っているとはどうも思えない。
とはいえだ。
(このガキがさっきから見せてる戦いぶりは明らかに異常だ。そもそも私と打ち合えてる時点でおかしい。
光剣(こいつ)が何か悪さしてる可能性は十分にあンな――よし)
疑わしきは摘む、が殺しの基本である。
トバルカインは此処で急に狙いを変えた。
結果、既に急所狙いという魂胆に気付いていた祓葉の反応は露骨に遅れる。
「っ、ぎ……!?」
「とりあえず達磨にしてみっか」
祓葉の右腕が、肘の部分から寸断された。
光の剣が宙を舞う。
咄嗟に祓葉は残る左手を伸ばして剣を追うが、それもあっさりと切断される。
両腕と得物を失った少女の腹に続いて一閃すれば、残ったのは四肢と臍から下を失った無惨な身体のみだ。
此処まで三秒。たったの三秒で、トバルカインは神寂祓葉という少女の人体としての全尊厳を剥奪した。
その上で、満を持して"殺す"ための一刀を振り下ろす。
地に落ちた祓葉の心臓に切っ先は落ち、抵抗する術のない達磨を貫いた。
トバルカインは過たない。絶対に、その剣は狙いを外さない。
今回も彼女の目論見は完全に遂行され、四肢を失った祓葉は原初の剣で心臓を穿たれた。
此処でトバルカインは剣から伝わる奇妙な感触に気付き、「へえ」と感嘆したような声を漏らす。
「成程な。心臓に何か入れてンのか」
正しくは、金属を貫いた感覚があった。
これが不死のからくりだろう、そしてそれを今砕いてやったわけだ。
セオリー通りならこれで不死は途切れ、この無茶苦茶な生き物は此処までに負った傷と代替心臓の損壊が原因で死に至る。
その筈だったが、そこでトバルカインの剣は小さな手のひらに掴まれた。
再生を果たした、祓葉の右手だった。
「あー、痛かったぁ……。なんか最近痛い思いばっかりしてる気するぅ……」
ち、と舌を鳴らすトバルカイン。
無理からぬことだ、想定される限り最も面倒な事態になったのだから。
神寂祓葉の不死のトリックは心臓にある。だが、それは単に力の源泉であるというだけであって、急所でも何でもない。
こうなるといよいよもって、"殺す"ということを成し遂げるのが現実的でなくなってくる。
再生が完了する前に細切れにする単純作業を延々と続けてエネルギー切れを狙うか、と剣を抜こうとした腕が――しかし動かない。
手のひらが裂けることなど気にもせず刀身を握る祓葉の手が、どうやっても退かせないのだ。
トバルカインの筋力はAランクに達する。歴戦の豪傑も裸足で逃げ出す怪力を宿している筈の彼女が、人間相手に力比べで手をこまねいている。
剣で行われた綱引きの結果は、刃物の方が込められた力に耐えられず砕け散るという形で幕を下ろした。
ガラスのように割れて飛び散るトバルカインの剣。握るものをなくして空を掴んだ祓葉の手が、ヴヴン、と音を鳴らす。
「……!」
咄嗟に地を蹴って下がりつつ、トバルカインはさっき腕ごと奪ってやった〈光の剣〉が転がった筈の位置を見た。
が、そこにもう光剣は存在していない。
(存在として"在る"んじゃなくて、こいつの意思に応じて"現れる"のか!)
これにより、当初考えていた攻略法のほとんどが否定されたことになる。
不死は潰せず、怪力は絶やせず、武器も奪えない。
腰を据えて一晩二晩でも殺し続ければエネルギー切れでの破綻も狙えるのかもしれないが、トバルカインはその望みは薄いだろうと考える。
実際にエネルギー切れという概念が存在するのかどうかをさておいても、些か非現実的なアイデアであると言わざるを得ない。
「ふぅ、直った直った。じゃあ次は……」
そう、何故なら――
「――こっちからいくよっ!」
「ぅ、おッ……!?」
この女は、不死云々を抜きにしても普通ではないからだ。
祓葉の振るった光剣を、懐から抜き出した代えの刃物で受ける。
瞬間、トバルカインが足代わりにしていた軍馬の背骨がへし折れて即死した。
ひしゃげた馬体が地面に沈み、トバルカインは転がるようにして光剣の下から逃れるしかなくなってしまう。
明らかに、祓葉の膂力は先ほどの比ではなく上昇していた。
自前の剣で完璧に受け止めた筈なのに、込められていた力が強すぎて馬が潰れたのだ。
新調したばかりの剣だが、もう既に内部構造のあちこちがひび割れているのがトバルカインには分かる。
人類史における最高峰の鍛冶師が仕上げ、実用に足ると踏んで持ち歩いていた得物が、一度の打ち合いで事実上の半壊を喫した。
更に厄介なことに、上がっているのは力の桁だけではない。
速度も然りだった。
相変わらず動き自体は稚拙だが、さっきまで完全に圧倒されていたトバルカインの速さを今の祓葉は凌駕している。
その速さから、一撃必殺に達して余りあるだろう剛剣を叩き込みに来るのだからますます災害じみていた。
「ライダー!」
「無論――分かっているとも!」
業を煮やしたトバルカインの叫びに、呼応する勇敢な声ひとつ。
祓葉と彼女の後ろに控えるイリスに対してのみ害を成す殺戮の弾幕を背に、カスターの騎兵隊が殺到する。
「いやはや、それにしても本物の不死身とは! 景気が良くて羨ましいなあ!」
実際――カスターは今、マスター共々かなりの無茶をしている。
第一宝具『駆けよ、壮烈なる騎兵隊』と第二宝具『朽ちよ、赤き蛮族の大地に』の同時発動。
カスターの騎兵隊は不滅であるが、それでも永久機関のようには行かない。
長引けば長引いただけ薊美の魔力は削られ、これが尽きればすなわち第7騎兵隊の終わりだ。
既に相当数を補充している上での、この殲滅劇(りょういき)の展開である。消耗がないわけがなかった。
「怖じ気付くなよ者共! 晴れ舞台だ、陽気に行こうぜ! Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!」
《Garry Owen, Garry Owen, Garry Owen――!!!》
旧日本軍のお株を奪う神風特攻。
騎兵による数に物を言わせた制圧攻撃は、最初から人員の生存を念頭に置いていない。
更に言うなら、これで殺し切れるとももはやカスターは期待していなかった。
「心配するな! 無意味な死だったなどとは誰にも言わせん! 何故ならこれは"大義の戦争"であるが故に!!
カスターが問おう! 諸君、お前達には何ができる!?」
《Oh we can dare and we can do(我々は挑み、戦うことが出来る)――!!!》
現に騎兵隊は、片っ端から祓葉の光剣にすり潰されていく。
身体能力の著しい向上を経た上で振るわれるそれに触れた騎兵は、軍馬共々文字通り"爆散"していた。
血塗れの光輝が、そこにいる。
天使のような顔をした、血塗れの悪魔がそこにいる!
されど。
「……そう。団結した我々は、いつだとてこの国の歴史を変えていくのだ」
彼らが命がけで挑み、死んだことのその証は、血飛沫と臓物の霧となって祓葉の視界を遮る。
如何に不死身でも、超人的でも、視界を物理的に遮ってしまえば盲目と同じ。
盲目ならば怖くなどない、所詮はただの暴走機関車だ。
そしてそんな気高き地獄絵図を塗って跳び回るのは、時代を越えて"カスター将軍"と手を組んだ原初の"生き竈"。
「まったくクソみてえな全体主義だな。てめえが死んだ後に遺る栄光なんざ、無いのと同じだろうがよ」
「ははは! 君とはまったく価値観が合わないようだな! やはり有色人種とのやり取りは気を遣う!」
「気を遣ってそれなら、あんたに必要なのは勲章じゃなくて道徳の教科書だよ」
生まれ出ては突撃し続ける騎兵隊の群れ。
祓葉を穿ち、更に彼女の友人をも常に狙うことで彼女の動きをある程度抑制する弾幕。
トバルカインは――そのすべてを足場にしながら、驚異的な身体能力で躍動していた。
軍馬の頭を踏み、それを駆る騎兵の頭を蹴り、自分には害を生まない銃弾をすら時に蹴り飛ばす。
そうして高速で跳ね回りつつ、十重二十重の斬撃を網のように放って間断なく祓葉を切り刻んでいるのだ。
祓葉が如何に高速化していると言えども、そこにはトバルカインに及べるだけの技がない。
ならばこれはまさしく、凶暴な猛獣を狩るのと同じだ。
数多の命を屠り、死の山嶺を築き上げてきた生き竈の彼女が、今更獣狩りを仕損じる道理はなかった。
トバルカインの剣戟は、一度たりとも空振らない。
時折光剣に受け止められることこそあったが、百発放った内の五か六がそうなっただけだ。
後の九十以上はすべて、祓葉の肉を手足を切り刻んだ感覚を担い手に与えていた。
人間ならば死んでいる。
英霊だろうと死んでいる。
不死身でさえ、苦痛に耐えかねて心が折れるかもしれない。
しかしそんな血霧の隙間に、トバルカインは見た。
「――――ッ」
にまぁ、と。
変わらぬ微笑みで佇む、血まみれで傷だらけの少女の顔を。
瞬間、背筋にいつぶりかの悪寒が走る。
北欧の巨人王にさえ一歩も退かなかったトバルカインが、確かな戦慄に毛穴を粟立てた。
(ちったあ堪えた素振りくらい見せろってンだよ、バケモンが……!)
思わず剣を握る手に力が籠もった。
生理的な嫌悪感が、彼女にそうさせたのだ。
そんな時に限って剣が、光剣に弾かれてしまう。
だが今回は、力加減を誤ったことが災いした。
これまで巧みな剣遣いでほぼほぼ損耗をゼロにすることで持ち堪えさせていた刀身が、またしても砕け散ったのである。
ノっている祓葉と打ち合うとなれば、それこそ宝具級の神秘でも帯びていなければ得物が持たない。
こんな相手と千合以上も切り結びながら刀身を維持し続けていたトバルカインには驚愕だが、一度のミスがその積み重ねを台無しにする。
そして次の刃を抜くまでの一瞬の隙で、足止めされていた怪物が喜悦満天に血霧の中から飛び出した。
「――あは、捕まえた」
トバルカインに向かってくる、微笑みの怪物。白い悪魔。
死をこの上なく身近に感じさせられながらも、トバルカインはそれに笑みで応じることにした。
「――阿呆が。アガり過ぎだぜ、後ろの嬢ちゃんはいいのかよ?」
「っ……!?」
祓葉が今度は、本当の焦りを顔に浮かべた。
咄嗟に後ろを振り向こうとしたので、その首を切り落とす。
首が宙を舞ったことで、望み通り後ろの景色は見られただろう。
自分へ突撃してくる騎兵隊の波に紛れる形で真横を抜け、イリスの方へと駆けていく、
ジョージ・アームストロング・カスターの姿が。
――この戦いでも神寂祓葉は十二分に驚異的なことをやっていた。
単独でのトバルカイン、並びに第7騎兵隊との戦闘。
イリスに向かう弾丸も、自身がカバーできる方向のものは剣戟の余波だけで大半を散らしている。
祓葉の存在が、イリスを弾幕から守る巨大な壁となっていたのだ。
それでも補える箇所は一方向だけだが、色彩の魔女として開花した今のイリスなら残りはなんとか迎撃できる。
これだけのことができるマスターと言えば、この聖杯戦争においてさえごく限られるだろう。
ただし、彼女の悪癖もまた健在だった。
戦いを楽しみすぎること。興が乗り、テンションが上がれば上がるほど、どんどん周りが見えなくなっていくこと。
だから、トバルカインと騎兵隊を隠れ蓑にして自分という壁を抜ける者の存在にまでは気が回らなかった。
――カスター将軍、堂々の進軍。祓葉という嵐をくぐり抜けて魔女狩りに挑む、命知らずの〈カスター・ダッシュ〉である。
「……あの馬鹿」
イリスが顔を顰める。
床に片膝と片手を突いたままの格好で、彼女は迫りくる蛮勇の米国人を見つめていた。
正直な話、此処までの戦いになるとは思っていなかった。
実際、この煩わしい"領域"さえなければ危なげなく勝てていた自信がある。
能力はともあれ肉体は人間どまりであるイリスにとって、防御を貫通する弾幕というのは致死的な脅威だ。
だからこうして大事な作業に専心している中でも、貴重な脳のリソースをわざわざ迎撃に割かなければならなくなっている。
黒白をイリスの髪と同じくブロックノイズ状に配置し、球状に広げた自動迎撃システムだ。
とはいえ過剰思考の代償か、さっきから鼻血が止まらない。ついでに頭痛もだ。祓葉に関わるとろくなことがない、そう思っていた。
そんな中で、更なる不運がイリスを襲う。
カスター将軍の進撃が、祓葉をすり抜けて自分に迫ってきたのだ。
「卑怯とは言うまいね、魔女のお嬢さん。君達は実に恐ろしい冒涜者だ――よって、いつも通り手段を選ばず屠ることにした」
舌打ちと共に、既に色の配置を終えた付近の地面を波打たせる。
そうして放つのは、色彩の津波だった。
昔ならば単なる足止め。だが、今はそうではない。
――《Garry owen》、悪名高き第7騎兵隊。
――19世紀程度の神秘ならば、自分でも十分相手ができる。
イリスはそう判断し、カスターを殺す目的で波を起こした。
事実、カスターの強みは連隊の召喚による物量攻撃にこそある。
彼自身は一介の将官に過ぎず、一騎討ちでは英霊としては凡夫の部類だ。
黒白の魔女が向ける本気の殺意、本気の術式でならば討ち取れない相手ではない。
その判断自体は、決して驕ったものでもなかったといえる。が。
波を起こしけしかけてから、イリスはひとつの違和感に気付いた。
(……! 剣が、変わってる……?)
カスターの武器が、いかにもひと昔前の軍人然とした直刀のサーベルから変わっていたのだ。
形状自体は似通っている。祓葉の光剣のように振るって斬るのではなく、刺して貫くことを主用途とした騎兵好みの直刀だ。
だが華美さが抜けている。名誉や勇ましさ、そうしたものを表現する装飾が欠かれている。
そして、逆に――素人目にも分かるほどに、刃物としての完成度が洗練されている。
カスターが色の津波に突撃した。
その剣は、もう無様に砕けない。
波を切り裂き、色を分かち、騎兵の進軍を続行させる。
――あのセイバーか!
イリスが気付くのと、カスターが御満悦顔で感想を呟くのはほぼ同時だった。
「うむ、実にいいサーベルだ! 少々私が振るうには貧乏臭いのが玉に瑕だが……魔女狩りのお供として申し分ないな!」
白と黒、色彩の残滓を踏み越えて、カスター堂々進軍続行す!
目指すは魔女の首級、そして心臓。
不死身の怪物を殺す前に、確実に潰せる果実を踏む。
カスターは戦功を愛する。何故ならそれは"栄光"になるからだ。
聖杯戦争においても、いや聖杯戦争だからこそ彼はその生き方を決して曲げない。
時空を超え、世界を超え、戦場たる機械じかけの都市に集った役者ども――
首を獲って皮を剥いだなら、その栄誉は格別の果肉となって自分の心を満たすと分かっているからだ。
そしてイリスは、窮地に立たされる。
カスター将軍との正面戦闘。
普段ならばいざ知らず、祓葉が守っている一方以外の全方位から飛んでくる弾丸を捌きながら特上の業物を握った騎兵を相手取るのは至難だ。
魔女はその座を追われるのか。六つの衛星のひとつが、早くも此処で墜ちるのか。
その結末を告げたのは、他でもない魔女(かのじょ)自身の声だった。
「祓葉」
名前を呼ぶ。
愛おしい/憎らしい友の名を。
再生を果たし、トバルカインとの戦闘を続行している祓葉の動きが一瞬止まる。
今度は振り向きはしない。分かっているからだ、イリスが次に何を言うのか。
「――見つけた。ちょうど、あんたの足元だ」
言葉の意味を理解できるのは、祓葉だけ。
トバルカインはもちろんのこと、カスターさえ理解していない。
だが祓葉は違った。愛らしい笑みを浮かべながら、渾身の大振りでトバルカインを強制的に後退させる。
そして言うのだ。親友の合図に呼応して、叫ぶのだ。
「おっけー! ここだね!?」
叫ぶや否やに祓葉が取った行動。
その意味もまた、イリスにしか伝わらない。
祓葉は握った光剣を、自分の足元に突き立てていた。
怪力で床が割れる。選定の剣さながらに、光の剣が突き刺さっている。
「ぶっ壊せ」
「あい分かった!」
やり取りはそれだけ。
だが、次の瞬間。
――突き立てた光剣が、これまでのとは次元の違う眩さで輝きを帯びた。
「……!?」
トバルカインが瞠目する。
英霊でさえ、あまりの眩しさに目を細めた。
光は治まることなく、溢れ出し続けている。
同時に撒き散らされているのは、規格外の熱量だった。
止まりきれなかった騎兵達が、瞬く間に灼かれて塵と消えていく。
「――何だ?」
進むことしか知らない将軍さえ、イリスの反撃に遭うリスクを承知で馬を止めた。
振り向けば、その勇ましく華々しい顔をも光が照らす。
カスターの威光が、彼のものでない光にかき消される。
「何が、起きている……?」
「よく見ときなよ、クソ軍人」
光の真ん中で、神寂祓葉が立っている。
彼女だけが、その光に存在を許されていた。
カスターの騎兵が蒸発するほどの熱光にさえ、そのあどけなさは愛されている。
いや、あるいは。これだけの光をもってしても、灼き尽くせないほどに彼女は眩しいのか。
「――アレが、私達が挑まされるモノだ」
魔女の、様々な感情が綯い交ぜになった声。
剣は、天使のように光を放ち続ける。
誰もが、その光景を見つめていた。
だからこそ誰もが、それを見た。
――――ぴしり、と。世界に、亀裂が入る瞬間を。
「界統べたる(クロノ)――――」
ヒビが、広がっていく。
世界が、悲鳴をあげる。
もしくは、喝采だったかもしれない。
皮肉にも界の崩れる音は、万雷の拍手によく似ていた。
いつの間にか、尽きない筈の弾幕がやんでいる。
過去の悲劇、人類史の汚点。痛みと嘆きの殲滅劇。
誰かにとっての晴れ舞台(セメタリー)で、誰かにとっての地獄(インフェルノ)だったいつかの日。
人類史が続く限り決して消えることのない、虐殺の記憶。
それを、その涙と恨みさえもを、抱きしめて癒やすように。
よくがんばったね、と語りかけて頭を撫でるように。
優しく抱擁しながら、灼熱でもって灼き尽くすように――。
光は轟き、手に取る奇跡の真名は謳われる。
「――――勝利の剣(カリバー)」
名を告げると共に、ひび割れていた"何か"が砕け散った。
ソルジャー・ブルーの栄光と、インディアンの悲劇。
驕りも嘆きも等しく、奇跡の前に散華する。撃滅され、許される。
神寂祓葉は今、カスターの領域そのものを破壊したのだ。
――川の風がやんで。
――悲鳴と喧騒に揺れる、都市の空気が戻ってくる。
◇◇
外は、コーヒーショップの悲劇で阿鼻叫喚の様相を呈している。
だが一方で、店内はまったくの静かだった。
誰もが、言葉を失っていた。
栄光狂いの騎兵隊が、いつしか足を止めている。
物言わぬ走狗である筈の彼らが口を開けて棒立ちを晒している姿は、まるで無声映画のワンシーンのよう。
あれほど絶えず喧しく響いていた銃声も、軍馬の蹄音も、勇壮な歌も今は聞こえない。
カスターが、走ることを今だけは忘れていた。
視線の先には、剣を突き立てたままの少女がいる。
やがてそれが、ゆっくりと床から引き抜かれた。
領域が崩れ、劇終を迎えた舞台でひとり立つ白きもの。
この世の何も憎まない、天使のようなあどけない顔。
万人、万物に注がれ、そのすべてを平等に壊すのだろう微笑み。
たなびく白髪、血に濡れた衣服、均整の取れた体つき。
そして、何よりも――彼女がそこに存在するというごく単純で明快な事実。
「――――なんと、美しい」
忘我の境に立ちながら、カスターは半ば無意識にそう呟いていた。
文明を踏み躙り、栄光の礎とすることに何の呵責も抱かない男が、勝利に取り憑かれた魔人が、今この瞬間だけは目の前の美に感嘆している。
その顔は、神の降臨を目の当たりにした聖職者のそれによく似ていた。
神の使徒を自称した男が、矛盾そのものの体験に身を震わせているのだ。
これはきっと、冒涜と呼ばれる概念を体現した存在なのだろうとカスターは悟る。
恐ろしき〈白〉だ。
おぞましき〈光〉だ。
そして、美しき〈勝利〉だ。
神と国に従い、勝利のための殲滅を重ねてきた男にとっては最大の皮肉。
信ずる神とはまったく違った形で、ジョージ・アームストロング・カスターは、自由の女神を見た。〈極星〉を、見た。
「――おい! ボーッとし腐ってンじゃねえ!」
トバルカインが叫ぶ。
瞬間、カスターは「うむ!」と叫んだ。
つい一秒前まで茫然自失とした姿を晒していた男とは思えない、堂々たる声であった。
「これ以上は馬鹿にも分かる負け戦だ! Peace with honor(名誉ある撤退)と行こう!
日に二度の撤退はいささか沽券に関わるが、今日のカスターは慎重派とさせていただく!!」
ジョージ・アームストロング・カスター、高らかなる撤退宣言である。
軍馬の踵を返し、颯爽と薊美を抱えて去ろうとするカスター。
追撃として迫る白黒をサーベルで捌く背中は、敗走を喫した側には似合わない勇ましさに満ちている。
そんなカスターに、トバルカインが叫んだ。
「コラ! サーベルの代金がまだだぞ、私とウチのマスターも乗せてけ!!」
「ははは! 馬なら無数にある、勝手に使い給え! というか言わなくても勝手に乗るだろう君は!」
「ちっ、クソ野郎が――行くぞコトネ、さっさと掴まれ!」
哀れな騎兵のひとりを蹴り落として、未だ呆然としているコトネを小さい身体で抱えるトバルカイン。
そのまま、彼女もカスターに続く形で地獄と化したコーヒーショップから撤退していく。
これ以上は付き合いきれない。
いずれは本気で向き合わねばならない相手とはいえ、今はその時ではない。
こんなモノ、シラフで向き合っていられるか――苦渋と辟易を胸に、小さな刀鍛冶は眉間にたっぷりの皺を寄せた。
……こうして。
平和な午後を血と光で染める、先取りされた最終決戦はエンドロールを迎える。
後に残されたのはたくさんの破壊と犠牲と、そして〈主役〉とその相棒(バディ)のみ。
針音の都市に神は実在する。ただしそれは、偉大なモノではないけれど。
◇◇
「――追わないの?」
「そうしたいのは山々だけど、勝ちじゃなくて逃げを狙われたら流石に面倒かな。
ある程度削りは入れられたし、これでも結果としては上々でしょ。あんまり高望みしたら罰が当たるよ」
……楪依里朱が吹き荒ぶ鉄風雷火の中で行っていたのは、カスターの領域の陥穽を探る/創る試みだった。
魔女は色彩を操る。その力を活用し、床を起点に色を潜り込ませて領域そのものの削りに徹していた。
結界術の延長線であれば、そこには必ず付け入る隙がある。
色彩の浸潤によって生まれたごくわずかな陥穽であっても、祓葉の力と出力ならば結界を抉じ開けて破壊することができる。
前回の聖杯戦争でも用いた、ふたりの十八番と呼んでもいい戦法だ。
たとえ領域でなく固有結界であろうとも、"成った"祓葉と魔女として成長したイリスのふたりならば同様に破ってみせただろう。
もっとももう二度と、彼女達が並んで戦う奇跡は起こり得ないだろうが。
「まあ、あんたが追いたいんだったら勝手にすれば。そこまで介護してやる義理もないし」
「ん~……イリスが追いかけないなら私もやーめた。それに、その方が面白くなりそうだし。強かったなーあのふたり」
「あんたね、いつか絶対その悪癖のせいで足元掬われるよ」
あんたのことだし、負けはしないんだろうけど。
続く言葉は、癪なので心のなかに留めておくことにした。
ともあれ、これで晴れて共闘は終わったわけだ。
水を差してくる敵がいなくなったのなら、またふたりの関係は元通り。
青春の残骸、腐乱したいつかの成れの果て。
そういう間柄に戻って、それきりだ。
「続き、する?」
「……やめとく。ていうかあんたさ、私のこの腕見えないの」
「そのくらいイリスならすぐ治しちゃうじゃん。便利だよね、イリスの魔法。私もそのうち習ってみたいな」
「魔法じゃなくて魔術だって何度言えば分かんの。あとあんたには絶対無理。馬鹿に使える術じゃない」
「イリスもヨハンも口開けば私のことバカとかアホとか、私にだって心ってものがあるんだけどな……?」
「心のある人間は友達の胸いきなりぶっ刺しません。ていうか私の前で男の名前出すな」
まるで昔のままのように語らっているのに、致命的なほどに以前とは違う。
そのズレを、イリスは改めてひしひしと感じていた。
祓葉はどうだろう、と考えようとして、やめる。
考えるまでもない。こいつは、今も昔もこれからも、きっとずっと同じだ。
こいつの中ではあの青春も、この腐りきった現在も、地続きの同じ夢の中なのだろうと思う。
こいつはそういう生き物なのだ。そういう、本当に救えないほど純粋な生き物。
「じゃあ、私そろそろ行くから。もう連絡してこないでね」
「寂しいなあ。私はいつだってイリスとおしゃべりしたいし、また遊びにも行きたいのに」
「それを捨てたのはあんたでしょ、祓葉」
あの日の青春はもう腐乱して蛆が湧いている。
どんなに恋しくても、二度と蘇ることはない。
だから今、改めて"さよなら"を告げるのだ。
ありったけの殺意と、とびっきりの後悔を乗せて。
「――次は殺すから。あんたを殺して、私は先に行く」
魔女は、太陽に魅入られた少女は、最後にそう言った。
〈未練〉を振り切るために、告げた"さよなら"。
それに対し、やっぱり過去は笑っていた。
ただし、少しだけ困ったような顔で。
微笑みながら、踵を返すイリスに言うのだ。
「……そんな顔しないでよ、イリス」
狂い、堕ちさらばえ、それでもどうしようもなく"少女"を抜け出せない哀れな魔女は。
ついさっきの自分が、そして今の自分がどんな顔をしているのかも、分からないのだった。
【新宿区・コーヒーショップ/一日目・午後(夕方寸前)】
【楪依里朱】
[状態]:魔力消費(中)、不機嫌、右肩に銃創とそれに伴う出血、未練
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数十万円
[思考・状況]
基本方針:優勝する。そして……?
0:さよなら、私の青春。
1:祓葉を殺す。
2:蛇杖堂を削りつつあわよくば殺す。……そろそろ戦果を聞いてみるか。
[備考]
※
天枷仁杜(〈NEETY GIRL〉)とネットゲームを介して繋がっています。相手がマスターであるとは知りません。
必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来るでしょう。
【神寂祓葉】
[状態]:健康、わくわく、ちょっと寂しい
[令呪]:残り三画(永久機関の効果により、使っても令呪が消費されない)
[装備]:『時計じかけの方舟機構(パーペチュアルモーションマシン)』
[道具]:
[所持金]:一般的な女子高生の手持ち程度
[思考・状況]
基本方針:みんなで楽しく聖杯戦争!
0:またね、イリス。
1:結局希彦さんのことどうしよう……わー!
2:面白くなってきたなー!
[備考]
二日目の朝、
香篤井希彦と再び会う約束をしました。
◇◇
――薊美ちゃんもいつか、私みたいになれるよ。
――もうやだ。
――追いつけないよ。
――■■■■さんは、あんなにも遠い。
――ねえ、なんで?
『美しく咲き続けたいのなら、あなたは"太陽"に勝たなきゃいけない』
◇◇
薊美も、それを見た。
光り輝く、星を見た。
自分が主役でない舞台というものを、薊美は初めて経験した。
銃弾吹き荒び、剣閃飛び交い、血飛沫舞い散る殲滅劇。
あの場において、
伊原薊美は完全に蚊帳の外の脇役でしかなかった。
無理からぬことだ。薊美は王子ではあっても、戦士ではない。
そう言い訳をすることは簡単だ。薊美が"伊原薊美"でさえなかったら、当然としてそう言っていただろう。
けれど彼女は、どうしようもないほどに"伊原薊美"だった。
茨の王子、並ぶものなき女王さま。
舞台の上で輝くことを運命付けられ、その生き方に逆らうことをしない稀代の天才。
そう自負しているからこそ、薊美にはあの時逃げ場がなかった。
眼を瞑ることも逸らすことも知らない少女は、あの光から逃れることができなかった。
現実という舞台で輝く極星、あるいは太陽が、そこにあった。
主役を追われたあの子の顔を思い出した。
自分を妬み疎んで、それでも何もできず袖を噛むしかできない端役どもの顔を思い出した。
そうして最後に、父の顔を思い出した。
――『薊美(アザミ)。僕の大切な娘』
――『君は、素晴らしい才能に恵まれているんだ』
――『僕だけじゃない。皆だって信じている』
――『君なら御姫様にだって、王子様にだってなれる』
――『その素質を輝かせる道を歩むべきだと、僕は願っている』
ああ、そうだ。
伊原薊美は、素晴らしい才能に恵まれている。
王子にだって、女王にだって、何にだってなれる輝きの子。
父は薊美を心から愛し、薊美も父を心から愛していた。
彼の期待に応えるために人生を捧げてもいいと思えるくらいには、惜しみなき無償の愛を心地よく思ってきた。
素晴らしい才能があって。
皆がそれを信じて。
お姫様にも、王子様にもなれる。
その素質を輝かせる道を、歩んでいる。
そんな"誰か"が、もしも他にいたのなら。
そしてそれが、あり得ないことだが。
あり得ないことだが、自分よりももっと眩しかったなら。
その時、あの心優しい父の瞳は。
変わらず自分だけに、注がれ続けるのだろうか。
それとも。
「――ねえ、君」
肩を揺すられて、薊美は自分が茫然としていたことに気付いた。
らしくない失態だ。あってはならない間抜けさだ。
苛立ちを覚えながらも、肩を揺すった女を見上げる。
名も知らない女だった。けれど、彼女が自分と同じ――聖杯戦争の参加者であることを薊美は知っている。
褐色肌の剣士(セイバー)。あの太陽と真っ向から渡り合っていた、薊美のカスターと同じ人智を超えた存在。
それを使役する彼女の姿は、しかしひどく平々凡々としていた。人は見かけによらないと言うのは、少し使い方が違うだろうか。
「大丈夫? 怪我とかしてない?」
「……はい。大丈夫です」
「そっか、強いんだね。私は正直全然大丈夫じゃないよ、まだ心臓ばっくんばっくん言ってるし」
たはは……と疲れた顔で笑う姿に、少し安堵する。
見慣れた凡人の顔だ。掃いて捨てるほどいる、林檎の表情だ。
何故、そんな当たり前に安堵しなければならないのか。
"例外"など、自分を除いてはただのひとりも存在しないというのに。
「ねえ、物は相談なんだけど」
「……なんですか?」
「今、誰かと組んでたりする?」
「特には。……ただ正直、聖杯戦争を見くびってたなと感じてます。
これまではともかく、これからは少し考えて行かないといけないかも」
薊美の言葉を受けて。
じゃあさ、と女は続けた。
「私と、ちょっと一緒に来てくれないかな」
「……どこへ?」
「私が今組んでる子のところ。
ちょっと……いや、めちゃくちゃ……死ぬほど……変わってる子だけど、私がいれば大丈夫だと思うから」
その言葉の意味するところが分からない薊美ではない。
たとえ今、人生の中で数度と経験していない感情の乱れ――動揺に曝されていたとしても。
才色兼備を地で行く薊美の頭は、目の前の女の提案の意味をちゃんと理解していた。
「……なるほど。利用させてやるから、利用しろ――ってことですか」
「……まあね。でもそういうものなんでしょ、聖杯戦争って」
「否定はできないかも」
「ならいいじゃん。正直私も、いたずらに身内を増やすつもりはなかったけど……アレを見た後だと話が別」
すなわち、相互利用を前提にした同盟だ。
戦力を寄与し合い、頭抜けた強者の存在に対抗する枠組みを作ろうと彼女は言っている。
その薊美の推測は、彼女自身も認めている通り、完璧に的中していた。
高天小都音が危険を承知で祓葉・イリス組と薊美組の交戦に介入したのにはふたつの理由がある。
まず第一に、神寂祓葉と楪依里朱のふたりが素人目で見ても分かるほど、明らかに危険な人物だったこと。
実力も、白昼堂々人目も憚らず殺し合いを始める精神性も、完全に小都音にとっては理解の外にあるそれだった。
だからこそ、凡人なりに考えて――要らない火の粉を被るかもしれないリスクよりも、あのふたりを彼処で排除できる可能性に賭けた。
これがひとつ目の理由。そしてもうひとつは、まさしく伊原薊美及びそのサーヴァントに対する打算であった。
「あんな連中がいるなら、私みたいな"普通"のマスターは味方を増やして事に当たらないと話にならないと思ったの」
自分と仁杜の同盟は戦力だけ見れば今の時点でも十分すぎるほど申し分ないが、情報も戦力も多いに越したことはない。
もちろん誰でもいいわけではないが、小都音の眼から見て伊原薊美という少女は"話の通じる"相手に見えた。
何しろこちらの同盟は、ひとり使い物にならないヤツが混ざっているのだ。
勢力を無駄に巨大化させて崩壊の危険を高めるのは本意ではないが、それにしたって自分以外にもう少し"まともな"人間がいてくれた方が多角的な戦況に対応できるのではないかと考えた。
「それで恩を売りに来たと」
「ヤな言い方するなぁ……。まあその通りなんだけど」
「したたかですね、お姉さん」
「私がしたたかにならないと色々大変なの、こっちは」
遠い眼をする小都音を見て、薊美はいろいろと察した。
察するに既にいるという彼女の同盟相手が、よほど"アレ"なのだろう。
できるならこの血で血を洗う戦いの中で変人奇人と関わり合いにはなりたくない、その気持ちは強い。
ただ――実際、自分が今持つ戦力だけでどうやってあの怪物を倒すか、というのは薊美にとっても急を要する課題だった。
輝きの怪物。
針音都市の〈太陽〉。
現代の脱出王が預言した薊美の未来。
今、伊原薊美という人間が何を置いてでも排除せねばならない極星。
あの存在してはならない存在をどう空から射落とすのか。
考えを巡らせていて、ふと薊美は自分の心がひどく荒れ狂っていることに気付いた。
――ああ、そうか。
――そりゃそうだよね。
しかし失望はなく。
ただ、納得だけがあった。
これは自分の人生だ。
〈伊原薊美〉のためだけの舞台で、筋書きなのだ。
そこに無粋に割り込んで、主役を名乗る誰かがいる。
足元の林檎としてではなく、自分の先に佇んで見つめてくるモノがいる。
「……殺したくなるのも、当然だ」
「え?」
目の前に小都音がいるのも構わず、気付けば薊美は呟いていた。
薊美のことを袖から見つめ、仰ぎ見るしかない者達は誰も知らない。
彼女が実は、その涼しげな顔と王冠の下に、静かな苛烈と激情を飼っていることなど。
「なんでもないですよ」と笑って、薊美は小都音へ向き直る。
そんな彼女の顔は、いつも通りの〈伊原薊美〉のまま。
誰かを踏み潰して進む、蹂躙の貴公子のまま。
この先も、彼女は多くの林檎を踏み潰していくだろう。
けれど――意味を持って踏み潰すのは、これが最初で最後だ。
「いいですよ。まずはお話から、で良ければ」
神寂祓葉。
地上の太陽。
白い極星。
――〈主役〉を気取る、薊美の舞台の冒涜者。
薊美には目的ができた。
脱出王には感謝が尽きない。
おかげで、為すべきことがすぐ分かったから。
薊美は笑う。
握った拳を隠して笑う。
その拳からは――高貴とは無縁のどす黒く濁った血が一筋、地面へ滴り落ちていた。
【新宿区/一日目・午後(夕方寸前)】
【高天小都音】
[状態]:健康、祓葉戦の精神的動揺(持ち直してきた)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:トバルカイン謹製のナイフ
[所持金]:数万円。口座の中身は年齢不相応に潤沢。がんばって働いたからね。
[思考・状況]
基本方針:生き残る。……にーとちゃんと二人で。
1:女の子(薊美)との交渉。場合によっては、一時の協力。
2:ロキに対してはとても複雑。いつか悪い男に引っかかるかもとは思ってたけどさあ……
3:アレ(祓葉)マジで何? やってられないんだけど普通に……。
4:流れで交渉始めちゃったけどにーとちゃんが喋れるタイプの子じゃなくないか?
[備考]
【セイバー(トバルカイン)】
[状態]:疲労(中)、むしゃくしゃしている
[装備]:トバルカイン謹製の刃物(総数不明)
[道具]:
[所持金]:数千円(おこづかい)
[思考・状況]
基本方針:まあ、適当に。
1:(極めて巨大なストレスと不平不満による声にならないうめき声)
2:ヤバそうな奴、気に入らん奴は雑に殺す。ロキ野郎はかなり警戒。
[備考]
【伊原 薊美】
[状態]:魔力消費(大)、静かな激情と殺意
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:騎兵隊の六連装拳銃
[所持金]:学生としてはかなりの余裕がある
[思考・状況]
基本方針:全てを踏み潰してでも、生き残る。
1:殺す。絶対に。どんな手を使ってでも。
2:お姉さん(小都音)と話す。場合によっては、一時の協力。
[備考]
※マンションで一人暮らしをしています。裕福な実家からの仕送りもあり、金銭的には相応の余裕があります。
※〈太陽〉を知りました。
【ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)】
[状態]:疲労(大)
[装備]:華美な六連装拳銃、業物のサーベル(トバルカインからもらった。とっても気に入っている)
[道具]:派手なサーベル、ライフル、軍馬(呼べばすぐに来る)
[所持金]:マスターから幾らか貰っている(淑女に金銭面で依存するのは恥ずべきことだが、文化的生活のためには仕方のないことだと開き直っている)
[思考・状況]
基本方針:勝利の栄光を我が手に。
1:情けない限りだが、しかし良い物を見た。
2:やはり、“奴ら”も居るなあ。
3:“先住民”か。この国にもいたとはな。
[備考]
※魔力さえあれば予備の武器や軍馬は呼び出せるようです。
※
シッティング・ブルの存在を確信しました。
前の話(時系列順)
次の話(時系列順)
最終更新:2024年10月15日 17:35