レイヴンロフト再訪
我々が角を曲がると、そこにヴァンパイアがいた。
私は呻き声を上げて目を剥いた。
それは1978年のこと、私の最初のダンジョンでの冒険の1つにおける出来事だった。それは高校時代の友人ジョン・スコット・クレッグが運営していたもので、当時のみんながプレイしていたタイプの冒険の中での典型的なものであった。それはダンジョンの廊下で接続されたごちゃ混ぜになった部屋の連続を探検し、遭遇したモンスターを打ち破り、宝物を捜索し、そして経験点を獲得するものだった。
そのとき、我々はランダム遭遇の34番の相手と直面したのだった:ヴァンパイアだ。大文字のVで始まるヴァンパイアではないが、非常にたくさんのヒット・ダイスとこれこれしかじかのアーマー・クラスを持った小文字のvのヴァンパイアだった。そのダンジョンにおける他のモンスターと全く同じだ。
そのとき考えたことを私は今でも覚えている。あんたはここで何をしてるんだ? このクリーチャーはこれまで我々が見てきたコボルド、オーク、そしてジェラチナス・キューブたちと違って、まるっきりこの場にふさわしくないように見えた。彼は彼自身の設定を受け取ってしかるべきクリーチャーであり、単なるワンダリング・モンスターではないはずだ。ゲームを終えて家に帰ったとき、私はこうした考えのすべてをローラに語った。
これがストラード・フォン・ザロヴィッチが誕生した瞬間だった。
ストラードは後からの思いつきではなかった――彼は彼自身の設定を要求し、彼自身の悲劇的な経歴を要求した。ローラと私はヴァンパイアに関する神話と民間伝承の調査を開始した。我々は1931年のベラ・ルゴシの曖昧なモノクロ映画のイメージを持って開始したが、それ以上のたくさんのものを発見した。
最初の“現代的な” ヴァンパイアの文学的土台はジョン・ウィリアム・ポリドリがバイロン卿による物語の断片に基づいて執筆した。それはディオダティ荘――スイスのレマン湖の近くにある借家の別荘――において、バイロンとポリドリがメアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィンと彼女の夫になったパーシー・シェリーと面会している間のことだった。6月のある夜、バイロンは彼らそれぞれに幽霊話を執筆するよう提案した。メアリ・シェリーの作品は後の『フランケンシュタイン』という力作となった。1819年に出版された短編小説『吸血鬼』は、ポリドリの作品だった。彼はバイロンの主治医であり、ポリドリの手によるいわゆる“ロマンティック”なヴァンパイアたちの最初のこれは、実はバイロン卿をモデルにしていた。
バイロンは――ポリドリのルスヴェン卿から、ブラム・ストーカーの最後から2番目の作品に至るまで、彼が想像力を喚起させた数々の架空のヴァンパイアたちと同様――頽廃的な掠奪者であり、ロマンティックなベールの影に虐待者である素顔を隠していた。彼は容姿端麗で魅惑的なモンスターだった――それでもやはりモンスターはモンスターだった。このジャンルの初期のロマンティックなヴァンパイアは単なる伴侶虐待者であるだけでなく、伴侶殺害者でもあり、有害な共生関係の中でも最悪の種類の虐待の類型であった。
ローラと私にとって、これらはストラード・フォン・ザロヴィッチを正確に定義するための要素であった――悲劇的なロマンスの仮面の背後に隠れて永遠に潜んでいる利己的な野獣であり、彼の獲物たちのためだけに偽装された幻の償いをするに過ぎない。
最初に我々はこの冒険に『Vampyr』というタイトルを付けていた――ローラと私が1978年に自己出版した“Nightventure”と呼ばれる一連のゲームのひとつだった。この城はレイヴンロフトと呼ばれ、毎年ハロウィーンの時季になると、友人たちは「あのレイヴンロフトのゲーム」をもう一回プレイできるかと尋ねてきた・・・そうしてもっと良いタイトルが勝ち上がってきたのである。部分的には、1982年に私がTSR Inc.に雇われて『DUNGEONS & DRAGONS』の冒険を執筆していたおかげでこの設計ができた。それからすぐ、I6:『Ravenloft』が出版された。
それ以来、『Ravenloft』のファンたちはバロヴィアに関する数多くの異なる創造的な視点を目にしてきた(完璧に偶然の一致だが、その国は1947年のボブ・ホープの映画『Where There's Life』にも出てきた)。それは常に『DUNGEONS & DRAGONS』の冒険で最も人気のあるものの1つであり続けた。さまざまな具現化の中で、それぞれのデザイナーがストラードの古い伝説に何がしか新しいものをもたらそうと努力をしてきた。彼らのそれぞれに我々は感謝している。
しかしヴァンパイアのジャンルはここ数年でその根本から変わって来た。我々が今日頻繁に目にするヴァンパイアは、オリジナルの類型とは正反対に位置するものが典型となっている:君がその相手を十分に愛してさえいれば、それは変わることができるため、その虐待的なモンスターとロマンスに入ることは大丈夫なのだと言う。
ローラと私が『Ravenloft』を再訪することについてクリストファー・パーキンスから呼び出されたとき、私たちはヴァンパイアの民間伝承のメッセージをオリジナルの警告的な根本のものに戻すことができることを願っていた。Wizards of the Coastの才能あるチームは私たちの提案を丁寧に受け止めただけでなく、バロヴィアの門の向こうに広がる悪夢に対する新しい洞察をもたらすべく私たちを対話に従事させてくれた。
今また、君たちが敢えて望むというなら、私たちは君たちをスヴァリッチ森を超えて我々のゲストとして迎え入れましょう。ここではロマンスは悲劇的なまでに危険である・・・そして真のモンスターが君たちの近付いてくるのを笑って迎えるのだ。
私は呻き声を上げて目を剥いた。
それは1978年のこと、私の最初のダンジョンでの冒険の1つにおける出来事だった。それは高校時代の友人ジョン・スコット・クレッグが運営していたもので、当時のみんながプレイしていたタイプの冒険の中での典型的なものであった。それはダンジョンの廊下で接続されたごちゃ混ぜになった部屋の連続を探検し、遭遇したモンスターを打ち破り、宝物を捜索し、そして経験点を獲得するものだった。
そのとき、我々はランダム遭遇の34番の相手と直面したのだった:ヴァンパイアだ。大文字のVで始まるヴァンパイアではないが、非常にたくさんのヒット・ダイスとこれこれしかじかのアーマー・クラスを持った小文字のvのヴァンパイアだった。そのダンジョンにおける他のモンスターと全く同じだ。
そのとき考えたことを私は今でも覚えている。あんたはここで何をしてるんだ? このクリーチャーはこれまで我々が見てきたコボルド、オーク、そしてジェラチナス・キューブたちと違って、まるっきりこの場にふさわしくないように見えた。彼は彼自身の設定を受け取ってしかるべきクリーチャーであり、単なるワンダリング・モンスターではないはずだ。ゲームを終えて家に帰ったとき、私はこうした考えのすべてをローラに語った。
これがストラード・フォン・ザロヴィッチが誕生した瞬間だった。
ストラードは後からの思いつきではなかった――彼は彼自身の設定を要求し、彼自身の悲劇的な経歴を要求した。ローラと私はヴァンパイアに関する神話と民間伝承の調査を開始した。我々は1931年のベラ・ルゴシの曖昧なモノクロ映画のイメージを持って開始したが、それ以上のたくさんのものを発見した。
最初の“現代的な” ヴァンパイアの文学的土台はジョン・ウィリアム・ポリドリがバイロン卿による物語の断片に基づいて執筆した。それはディオダティ荘――スイスのレマン湖の近くにある借家の別荘――において、バイロンとポリドリがメアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィンと彼女の夫になったパーシー・シェリーと面会している間のことだった。6月のある夜、バイロンは彼らそれぞれに幽霊話を執筆するよう提案した。メアリ・シェリーの作品は後の『フランケンシュタイン』という力作となった。1819年に出版された短編小説『吸血鬼』は、ポリドリの作品だった。彼はバイロンの主治医であり、ポリドリの手によるいわゆる“ロマンティック”なヴァンパイアたちの最初のこれは、実はバイロン卿をモデルにしていた。
バイロンは――ポリドリのルスヴェン卿から、ブラム・ストーカーの最後から2番目の作品に至るまで、彼が想像力を喚起させた数々の架空のヴァンパイアたちと同様――頽廃的な掠奪者であり、ロマンティックなベールの影に虐待者である素顔を隠していた。彼は容姿端麗で魅惑的なモンスターだった――それでもやはりモンスターはモンスターだった。このジャンルの初期のロマンティックなヴァンパイアは単なる伴侶虐待者であるだけでなく、伴侶殺害者でもあり、有害な共生関係の中でも最悪の種類の虐待の類型であった。
ローラと私にとって、これらはストラード・フォン・ザロヴィッチを正確に定義するための要素であった――悲劇的なロマンスの仮面の背後に隠れて永遠に潜んでいる利己的な野獣であり、彼の獲物たちのためだけに偽装された幻の償いをするに過ぎない。
最初に我々はこの冒険に『Vampyr』というタイトルを付けていた――ローラと私が1978年に自己出版した“Nightventure”と呼ばれる一連のゲームのひとつだった。この城はレイヴンロフトと呼ばれ、毎年ハロウィーンの時季になると、友人たちは「あのレイヴンロフトのゲーム」をもう一回プレイできるかと尋ねてきた・・・そうしてもっと良いタイトルが勝ち上がってきたのである。部分的には、1982年に私がTSR Inc.に雇われて『DUNGEONS & DRAGONS』の冒険を執筆していたおかげでこの設計ができた。それからすぐ、I6:『Ravenloft』が出版された。
それ以来、『Ravenloft』のファンたちはバロヴィアに関する数多くの異なる創造的な視点を目にしてきた(完璧に偶然の一致だが、その国は1947年のボブ・ホープの映画『Where There's Life』にも出てきた)。それは常に『DUNGEONS & DRAGONS』の冒険で最も人気のあるものの1つであり続けた。さまざまな具現化の中で、それぞれのデザイナーがストラードの古い伝説に何がしか新しいものをもたらそうと努力をしてきた。彼らのそれぞれに我々は感謝している。
しかしヴァンパイアのジャンルはここ数年でその根本から変わって来た。我々が今日頻繁に目にするヴァンパイアは、オリジナルの類型とは正反対に位置するものが典型となっている:君がその相手を十分に愛してさえいれば、それは変わることができるため、その虐待的なモンスターとロマンスに入ることは大丈夫なのだと言う。
ローラと私が『Ravenloft』を再訪することについてクリストファー・パーキンスから呼び出されたとき、私たちはヴァンパイアの民間伝承のメッセージをオリジナルの警告的な根本のものに戻すことができることを願っていた。Wizards of the Coastの才能あるチームは私たちの提案を丁寧に受け止めただけでなく、バロヴィアの門の向こうに広がる悪夢に対する新しい洞察をもたらすべく私たちを対話に従事させてくれた。
今また、君たちが敢えて望むというなら、私たちは君たちをスヴァリッチ森を超えて我々のゲストとして迎え入れましょう。ここではロマンスは悲劇的なまでに危険である・・・そして真のモンスターが君たちの近付いてくるのを笑って迎えるのだ。
トレイシー・ヒックマン
2015年5月
2015年5月