「ベションー!いるんでしょー!ベションー!」
青空の下、子供たちの快活な声が響き渡る。
「うるせえですよ、お子様方。そんなにでかい声出さなくても、あっしには聞こえやす」
ぬらり、と足音一つ立てずに村はずれの小屋から細身の男が出てきた。
身長は180近いだろう。しかし猫背気味の姿勢のため長身という印象はない。
上は白いTシャツに、下は赤のジャージ。動きやすさを優先しているのか、単にルーズなのか。
年齢は三十ほどであったが、ぼさぼさの髪と無精ひげにより実年齢よりは老けて見えた。
身長は180近いだろう。しかし猫背気味の姿勢のため長身という印象はない。
上は白いTシャツに、下は赤のジャージ。動きやすさを優先しているのか、単にルーズなのか。
年齢は三十ほどであったが、ぼさぼさの髪と無精ひげにより実年齢よりは老けて見えた。
特徴だけを羅列したならば、公園で寝泊まりしていそうな不審者、といったところか。
しかし二つの目立つ点が彼に独特の張りつめた空気を与えていた。
しかし二つの目立つ点が彼に独特の張りつめた空気を与えていた。
一つは遠目にも分かる、しなやかで美しい筋肉。
Tシャツがパンパンに膨らむ、といったたぐいの筋肉ではなく、
よく引き締まった、草原を駆ける生命力に満ちた野生生物を思わせる筋肉。
特にすらりと長く伸びた腕には無駄な肉というものが一切なく、積み重ねた鍛錬の歴史が素人であっても理解できた。
Tシャツがパンパンに膨らむ、といったたぐいの筋肉ではなく、
よく引き締まった、草原を駆ける生命力に満ちた野生生物を思わせる筋肉。
特にすらりと長く伸びた腕には無駄な肉というものが一切なく、積み重ねた鍛錬の歴史が素人であっても理解できた。
二つ目は眼光。ぼさぼさの髪の奥から、ぎょろりと輝いている。
その瞳は丸く、大きく見開かれ、フクロウのようにせわしなく動いていた。
その瞳は丸く、大きく見開かれ、フクロウのようにせわしなく動いていた。
その珍妙な風貌から、村の大人たちには一線を引いた接し方をされていたが、不思議と子供たちには好かれていた。
「ベション!見せてよ!あれやって見せてよ!」
やんちゃさを隠しもしない少年が立派なヤシの実を頭の上に掲げる。
「そうだよ!師範 !お願いだよ!」
他の子供たちもそれに続く。
「師範 ってなーに?」
「なんだよ!知らないのかよ!ベションは、師範 って呼ばれてた、すっげえ強くて偉い人だったんだぞ!」
そんなに御大層なものじゃないとベションは否定しようとするが、子供たちは完全に盛り上がってしまった。
「すっげえ!師範 ベションだ!」
「見せてよ!師範 ベション!あれ見せてよ!」
これはもう見せないことには収まらないとベションは判断した。
「分かった!分かりやしたよお子様方!ヤるからそんなに騒がないでください!」
そう言うとベションは、少年の頭の上にヤシの実を乗せ、動かないように告げた。
ゆっくりと両の手をポケットにつっこみ、静かに構えた。
ゆっくりと両の手をポケットにつっこみ、静かに構えた。
シンーーと、恐ろしいほどの静寂が急に広がっていく。
先ほどまで騒ぎ立てていた子供たちも、誰も一言も発しようとしない。
ただポケットに手をつっこんでいるだけ、ただそれだけなのに立ち振る舞いはどこまでも静かで荘厳。一分の隙もなく完成されていた。
武術の武の字も知らない子供たちですら、目を離せなくなる何かが師範 ベションにはあった。
先ほどまで騒ぎ立てていた子供たちも、誰も一言も発しようとしない。
ただポケットに手をつっこんでいるだけ、ただそれだけなのに立ち振る舞いはどこまでも静かで荘厳。一分の隙もなく完成されていた。
武術の武の字も知らない子供たちですら、目を離せなくなる何かが
数刻の沈黙の後、空気の破裂する、乾いた音が響き渡った。
シコッ!
瞬間、ヤシの身にはコルク抜きでもしたかのような鮮やかな穴がぽっかりと開いた。
白濁のココナッツミルクが穴の先からチロチロと流れ出る。
白濁のココナッツミルクが穴の先からチロチロと流れ出る。
熟達した格闘家ですら、なんとか目で捉えられるかどうかの神速の貫手。
子供たちが見切れるはずもなく。それは魔法のようにしか映らなかった。
子供たちが見切れるはずもなく。それは魔法のようにしか映らなかった。
「!!すっげー!!師範 ベションすっげえ!」
「うわ!何コレ!ぽっかり穴空いてる!」
「師範 ベション!俺のも!俺のも頼むよ!」
「私のも!私のもお願い!」
「…あの…僕のも…」
「うわ!何コレ!ぽっかり穴空いてる!」
「
「私のも!私のもお願い!」
「…あの…僕のも…」
子供たちが続々とヤシの実を掲げる。
「人様を道具代わりに使うもんじゃありやせんよ!」
そういいつつ、ベションはまんざらではないのか、へたくそな笑顔を見せる。
シコッ!シコッ!シコッ!
ベションにとってヤシの実が一つであろうと三つであろうと関係ない。抜いてみせる。
一呼吸のうちに三つの鮮やかな穴が開き、白濁液が溢れた。
一呼吸のうちに三つの鮮やかな穴が開き、白濁液が溢れた。
またしても湧き上がる子供たちの歓声。
血で血を洗う世界で生きてきたベションは、自分がこんなにも静かで、生温い世界に受け入れられているという事を、まだどこか信じられずにいた。
それほどに村での暮らしは穏やかで、何一つ気苦労のない時間であった。
血で血を洗う世界で生きてきたベションは、自分がこんなにも静かで、生温い世界に受け入れられているという事を、まだどこか信じられずにいた。
それほどに村での暮らしは穏やかで、何一つ気苦労のない時間であった。
しかし。
静寂は破られる。
血の匂いを漂わせた男が、村に向かっていた。
◆◆◆◆◆
「ベションー!師範 ベションー!なんかお客さんだよー?」
届くは子供たちの快活な良く響く声。
「何度も言ってるでしょうが、お子様方。そんなでかい声出さなくてもあっしには聞こえるって…」
小屋を出た瞬間にベションにぶつけられる殺気。思わず軽口を止める。
「師範 ベション…久しぶりだな」
そこに立っていたのは筋骨隆々の大男。身長自体はベションとさほど変わらないだろうが、筋肉の量が違う。骨の太さが違う。
ベションが樹齢を重ねた柳とするならば、その男は波に耐え続けた巨岩のようであった。
ベションが樹齢を重ねた柳とするならば、その男は波に耐え続けた巨岩のようであった。
「…!カキン!カキンじゃあねえですか…!」
「…もう師範 だ。師範 カキンだ。お前が足抜けしてから師範 の座に就いた」
「!そいつぁめでたい!…って、祝いの空気でもなさそうですね…あっしに何用で?」
会話を続けながらも油断はせずに臨戦態勢。
「何用で、だと?笑わせるな!足抜けした貴様に師範 の名を持った俺が会いに来た。意味することは一つしかあるまい!」
「…そうですか…つまり…」
「そう!尋常に!勃ち合いを所望する!」
――《勃ち合い》
武道家同士が雄心勃勃と戦いに臨み合う、死闘を意味する。
勃ち合いは生死をかけた戦い。どちらかの死によってその幕は下ろされるのだ。
勃ち合いは生死をかけた戦い。どちらかの死によってその幕は下ろされるのだ。
「…あっしはもう生死をかける戦いなんて御免なんですが…そうも言ってらんねえか…」
「ようがす。ヤりあいやしょう。方法はどうしやす?」
「それこそ愚問だな!俺もお前も居合い拳の使い手。ならば方法は一つしかあるまい!」
「…!!上等!兜合わせといきやしょう!」
――《兜合わせ》
居合い使い同士、額と額を密着させ、超至近距離から勃ち合う、伝統的な手法である。
勃ち合いが始まったら、当然距離を取ったりしても問題はないのだが、自ら距離を取ることは“恥”とする文化が武闘家には存在する。
勃ち合いが始まったら、当然距離を取ったりしても問題はないのだが、自ら距離を取ることは“恥”とする文化が武闘家には存在する。
「時はどうしやす?」
「今!」
「場所はどうしやす?」
「この場!」
武人は常在戦場。出会った時、出会った場所が勃ち合いの場。
ベションとてそれは十全に理解しながらも、それを問う。
いつ勃ち合うのか、どこで勃ち合うのか。それは一種の儀式。互いを高め合い、互いに決意を固めるための最終確認。
ベションとてそれは十全に理解しながらも、それを問う。
いつ勃ち合うのか、どこで勃ち合うのか。それは一種の儀式。互いを高め合い、互いに決意を固めるための最終確認。
「…ようがす…思う存分やりあいやしょう!」
互いの額をゆっくりとぶつける。両者ともに、静かに、ゆらりと、両の手をポケットにしまった。
静寂。
沈黙。
ただただ静謐な時間が流れる。うるさいほどの静けさが村はずれに響く。
あれほど騒がしかった子供たちですら、“何か”を感じ取り、二人の達人の挙動を黙って見守った。
あれほど騒がしかった子供たちですら、“何か”を感じ取り、二人の達人の挙動を黙って見守った。
互いに師範 の名を冠する達人。必殺の一撃が届きうる距離にお互いがいる。
一つ読みを違えれば即座に命が消える。綱渡りのような空間に臨んで命を晒す。
常人では理解しがたい世界に、二人は自ら飛び込んでいた。
一つ読みを違えれば即座に命が消える。綱渡りのような空間に臨んで命を晒す。
常人では理解しがたい世界に、二人は自ら飛び込んでいた。
とてもとても長いような、あまりにもあまりにも短いような、不思議な時間が流れる。
師範 カキンの汗が一粒、ぽたりと落ちた。
その音を合図にするかのように、師範 カキンが、抜いた。
シコッ!!
両の手をポケットに入れるという行為は、一見不利に見える。
しかしこの道の達人にとっては、ポケットはまさに居合抜きの鞘の如し。
抜きの動作はそのまま加速行為となり、十二分な威力と速度をもって相手に襲い掛かる。
しかしこの道の達人にとっては、ポケットはまさに居合抜きの鞘の如し。
抜きの動作はそのまま加速行為となり、十二分な威力と速度をもって相手に襲い掛かる。
「シィッ!」
裂帛の気合と共に、超速の貫手がベションの喉元に迫る。
それを、見た上で 、師範 ベションが、抜いた。
それを、
シコッ!
確かに後から抜いたにもかかわらず、その神速の貫手はカキンの貫手の軌道をずらす形で繰り出された。
相手の抜きを見た上で、カウンターのように繰り出される神速の抜き…!
これぞ“先走り”の師範 ベションの絶技である!
相手の抜きを見た上で、カウンターのように繰り出される神速の抜き…!
これぞ“先走り”の
(…!これが!“先走り”の妙技…!)
眼前に迫りくる貫手に驚愕しながらも、カキンは慌てない。己を見失ったりしない。
喉元に貫手が突き刺さろうというその刹那、ぶくりとカキンの筋肉が膨れ上がった。
岩のごとき筋肉がさらに膨張し、汗が一斉に噴き上がる。
喉元に貫手が突き刺さろうというその刹那、ぶくりとカキンの筋肉が膨れ上がった。
岩のごとき筋肉がさらに膨張し、汗が一斉に噴き上がる。
首筋に突き刺さるはずであった貫手が、汗と筋肉に阻まれてぬるりと逸らされる。
ベションの貫手を躱したのに合わせる形で、カキンの貫手が繰り出される…!
ベションの貫手を躱したのに合わせる形で、カキンの貫手が繰り出される…!
この妙技によりカキンは数多の武闘家を骸にし、戦場で引き擦り回したという…
これぞ!“戦擦り” の師範 カキンの真骨頂!!
これぞ!
“先走り”の師範 ベションの技が《守りのための攻め》とするならば
“戦擦り” の師範 カキンの技は《攻めのための守り》…!
カキンの攻めはずらされ、ベションの攻めは逸らされる。
達人同士の抜き合いは、緊迫感を持った絶技の繰り出し合いとなった。
達人同士の抜き合いは、緊迫感を持った絶技の繰り出し合いとなった。
シコッ!シコッ!シコッ!!シコッ!
互いに死力を尽くし、渾身の抜きを繰り出す。
両者ともに汗にまみれ、切り傷だらけになり、体中に血があふれ、息が上がり始める。
遠巻きに見ていた子供たちには二人の抜きは見えない。
両者ポケットに手を突っ込んだまま、互いの間に何か奇妙な音が響いて聞こえるだけだ。
それでも普段は飄々としているベションの真剣な顔から、“何か”が行われていることだけは察した。
両者ポケットに手を突っ込んだまま、互いの間に何か奇妙な音が響いて聞こえるだけだ。
それでも普段は飄々としているベションの真剣な顔から、“何か”が行われていることだけは察した。
このまま泥沼の消耗戦になるかと思われた勃ち合い。
しかし、勝敗の天秤は少しずつ傾き始めた。
しかし、勝敗の天秤は少しずつ傾き始めた。
(…何故だ…!さっきから、俺の!俺の抜きが…!当たらない!逸らされているとかではなく…躱し切られている!?)
(馬鹿な馬鹿な!シャオラァッ!)
当たらない。紙一重でカキンの貫手が当たらない。
なんとかギリギリに身をよじって躱した結果紙一重になった、というわけではない。
確信をもって、揺らぎ、困惑一つなしに紙一重の躱しを行われたのだ。
なんとかギリギリに身をよじって躱した結果紙一重になった、というわけではない。
確信をもって、揺らぎ、困惑一つなしに紙一重の躱しを行われたのだ。
カキンの剛腕による貫手の、豪という音が虚しく響く。
その直後、“先走り”の一撃がカキンの肩口をえぐった。
その直後、“先走り”の一撃がカキンの肩口をえぐった。
最小限の動きで躱せるという事は、十分な余力をもって反撃を行えるという事だ。
互角のやり取りは一度流れが傾いてしまえば一方的な展開となる。
互角のやり取りは一度流れが傾いてしまえば一方的な展開となる。
「ウオラアアアアアアアアアア!」
シコッ! シコッ! シコッ!
自身を鼓舞し、師範 カキンは必死に抜く。
しかし当たらない。無駄打ちだ。
しかし当たらない。無駄打ちだ。
「シッ!!」
シコッ! シコッ! シコッ!
対する師範 ベションの抜きは的確にカキンを追い詰めていく。
勝負の天秤が傾ききらないように、カキンは必死に凌ぐが、ただの延命処置に過ぎない。
勝負の天秤が傾ききらないように、カキンは必死に凌ぐが、ただの延命処置に過ぎない。
(ならば…やるしかない!)
カキンは右の抜きを繰り出した直後、左の抜きを繰り出した。
自分の右腕に向かって 。
右腕の手首と肘の間、尺骨がへし折れる。それをそのまま振るう。歪な形になった右の抜き。
右腕の手首と肘の間、尺骨がへし折れる。それをそのまま振るう。歪な形になった右の抜き。
それは揺らぎをもって師範 ベションに迫る。正確さを欠く故に、その一撃の着弾はカキン自身にも読めない。
(喰らえ!妙技、《中折れ》!)
――その、カキン自身にすら読めぬ、波めいた動きをする右の抜きは、紙一重で完璧に躱された。
(馬鹿な!馬鹿な!馬鹿な!まさか…!あの噂は…本当だったのか!)
それは、フクロウのような巨大な目が可能にする絶技。
修練による賜物ではなく、天が授けた才能。
相手の目を見て、筋肉を見て、空気の流れを見て、完璧に先の一撃を見切る恐るべき観察術…!
「…失敬。見抜かせていただきやした」
“見抜き”の師範 ベション。
完璧な回避からの無慈悲な抜きが真正面から叩きつけられた。
《中折れ》を躱された時点で打つ手がなくなっていたカキンは、そのまま意識を失った。
《中折れ》を躱された時点で打つ手がなくなっていたカキンは、そのまま意識を失った。
◆◆◆◆◆
(…ここ、は?)
見知らぬ天井にカキンは困惑する。
「あー、ベション!ムキムキのおっちゃん、目ぇ覚ましたよー!」
子供特有の甲高い声が、まどろむカキンの意識をクリアにする。
負けた。負けたのだ。師範 ベションの抜きに敗れたのだ。
生死をかけた戦いで、生かされ、あまつさえこうして介抱までされているのだ…!
生死をかけた戦いで、生かされ、あまつさえこうして介抱までされているのだ…!
(こんな!こんな生き恥!!)
カキンは、その恥辱に耐えられなかった。飛び上がるように起きると、左の貫手を自らの首に突き刺し、自決をしようとした。
ベションが急いで駆け寄る姿をカキンは視界の端に捉えたが、10m以上距離がある。
最後の最後、見事に散って、どこか掴めぬ無頼者の慌てる姿でも目に焼き付けてやろうなどと暗い喜びがカキンに走る。
ベションが急いで駆け寄る姿をカキンは視界の端に捉えたが、10m以上距離がある。
最後の最後、見事に散って、どこか掴めぬ無頼者の慌てる姿でも目に焼き付けてやろうなどと暗い喜びがカキンに走る。
まさに貫手が突き刺さるその刹那、師範 ベションが構えを取るのをカキンは見た。
常人であれば、構えに気が付きもしなかっただろう。
気が付いたとしても、何も意味がなかっただろう。
常人であれば、構えに気が付きもしなかっただろう。
気が付いたとしても、何も意味がなかっただろう。
しかし、悲しいかな師範 カキンは一流の武闘家であった。
それ故に構えを視界にとらえ、それ故に、「何故あの距離で構えを取るのか」という疑念に襲われ、ほんの少しだけ、貫手の速度が弱まった。
それ故に構えを視界にとらえ、それ故に、「何故あの距離で構えを取るのか」という疑念に襲われ、ほんの少しだけ、貫手の速度が弱まった。
幸か不幸か、そのほんの少しが運命を分けた。
「『咒印 』!!」
シコッ!
相変わらず奇麗な、空気を破裂させたような音が響き渡る。
カキンの左手が弾き飛ばされる。
カキンの左手が弾き飛ばされる。
到底届かないはずの距離を師範 ベションは埋めて見せた。
神速の抜きが、ぬらりと、奇妙なまでに伸びたのだ。
神速の抜きが、ぬらりと、奇妙なまでに伸びたのだ。
「…そんな、そんな技を持ちながら、兜合わせの距離での勃ち合いに臨んだというのか…?ハハ、完敗だ」
ガクリと肩を落とす大男は数刻前より一回りは小さくなって見えた。
「…煮るなり焼くなり好きにしろ。敗者には、死を選ぶ権利すらないようだ」
そんなカキンを見下ろし、師範 ベションはぼりぼりと頭を掻く。
「ああ~、そのですね、あっしはこういうの、上手く言えねえんですが…そこまで深く考える必要なんてないんじゃねえですかい?」
ベションは、裏格闘技界での自分を特に悔いてはいない。ただなんとなくつまらなくなったから抜けただけだ。
村で子供たち相手に師範 の真似事をしているのも、なんとなく楽しいからだ。
絶対にこうしなくてはいけないなんてものはなくて、価値観なんて日々変わっていくと思っている。
村で子供たち相手に
絶対にこうしなくてはいけないなんてものはなくて、価値観なんて日々変わっていくと思っている。
今は自分を支えてくれている恋人の右手を、捨てたくなる日が来るかもしれないし、一生の付き合いになるかもしれない。
何が起こるかなんて分かりようもないのだ。だからこそ、ベションはそれを楽しく思う。楽しく思うからこそ、捨てるのは勿体ないと思う。
「…イキなせえ。死んじまっちゃあ、出来ることが減っちまいやすぜ?」
「…殺し殺されの世界を生きてきたお前にしては、生温いことを言うのだな…」
「それを言われちゃあ、なんにも言えねえや。あんときのあっしは命のやり取りをアリだと思ってた、今のあっしはそこまでするこたぁねえんじゃねえかと思ってる。考えはいくらでも変わる。そんだけでさぁ」
「どこまでも…師範 ベションは自由なのだな」
「人それぞれ、やり方がありやすからねえ…」
その時ヤりたいことをヤる、と無責任に言い放つベションに毒気を抜かれたのか、カキンはどこか落ち着いて見えた。もう自死を選ぶつもりは無いようだ。
「…それで、“今の”お前はこの村でのほほんと隠居生活がいい、ってことか?」
ベションは目を細める。不思議と、丸く見開いていた時よりも眼光が鋭くなっている気がした。
「そのつもりでしたがね、あんたに当てられて、血が滾ってきちまいやした。ギンギンに。一個、ヤり忘れを思い出しちまったんでさあ…」
すっ…とベションは天を指さした。
そこにあるのは、空に輝くお星さま。
燦然と在り続ける六輝星。
燦然と在り続ける六輝星。
――この世界には、アンタッチャブルな存在、不可侵と言っていいほどの強さを持つ六人がいる。通称【MY STARS】。
【MY】が誰のことを言うかを知る者はいない。神だとか、謎の主催者だとか、創造主だとか言われている。
【MY】が誰のことを言うかを知る者はいない。神だとか、謎の主催者だとか、創造主だとか言われている。
ふざけた話だと、ベションは常々思っていた。
どこの誰とも知れぬ存在に、《上》と《その他》を決められている現状に我慢がならなかった。
どこの誰とも知れぬ存在に、《上》と《その他》を決められている現状に我慢がならなかった。
しかしそうは言っても【MY STARS】の力は本物で。
《その他》に割り振られた踏み台にはなすすべがなかった。
普通だったら挑む機会すら与えられない。
《その他》に割り振られた踏み台にはなすすべがなかった。
普通だったら挑む機会すら与えられない。
しかし、最近、【MY STARS】に挑む権利をかけての大会が開かれることになったのだ。
多くの人々は笑った。天上の星に、地を這う民が勝てるはずがないと。そんな無謀なことをする者はいないと。
多くの人々は笑った。天上の星に、地を這う民が勝てるはずがないと。そんな無謀なことをする者はいないと。
だが世界は広く、その無謀に飛び込む愚者は少なからずいた。師範 ベションも、その愚者の一人になろうというのだ。
「…お前…ヤるというのか!星を…!星を堕とそうというのか…!?」
答えの代わりと言わんばかりに、ベションは笑った。不格好でへたくそではあったが、確かに笑った。
猫背気味の背を真っすぐに伸ばし、天を仰ぐ。
ゆっくりと手を天に伸ばし、星をつかみ取るような動作をする。
猫背気味の背を真っすぐに伸ばし、天を仰ぐ。
ゆっくりと手を天に伸ばし、星をつかみ取るような動作をする。
ベションに変えたい過去はない。
どうしようもない過去も含めて自分だと思っているから。
どうしようもない過去も含めて自分だと思っているから。
ベションは大金なんぞに興味はない。
そんなものがなくても自分らしく生きていけるから。
そんなものがなくても自分らしく生きていけるから。
ただ、血の騒ぐままに。
ヤりたいことをヤるために。
ヤりたいことをヤるために。
「星が相手だろうがなんだろうが…あっしは抜かせていただきやす」
“ジイ”クンドウの使い手。“先走り”の師範 ベション。星を堕とすため、大会参戦。