年 | できごと |
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1951年 | 慶應義塾ワグネルソサエティのクリスマスパーティーで 合唱を披露したのをきっかけに結成。 |
1952年 | 新入生より高見澤宏(パク)が参加し、4人体制へ。 |
1953年 | レコード初吹き込み?(バック・コーラスとして)「雪の降る町を」 |
1955年 | 本格的にプロとしての活動を開始する。 |
1956年 | レコード初吹き込み(単独)「慕情」 |
ロシア民謡・「ともしび」を発売。大ヒットし、一躍有名に。 | |
1958年 | 第9回紅白歌合戦に出場。披露曲は「ともしび」 |
1959年 | 年内中にキングレコードへ移籍。 |
第10回紅白歌合戦に出場。披露曲は「雪山讃歌」 | |
1960年 | 第11回紅白歌合戦に出場。披露曲は「すずらん」 |
1961年 | 4月に「北上夜曲」発売。大ヒットとなる。 |
第12回紅白歌合戦に出場。披露曲は「北上夜曲」 | |
1962年 | 2月に「山男の歌」発売。大ヒットとなる。 |
第13回紅白歌合戦に出場。披露曲は「山男の歌」 | |
1963年 | 第14回紅白歌合戦に出場。披露曲は「カリンカ」 |
1964年 | 第15回紅白歌合戦に出場。披露曲は「アンジェリータ」 |
1965年 | 第16回紅白歌合戦に出場。披露曲は「エーデルワイス」 |
1966年 | NHK『夢をあなたに』主題歌として歌った「銀色の道」大ヒット。以降代表曲となる。 |
第17回紅白歌合戦に出場。披露曲は「銀色の道」 | |
1967年 | 第18回紅白歌合戦に出場。披露曲は「すはらしい明日」 |
1968年 | 第19回紅白歌合戦に出場。披露曲は「ラ・ゴロンドリーナ」 |
1969年 | 第20回紅白歌合戦に出場。披露曲は「あんな娘がいいな」 |
1970年 | 「花のメルヘン」をプロデュース、大ヒット。 |
第21回紅白歌合戦に出場。披露曲は「ドンパン節」 | |
1971年 | 第22回紅白歌合戦に出場。披露曲は「白銀は招くよ・メドレー」 |
1972年 | ソビエト公演を経て、ロシア民謡「つる」を日本へ持ち帰り 以後レパートリーとして歌われるように。 |
1975年 | 15年ほど在籍していたキングレコードを離れ、ポリドールへ移籍。 |
1976年 | 第27回紅白歌合戦に出場。披露曲は「二十二歳まで」 |
これが最後の紅白出演となり、連続出場13回、累計出場14回を記録する。 | |
1981年 | 結成30周年を迎え、「絆」を発表、発売。 |
1983年 | 岩谷時子作詞「歌声がきこえる」で、日本作詩大賞優秀作品賞を受賞。 |
1985年 | 三菱電機・日本クラウン・ダークダックスの三者で設立したレーベル『メルダック』に移籍。 |
1987年 | メンバー不変・日本における最長寿のコーラスグループとしてギネス世界記録に認定。 |
1993年 | メンバー全員で紫綬褒章を受章。メンバー全員というのは前例がなく話題を呼んだ。 |
1997年 | 佐々木行(マンガ)が一過性脳虚血発作により倒れる。 以降療養に入り、正式に復帰することはなかった。 |
2006年 | アルバム『結成55周年記念・遼遠・謡遥・半世紀』 が活動中最後のアルバムとなる。曲は「旅立ちの日に」ほか |
2010年 | パクが療養に入った為、しゅうさえこを招き ダークダックスwithしゅうさえこの形で活動する。 |
2011年 | 1月7日、高見澤宏(パク)が死去。享年77歳。 |
これを受け3月29日、NHK-BS2にて「ありがとう!ダークダックス」放送。 | |
音楽活動を一区切りつけるとして発表した。 | |
2012年 | 館林の音楽館等で音楽活動を一旦再開する。 |
2016年 | 3月26日、喜早哲(ゲタ)が死去。享年85歳。 |
6月20日、佐々木行(マンガ)が死去。享年84歳。 | |
2019年 | ゾウさんナレーション(新録)の『ぞうさんが選ぶ・われら60年の歩み』発売。 |
2023年 | 9月22日、遠山一(ゾウ)が死去。享年93歳。 |
これによって全員が鬼籍に入ることとなった。 |