Night of the Living Dead





 懐中電灯の作り出す二つの光輪が、古めいた室内を目まぐるしく躍る。
 そうして浮かび上がる店内は酷く不気味で、赤黒い汚泥のこびり付いた様相は何かの生き物の体内を連想させた。
 すぐ隣では水明は騒がしい音を立てながら物を漁っている。咥えた煙草の火が、蛍のように闇の中を移動していく。己も探さなくてはと思うのだが、ユカリの手は懐中電灯を回すだけに終始していた。
 今の所、古いカメラのフィルムしか見つかっていない。それもユカリにとってはガラクタにしか思えないのだが、水明は何か思うところがあったらしい。
 シビルは戻ってこない。無音でなくとも、静寂は肌で感じられるものらしい。不安が真綿のように緩慢と心を締め付けていく。
 耳を欹てて何かしらの変化を期待するも、同時にそれを畏れている。相反する己の感情が、酷く疎ましい。

「この棚、動きそうだな」

 水明が独りごちた。ユカリが聞き返す間もなく、彼は棚らしき影を押し始めた。軋みを立てながら棚はコンクリートの上を動いていく。

「隠し通路か……本当にあるんだな」

 一息ついてから、水明が好奇心を含んだ声を上げた。彼の懐中電灯は、壁に開いた穴を照らし出していた。穴は人一人が優に通れる大きさで、生暖かさを含んだ風がユカリの髪を揺らしていく。
 穴を覗き込んでいた水明は、ちらりとユカリの方を見やると間髪いれずに穴にひょろ長い体を滑り込ませた。慌ててユカリが穴に顔を突っ込むと、水明が悪戯めいた表情で紫煙を燻らせていた。憤怒で眉が跳ね上がるが、懐中電灯を向けていないにも関わらず水明の表情が読み取れたという不可解さに気づいた。
 その謎はすぐに判明した。何のことは無い。通路の先に光源があるのだ。ちらちらとした火影が見える。通路には、水明の影が水面のように揺れ動いていた。
 ユカリが穴を潜り抜けるのを待ってから、水明は炎へと近づいていく。通路の壁には先ほどと似たような穴が穿たれており、炎はその奥にあるようだ。
 水明の後に続いて潜ると、穴の先は小部屋になっていた。
 熱気が頬をなでる。壁には真紅の布が張り巡らされ、小部屋の最奥には四本の燭台に囲まれた重厚な石壇が鎮座し、その上には聖杯が据えられている。炎はそこから吹き上がっていた。
 この暗闇の中、炎の明かりに安心感を憶えていいはずなのだが、ユカリは部屋に満ちる空気とは裏腹に身体の芯が冷えていくのを感じていた。煌々と燃える炎は、どこか禍々しさを湛えていた。
 炎の裏には聖像らしきものが掲げられているのが見える。聖像が炎に嘗められている光景は、残酷な火炙りの刑罰を思わせた。
 一度そのように思うと、四本の燭台は執行人に、真紅の布は広がる血潮に見えてくる。

「隠し通路の奥には隠し祭壇……新鮮さはないが、実際に目にすると感動的だな」

 水明が煙を吐き出した。背中しか見えないが、見えなくとも彼の瞳が輝いている様は容易に想像できる。

「見たことのない様式の祭壇だ。造型はインディアンたちのシャーマニズムの影響が見られるが、モチーフはキリスト教の影響が大きいな」
「……アメリカにこんな宗教臭いものがあるって、なんか変な感じ」

 なんともなしに呟くと、水明が振り返ってにやりと笑った。

「アメリカ程の宗教国家はないんだぞ。ここ一万年の間に世界と全ての生態系が作られたと本気で信じている人間が大勢いるんだ。モンキー裁判といってな、公立学校で進化論を教えた教師が訴えられ有罪になったことすらある。ケンタッキー州には、聖書が如何に正しいかを啓蒙する創造博物館なんてものがあったりな」

 水明は煙草を床に捨て、それを靴で踏み消した。

「しかし、シビルの言ったとおりだな。まさしく、ここは"サイレントヒル"なんだ。サイレントヒルが実在の街となると、他の可能性も考えて見たくなるな」
「他の可能性?」
「サイレントヒルは、まるでサイレントヒルという町が存在することを前提として話が生まれている。とは前に話したな? "サイレントヒル"という町が先にあり、それをモチーフにした創作物が後から出現している。有名どころだと、スティーブン・キングの『霧』なんかがそうだな。だがな、こうした話は何もサイレントヒルに限ったものじゃないんだ」

 また始まったと、ユカリは苛立たしくなったが、それを咎めても無駄なことなのも分かっている。そう諦めてしまう己自身も腹立たしかった。
 新たな煙草を取り出し、水明はそれを咥えた。

「都市伝説には、地図から消えた村というジャンルがある。福岡県の犬鳴村や茨城県のジェイソン村などだ。大体共通するのは、過去に惨たらしい事件やらおぞましい風習やらで地図から存在が抹消されるも、村そのものは人知れず存続し、時たま迷い込んだ外部の人間を恐怖に陥れるということだ。
 その中のひとつに、"××村"というものがある。所在どころか名称すら不確かで、勿論、そんな名前の村があったという記録は無い。だが、そこで起きた出来事は実しやかに語られている。何年か前に、あるテレビ番組で××村を特集してな。
 そのときは結局村は見つからず、番組は『××村は時空の歪みの中に存在する』という言葉で締めた。この手の企画でありがちなオチだが、俺たちがサイレントヒルにたどり着いた経緯を考えると笑えないな。つい最近加わった噂は、とある地方テレビ局のクルーが取材中に行方不明になったというものだ。今でも××村には新たな噂が生まれ続けている。これが他の"村"とは違う点だな。加えて、サイレントヒルと類似する点でもある」

 説明しながらも、水明は探索を続けていた。彼は壁に掛けられた斧を手に取ったが、それをすぐに壁に掛けなおした。重くて使えないと判断したようだ。

「内容はこうだ。戦前、発狂した若者によって村人三十三人が殺される事件が起こった。その後、度重なる土砂災害に見舞われた村は消滅し、地図からも消えた。その廃村跡には血まみれの着物が散らばり、殺された村人の幽霊が今でも生活している」
「……なんか、そんな事件のドラマがあったような気がするんだけど」
「ああ、有名な探偵ものだろう? だが、あちらのモチーフは津山事件だ。同じく戦前、岡山県の西加茂村で起こったものだ。犠牲者は三十人。こっちは実際にあった事件だな――得る物はないな。戻るぞ」

 水明はさっさと入り口の穴へと歩いていく。

「意地の悪い言い方をすれば、××村は"地図から消えた村"の都市伝説に津山事件を組みこんだチープな作り話だ。だがな、××村の話はそこまで新しい話でもないようなのが、そう結論づけるのを妨げる。とはいえ、実際に探しに行ったが何も見つからなくてな。近辺の、実際に廃村となった村々も調べたが、収穫はなかった。そうなると、××村が実在したという仮定でアプローチするのは研究方針として不適格だった」

 背後で、炎が乾いた音を立てて弾けた。

「だが、サイレントヒルは実在した。となれば、××村も実在するかもしれない。××村が、もし本当にあった村だとしたら――過去にあったとされる事件が、全て実際に起こった出来事に由来するとしたら、違う姿が見えてくる。例えば、こうだ。同じ時期に似た事件が実際にあった。やがて片方の村は消滅し、太平洋戦争が間に入ったこともあって、人々の間で事件は残った方の村のものに統一されてしまった……とかな」

 狭い通路に足音が反響する。

「気分よく口上たれてるとこ悪いんだけどさ。オジサン、おかしいよ。そりゃ人の噂の上じゃそうなるかもしれないけど、記録は残るでしょ。その××村が実際にあった記録はないって言ったじゃない」

 そう口を挟むと、水明は嬉しそうに小さく笑った。

「その通り。だが、××村での大量殺人が都市伝説となってしまった理由を考えて見よう。噂によれば、村は幾度も土砂災害を受け、結果消滅している。これが事実だとすれば、そこから導かれるのは事件を語り継ぐ語り部を失ってしまったということだ。加えて、事件を記した文献も記事も、なんらかの理由で滅失してしまった。さて、どうなるか。××村は実在の村ではなくなる。証拠が消えてしまえば、真実は"真実"としての立場を失ってしまう」
「それは苦しいよ。偶然にしちゃ出来すぎもいいとこ。誰かがわざわざ隠そうとでもしなきゃ無理じゃない? 大体、真実だったらそんな簡単に消えやしないよ」
「……若いな。真実なんて物は、その言葉の醸し出す重みとは裏腹に、酷く曖昧で脆いものなんだよ。真実とは、つまりはそれを"真実"として記憶している者がいて、それが継承されてきてこそのものなんだ。逆に言えば、その記憶が失われてしまえば、真実は容易に変質し、闇の中に消えてしまう」

 水明の口調には苦笑が刻まれていた。

「だがな、長谷川の言うように、俺もな、そんなことで真実が綺麗さっぱり消え去ってしまうとも思えないんだ。真実とは存在の記憶だ。その残滓が"都市伝説"という形となって現れているんじゃないか? 火のないところに煙は立たない。流布する以上、何らかの真実が含まれているはずだと俺は考えている。そう信じたいだけかもしれないがな」

 戻ってきた骨董屋は相変わらず暗闇で、シビルが戻ってきた形跡はなかった。

「そもそも、こうした都市伝説にはリアリティというものが必要なんだ。"あり得るかもしれない"と思わせなければ、根強く残ったりはしない。より身近に感じられるものでなければならないんだ。たとえば、日本の都市伝説は幽霊や妖怪を扱ったものが大部分だが、アメリカでは殺人鬼や精神異常者が登場するものが多い。非現実的な恐怖と現実的な恐怖。何を恐怖の対象と置くか。国民性や治安の違いが大いに現れている部分だな。日本人が平和ボケしている証拠とも見えるが、文化的側面も大きいだろうな。日本人の文化は、目に見えないものを重視する傾向にある。鹿威しもその表れだ。あれは水を見せず、水を感じさせるという趣旨を持っている。要は想像心逞しいんだな」

 水明は壁を無造作に軽く叩いた。

「その例として、アメリカ版の"地図から消えた村"に、核で消滅した町"ラクーンシティ"ってものがある。日本のものが凄惨な事件やら因習やらじめじめとした理由なのに対し、こっちはあっさりとしているだろう。何しろ、爆弾で一気に焼却だ。アメリカらしいと言えるかもしれないな。焼却の理由は、パンデミックが起こったとかだったかな。扱いとしては、エリア51と似たようなもんだ。噂の出所を調べると、大体二〇〇〇年前後から広まり始めているな。君にとっては未来の話だ。勿論、そんな事実は無い。少なくとも、俺はニュースで見た記憶は無いな。嘘とすぐばれる噂だが、その割にはしつこく語られ続けているのが"ラクーンシティ"の特徴だ」

 そこで一通り語り終えたのか、水明は長く息をついた。腕時計を見て、小さく笑みを刻んだ。

「さて、もうかれこれ十五分経ったな。無駄話でも、じっと待つよりは精神的に楽だったはずだ。あとはシビルの腕前を俺たちが信じるしかないな」
「……何よ、それ。あたしのためにずぅぅぅっとくっちゃべってたわけ?」
「いや、単に思いついたことを形にしてみたくてな」
「………………」
「そろそろ病院に向かうとしよう。下手したら、彼女の方が先につくかもしれないぜ」

 押し黙ったユカリを無視して、水明は骨董屋の扉を開けた。辛気臭い階段を上がり、外に出る。絡みつくような夜気が呼吸のたびに身体に浸透していくのが分かる。
 遠くで断続した複数の音が響いていた。映画やドラマで聞いた物と違って控えめだが、それらは銃声に似ていた。
 ユカリは水明の顔を見た。正確には、彼が咥える煙草の火をだが。

「銃声……だろうな。シビルの向かった方向とは逆だ。人がいるってことだな」

 水明の言葉に、ユカリは前方の闇に光明が灯ったような気がした。
 人がいる。
 その言葉ほど心強いものはなかった。

「ま、どうも向こうは向こうで平和な状況と言うわけでもなさそうだ。流れ弾だけには気をつけようか」

 通りにはまばらに明かりが灯っている。オレンジ色の街灯の下に、佇む人影を見つけた。背中を丸め、動こうとしない。

「オジサン、あれ。逃げてきたのかな?」
「……こっちに背を向けているな。微動だにしないのが気にかかる。疲れきっているのか……?」
「そんな観察していないでさ、助けに行こうよ。銃貰ったんだし」
「いいのか? 背格好が人間だからといって人間とは限らないぞ。小泉八雲の『むじな』は知っているだろう?」
「知らないっての」
「なんとまあ。ちゃんと現代文の授業受けているのか? ある若い商人の行く先に若い女がしゃがみ込んでいてな、声をかけると女は振り返った。その顔は――」
「聞きたくないって言ってるの!」

 そう遮る。水明は意地の悪い笑みを浮かべているに違いない。
 ユカリは思い切って人影に近づいていった。水明の足音が面白がるような歩調でついてくる。黒々とした闇の中に浮かぶオレンジ色の光は太陽のような温かみがある。
 近づくにつれ、人影の姿が明確になってくる。若い女だ。少女といってもいいかもしれない。着ている服は赤黒い物で汚れていた。
 否応にも、水明の台詞が蘇る。むじなだったか。題名はどうでも、話自体は小学生の頃に聞いた覚えがある。
 "それはこんな顔だったかい?"
 この台詞に、幼心は如何程の恐怖を覚えたものだろうか。
 女はぶつぶつと何かを呟いていた。

「――う……とけい、とう……とけいとう……ふふふ。あはは……は」

 ユカリは足を止めた。この女はクスリか何かをキメている。そうに違いない。髪が正気を疑う色なのもその表れだ。
 戻ろう。別の道から病院を目指そう。水明も、この結論に異議は唱えまい。
 一刻も早くこの場から離れたい。その衝動は吐き気を及ぼすまでの切迫感となって体中を駆け巡った。
 女が笑い声を止めた。
 女が肩越しに振り返る。ただそれだけの動作が、ユカリには酷く長い時間に思えた。
 女は弛緩した笑顔を浮かべていた。双眸から、滂沱のように真っ赤な血を流しながら――。
 悲鳴は出なかった。肺が麻痺したように縮まり、喉の奥が引き攣った。

「伍長、レナぁ……みぃーっけ」

 女はユカリに鉄の塊を向けた。無骨で虚ろな深い穴――そこから延びる見えない糸が己の額に繋がったような感覚が奔った。
 ユカリは背中から大きく突き飛ばされた。破裂音と共に、虚空を何かが突き抜けた。転びそうになるのをなんとか耐える。
 地面につきそうになる腕を、力強い掌が引き止めた。

「――走れ!」

 その鋭い声に突き動かされるように、ユカリの足は地面を蹴った。
 続く破裂音。すぐ横の外壁が弾け、破片が飛んだ。
 水明はユカリの腕を引きながら、手近な建物に駆け込んだ。
 そのまま、ユカリは床に座り込んだ。
 "銃"を向けられた。それだけじゃない。撃たれた。それも二発――。
 それに、あの顔――。
 あの空っぽな嗤い顔と、血涙――はっきりと見た。
 全身を震えが包み込んでいた。歯の根が合わず、かちかちと音を立てる。
 水明がテーブルやらイスやらで扉を塞いでいる。それを手伝わなくてはならないのに、一歩も動けそうになかった。
 縦に細長い窓から入り込む街灯の光が屋内の風景を朧気に浮かび上がらせる。幾つかの小さなテーブルとイスの向こうにはカウンターが見えた。
 レストランか何かだろうか。
 入り口には、すでに組み合わせられすぎてイスかテーブルか見分けの付かない影の塊が出来上がっていた。
 女が体当たりでもしているのか。扉が軋みを上げている。

「これで、多少は時間稼ぎ、できるな。裏口を探すか」

 水明がほっと息をつく。

「長谷川、落ち着いたか? ……悪かったな。銃を渡されたっていうのに、撃つという考えがまったく浮かばなかった。俺には、人の形をしたもんを撃つってのは無理そうだ」

 水明の声音から諧謔の響きは消えうせていた。しかし、水明の言葉で波立っていた心が落ち着いていくのを感じた。
 人間は撃てない。その当たり前の言葉が、ユカリに現実感を取り戻させてくれる。
 ユカリは自分が懐中電灯を握り締めていたことに気づいた。足は動かなくとも、それで照らしてやるだけで水明は随分と助かっただろうに。
 それに思い至り、今更のように水明に明かりを向けた。その行動が余計に己への憤りを強くする。
 水明の仏頂面が浮かび上がった。煙草はもう咥えてはいない。肩が大きく上下していた。ワイシャツの右袖の一部が――赤く染まっている。

「オジサン、それ――!」
「騒ぐなよ。当たっちゃいない。掠っただけだ――まったく、こんな言葉を口にするとは想像すらしなかったがな」

 不敵に微笑んで見せるが、どこか力ない。水明は水明でショックを受けているらしい。
 外で発砲音が響いた。銃で扉を壊しにきたのか。しかし、扉に着弾音はない。
 外を確認しに行こうとしたユカリを水明が引き止めた。
 窓ガラスが砕け散った。そこから腕が突っ込まれる。
 あの女か。ユカリは懐中電灯を向けた。窓ガラスを突き破ったのは毛深い男の腕だった。中に入り込もうというのか、腕が激しく動かされる。
 窓枠に残ったガラスが深々と突き刺さるが、それを気にした様子もない。右肩と首まで入り込み、そこで動きが止まる。
 上げられた男の顔は血だらけで、両目共に白濁していた。鼻梁は削げ落ち、頬肉の一部には深い裂傷が刻まれていて歯茎が見えている。女とは違い、その顔には何の感情も知性も込められてはいなかった。
 男がうなり声を上げた。
 ゾンビという言葉が頭に浮かぶ。外では断続的な発砲音と共に女の笑い声が聞こえていた。

「裏口も駄目だな。連中、集まってきている」

 いつの間にか、裏口を探しに行っていたらしい。水明の声は普段の落ち着きを取り戻していた。

「鍵は閉めてきたが、近いうちに破られる。上に行くぞ」
「このレストランに立てこもるってこと!?」
「ここは小さなホテルだよ。これまで見てきた限り、ここの区画の建築物の高さは殆ど一緒だ。屋上伝いに移動できないことはないだろ」
「駄目だったら!?」
「それは今考えても仕方ないことだ。駄目だったら、まあ、死に場所は天国により近い所の方が都合いいんじゃないか?」
「こんなときに嫌な冗談やめてよ!」
「冗談で終わりにしたいならな、足を動かすことだ」

 水明の懐中電灯がカウンター横の階段を照らした。ユカリは頷いた。
 水明が先行し、階段を駆け上がる。狭い階段の床は古いのか、きぃきぃと不平の声が漏れた。
 階下から大きな音が聞こえた。そして複数の呻き声が駆け上がってくる。扉は破られたらしい。
 三階分の階段に、焦りもあってか息が大きく上がる。
 屋上に続く扉の鍵は――開いていた。
 壊すような勢いで、扉を水明が押し開けた。
 耳に入ってきたのは、犬の吼え声と突き抜けるような哄笑だ。
 ユカリは思わず屋上の縁にまで駆け寄って、下を覗き込んだ。
 街灯の下、複数の人間と犬が何かに覆い被さっていた。哄笑はその中から響いてきているようだ。あの女の声だ。
 一匹の犬が何かを咥えて飛び出した。咥えているのは、人間の腕のようだ。それを数匹の犬が追っていき、闇の中に消えた。
 何が起きているのか想像が付いた。あの女が喰われているのだ。喰われているのに、女は笑い続けている。
 銃声が響いた。黒い衣装を纏った数人が、食事を楽しむ者達に向かって発砲している。気でも違ったかのような、実に楽しげな哄笑を上げながら――。
 ユカリは後ずさりしながらよろめいた。目にした光景は、受け止めるにはあまりにも常軌を逸していた。
 音が段々遠くなっていき、何も聞こえなくなった。銃声も、風の音も――。
 だが、頭の中では笑い声がまだ響いていた。視界が歪み、紗を掛けたように意識が沈んでいく。
 ――チサト。
 ――ミカ。
 人知れず、ユカリは親友二人の名前を叫んでいた。いや、叫んでいたのだろうか。それすらも定かではなくなる。ただ、意味もなく声を上げたのかもしれない。
 頬に痛みが走った。視界には水明の顔が入り込んでいる。ユカリの身体を水明が支えていた。
 口の中に血の味が広がる。片頬が熱を持っている。頬を強く張られたのだと気づいた。
 水明は肩を竦めた。

「よく眠るやつだな。成長期か? 睡眠は大事な生理現象だが、時と場所を弁えないと、お互い逃げられるものも逃げられなくなるぞ」

 気を失いかけたユカリを、水明が頬を打って起こしてくれたらしい。感謝を告げるのも気恥ずかしく、それを誤魔化す様にもっと穏やかな起こし方はなかったのかと文句をつけた。
 水明は苦笑を刻んだ。

「そう怒るなよ。嫁に行けなくなるってんなら、そんときは面倒見てやるから」
「お、オジサン何言ってんの!? 犯罪!?」

 想像していない返しに、ユカリは素っ頓狂な声を上げた。水明はきょとんとした顔をして問い返した。

「うちの学生から将来性のあるやつ見繕ってやるのは犯罪か……そうか」
「………………」
「ああ、弟は勘弁してくれよ。警視庁の刑事だが、どうも先約がありそうでな」

 我慢出来なくなったのか、水明の口元ににやにやとした笑みが浮かぶ。わざと紛らわしい言い方をしたらしい。
 屋上の扉ががんがんと音を立てた。奴らは、もうすぐそこまで追ってきた。
 大丈夫かと言う問いに、ユカリは頷いた。
 水明の後を追って走る。縁までいくと、隣の建物との間は一メートルもない。まず水明が飛び移り、それにユカリが続いた。
 息をつくまもなく、南北に細長い屋上を走りぬける。

「参ったな。こいつは……」

 水明が呻いた。彼の視線は、通りの反対側に向けられている。斜め前方には大きな建物の影があり、付近からは絶え間なく発砲音と嬌声が聞こえてきていた。
 ユカリは息を呑んだ。建物と建物の隙間。淡く発光する、揺らめく水面が見えた。
 赤い海――それが、ユカリたちが入ってきたはずの外の世界を完全に沈めていた。





【E-2 建築物の屋上/一日目夜中】

【長谷川ユカリ@トワイライトシンドローム】
[状態]精神疲労(中)、頭部と両腕を負傷、全身に軽い打撲(いずれも処置済み)
[装備]懐中電灯
[道具]名簿とルールが書かれた用紙、ショルダーバッグ(パスポート、オカルト雑誌@トワイライトシンドローム、食料等、他不明)
[思考・状況]
基本行動方針:チサトとミカを連れて雛城へ帰る
1:とりあえずオジサン(霧崎)の指示に従う
2:シビルさん……
3:チサトとミカを探したい
※名簿に載っている霧崎、シビルの知人の名前を把握しました
※チサトからの手紙は消滅しました



【霧崎水明@流行り神】
[状態]精神疲労(中)、睡眠不足。頭部を負傷、全身に軽い打撲(いずれも処置済み)。右肩に銃撃による裂傷(小。未処置)
[装備]10連装変則式マグナム(10/10)、懐中電灯
[道具]ハンドガンの弾(15発入り)×2、謎の土偶、紙に書かれたメトラトンの印章、サイレントヒルの観光パンフレット(地図付き)、自動車修理の工具、食料等、七四式フィルム@零~zero~×10、他不明
[思考・状況]
基本行動方針:純也と人見を探し出し、サイレントヒルの謎を解明する
1:屋上伝いに行ける所まで移動する。
2:病院に向かう
3:人見と純也を見つけたら、共に『都市伝説:サイレントヒル』を解明する
4:そろそろ煙草を補充したい
※名簿に載っているシビル、ユカリの知人の名前を把握しました
※ユカリには骨董品屋で見つけた本物の名簿は隠してます



※水明、シビル、ユカリが把握している『病院』があるはずの場所には、『研究所』があります。
※魅音屍人を食べたゾンビとケルベロスに何か変化があるのか否かは、次の書き手さんにお任せします。
※魅音屍人は著しく喰い散らかされています。回復には通常よりも大幅に時間がかかるかもしれません。




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エレル――ELEL―― 時系列順・目次 殺意と善意が交差する時物語は終わる
その誇り高き血統 投下順・目次 R Death13
 
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神隠し 霧崎水明 オナジモノ
神隠し 長谷川ユカリ オナジモノ

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最終更新:2012年06月23日 17:32