リフトはゆっくりと降下していく。鈍い駆動音と振動、蛍光灯の煌き――その協奏は、人を苛立たせようという悪意のようにも見えた。もっとも、焦ったところでリフトの降下速度は上がらない。
警告音に混じって、分厚い金属がこじ開けられていく音が降ってくる。
問題は、時間をどう稼ぐか――だ。
扉が断末魔を上げた。踏切音を聞く前に、
ハンクは身を横に投げ出していた。一呼吸後、かつてハンクの居た空間を巨体が踏み潰す。
床板が拉げ、突然の荷重にレールが悲鳴を上げた。ひりつく様な振動が足元から駆け上がる。コートの裾を煩わしげに払い、
タイラントは悠然とハンクに目を向けた。
地鳴りのような踏込み。猛烈な圧を纏いながら、タイラントの拳が振り下ろされる。半歩下がったハンクの鼻先を、烈風が掠めていく。間髪入れず、タイラントの蹴りが繰り出された。右方からの横凪を、踵を中心に回転させて体を入れ替えて掻い潜る。そのまま足を送り、ハンクは前方に身を滑らせた。
最中、銃を左手に移し、ナイフを逆手に握る。タイラントの横に抜け、ハンクはタイラントの右膝に踵を叩き込んだ。軸足に横からの衝撃を受け、巨体が傾いだ。態勢を崩し、タイラントは床に膝を着く。
その間に、ハンクは蹴りだした足を軸に更に体勢を入れ替え、タイラントの正面へと詰める。タイラントの急所は手の届く場所に落ちてきている。鋭い息吹と共に、ハンクはナイフを心の臓目掛けて突き立てた。タイラントが着用する複合繊維のコートは防弾にこそ優れているが、鋭利なものによる刺突には弱い。
刃がコートを裂く――しかし、急所には届かない。咄嗟にタイラントが上半身を捻ったためだ。鋼のような胸筋に阻まれる。
動きの止まったハンクを捕えようと、巨大な掌が迫る。ハンクは小さく後ろに跳んだ。タイミングを合わせ、着地からすぐにハンクは足を前に蹴り出した。タイラントの手を踏み台に、更にハンクの身体は宙を舞った。膝の屈伸で衝撃を和らげるも、貫くような痛みが関節に奔る。一度間合いを取って仕切り直しにしたいところだが、如何せん空間は限られている。
右手と両足で壁を掴み、下方のタイラントを見下ろす。間をおかずに壁を蹴り、ハンクは横に跳んだ。
ハンクの姿を追って、タイラントが首を巡らせる。タイラントは、ハンクの着地を待っているのだ。獲物が一番無防備になる瞬間を、己が仕掛けるタイミングを――。
木偶のようだと、ハンクは唇を歪めた。
視界の中で、タイラントが向き直る姿が緩慢に映る。緩やかな落下の中、ハンクは銃の引き金を引いた。
銀光を湛えた瞳を弾丸の霰が貫く。鮮血を迸らせて呻くタイラントに、ハンクは暇を与えずに更に弾丸を叩き込んでいく。双眸は二つの血だまりと化した。銃声を頼ったか、タイラントはハンクに向かって突進してきた。
しかし、その動きは精細に掛けている。ハンクは軽く横にステップを踏んだ。通り過ぎていく突風を感じながら、タイラントの側頭部に弾丸を叩き込む。鮮血が弾け、耳周りは血肉の塊と変じた。
視覚と聴覚を潰されては、"B.O.W."の最高傑作と言えど動く動けまい。その回復にも時間を要するだろう。もっとも、ニンジャは例外だ。彼らは物理法則の外に居る。
タイラントは駄々をこねる子供のように振り回していたが、ハンクは既にその間合いの外だ。
リフトはついに最下層に差し掛かった。壁が途切れ、外の風が入ってくる。生じた隙間にハンクは身を滑り込ませた。
眼前には細い通路が伸びている。記憶と同じであれば、ここを抜けた先に資材搬入用のためのプラットホームがあるはずだ。
しかし、そこに至るまでの間、"B.O.W."に遭遇しても逃げ場はない。火力にも不安は残るが、それを憂慮する暇はなさそうだ。
ハンクは走り出した。目的地への到着を告げるブザーを背中で聴く。空になっていた弾倉を交換する。
果たして、通路の先にプラットホームはあった。しかし、それは一般的な地下鉄のそれと同じような形となっていた。
単線ではなく、二路線――アップタウン方面とダウンタウン方面ということだろう。
不可解な光景だった。これでは一般人が容易に最深部へと侵入出来てしまう。いや、侵入という言葉は不適切だ。あまりに無防備に、このアンブレラ施設は開かれているのだから。
前提が間違っているのかもしれない。
そもそも隠す必要がないのだとしたら――たとえば、この町にはアンブレラ社の関係者しか住んでいないとすればどうだ。この光景に合点がいく。
地上部分がラクーンシティの施設を模していることにも説明がつく。つまり、匠の遊び心だ。
かつて過ごしたロックフォード島を筆頭に、訪れたことのあるアンブレラの施設の幾つかも、凡人の己からすれば非合理的にしか見えない構造や機関が散見されていた。それを介し愛でられるかどうかが境目となるのだろう。あれらと比すれば、ここの首肯は大層分かりやすいものだ。
暗闇を眩い光が裂いた。レールを軋ませる甲高い音が響く。
ハンクが降りたプラットホームとは反対側に車両が停車し、ドアを開閉する空気音が聞こえた。
今の状況で列車が運行を続けている――その非現実感に、ハンクは小さく鼻を鳴らした。如何なる時でもストライキを起こさない企業は、消費者にとって最高の取引相手だ。
せっかく動いている列車を利用しない手はない。
この町それ自体がアンブレラ社の広大な施設なのだから、別の場所で通信手段を探せばいい。
ハンクは線路に降りた。
足元から振動を感じ取る。ハンクは急いで反対側に渡ると、最後部の車両に組み付いた。それを待っていたかのように、車両はゆっくりと動き出す。
後方で咆哮が上がった。たった今、ハンクが駆け抜けてきた通路からだ。見やれば、あのタイラントがもう追ってきていた。
明かりがその双眸に反射して鈍く光る。
潰した両目は完治していた。新型の治癒力を甘く見ていたらしい。
もっとも、以前の護衛任務の際にアンブレラ社のお偉方が新型と言っていたのを聞いただけで、旧型とどう違うのかは全く知らないのだが。せめて、ニンジャが素体となっているかだけでも訊いておくべきだったと悔いる。
タイラントはハンクの姿を認めると、憤懣を晴らすように壁に拳を打ち付けた。砕け落ちるタイルを置き去りにして、タイラントは駆け出した。勢いのままに、タイラントは線路へと跳び込んだ。
彫像のような雄姿が、ハンクの視界で白々と浮かび上がる。
刹那の後――その姿は銀光によって掻き消された。轟音と、金属が拉げる悲鳴が交差する。やる気のないブレーキ音がハンクの耳朶を揺らした。
タイラントを撥ね飛ばしたことに気付かないのか、下り列車が緩やかに停車する。その姿は見る間に小さくなっていく。
ハンクは肩を竦め、ドアを開けて車両の中に入った。