chapter1 徒士谷真歩、はじめの一歩
あたしは、かわいそう、という言葉が嫌いだった。
別にわかってくれなくてもいいけれど。
鍵っ子なんてかわいそう。
親が魔人でかわいそう。
父子家庭なんてかわいそう。
母親がいないなんてかわいそう。
かわいそう、かわいそう、かわいそう。もうウンザリだ。
それでもどうにも世の中のちゃんとした大人たちと、彼らの真似をしたがるイイ子ちゃんは、あたしのことをかわいそうと呼びたがった。
思春期、 だったのだろう。
始まったばかりの、月のアレもよくなかったのかもしれない。
一度、本当に我慢ができなくてクラス中を巻き込んだ殴り合いの大喧嘩になった。
その時は、普段あんなに寡黙で堂々とした父さんがあちこちに小さくなって頭を下げて回る姿を見ることになった。
ああ、それで、ケンカはもう二度としないって心に誓ったっけ。
「………なあ、真歩」
そう呼びかけてきた父さんの姿は、生まれて初めて、小さく見えた。
あたしだって、父さんが外でどう呼ばれているかは知っている。
警視庁最強の魔人警官。 無手勝の歩武。
『東海道五十三次』の徒士谷歩武といえば、警視庁管轄の警察官の誇りで、そこに住まうろくでなしたちにとっては恐怖の象徴だ。
そんな人が、こんなに落ち込んでいるのが、あたしにはショックだった。
無敵だと思っていた親が、はじめてただの人間だったのだと理解した瞬間だった。
「悪かった。父さんは、悪い父さんだ」
違う。なんだそれ。そんな言葉、聞きたくない。
あたしは唇を尖らせて、父さんの顔を見上げる。
毎日剃っても顎いっぱいにちくちくする濃い髭。
太い眉毛。野暮ったい眼鏡。
四角く角ばった、お世辞にもハンサムだなんて言えない顔。
「警察学校の教官の枠が空くらしい。そうしたら、たぶん、真歩。もっとおまえと一緒にいられる。……乗物にだって、乗れるようになる。そうだ。この前テレビでやってた、あの南の島へ行こう。……ニュー……なんとかって」
いつも仏頂面で、無口で、そんな父さんが、顔をゆがめていた。
きっと笑おうとしていたのだろう。あたしを安心させるために。
ああ、そんな慣れないことをするから。
作り笑いなんて、いまさら、よその、いいパパみたいな演技なんて。
「――それでいいの? あたしを言い訳にして」
ああ。あたしは天使なんかじゃないから。
かがりみたいに、相手を全肯定して発破をかけるなんてことはしなかっんだっけな。
「いつも言ってた。できることを一歩一歩って、父さん」
たぶん、それが、父さん――徒士谷歩武の座右の銘だった。
一日で世界は変わらないけど、少しずつ歩いてはいける。
そうして進んでいけば、いつか望む場所へ着ける、と。
「……真歩」
「完璧に幸せな場所にいないかもしれない。今、あたし。――けど」
母さんはいなくて、父さんはあたしと同じくらいこの街の平和が大事で、それを守れる力があって、忙しくって。それでも、そこから一歩ずつ進めばいいのだと。
ずいぶんと生意気なことを言ったと思う。
何の力もない小娘が。何も知らないガキ風情が。
「あたしは、踏みにじって、幸せになる気はないよ。父さんの道。
あたしが進みたいのは、たぶん、そういう道じゃないんだ」
伸びてきた大きな腕があたしを抱きしめる。暖かくて、少しだけ震えていた。
「ごめんな、ごめん。そうだな……」
「……でも、そうだね。父さんの仕事が落ち着いたら。いつか、ニューカレドニアには、行こうね」
「カレド……?」
「さっき父さんが言った南の島。約束だよ? 一週間くらいで島を3つも飛行機で巡るの! 指切りげんまん!」
それは、いつかの記憶。
今は遠い、徒士谷真歩の青い思い出。
数年後、あたしはこの言葉を死にたくなるほどに悔やむことになった。
どうして、父さんをここで止めてやれなかったのか。
現場で父さんが死んだのは、ここであたしが知ったような口を利いたからではなかったか
、って。
きっとあたしが魔人になったのは、それが 原因だ。
けれど、今ならわかる。
そんな無責任で無邪気な言葉が、どれほど心強かったか。
そんな真っすぐな想いに、どれほど、許されたか。救われたか。報われたか。
それを教えてくれたのは――。
◇ ◇ ◇
「ママっ。ママ!! もう! 風邪ひいちゃうよ!」
肩を揺らす手の感触と、聞きなれた声に、徒士谷真歩の意識はまどろみから覚めた。
首の周りがずいぶんとこっている。
重ねた手から伏せていた顔を上げる。どうやら、分析用の二回戦のVTRを見ながら、眠ってしまっていたらしい。
「うぇっ!? あ、学校! 送りにいかないと――」
「ママ、今日、土曜」
「うぁ……」
完全に寝ぼけていた。
頬を膨らませながらカップを差し出してくる娘の頭を撫でて、真歩は湯気を立てたコーヒーを受け取った。
ES-08号との死闘であった一回戦に引き続き、二回戦もまた、苛烈な戦いだった。
幾多の伝説を打ち立てた過去の英雄、真野金。
真歩の弟子であった裏世界の新進気鋭、叢雨雫。
そして、現警視庁最強、表世界の平和の守護者、徒士谷真歩。
ヒーローの三つ巴は混沌を極め、その果てに勝ち残ったのが真歩だった。
ささいな要素が食い違えば簡単にくつがえるような、薄氷の勝利。
だが、どんな接戦だろうと、勝ちは勝ち。一歩先に進むことができたのは、自分だ。
「はい、ごはん炊き忘れちゃってたでしょ。だからトースト。スクランブルエッグ、少しこげちゃったけどゆるしてね?」
「うう、昨日からママはぼんやり大王だな。悪い」
「『グロリアス・オリュンピア』のおしごと、大変だもんねえ。学校でも、ママ有名人だよ? 私も鼻が高くてピノキオさんなのでした」
「ピノキオの鼻は嘘ついたら伸びるんだぞ? 嘘つく悪い子はいねぇがぁ!」
「きゃー! なまはげさんだ!」
からからと笑いながら、かがりは皿を下げ、台所へと引っ込んでいく。
どうやら真歩が眠っている間にもう食事をすませていたらしい。
我が娘ながらできた子だと、真歩は誇らしい気分になった。
二回戦終了後、親娘でミズリーランドを満喫してから、かがりの機嫌は常に上向きだった。
16年ぶりの乗物に腰を痛めたのは辛かったが、我が娘の笑顔で十二分におつりがくる。
(父さん。ジェイムズ。どうだ、これだけでもあたしはアンタらを超えたぞ?)
酸味の強いモカを口に含み、改めて思考を整理する。
『グロリアス・オリュンピア』準決勝、次の試合は一週間後だ。
対戦相手は、リザーバーとして途中参戦となった謎の少女、恵撫子りうむ。
経歴不明。所属不明。能力の詳細不明。
外見情報、エプシロン王国王女、フェム=五十鈴=ヴェッシュ=エプシロンと酷似。
警視庁の資料にも、魔捜研のデータベースにも照合なし。
即ち、前科、補導経歴なし。
そんな、まったくの無名の少女が、五賢臣最速推薦の男、井戸浪濠と、五賢臣最多得票推薦の男、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスの三つ巴を制して勝利したのだ。
改めて、リモコンで二回戦、戦場跡で繰り広げられた戦いのVTRを再生する。
通常、魔人能力は、一人一種。
複数の事象を起こすことができるように見えても、基本的な機序は一つだ。
しかし、恵撫子りうむはその常識を踏み越えている。
確認しただけでも、使用した能力は4種。
一つ。物体を体内に取り込み、融合する能力。
一つ。自他の四肢を切り離し、接合する能力。
一つ。手で触れた対象を即座に眠らせる能力。
一つ。肉体を液体金属と化し、操作する能力。
「……模倣系能力者か」
考えられる可能性を、真歩は確かめるように口にした。
模倣系能力。
特定の条件を満たすことで、他者の能力を模倣、行使する系統の魔人能力だ。
厄介だが、対応できない相手ではない、と真歩は結論づける。
こと、一対一の戦いにおいて、魔人能力の威力や種類は決定的な差とはなりえない。
人は刀で斬れば血が出るし、銃で撃たれれば死ぬ。
それ以上の威力の能力は、一対一の殺し合いにおいては余分なものだ。
多彩な能力を無造作に振るう相手より、一つの能力を精緻に磨き上げた方が上を行く。
ごくわずかな規格外を除き、プロの戦闘とはそういうものである。
だから、真歩の懸念は、二つだった。
一つは、二回戦の最中に見せた暴走状態、あの制御不能な形態に、彼女がまたなりうるのか。
もう一つは、彼女がES-08の傀儡である――たとえば、王女と容姿がそっくりな炎人形で、大会に優勝して授与式で王女を殺害、入れ替わりを狙っているなど――可能性がないか。
「……百聞は一見にしかず、か」
「ママ、どこか行くの?」
「ゴメンな、ちょっと、職場に調べものに。昼過ぎには戻ってくるから、そしたら、ショッピングモールに買い物行こうな」
「はーい。いってらっしゃーい!」
chapter2 恵撫子りうむの差引簿・前
――休眠状態。個体規定名『恵撫子りうむ』の状態を精査します。
――第一段階。物理成型安定度。42%。シグナルイエローマイナー。
――第二段階。概念成型安定度。62%。シグナルイエロー。
――第三段階。魔人能力安定度。98%。シグナルグリーン。
――第四段階。精神成型安定度。127%。シグナルグリーン。
――不正ツール『墜放騎士の栄光』の痕跡を確認。バックドアを消去します。
――警告。不正な接続及びリミッター解除により、アバターの輪郭形成に綻びが生じています。
――警告。想定戦闘回数に対し、十分なパフォーマンスが保証されません。
――この警告を繰り返し表示しますか?/N
――hello, world.
――Strait is the gate, and narrow is the way, which leads unto life.
◇ ◇ ◇
ハローワールド!
あてがわれた高級ホテルのスイーツで、お目覚めしゃっきり、りうむちゃんですよ!
そう、今日のわたしはテンションお高め、ストップ高。
ミズリー社さんの株価くらいに絶好調なのであります!
だって、二回戦の相手、井戸浪さんと暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんは、本当にすごい魔人さんたちでした!
それに、一応ルール上は勝利をさせていただいてしまったのですよ奥さん! 奥さんって誰だ!
とにかく、これが嬉しくないはずなど、ありません。
それにですね! なんと、臨時収入があったのですよ!
その額――日本円にして、5千万円!
……まあ、その。このお金がもらえた理由が、「大会の特別顧問、フェム王女が2回戦のMVPに選んだから」というのは、ちょっともにょっとするところではあるのですが。
ほら。りうむちゃんはバグった人造魔人じゃないですかー。
クソ王女サイドに素直に従ってるような構図はちょっと癪みたいなとこ、あるわけですよ。
べ、別にあんたの願い通りに戦っただけじゃないんだからね!
りうむちゃんはきちんと自分の意志で、戦ったのですからね!
そこんとこ勘違いしないでよね!
とツンデレムーブをしつつ、まあでもやっぱり5千万円はありがとうございました……な、庶民派魔人りうむちゃんなのでした。
ともあれ、お金、お金、何使いましょうね!
まずは、そうですね! アンティークの記念コインとか買っちゃいましょうか!
わたし実は、生まれすぐ買った大きめの買い物が100年ものの記念コインで、肌身離さずお守り代わりに持ってたりするわけですが。
これを機に他のもコレクションとか素敵だなあとか!
ああ、あとは海外旅行ツアー券とかもいいですね! お金積めば期限フリーのも手配できるみたいですし。お金すごい!
……と、現実逃避はさておき。
次は、準決勝。
光栄というべきか、分不相応というべきか、組み合わせの幸運とビギナーズラックの賜物か、とにかく『グロリアス・オリュンピア』勝ち残りの4人に、わたしは紛れ込んでしまったわけです。
対戦相手は、徒士谷真歩さん。
日本の首都の守り手、警視庁でも最強と名高い魔人警官です。
で、対戦相手研究のために、見たわけですよ。VTR。2回戦、夢の国。
……なんですか、これ。
いや、えらいめちゃくちゃレベル高いんですけど!?
圧倒的フィジカル! 戦闘技巧! 戦術の駆け引き!
なんか世界観が違うというか、ハードボイルド時空というか……。
だって、銃弾斬るんですよ? 普通に戦っても居合とか忍術とかご無体なのに、ワープまでするんですよこの人!? 強過ぎるでしょう!
気持ちを落ち着けるように、わたしはクローゼットから一着の服を取り出しました。
それは、いつも愛用の白いワンピースとは違う、少し大きめのメイド服です。
ただのコスプレグッズではありません。2回戦終了後、お会いして意気投合した、アナスタシアさんからお譲りいただいた、サンプル花子仕様の戦闘用メイド服でした。
――能力起動。『演ぜよ睨天の水鏡』。
スロット1:尺取虫
シックで飾り気のないメイド服に袖を通したところで、わたしは借り物の能力を発動します。
魔人探偵助手、
常磐糸吉さんの『尺取虫』。いろいろ面倒くさい能力ですが、三行で言うと、
・手で触れると、対象の情報を読み取れる
・歴史のあるものは情報収集のために何度も触らないとダメ
・全情報を読み取ったものにさらに能力を使うと、爆発する。古いものほど派手にぼかーん。
……最後のは妙に物騒ですが、まあ、基本はサイコメトリー系の能力です。
さて、スカートの裾を、ぽん、ぽん、と触れて、計測開始――。
計測――計測――計測――計測――計測――計測――計測――計測――。
10回の計測のうち、アナスタシアさんの戦闘行動に関するものは2件。
これは、この服が「どう着こなされたか」の情報に関わる、計測結果。
脳裏に流れ込んでくるその動きを模倣するようにして、わたしは体を動かします。
おそらくは、元の主人の能力によって吹き飛ばされたときの受け身。
とっさの身の翻し方。態勢の立て直し。構え。足さばき。残心。
おそらくは、暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんとの戦闘訓練。
剣筋に対する回避。間合いに踏み込んでの制圧。剣の持ち手を受けての手首の返し。投げ。捻り。
服を着るのではなく、服に着られるように。
動きを服から計測した記憶に委ねて、繰り返しました。
まだぎこちないですが、これから毎日繰り返せば、本番までには多少マシな動きになるでしょう。
わたしには、ろくに実戦経験がありません。
魔人能力については、日本有数の皆さんから借りられるものの、それを活かすための技量は、圧倒的に不足しています。
二回戦、幸運だったのは、対戦相手がいずれも「プロの戦闘者ではない」ことでした。
圧倒的な心理掌握術と身体能力を誇る井戸浪さんも、強力無比な武器を振るい、気迫あふれる暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさんも、おそらくは、職業として死線を潜り抜けてきた人ではないでしょう。
だからこそ、わたしは、勝たせてもらうことができた。それがわかる程度には、わたしは自分を過大評価していません。悔しいけど。
次の戦いの相手、徒士谷真歩さんは、その点、徹頭徹尾プロの魔人戦闘者です。
テレビの特番でやってました。キャリア16年。うち、10年近くを魔人犯罪鎮圧の第一線で戦い続けてきた、警視庁の「最強」。
かつて同じく「警視庁最強」の二つ名をほしいままにした父親の力を継承した、サラブレッドさんだとか。
だから、次はもっと、工夫をしないといけません。
強力な力を振るうだけでは、きっと届かない。
アナスタシアさんから借りたこの服から、付け焼刃でもできる限りの戦闘経験を模倣。
これまではうまく使えなかった、……人の心がきちんと理解できないからと苦手意識があった、精神干渉系の魔人能力だって、活用しないといけないでしょう。
『悔いのない闘いを。あなたは、我が主を破ったのですから。
P.S.彼の「応報の書」にあなたの名前が書かれていました。再戦が楽しみですね』
服と一緒にアナスタシアさんが送ってくれたお手紙の内容を思い出します。
これまで、わたしはわたし一人のために戦ってきました。
いや、クソ王女のお願いから始まったものではあるのですけど、それはむしろ反発対象というか、そういうのでした。
けれど、今は、ちょっぴり違う重さを肩に感じています。
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさん。井戸浪濠さん。
二人の願いの上に、わたしは立っているのです。
だから。相手が、この国の首都最強の守り手でも。
わたしが、生まれて1か月の小娘だったとしても。
それでも戦うと決めたのです。
借り物でも。まがいものでも。人形だったとしても。
戦い抜いたその先にたとえ――明日があんまりなくっても。
決意を固めたところで、くうくうお腹がすきました。
最近のわたしの趣味はおいしいお店探しです。
なんてったってあぶく銭! お金は生きてるうちにしか使えませんからね!
宵越しの銭は持たない東京砂漠っ娘のりうむちゃん! いなせ!
と。メイド服のまんま扉を開けたわたしの前に、いきなり人影がお出迎え。
「うわっと、ごめんなさい!」
うっかり通行人のいるときにドアを開けちゃったかな、と思いきや。
その人は、にこっと笑って、わたしに手を差し伸べてきました。
「はじめまして。……だが、お互い顔は知ってるよな? 徒士谷真歩。警視庁捜査第一課魔人犯罪対策室所属……まあ、今はオフだけど」
それは、今の今まで、戦う気まんまんでいた相手、徒士谷真歩さん、その人でした。
「恵撫子りうむちゃん。よかったら、下の喫茶店で、ワッフルとかどうだ? おごりで」
chapter3 最強の継承者
『グロリアス・オリュンピア』準決勝戦当日。
わたしは、いつもの白ワンピースに身を包み、バトルステージへの転移を待っていました。
頭をよぎるのは、これから戦う相手、真歩さんのことです。
『うちの娘、りうむちゃんよりちょっと年下くらいでね』
『いや、実はわたし、見た目通りの齢じゃありませんで』
『ふうん、りうむちゃんは、人工魔人なのか。え? 生後1か月? マジ? 本当にこの大会のためだけに生まれたのか?』
『その……ちょっと違うけど……まあ、いいです。そんな感じです』
『ところで、この前のなに? うねうねになるやつ? 大丈夫か? あれ、明らかに正気じゃない感じだったが』
『あー、あれはその、ちょっとコンピュータウィルスめいたアレでして。大丈夫です。スキャンしてもう、対処済みですから。うかつな外部メモリを取り込むもんじゃないって話ですね』
『外部メモリ……あー。なるほど。それが、あの、模倣能力の正体ってわけか』
『ゆ、誘導尋問ひどい!? 甘いもので油断させてそれとか、大人ずるい! これが日本のおまわりさんのやり方ですかー!!』
待ち伏せをくらったあの日、なんだかんだで一緒にワッフルを食べながら、真歩さんはびっくりするほどフレンドリーに話しかけてきたのでした。
井戸浪さんが北風の営業トークなら、真歩さんのそれは太陽の聞き取り技術といえるでしょう。
悔しいけどアレは絶対な夜回りとかしたら大人気になる系の婦警さんですね……。
特に何か策を弄された気配もなく、そのあともなんとなく世間話や身上話をして解散。
あれはいったいなんだったんでしょう。
能力のことだって、うっかり口はすべらしちゃいはしましたけど、二回戦を見ればだいたいの見当はつくはずですし。
まあ、考えてもしかたないことはリセット。
今は戦闘に集中しないと!
一応準備は万端です。
足元には、プラスチックポットの鉢植えが5つ。
腰のベルトには、丈夫さだけが取り柄の短めな鉄棍。ちょっとお高めでした。MVPボーナスさまさまです!
そして、お腹には、4つの宝石をセット済み。
真歩さんは、わたしと比べて圧倒的に格上です。
身体能力では一枚上手。
戦闘技巧では圧倒的に上。
白兵の駆け引きだって、当然わたしより慣れているはずです。
十回戦えば九回は負ける相手。
だからこそ、わたしは残り一回の可能性をこじ開けないといけないのです。
『りうむちゃん。強能力ぶっぱだけじゃあ、勝てない相手も出てくるぞ』
『自分なりの使い方を工夫しないとな』
『あたしの能力も借り物みたいなモンだから。最初は似たような苦労があったなあ』
ワッフルにバニラアイスをからめながら、真歩さんが言っていたことを思い出します。
あれはたぶん、警告で助言。
今のままでは、勝負にすらならないと、そんな気持ちから出た言葉だったのでしょう。
悔しい。けれど、事実です。
だからこそ、その言葉を活かさないと。
ぱん、ぱん、と頬を軽くたたいて気合いを注入します。
試合開始――転送までのカウントダウン開始。
5。4。3。2。1。
立ち眩みのような感覚とともに、周囲の光景が一転しました。
視界が、一色に染まります。
くすんだ、彩度の低い薄暗い空間。
天井が低く、平べったくゆがんだ、広いスペースがどこまでも広がっていました。
足元はぽよぽよと柔らかく不安定で、足を踏みしめないと転んでしまいそう。
おまけに山の斜面のようにゆるい傾斜があって、坂の下は薄暗く、どこまで続いているのかわからない様子です。
今回、わたしと真歩さんが戦う環境は、「体内」。
生物の体の中を模したという、ほかのバトルフィールドとは一線を画したイロモノステージでした。
これ、どうやって作ったんでしょうね。すごいな国交省のお抱え魔人さん!
わたしは周囲を伺い、真歩さんの姿がないことを確認すると、屈んで足元に手をつけました。生暖かい、湿った感触が手を覆います。
うう、ちょっと気持ち悪いなあ。
――『尺取虫』発動。
この能力は、「できたてほやほやのものほど、一回でたくさんの情報を得られる」もの。
この戦いのために作られたばかりのステージから、一気に計測結果が流れこんできます。
いったい、何の体内を模したものなのか。
体内の中でも、どの部位なのか。
そして、どんなギミックが仕込まれているのか。
計測完了。
シンプルな造形だったせいか、ちょっとぼんやりするだけですみました。
目の前に真歩さんがいたら致命的な隙ですが、わたしは戦闘開始後、しばらくは真歩さんが攻勢に出ないと信じていました。
真歩さんの魔人能力『東海道五十三継』は、徒歩で行ったことのある場所に転移できるというもの。
つまり、初めて訪れた場所では、その効果が十分に発揮できないのです。
だから真歩さんはこのフィールドの『東海道』を増やすことから始めるはず。
どうやらその読みは、当たっていたようでした。
……しっかし。体内。体内ねえ。
『尺取虫』による計測結果に、わたしは思わずため息をつきました。
胃や口の中あたりを予想していたのですが、結果はどちらもハズレ。
答えは――人間の子宮。
はい、体内かと思ったら胎内だったというオチでしたよ!
ダジャレかー! オヤジギャグなのか! たしかに音声案内では一緒だけど!
よりによって、わたしと真歩さんのバトルフィールドをこんなところにするなんて、五賢臣の人はかなり異常性癖をこじらせてるんじゃないでしょうか。セクハラとかで訴えてもいい気がします。
まあ、胃の中に転移させられて、強酸性の胃液でドログチャにななったりするよりはマシかもしれませんが。
とりあえず、しばらくの間直接的な危害が加わるような地形効果はなし。
これは大変朗報です。
足元のプラスチックポットの鉢植えを1つ残し、残る4つを抱えると、わたしは即座に坂を下り始めました。
奥行からすれば、坂の上の方が広そうに見えます。
つまり、そちらに真歩さんがいる可能性の方が高いということ。
しばらく坂道を転げるように降りると、行き止まりが見えてきました。
降り続けたら奈落の底に真っ逆さまで場外負け……というのが怖くはありましたが、これが胎内を模しているなら、子宮孔にあたる部分からしかフィールド外には出られないはずですもんね。
よし、ここをー! 設置地とする!
誰に言うとでもなく呟くのは、不安をごまかしたいからという乙女心です。
2個目のプラスチックポットを設置しつつ、行き止まりの壁沿いに右折。
そこから適当な距離を置き、都合5つの鉢植えを、体内空間に配置し終えました。
ここまで、接敵なし。
ですが、向こうもそろそろ転移可能な『東海道』を十分に広げたところでしょう。
こちらから探しに行くのは下策。
対真歩さん戦は「待ち構えて、相手からやってきてもらう」のがセオリーです。
相手が歩き回った場所にこちらから攻め込んでは、好きに転移され放題ですからね!
壁面を背にして周囲をうかがいます。
この場所なら、どこから真歩さんが近づいてきてもわかるはず。
鉄っぽい匂い。少しずつ白みがかっていく天井と床。
脈動する足元。温もり。まったくなじみがないはずなのに、どこか安心する空間でした。
子宮。
哺乳類の雌に備わっている生殖器です。
受精、妊娠すると胎児の生育スペースになる空間……つまり、ヒトであれば、みんな潜り抜けてきた場所。わたしは違いますけど……。
無数の精子が押し寄せ、ただ一つ選ばれたものだけが生を勝ち取ることができる場所。
競い合った勝者の願いが実を結び、形となって外へと生まれ出る器官。
ああ、そういう意味では、この『グロリアス・オリュンピア』の戦場としては相応しいのかもしれませんね。
悪趣味なのは変わりませんが。
やがて、暗がりの奥に、人影が現れました。
堂々とした足取り。
一歩。一歩。一歩。踏みしめて、この不安定な足場で揺るがない。
まるで、現代に生きるサムライといった風情です。
紺の制服。
胸と腕に輝くは、東天に昇る、陰りなき朝日の清らかな光の意匠――旭日章。
ゆるく波打つ長い黒髪が、その歩みに従うように揺れています。
戦闘においては不利にしかならないはずの、その髪型が許されているのは、きっとこの人の実力の証。
警視庁捜査第一課魔人犯罪対策室所属、徒士谷真歩警部補。
この国の、表の世界の正義の守護者。
――「警視庁最強」の継承者。
一緒にワッフルを食べたときの、その穏やかな表情のまま、「最強」は、わたしの前に現れました。
「準備はできたかい?」
「時間の許す限り」
――『サクララ』発動。
鉄交じりの生暖かい空気を塗り替えるように、爽やかな香気が吹き抜けました。
一呼吸おいて、桜の花びらが、一枚、また一枚と、はらはら風に流されてきます。
やがて、周囲はまるで、春の嵐の中のように、桜吹雪に包まれました。
「風流だな。邪流言霊格闘術・『
悪しき英語』の継承者。
麗御咲の『サクララ』か。たしか、効果は身体性能と反応速度の強化だったか?」
この人、一目で能力を……!?
す、と倒れこむような動きから、真歩さんは急加速!
うわ、気持ち悪い!? 足の溜めとかなくてなんでいきなりトップスピードになれるんですかこの人! 魔人能力じゃないですよねこれ! なんて体術!
わたしは慌てて腰から下げた鉄棍を構えます。
アナスタシアさんのメイド服に刻まれていたサンプル花子戦闘プログラムの1つ、「モップで不埒な侵入者をお掃除」の型!
武術の使い手としての技量は、真歩さんの方が圧倒的に上。
その差を補うための『サクララ』と、『尺取虫』で模倣したサンプル花子戦闘プログラムです! さあ、これでどこまで『警視庁最強』と打ち合えるか……!
呼吸二つで距離は一足一刀。
交錯する……その瞬間、真歩さんの姿がかき消え、「一瞬前に立っていた場所」に出現しました。
『東海道五十三継』!
超高速の接近に対応しようとする状況下では、その一歩を巻き戻すだけですさまじいフェイントです!
だって、フェイントには当然おこるはずの身体的な予備動作が皆無なんですからね!
うあああん、本当にえげつないなあこの能力!!
わたしはそれに追いすがるようにさらに一歩踏み込み……
「そいつは悪手だ」
次の瞬間、真歩さんの声はわたしの背後から聞こえてきました。
そう。わたしは、転移直前に彼女が立っていた『東海道』を踏み越えていたのです。
これが真歩さんの真骨頂。戦いが進めば進むほど、相手の死角を突きやすくなる!
一歩一歩、歩を重ねるごと、勝利という旅路の終わりへと近づいていく能力なのです!
けど――。それは百も千もこっちは承知でケンカ売ってるのです!
その動きは、この、桜吹雪がまるっとお見通しだ――!!
わたしは振り向きもせず、確信を持って鉄棍を背後へと突き出しました。
固い感触。真歩さんは手にした仕込み杖で胸を狙った刺突を受けていました。
「……と。余計なお世話だったか」
「偶然ですよ」
「違うな。……『サクララ』。その花びら、センサーの役割もあったな。なるほど、転移対策としては考えられてる」
「よくご存じで」
一合、二合。杖と棍がぶつかりあいます。
軽く振るわれてるようなのに、受けるたびにすさまじい圧力です!
「アンタが二回戦で行使した、葉山纏の『封印されし牢獄』と八釼聖一の『墜放つ騎士の栄光』は、警視庁じゃ有名でね。そこから魔捜研の優秀なスタッフが出した結論は――『恵撫子りうむの能力は、『グロリアス・オリュンピア』の予選敗退者の能力をコピーするもの』だ」
くるりと杖を回すと、真歩さんはこちらの棍を下に払い、無防備になったところで仕込みの持ち手側でわたしの頭を狙いました!
視覚では捉えられない死角……ですが、『サクララ』の花びらから伝わる情報が、わたしにその軌道を教えてくれます。
あとは体が追い付いてくれれば……ぎりぎり回避!
うああ、今ぶんって耳が風圧でおかしくなった!
「そこまでわかれば後は簡単だ。予選参加者の経歴を洗い出し、前科持ち、補導履歴ありなら、検索ボタン一発で能力は判明する。それで、あんたの手札は読めるってわけさ」
「日本のおまわりさんは優秀ですね……ッ!」
「おお、そうだろう。東京砂漠なんてのを抱えてなお、世界一の治安を保っている首都だ。ハンパじゃ守ってられないさ」
完全に手加減されてます。
いや、おそらくは、これも布石。
相手が脅威となる切り札を切ってこない以上「確実に勝てる」ようになるまで、『東海道』を広げていくのが、真歩さんの定石なのですから。
けど……それにしたって、こんなに差があるなんて。
『サクララ』は、肉体強化系としてはかなり強力な能力です。
パワーを跳ね上げるなら、
ジャックダニエル・ブラックニッカさんの『ヴィオェンセ』も圧倒的ですが、機動力が武器の真歩さんに対抗するなら、こちらが最適解のはず。
けれど。それでも、魔人能力をほとんど使っていない真歩さんに、こうまで簡単にあしらわれている。彼女の仕込み杖を、抜かせることすらできないなんて――。
これは、『尺取虫』の副作用でフィールドごと爆破して、『あたしが! あたしたちが爆破オチ太郎だ!』作戦に移行すべきでしょうか?
いやいやいや! まだ諦めるのは早い!
それに、爆破オチ太郎作戦を決行しても、よくてダブル場外KO、むしろ転移能力を扱い慣れてる真歩さんの方が、うまく着地を遅らせたりして競り勝つ未来しか見えないので、その策はぽっけないないでありますよ。
徒士谷真歩さんは、強い。
最強で、守るべきものがあって、一つの能力を練り上げ、その上で武術の研鑽も怠らない。
実戦経験豊富で、とっさの判断にも優れていて、魔人能力戦に不可欠な「可能性の予測」にも長けています。
それに対して、わたしはきっと、弱くて薄くて軽くて脆い。
ならば、それを武器にするしかないのです。
弱いなら、敵の侮りを突く。
薄いなら、その薄さで裂く。
軽いなら、その手数で補う。
脆いなら、破片で足を刺す。
そして何より。わたしには、勝手に借り受けた『予選した42人のぱわー』がある。
さあ。真歩さん。やさしくてタフな、最強の継承者さん。
これから、敗北の承継者の意地ってやつを、見せてやりますよ!
chapter4 敗北の承継者
徒士谷真歩は、桜吹雪を杖で切り払い、りうむの肩口を蹴飛ばしながら、周囲の様子をうかがった。
バトルフィールド、体内。
今のところ、それ特有のギミックが発動した様子はない。
(消化器系じゃないな。口腔内……にしては歯茎がない。いったい何を模したやら)
美しい、白の花びらがはらはらと舞う。
今宵の『東海道』は桜日和。
その主は、守るべき王女と同じ顔をした謎の戦士。
二連の突きから、足払いと見せかけての喉元への一閃。
一週間で、ずいぶん動きが術理に沿ってきた。足払いで脛を薙ぎつつ、そう、真歩は分析する。
よほど厳しい修練を積んだか、もしくは、正しい師についたか。
まだ拙いが、魔人能力『サクララ』で増強された反応速度、身体能力によって、それなりの形には仕上がっている。
徒士谷真歩の見立てでは、二回戦の恵撫子りうむは未熟だった。
だが、未熟であるとは、伸びしろの大きさと同義。
それを、この娘は7日の時間を費やし、有効利用してきたということだ。
鉄棍は槍と違い、穂先がないからこそ、両端自在、あらゆる部位での打突が等価。
りうむはその利点をきちんと生かし、基本に則った攻防を繰り出してくる。
(けどまあ、まだ「行儀が良すぎる」ぜ。お嬢さん)
そう。真歩の獲物は仕込み杖『馬律美作』。
即ち、杖術もまた、真歩の専門とするところである。
相手が杖棍による最適解をなぞるならば、むしろ真歩にとってそれを予測、先回りすることは容易い。
足元へ蛇のように伸びる棍の先を踏みつけ、動きが止まったところ、『馬律美作』杖の先端を跳ね上げた。
弧を描き、空中で回転する鉄棍。
「くっ……! わたし相手じゃ刀を抜くまでもありませんか」
「そっちこそ。まだ1つしか使ってないだろ。能力」
――『東海道五十三継』発動。転移。
鉄棍の落下地点に先回りした真歩の足元へと、りうむがレスリングのタックルの要領で飛びついてくる。
魔人警視流“柔術” 背輪車。
飛びつきの勢いをそのままに、真歩は押し倒されるようにして後ろに倒れつつ、りうむの腹に足の裏を当て、蹴り上げて軽い体を投げ飛ばす。
いわゆる巴投げだ。が、りうむはそこで力任せに掴みを振り払うと、空中で落ちてくる棍を握った。
(まったく、もっと体を大事にしろっての)
無理な動きだ。下手をすれば関節を外せていたかもしれない。
ともあれ、『サクララ』発動中の、この相手の底は知れた。
相手にあと最低3枚の伏せ札がある以上、うかつには近寄れない。
が、4つ、5つの布石が打てれば、それで「詰み」だ。
「むー……」
頬を膨らませ、りうむは鉄棍を杖にしながら立ち上がる。
その様子がどこか、娘のそれと重なって、真歩は思わず攻め手を緩めた。
「何かご不満かい?」
「そりゃあもう。だって。真歩さん、『あなたは、わたしに誰かを重ねている』じゃないですか」
どくり、と。なぜか、真歩の鼓動が跳ねた。
まるで、隠し事を暴かれた子どものように。
「おまけに、『わたしを可哀そうに思って、無意識のうちに手加減してくれている』」
「なにを――」
真歩は、否定の言葉を続けることができなかった。
たしかに、それは、思い当たる節のあることだったからだ。
身体能力と覚えたての技術、そして、借り物の魔人能力。
付け焼刃の力に振り回され、それでも戦う理由があり、手を伸ばす義務があった。
恵撫子りうむのそんな姿は、きっと、20年前の徒士谷真歩の鏡像であったからだ。
◇ ◇ ◇
20年前に覚醒した、徒士谷真歩の魔人能力『東海道五十三継』。
その性能は、父、徒士谷歩武の『東海道五十三次』と全く同じものである。
親娘で能力を継承した、とも言っていい。
もちろん、魔人能力は血脈により遺伝するものではない。意図して継承させられるものである。
そもそも、魔人能力は強固な認識と意志が作り出す、個人認識による世界常識の侵食である。当然、個人で完結するべきものだ。
『できることを一歩、一歩、進んでいけば、いつか――か』
だが、認識と意志を形成する土壌として、成育環境があるのは心理学の常識である。
親が魔人であった場合、同じ環境を共有して成長した子が、それに類似した能力を覚醒させる一助となることもまた、当然のようにありえることだ。
『ばか。結局、ニューカレドニア、行けなかったし。約束、したのに』
実際、魔捜検ではそうした事例を多く確認しているし、徒士谷真歩もまた、そうした事例の一つであった。
『いいよ。父さん。なら』
とある人質事件で、犯人と刺し違え殉職した徒士谷歩武。
その、道半ばの理想の果てを行くのだと。
『東海道五十三次』を『継ぐ』のだと。
一人の少女が決意した。
『ここからは――ここが、あたしの、東海道だ』
それこそが、この能力を覚醒せしめたのだろう。
◇ ◇ ◇
この魔人能力は借り物ではないのか。
自分はそれに見合う者なのか。
気を抜けば、そんな想いが常に、真歩の意識に棘として残っていた。
おそらく、夫、ジェイムズと出会わなければ、その懊悩は今も続いていたことだろう。
だからか。
情報収集のために話をしただけの、恵撫子りうむのあり方に、徒士谷真歩は自分を重ねていた。
この大会のためだけに作られた魔人。
自分以上に「レプリカ」としての側面が強い少女。
鉄棍が躍る。『馬律美作』がわずかに遅れる。
――転移。
だが、至近距離、背後にワープした真歩へと、掌底が突き刺さる。
脇腹を足で突き放し、真歩はりうむから距離をとる。
(加速、している……っ?)
『サクララ』にそんな効果があるとは聞いていない。
しかし、確かに、恵撫子りうむの動きは真歩に対応しつつあった。
(追加で別の魔人能力を上乗せした? だが、予選敗退者の中で身体強化系魔人能力が行使できるのは、5名。うち、2名は身体変容を伴い、うち1名は防御のみの増強。うち1名は呼吸の停止という制約がある。その様子は見られない。――くそ。どういうことだ?)
転移に合わせるように周囲360度を薙ぎ払う鉄棍の回転。
身を逸らして避け、黒髪を揺らし、真歩は少女の肩口を蹴り飛ばす。
身を引いて衝撃を殺し、スカートを翻して白の少女が残心する。
銀髪と黒髪。白のワンピースと紺の制服。
太極を描く陰と陽。
まるで打ち合わせ済みの演武のように、二人は踊る。
「ちょっとは……追い付いてこれましたかね、真歩先生」
「……誰が魅惑の美人先生だ」
「残念。まだ余裕があるみたいです」
「当然だ。まだ、小娘には負けねえよ」
体が重い。思考が噛み合わない。
真歩は今や確かに、自分の心身に生じている異常を認識していた。
『あなたは、わたしに誰かを重ねている』
『わたしを可哀そうに思って、無意識のうちに手加減してくれている』
少女の声が残響のように脳裏で反復する。
まさか、本当に、自分は、「手加減」をしているのか?
情に流されて? 気が付かないうちに?
振り払うように、真歩は首を振った。
あってはならないことだ。それは、許されないことだ。
徒士谷真歩は、なぜここに立っている?
警視庁捜査第一課魔人犯罪対策室の警部補としては、『ES-08号』から、フェム王女を守るため。そして、連続失踪事件を解決するため。
徒士谷ジェイムズの妻としては、怪盗サーカスという、夫の仇を討つため。
徒士谷かがりの母としては、偽花火燐花から、娘を守るため。
この大会に優勝し、エプシロン王国の力を借りて、あの狂った楽園の残滓を消し去らねばならないのだから。
――真歩は、『馬律美作』を、抜いた。
斬る。
目の前の相手に、自分が過去を重ねているのならば。
その惰弱な想いこそ、この刃は斬り捨てる。
『所詮は僕のやっていることなんて、ベイカー街の御大のレプリカさ。でもそれは、意味がないことじゃない。僕は私立探偵ジェイムズ。世界一有名なあの人の、レプリカという、オリジナルだ』
『真歩ちゃん。キミは、『東海道五十三次』の徒士谷歩武じゃない。それを継いだなら、その先の旅路は、間違いなく、君だけの東海道だろう』
自分の迷いを断ち切った、この杖の元の使い手、ジェイムズの言葉のように。
踏みしめた足元から液体がにじむ。
いつの間にか、地面がぬかるんでいたようだ。
むしろ、好都合。
足場が悪くなればなるほど、徒士谷真歩の勝利への旅路は順調になる。
「――認めるよ、りうむちゃん。あんたはやっと、あたしの敵だ」
『東海道五十三継』発動。――転移。
転移先は、恵撫子りうむが見えない、試合開始直後の転送地点。
そこで、徒士谷真歩は思考する。
恵撫子りうむの戦術の起点となっている能力は『サクララ』だ。
それがなければ、どのような能力を使うにしろ、真歩の全力機動にりうむはそのうち反応しきれなくなる。
故に、その解除を、第一目標とする。
内裏エイジからの報告曰く、『サクララ』は、周囲に桜の木がなければ発動しない。
このステージは「体内」。
つまり、自然に桜の木が生えていることはありえない。
ならばこのステージのどこかに、能力の起点となっている木が、試合開始後に設置されているはず。
試合開始直後から移動してきたルートで「歩測」した空間情報を想起。
そこから、バトルフィールド全体の空間形状を予測。
ピラミッドよりはよほど簡単な構造だ。
その中で、恵撫子りうむが転送されたと思われる地点を絞り込む。
かつて伊能忠敬は、徒歩で一歩一歩日本中を計測し、地図を作り上げたという。
徒士谷真歩がやろうとしているのも、それと同じ。
彼女は今、これまで能力行使で培った空間感覚を駆使し、道具もなしに、この戦場の全容を「歩測」しきろうとしていた。
手がかりは、運営側の意図。
より戦いを盛り上げるためには、すぐに遭遇するような転送は避けるはず。
その上で、どちらかが高低差で極端に有利になるような配置もしないだろう。
『推理のコツはね、真歩ちゃん。ハウダニット、ホワイダニット、フーダニット、それぞれを分けて考えることだ。全てを一度に解決しようとしてはいけないよ』
いつかのジェイムズの言葉を思い出す。
転送箇所、推理完了!
――最接近箇所、割り出し。転移。
視界が開ける。
「ビンゴ!」
そこには、散華と開花を繰り返す、桜の苗木のプラスチックポット。
それを一閃すると、真歩は周囲を確認。
まだ桜の花びらは周囲を覆い続けている。
つまり、潰すべき『サクララ』の基点はまだ残っているということ。
(ここからあの娘はどう移動した? いきなりあたしと遭遇することは避けたいはず。であれば……)
進行ルート、歩捉――完了。
徒士谷真歩は戦闘者であると同時に、警察官である。
追うべきものの思考を予測し、その足取りを歩捉し、追い詰めることこそ、本職である。
疾走。赤い液体でぬかるむ白みがかった足元も、彼女を止めるものではない。
二つ。三つ。四つ。またたく間に真歩は桜の基点を破壊する!
そして、進行ルート推理の結果辿り着いた、次の基点。
このステージの中で、最も高度の低い場所。
五つ目の桜の苗木の前に、恵撫子りうむが立っていた。
「……すごいですね。この何の目印もない場所に隠した苗木を全部見つけるとか」
「むしろ、斬ったはったよりこちらが本職でね」
「能力選択間違えましたかね。りうむちゃん、ちょい反省です」
「あんたがいるってことは、そこが、最後の基点ってわけだ」
真歩の指摘に、りうむは諦めたように答える。
「ご名答。すごい、真歩さん、探偵みたいです」
「探偵には縁があってね」
強すぎる借り物の能力に振り回されていた2回戦の姿。
そこから、ずいぶんと、恵撫子りうむは成長していた。
「――真歩さんは、どうやって、その力をちゃんと「自分のもの」にできたんですか?」
「それでいい、って言ってくれた人がいてね。能力は同じでも、使う人間が違う。なら、同じ使い方をしても、うまくいくはずがない。自分に合った使い方を探せ、って」
「いい旦那さんですね」
「……勘の鋭い子は苦手だよ」
軽口を叩きあいながら、距離を詰める。
桜吹雪はいまだ宙を舞い、その花弁全てが、徒士谷真歩の一挙手一投足を監視している。
「わたしは、真歩さんのこと、好きですよー? お姉さんみたいで。ほら、誰かとスイーツ食べるとか、すごく人間っぽいじゃないですか。うれしかったんです。初めてだったから」
魔捜研が開発したセンサーにより、目の前の少女がES-08の炎人形でないことは判明している。
先日の、ワッフルを食べながらの雑談は、この計測の時間を稼ぐためのものだ。
だが、今になってみれば、あれがケチのつきはじめだったのだろう。
似ている、と思ってしまった。
そして、この少女の「戦いの先の生き方」が見えないと、心配になってしまった。
魔人能力は、強固な認識から生まれるものだ。
だが。強すぎる魔人能力は、同時に、担い手の精神を蝕むこともある。
歪んだ認識が能力を生み、能力が認識を歪める。
その循環で、認識と良識が社会と完全に乖離した瞬間――魔人犯罪者が生まれる。
徒士谷真歩が職務として相手にする者の多くが、そうした存在だ。
真歩には、ジェイムズという錨があった。
そして、彼を失っても、娘、かがりの存在が、社会との繋がりになった。
この二人がいたから「父のレプリカ」ではない、そうなりきれない徒士谷真歩を許すことができた。
だったら、この少女は。
『グロリアス・オリュンピア』のために生まれ、その勝利のみ望まれる彼女は。
ここで敗北したら、どうなってしまうのか。
息をつく。
安い己の同情を乗せたその吐息を、『馬律美作』の刃は一閃で斬り捨てた。
そして、真歩は刀身を杖へと納める。
仕込み杖を左の手に。
身を屈め、右の手はいつでも柄へと伸ばせるよう。
魔人警視流――”居合”の基本型である。
「悪いが、あたしにも勝たなきゃならない理由がある」
徒士谷歩武が魔人警視流”柔術”の達人であったのに対し、真歩は抜刀術と転移能力の組み合わせを選んだ。
父親とは異なる体格、筋力、反応速度、柔軟性で、いかに戦い抜くか。
オリジナルの模倣ではなく。レプリカとしてのオリジナルを目指す。
それが、「名探偵のレプリカ」を自称する変わり者、ジェイムズと出会って、彼女が見つけ出した道だったのだ。
「わたしも、同じです。そろそろ……頃合いですね。決着、つけましょう! 真歩先生!」
徒士谷真歩。ただ一つ、最強の能力を継承した女。
恵撫子りうむ。無数の敗者の力を借り受けた少女。
どこも似ていない。けれど、どこか鏡合わせの二人が、動き出す。
真歩は布石を、打ち終えた。
目の前の少女が残りの能力を使う前に、勝負をつけるための準備は整っている。
真歩が踏みしめた地面が、ぬかるむ。
桜の香気に交じって、どこか懐かしい匂いがした。
なぜかその匂いに、真歩は娘の、かがりの産声を思い出す。
「――魔人警視・我流――”柔術・当身”」
真歩の姿が霞み消える。『東海道五十三継』――転移。
その踏み出した一歩の先は――
「!」
恵撫子りうむの、肩だった。
徒士谷真歩の『東海道五十三継』は、一度「踏みしめた」場所に転移できる。
それは地面に限らない。天井も。壁も。仕込み杖の鞘も。あるいは、「敵の服」であっても例外ではない――。
そのまま少女を踏み越え、真歩はりうむが背にして守っていた、最後の『サクララ』の基点を破壊する。
斬! 最後の桜が裂き崩れる! 散華!
まるで雪がとけるように、桜の花びらがかすみ、霧散した。
そして、真歩の切り札は、ここから。
これこそが、真歩が序盤では刀を抜かず、足技主体で戦っていた理由。
敵を追い詰めて複数の能力を使う前に、相手に直接『東海道』を刻みこむためである。
今や、恵撫子りうむのまとうワンピースには、都合11か所の転移可能箇所が存在している。
全ては、この一瞬のための、布石であった。
「――東海道中膝繰蹴」
――転移。
りうむの膝を足場とし、顎へ膝蹴り。――転移。
背を足場とし、膝裏へと肩へ蹴撃。――転移。
肩を足場とし、頭頂へと踵落とし。――転移。
蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。蹴撃――転移。
対象の被服を足場とした転移と蹴撃を組み合わせ、回避困難な連続攻撃を繰り出す。転移のコントロールのため、攻撃そのものは単調となるが、それでもなお、接触状態での連続転移からの攻撃は回避困難。
これぞ、徒士谷歩武、必勝の型。
武器なしであらゆる戦場を駆け抜けた男、独自の技!
だが、素手であらゆる魔人と渡り合った徒士谷歩武と違い、真歩には、蹴りだけで相手を制圧せしめるほどの力はない。
故に、この膝繰蹴の締めとして、己独自の技を追加した。
「――魔人警視・我流――”居合”」
りうむの背を蹴り、その反動で空中へと飛び上がって身を捻る。
真歩は天地逆さの状態で落下しつつ、刀の柄を握る。
およそ、安定とは程遠い姿勢。踏みしめる大地もない。
これより徒士谷真歩が繰り出すは、身の捻りだけで生み出す、何もかもが欠けた斬。
だが、そもそも居合とは、立合いの対極。
戦いに向かぬ、居の姿勢。
そこからいかに必死必殺の刀を繰り出すかを突き詰めた、常在戦場の理念の具象。
ゆえに、地に足がついていないことがなんだというのか。
天地が反転していることがなんだというのか。
自らが、敵に過去の未熟を重ねていることがなんだというのか――。
「――」
りうむが動く。カウンターか。だが、この終の一撃で全てを終わらせる。
鞘走り。腕の振り。体幹の捻り。
ほぼ無呼吸で繰り出した連続蹴撃で疲弊した肉体に鞭を打ち、無数に繰り返した完全な抜刀をここに体現する。
五十三次、無数の蹴りの旅路によって衰弱した相手に繰り出す、終の一閃。
「『終宿――大津』」
その斬は、吸い込まれるように、恵撫子りうむの脇腹へと吸い込まれ――
(――ッ!?)
忽然と。恵撫子りうむが、消えた。
刀身に触れた浅い手ごたえ。その直後に、恵撫子りうむの肉体が、完全に消失した。
必中、必殺のはずの斬撃が、外された。回避ではない。
これは――転移!
「こういうときの決め台詞は……」
『東海道五十三継』によって天地逆転の状態から即座に着地すると、真歩は声の聞こえた背後へ向き直った。
そこには、荒い息をつき、脇腹から血を流す恵撫子りうむがいた。
全身はぼろぼろで、今にも膝は崩れ落ちそうに見える。
当然だ。トドメの『終宿』を避けたとはいえ、『サクララ』の身体強化なしに、膝繰蹴の連撃を受けたのである。
もう、まともに戦えるとは思えない。
だが。それでもなお、りうむの目は死んでいなかった。
「ここがわたしの東海道だ――でしたっけ」
この転移。この口ぶり。圧倒的劣勢にも関わらず、勝利を捨てていない瞳。
何が起きたのか?
今、恵撫子りうむは、なんと口にした?
「隠し玉にしておきたかったですけどね。ええ、真歩さん。あなたの言うとおり、わたしの能力はコピー能力。『グロリアス・オリュンピアで敗退した人のぱわー』です」
「そして、それは。「準決勝の敗退者」も例外じゃない」
「わかりますか。今、わたしは、『東海道五十三継』を行使できた。つまり――」
「あなたは、この戦いに、負けている――」
なにを言っている?
そもそも、それでは順番が逆転している。
まだ試合は終わってなどいない。決着がついていない。
にもかかわらず、その、「確定していない敗者」の能力を使った?
そんなでたらめな制約があるだろうか?
だが、その荒唐無稽なはずの言葉には、無視しえない説得力があった。
「それじゃあ、彼の能力で、幕引きです――」
恵撫子りうむ。少女の指が、空中に何かを弾く。
それは。くるくると回転しながら、弧を描き、真歩へと飛来するそれは、
―― 一枚のコイン。
「――ジャックポット」
ぞわり。
その能力を知っている。
『イデアの金貨』。
二回戦で戦った男「伝説の男」、真野金の能力。
逆転の秘策を思いつき、実行する。ただそれだけの、シンプルにして無二の暴力。
そう。この少女の能力が、『東海道五十三継』をもコピーするのだとすれば、その可能性こそ、警戒すべきだったのだ。
あの能力を使えるモノが、他にいてたまるか。
だが。けれど。もしも。
真歩は暴れる息を抑えつけ、りうむに全ての意識を集中する。
これから逆転の秘策を体現するはずの、その四肢を。表情を。
その変化に応じ、いつでも能力を発動できるように。
りうむは、とっさに耳を塞いで身を丸めると――
「からの……!」
――どごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!
真歩の頭上で、爆発が起きた。
徒士谷真歩は、回避と熟達の剣術によるいなしによって戦い抜いてきたもの。
認識できる攻撃ならば、ほぼ確実に転移と技術で防ぐことができる。
だが。
もしも、全く攻撃であると認識していないものが、襲い掛かってきたら、どうなるか。
その結果が、これだった。
意識外からの爆発。不意の攻撃に意識が眩む。
「じゃっくぽっとぱぁぁぁんち!!」
追って叩き込まれる衝撃。
ここにいてはいけない。転移しなければ。だが、集中が維持できない。
『東海道五十三継』は精緻な空間認識と座標指定がなければ行えないもの。朦朧とした状態で発動することはできない。
同時に、爆発と共鳴するように空間全体が振動を始める。
足元がゆがむ。崩壊する。足を取られる。
ぬかるみ。鉄の匂い。ゆがみ崩れていく足元。
液体とも固体ともつかないモノが、凄まじい勢いで流れ込む。倒れた真歩の体を飲み込み、押し流していく。
息ができない。体が動かない。
体験したことはないが、雪崩にあったらこんな感覚だろうか。
なんだ。何が起きている。
これは、恵撫子りうむの魔人能力か?
(――ああ、違う)
流される。血の匂い。ああ。この匂いを、真歩は知っている。
20年以上もつきあってきたこの体でも起きたことだから。
そして、恵撫子りうむが『尺取虫』で把握していた、この地形の正体を、この時点でようやく、真歩も理解した。
(ここはヒトの子宮――ってことは。地形効果は――月経か――!)
月経。
子宮で定期的に起こる、生理的出血。
排卵した卵子が受精しない場合、子宮の内膜が剥がれ落ち、血液とともに排出される、生理的な出産機構の再構築である。
流される。流されていく。
命を生み出す機構が。
時を経たものを押し流し、新しいものを生み出すためのシステムが、
徒士谷真歩を外界へと押し流し、戦場から退去させる――。
転移はできない。
朦朧とした意識は回復してきたが、それでも『東海道五十三継』で、徒士谷真歩は戦場へは戻れない。
なぜなら、彼女が踏みしめた、その地面ごと、血とともに排出することが、この雪崩のシステムで……。
いや――。
諦めかけた思考を、真歩は修正する。
まだ、可能性はある。
もしも、これが、真歩を場外負けにしようとする恵撫子りうむの策なら。
彼女が、まだ戦場に残っているのならば。
真歩は、戦場に復帰できる。
なぜなら、自分は、『東海道中膝繰蹴』のために、恵撫子りうむの服を『東海道』にしているのだから――!
『東海道五十三継』発動。――転移!
(――って、あれ?)
次の瞬間。
真歩が踏みしめたのは脱ぎ捨てられ、一瞬前の真歩と同様に月経の洪水に流される、白いワンピースだった。
(――乙女の慎みくらい覚えろ! 1か月児――ッ!!!!!)
グロリアスオリュンピア準決勝・体内STAGE
勝者:恵撫子りうむ
◇ ◇ ◇
――血とともに、全てが流されてしまいました。
戦場に残っているのは、わたしだけ。
つるんとまっさらなフィールドに、わたしは一人取り残されていました。
「戦闘領域からの離脱」が敗北ですから……こ、これ、一応わたしの勝ち、でいいんですよね?
一瞬不安に駆られたわたしですが、遅れて決着を告げるサイレンが鳴りました。
よかったあ……。
思わずへたりこんでしまいました。
今回のわたしの作戦は、いかに「偽イデアの金貨」――『尺取虫』で爆弾と化した記念硬貨――を真歩さんにぶつけるか、ということに終始していました。
元々、優勝候補の一角である真野金さん対策に、コインをすり替えて爆破したら勝てちゃったりしないかなあ、ということで、一か月前からぺたぺた『尺取虫』して作っていた100年もののコイン爆弾。これを活用しようという寸法です。
まずは、『サクララ』の身体強化と、魔人国際警察捜査官、
大正直さんの「嘘を信じさせる能力」である『
嘘八百万』で暗示をかけ、真歩さんのご無体な白兵に食らいつく。
相手がトドメを刺しにきたところで、魔人剣士、
黒ヱ 志絵さんの転移能力、『夢違』でテレポートし、さも『東海道五十三継』を
使ったかのように演技して、「わたしが本戦出場者の能力もコピーできる」とブラフをかける。
最後に、『イデアの金貨』を使うと見せかけて、ジャックポッドボンバー! という寸法でありますね。
まあ、最後の月経大洪水は割とただのラッキーみたいなところはありましたけど。
「地面に転移する」『東海道五十三継』と違って、「任意の空間に座標交換対象の幻像を発生させる」『夢違』だから、わたしの方は月経の洪水から脱出できただけですので。
そうでなければ、ダブル場外の可能性だってあったわけですから。
もし、ワンピースが『東海道』になってたことに気づいて脱ぎ捨てなかったら、あの人絶対戻ってきたでしょうしね……。
いやあ、とっさの判断力! りうむちゃんえらい! クレバー!
わたしは、すっぽんぽんでびしい、とポーズを……
……
…………
……………
ああああああああああああああああああああああああ!?
す、すっぽんぽんぽぽんぽん?!
全裸!? ストリーキング!?
ひゃあああああ!? これ全国中継ですよね!? も、モザイクとかかけてくれてますよね!? うひえええええ恥ずかしい! 超恥ずかしい! 乙女の死death! 社会的即死! ゴスペル!
うあああ、少しくらい焦げ焦げになっても、ぱんつくらいはいておくんだった……!
暗黒騎士ダークヴァルザードギアスさん、あなたは超正しかったですようわーん!!!
chapter5 二十一年越しの約束
「ママっ。ママ!! もう! 風邪ひいちゃうよ!」
肩を揺らす手の感触と、聞きなれた声に、徒士谷真歩の意識はまどろみから覚めた。
首の周りがずいぶんとこっている。
重ねた手から伏せていた顔を上げる。どうやら、反省用の準決勝のVTRを見ながら、眠ってしまっていたらしい。
「うぇっ!? あ、学校! 送りにいかないと――」
「ママ、今日、土曜」
「うぁ……」
また、完全に寝ぼけていた。
頬を膨らませながらカップを差し出してくる娘の頭を撫でて、真歩は湯気を立てたコーヒーを受け取った。
準決勝、恵撫子りうむとの戦闘。
下馬評では、圧倒的に徒士谷真歩が有利との評価がなされていた。
しかし、結果はこれだ。
「――レプリカっていうオリジナル、か」
恵撫子りうむは、強くはなかった。
だが、その「強くないこと」を利用して勝利した。
借り物の力を、自分の使える範囲で応用し、元の使い手とは違う道を歩いた。
どんな接戦だろうと、勝ちは勝ち。一歩先に進むことができたのは、彼女だ。
「はい、昨日はちゃんとごはん炊けてたね。ママ、えらいえらい。タラコ焼いたよ? おひたし、冷蔵庫の食べていいよね? お味噌汁は、具、何がいい?」
「うー、わかめ」
「お味噌は?」
「赤味噌ー」
「はーい」
電子ケトルで沸かしたお湯をお椀に注ぎ、インスタント味噌汁と具を手慣れた様子で放り込む。
こんな娘の手際を、ぼんやりと真歩は眺めていた。
かがりは、準決勝以降、ほとんど『グロリアス・オリュンピア』については触れていない。
『ママ、おつかれさま。がんばったね。すごかったよ』
そう言っただけだ。
我が娘ながらできすぎた子だと、真歩は申し訳ない気分になった。
自分がもっと強かったら。ジェイムズがいきていたら。
もっと、この娘は、「しっかりしなくてもよかった」のかもしれない。
酸味の強いモカを口に含み、改めて思考を整理する。
自分は、『グロリアス・オリュンピア』に負けた。
それは即ち、ES-08号の件について、エプシロン王国の助力を得られないということだ。
しかし、それは、マイナスではない。
降ってわいた助力の可能性が消えただけのこと。
「……できることを、一歩一歩、だったね。父さん。ジェイムズ」
「ね、ママ! お手紙きてるよ!」
と。かがりが、一枚の封筒を渡してきた。
差出人は――恵撫子りうむ。
「……っ」
封筒を開く。
『拝啓 徒士谷真歩さま。
この大会が一区切りついたら、娘さんと旅行でもどうぞ。
生き方を教えていただいたお礼には、ちょっぴりチープかもしれませんが。
あらあらかしこ。
恵撫子りうむ』
そして、同封されていたのは、ニューカレドニア行きツアーの年内フリーペアチケット、そしてパンフレット。
「……あんのガキ……生意気なことして!」
「どうしたの、ママ。うれしそうだよ?」
「そんなわけあるか。迷惑だ。地方公務員が高額の贈答品を受け取れないことくらい、勉強しとけっての。いくらすんだこれ。ぁ、MVP賞金か。……ったく。でもまあ……」
真歩は、パンフレットを開く。
ニューカレドニア。8日間。三島周遊の旅。
『警察学校の教官の枠が空くらしい。そうしたら、たぶん、真歩。もっとおまえと一緒にいられる。……乗物にだって、乗れるようになる。そうだ。この前テレビでやってた、あの南の島へ行こう。……ニュー……なんとかって』
思い出すのは、21年前の言葉。
果たされなかった、宙ぶらりんの約束。
「こいつは返すが、行くか。ニューカレドニア」
「……え? い、いいの? ママ! 飛行機、乗るの!?」
「ああ。ES-08号の件をきっちり片づけたら。約束だ」
そう。自分は、あの人の東海道の、その先を継ぐと決めたのだ。
一緒に娘と遊園地のアトラクションに乗れた。
娘は天使みたいにかわいい子に育った。
これは、あの人の道にはなかった光景だ。
だから。この約束もきっと、果たせるのだと、真歩は信じる。
一歩、一歩、できることを。
いつだってその果てに、目指す光景はあるのだから。
chapter6 恵撫子りうむの差引簿・後
――休眠状態。個体規定名『恵撫子りうむ』の状態を精査します。
――第一段階。物理成型安定度。29%。シグナルレッド。
――第二段階。概念成型安定度。41%。シグナルイエローマイナー。
――第三段階。魔人能力安定度。99%。シグナルグリーン。
――第四段階。精神成型安定度。141%。シグナルグリーン。
――警告。アバターの物理輪郭が危険水準に達しています。
――警告。想定戦闘回数に対し、十分なパフォーマンスが保証されません。
――この警告を繰り返し表示しますか?/N
――hello, world.
――Strait is the gate, and narrow is the way, which leads unto life.
おまけ:恵撫子りうむ使用済能力まとめ