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1101■アラブの春

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1101■アラブの春

チュニジア

 チュニジアでは、軍情報部出身のベンアリが1987年に大統領に就任して以来、秘密警察網を使って反対派を弾圧、国民を監視する強権政治が行われてきた。
 2010年末、中部の地方都市で、一人の失業青年が道端で野菜を売ろうとしたところ警察に止められ、抗議の焼身自殺を図った。その映像がSNSで流されると、抗議デモがチュニジア全土へ広がっていった。特定の政治・宗教団体によらない、指導者不在の草の根レジスタンスは、政権側の譲歩では収まらず、治安部隊を圧倒し、1月14日、ベンアリ大統領を亡命に追いやり、23年に及ぶ独裁政権を倒した。国を代表する花の名から「ジャスミン革命」と呼ばれるこの政変が、瞬く間に北アフリカ・中東各国に広がり、「アラブの春」と呼ばれる事態へと発展していった。

エジプト

 エジプトではムバラク大統領が30年にわたる統治を続けてきた。野党への弾圧、政治家や公務員の腐敗、そして若年層の失業や貧富の格差が民衆の不満を高めていた。
 警察をたたえる祝日に合わせて若者グループが計画し、SNSを通じて呼びかけた民主化要求デモが、直前のチュニジアでの革命に刺激され、一挙に拡大していった。ムバラクは内閣改造や次期大統領選への不出馬表明といった延命策を講じたが、デモは収まらず、ついに後ろ盾となっていた軍の離反に直面して、2月11日、退陣した。
 ムバラク辞任後、軍の最高評議会が全権を掌握、3月に憲法改正の国民投票を実施して民政移管への道筋をつけた。

リビア

 42年にわたりカダフィ大佐による独裁政権が続いてきたリビアでも、民主化要求デモが始まった。ここでは、国軍の一部が離反してデモに加勢して、反カダフィ派組織「国民評議会」を結成、カダフィ派との内戦となった。3月にはNATOが「民間人保護」の名目で空爆を開始し反体制派を援護した。評議会は8月に首都を制圧、カダフィ派を最後の拠点シルトへ追い込み、10月にここを陥落させた。カダフィは潜伏先で殺害された。評議会は全土解放後暫定政権を立て、国家再建へのプロセスを歩み始めた。

シリア

 シリアでは、1971年に無血クーデターを経て大統領になったファヘズ・アサドとその次男のバシャール・アサドの二代にわたる独裁体制が続いていた。11年3月からここでも反政府デモが起きたが、政権はこれを徹底的に弾圧、多くの市民が死亡した。10月、国内外の反アサド派は統一して「シリア国民評議会」を結成して対抗、蜂起した。

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