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0004●小渕首相急死 森喜郎内閣へ

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0004●小渕首相急死 森喜郎内閣へ
 自自公の連立で数々の懸案を処理して小渕内閣は安定軌道に入ったかに見えたが、自由党の小沢一郎が絶えず内側から政権に揺さぶりをかけて小渕を悩ませた。自由党が連立に加わったのは、小沢の持論である政界再編を進めるためであった。2000年1月には、衆院比例区定数の20削減法案を小渕は自由党との合意事項のため野党猛反対の中いやいややらされた(2月に可決成立)。
 4月1日、小沢は自民・自由両党の合流を小渕に要求してきた。小渕はこれを拒絶。即座に小沢は連立離脱を告げた。その夜、小渕は脳梗塞で倒れ緊急入院した。
 緊急の際の総理代行者について憲法・法律の明文の規定はなかった。小渕の意識が回復しない中、青木官房長官、森幹事長、野中幹事長代理、亀井政調会長、村上参院議員会長の5人が密室で談合し、後継者に森をあてることを決めた。
 4月5日、自民・公明・保守党(元自由党の連立残留派が結成)3党連立の森喜郎内閣が成立した。小渕内閣の閣僚すべてが留任した。幹事長には野中広務が就いた。
★2000年



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